社会

2025年3月23日 (日)

初日:秋田空港→秋田駅→男鹿駅→なまはげ館

 今回の旅ももちろん“どこかマイル”が溜まってたおかげでのこと。そもそも自身が現金派なもんですから、もひとつどの様な経緯で様々な買い物に付与されるポイントがJALのマイルに変身するのかも解らん状態でして、はい。まぁ何しかうちのひとがうまいことやってくれはるおかげで今回の旅の交通費(飛行機代)もマイルから引かれる状態で…有り難いことですわ。日本航空にも…そしてもちろんうちのひとに感謝でんな、ほんま。
 秋田空港に着いてバスで秋田駅へ移動、そこから奥羽本線→男鹿線経由で男鹿駅へ。うちのひとからの説明で知ったのは非電化区間も蓄電池走る電車での移動やったとか。それ知って男鹿駅で車両のパンタグラフを見ましたら架線に接触しているもその前後には架線のない状態。そうか、終着駅で充電するんですな。なるほどねー。
 そこからはなまはげシャトルという名のタクシーに乗ってなまはげ館へ。乗合タクシーっていうカテゴリーの様ですが我々三人だけ乗り込んで30分ほどで目的地へ。
 “なまはげ”というコトバは知るも、もひとつどんなもんやらまぁ知らん状態で訪れたんですけど映像による解説もあってとてもよくわかりました。そうかぁなるほどなぁ。教養を得る目的での旅ってのはあんまり好きやないのが正味のところですけど…うーん。ええ歳になるとこれはこれでええもんですわ。
Namahage2  続いて男鹿真山伝承館へ。これがまたどっかから移築したのかと思われる本格的な古民家。そこを大晦日やという見立ててなまはげと住人とのやりとりを再現するという演技を見せられてこれがまた怖いっちゅや怖いものの何と言えん豊かなかつての時代を思わせる内容でよろしいなぁと。
Namahage1  説明によると県下それぞれの集落で鬼の見た目や気性が違うとのこと。ここ真山地区の鬼にはツノもなく、包丁などの怖がらせ小道具も持っていないとのことでしたが、他の地区の様子を紹介するビデオ映像によるとかなり“ビビらせてナンボ”な鬼を演じてはる様子もありました。その手のなまはげは…かつてテレビの影響を受けて演出過多になったんやろなぁと思ったり。もちろん私見ですけどね。
 帰路は再びなまはげシャトルで男鹿駅まで。往路の運転手さんは寡黙なお方でしたが復路の方はちょうどええ程度にお話をしてくれはりました。そこでの会話で知ったのは、

1:きょうび、なまはげに扮するひとは“独身の若い男性”が担当することは、ほぼない。
2:多くの家が玄関先でお帰りいただいている。
3:ほぼ午後9時までに終える。

という現実でした。

1:は、もちろん少子化の結果(本来は独身男性のみが許されていたとか)。
2:は、年末年始は女性が大忙しという現状を鑑みてのこと。
3:は、紅白歌合戦が9時始まりの名残り(みな“紅白”を観たいがためのこと)

 なるほどねー。そういう“生の声”を聞かせてもらえるのが旅の醍醐味、ですね。
 道中の景色にちょっと引っ掛かることがあって訊いてみますればそれらは休耕田やとのこと。農業を継がんひとが多い中、やる気のある連中は大きな組織にして耕作しようとしている動きもあるとはあるとのことでした。ちなみに秋田県下でも田植え前に業者がお米の買い付けに走っているとかで、米どころでも米価は高止まりとのことでした。
 ついでに余談ですけど、我々が大阪から来たと知ると「あの有名なチーズケーキは食べたい」的なことをおっしゃっていました。
 男鹿駅に戻って…1時間以上次の列車まで時間あるという状態に。そこでうちのひと「醸造所が近くにあるみたいやで」と。いつも通り我がにとってはミステリーツアー状態ながら何となく「それ、なんたらとアガとかいうとこちゃうん?」に「さぁ、わからん」。
 行ってみますればそこは“稲とアガベ”の醸造元に隣接したカフェ。ほぼその醸造元のこと「東北にある」程度にしか知らんのに“稲とアガベ”やと直感で解ったのかも不思議な感じがします。
 で、そこで3種の醸造酒の有料試飲をさせてもらいますれば…どれも素晴らしすぎ。もう感動しまくり。「これは間違いないで」の確信の下、全種類を送ってもらうことにして店を後にしました。この“稲とアガベ”のことに関しては、また後日改めて記事化したいと思います。

(於:秋田県男鹿市)人気ブログランキング 稲とアガベ”味わって“その他の醸造酒”の印象ゴロっと変わったわ。

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2025年3月15日 (土)

サラメシ終了に亡き父のこと思い出しあれこれ

 NHKのテレビ番組“サラメシ”終了したそうでもうこれかなり残念。まぁしばらくは未再生の録画があるからええんですけどさみしいなぁ。

 かなり好きな番組のひとつやったんですけど、亡き父はこの“サラメシ”が嫌いやったんですよ。
 ニュアンスとしては“嫌い”と言うより“怒り”が湧いてくる番組やったみたいです。わからんもんですなぁ。

Nophoto2_20250316215501 訊くまでもなくその番組に対しての父の感情は「なに贅沢ぬかしとんねん」なもの。食うや食わずの時代の戦中戦後が育ち盛り、世帯を持ったら今度は家、そして家族の維持にいっぱいいっぱいでお昼はご飯と漬物程度で凌いてきたとのこと。そんな時代を生きてきたひとの中にはそう言う感覚であの番組を見てたんやなぁと。“妬む”やなく腹立たしく感じていたみたいです。

 そうなんか…と思います。自分が育ててもろてた幼少期〜青年期に父親がそんな状態、思いで日々生活してたやて考えもしませんでしたしそんな雰囲気まったく醸し出してませんでしたから、うん。

 晩年になってつい爆発しそうになってたんですなぁ。そう言えば山本龍造が世帯を持つという時にも心情を吐露しはりました。その内容にも「えっ、そうやたんか…」がいっぱい詰まっていました。心の中っちゅうのは、見えんもんです親子といえど他人には。そうやっ!“男は黙ってサッポロビール”よろしく男は背中で語るもんやったんですね。やと言うのに鈍感な我はその背中から何も汲み取ることができてなかった…。

 で、サラメシ。“どんな人が何を昼に食べたか”な番組ながら、その本質は“あんな人こんな人みなコツコツ日々を歩んでます”なところにある訳でそこに発見と共感を覚えてええ番組やなぁと思ってんですが、父親にとったらそれ以前に見るに耐えん贅沢さやったんでしょうなぁ。「昼飯くらい贅沢せんとさっさと食えや」でイラっときて。気持ちはわからんこともないんですけど…いま、昭和やないからなぁ。

 世代の差(ジェネレーションギャップ)、今の親子間にはあんまり感じないですよね。親子で山下達郎やらサザンのコンサート一緒に行くとか聞きますやん。ですけど自分と親の世代は…そやなかったですよ。まぁうちの両親は演歌や浪曲こそ聴きませんでしたけどそらぁ別世界に生きてたと思います。その根底に流れる価値観も当然違います。ですけど父親(=母親もですけど)自分の価値観をいっさい強制しませんでしたわ。それ思うともうね、たまらん感謝の気持ちが湧き上がってくるってもんです。

 「お前はその辺どやねん?」と極楽から訊かれるまでもなくそのね、お子に対して価値観押し付けてる部分があるわなぁと。無関心はアカン、ですけどそっと見ているってなかなかできんことで。まぁ、人間できてへんなぁってサラメシなくなり父思い出しあれこれ思った訳です。

 人気ブログランキング 言うてもやっぱり背中から感じ取ったから外れた人生歩めなんだんやろ…。

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2025年3月11日 (火)

3月11日に

 能登の大地震があった思たら大船渡で山火事。何と気の毒なと思ってましたら吉野は川上村でも山火事。ま、共に鎮圧となったそうですけども。
2403271543  もう14年も経つのか。14年…変わったもんは変わった。変わらんもんは、変わらん。何に対してそう思うか…は、うん。スカッとせん気持ちはより深化したかもしれません。

(於:宮城県気仙沼市-2024年・春人気ブログランキング 合掌。

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2025年3月 6日 (木)

如是町16-2、午後1時46分。

 今日も先日訪れた高槻市某所で仕事。はよ着いて前回に気になっていたところへ行きますれば不安定な天候も手伝ってもっとええ感じに。
2503061346  オブジェがふたつ…ってもちろん樹木に違いないんですけど。
 両端に写る4階建の団地に漂う昭和感。ここは某通信会社の社宅…と言っても数年前から閉鎖されている様子。廃墟とまではいかないひと気の無さが、このオブジェ樹に合ってるんでしょうなぁ。
 思えば“社宅”って少ななった気がします。調べますと2000年をピークに減り続けているとか。老朽化もあるかと思いますけど労使関係の変化も根底にあるんでしょう、きっと。それ思うと、ますます昭和な一角に見えてきました。

(於:高槻市)人気ブログランキング もちろん帰りは國乃長タップルームへ。念じたら願いは叶うもんやで。

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2025年2月22日 (土)

十二軒文化住宅、青い瓦屋根にアンテナ7本13機。

 茶の湯の稽古つけてもろて歩いてますとそこもここもまぁあんまり変わらん八尾の景色。それでもいつもは通り過ぎていた風景に惹かれて立ち止まることもあるもんです。
2502221102  木造モルタルの文化住宅。まだまだ残るも気がつけばレオパレスなんかのアパートに建て替わって…そらまぁそうでしょうなぁ。
 青い瓦屋根にそびえるアンテナ、錆びたナミイタ鉄の階段…それらのテイストみな昭和。あっ、臭気筒もですな。

(於:八尾市)人気ブログランキング サンテレビ用にもアンテナも付けるのが標準なんやなぁ。

※関連記事:
恩智北町二丁目の文化住宅、午前10時21分。』 2024年11月 記
初秋は午前9時の文化住宅』 2017年9月 記

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2025年2月21日 (金)

67770555は、

 用途不明な錆びた箱に8つ数字が並んだ広告物一枚。
67770555b 67770555a  [良心的]の文字から発せられる安心感…いやいや真逆。とは言え追い込まれるとそれなりに効果的な文言なんかも。

(於:守口市)人気ブログランキング 仕事後結構歩いたんやけど手ごたえこんなもんやった。

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2025年1月21日 (火)

生野区の北の端っこ近鉄の高架下の図

 まぁ…こんな感じ。
Nakagawanishi1  「こうなるかぁ…」と思う気持ちに「この程度で済んでるんか」な思いもまぁそれなりに。
 どことなく人間の営み感じるも静まりかえっていて非現実的、かも。何げに好きな光景。

(於:生野区)人気ブログランキング 線路の北は東成区。

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2025年1月12日 (日)

“ン”剥がしたらええやろって感じ

 先の渥美半島旅。帰路信号待ち中にこんなトラックを見かけました。
Kiriramen  “キリ ラーメン”…あぁそうきたかってまぁ、わかる人にはわかる話でしょう。以下、よく知らないというひと向けにおさらいを。

 食したことはありませんがネットではちょいちょい目にしていた愛知は三河のご当地即席ラーメンに“キリンラーメン”というのがあったとか。
 売れに売れた時代が去り、1997年に終売となるも地元民の要求に押されて2002年限定で再び売り出すと再びそれなりにヒット。その後2018年、“大人の事情”で“キリマルラーメン”と名を変え今に至っているとか。ちなみに「何でキリンか?」については「出来上がるまでの3分間首を長くして待つ=キリン」とか。ま、ざっくりそんな感じです。

 で、その「“大人の事情”って何なん?」ですが想像するにキリンビールとの関係ですよね。調べてみますればやっぱりそうかって感じ。ただ、ずっと継続して売り続けていたらキリンビールにあれこれ言われる筋合いもなかったんちゃうかと言われているみたいです。そらまぁ同じ“キリン”でも“動物のキリン”と“瑞獣の麒麟”では別モンやこと思うとなおのことですわな…ってそれは素人考えみたいですけど。
 詳しくはアイリンク国際特許商標事務所さんのコラム“キリンラーメンはなぜ名称変更しなければならなかったのか”をお読みください。で、そうか…そもそもキリンラーメンは商標登録されてなかった様ですね。

(於:愛知県豊橋市)人気ブログランキング お土産に買ったのはスガキヤラーメン…でした。

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2024年12月22日 (日)

今日的物流倉庫

 ここ十数年、大型の物流倉庫がドンドン建設されていて、しかもどこもフル回転って感じ。
 「今まではどういう風に回してたんやろ」と、思うほどに建ちまくってます。淀川右岸やと茨木や高槻、左岸やと枚方や交野あたりで激増中。
 どこもほぼ同じ様なつくりでトラックが上の方の階まで行けるレイアウト。改めて見上げるとなかなかカッコよろしい、で一枚。
Mbrg  何となく建屋もトラックもミニチュア風に見えます…って、それだけでっかい“装置”ってことですな。まぁこんだけネットでモノ買う時代やってこと思うとデッカイのが次々ドンドン…当たり前ですわな。

(於:交野市)人気ブログランキング 2024年問題って解決してへんはずながら世間回ってるのはどういうことなんやろ。

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2024年12月18日 (水)

大和川染工所跡、午前9時9分。

 堺区某所で仕事。いつも通り“乗って応援”と阪堺電車で堺入り。大和川停留所で降り立ちますればキレイに整地されるも荒涼な風景が広がって妙な感じ。しばし行きますれば立派な門柱の向こうは更地の一角。
2412180909  朝日を受けた門扉の影に惹かれて一枚。歴史を思わせるもそこに漂うのは、いち時代が終わったという空気感。沁みます。
 帰宅後調べますればここにあったのは大和川染工所という明治29年創業の染物工場とか。堺市のサイトにも載るほどの歴史を誇るその会社はその昔は旧日本陸軍兵の着るカーキ色の軍服を染めていたとか。“新工場が全面稼働”という記事が2002年の繊維ニュースにあるも、2022年に廃業に至ったそうです。稼働していた頃の写真を見ると…何とも残念。これが令和なんやなと、ふと思いました。

(於:堺市堺区)人気ブログランキング 大昔、父親はここらで糸巻き製造会社に勤めていた。泉州,堺は紡績で栄えたってことな。

※関連記事:
ダイセルはもう、堺にはなく…』 2008年5月 記

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