10月1日は日本酒の日、で…
10月1日は日本酒の日。
気がつけば日本酒ゴーアラウンドもここ数年回ってません。諸々の催し物に興味が失せて…これって更年期障害の症状のひとつなんやもしれませんで。
とは言えやはり日本酒に敬意を払う日やわとお造り煮魚食しつつ、今夜はちょっと高級に“松の翠”とまいりましょう。
晩酌はじめますればここ数日悪化し続ける花粉症がえげつない状態になってきて鼻も完づまりでお酒ヤメ。強力なクスリ2種服用するも何も変わらんまま朝まで眠れん。難儀なことです。
10月1日は日本酒の日。
気がつけば日本酒ゴーアラウンドもここ数年回ってません。諸々の催し物に興味が失せて…これって更年期障害の症状のひとつなんやもしれませんで。
とは言えやはり日本酒に敬意を払う日やわとお造り煮魚食しつつ、今夜はちょっと高級に“松の翠”とまいりましょう。
晩酌はじめますればここ数日悪化し続ける花粉症がえげつない状態になってきて鼻も完づまりでお酒ヤメ。強力なクスリ2種服用するも何も変わらんまま朝まで眠れん。難儀なことです。
船場から六本木へ、その後2年の休業を経て今春、新天地、台東区でさかなのさけさんが営業をはじめはりました。
極限までの薄味(=個人の感想です)にして美味しいてお酒が進む…船場時代からの良さはそのままやですわぁ。
もちろん店主おふたりとその人柄と味わいに惹かれて集うお客さんから醸し出されるゆったりした中にも凛とした空気感が…いいなぁ。
カウンター越しに見える水屋箪笥。これも3回目の出番。時折通っていた'90年代のあの時分にふとタイムスリップ。いま2024年。その長い歳月…場所は変われどあの頃がここにある事実に何とも言えん複雑な気分になって…沁みます。
ちなみにお子は今夜本格的に日本酒デビュー。今まで「苦っ、ムリ」と呑まなんだのがウソの様に肴に合わせつつ「おいしい」と。若造にもわかる…本物っちゅうのは、そんなもんなんですね。やっぱりここは“さかなのさけ”であって“さけのさかな”やないなぁと改めて感じたひととき。おおきにごちそうさんでした。
(於:東京都台東区) 人生楽しみ続ける…そう見える生き方が眩しいで。
※関連記事:
『さかなのさけ』 2019年3月 記
午前中船場、午後いちに上京区に納品。帰る途中、いわゆる“鴨川デルタ”を眺めながら左手におにぎり、右手にMy favoriteな“One CUP OZEKI mini”持って交互に口にし遅めの昼食。至福のひととき。
ええなぁこのワンカップ大関の小さいやつ。100mlという量がええ、100円そこそこで買えるのがええ、度数もちょっと低めでええ、で、味にいらん主張がなくて安心の旨さでええ…のええとこずくし。おまけにほぼどこのコンビニでも買える…よししいなぁ。
夏場はともかく、時々仕事帰りに公園のベンチなんかで呑みます。もちろん高級やったり超レアもん酒もおいしいですねんけど、このいつ飲んでもどんなシチュエーションでもどんな温度でも確実に「…旨いなぁ」ってすごいことですよ。「大手の酒は…もひとつや」と決めつけていた若い日々…青かったなぁ。いつでもどこでも寄り添ってくれる…ほんまMy favoriteな“One CUP OZEKI mini”。いつもおおきにな。
過日の京都は八条口での一泊旅。結局帰りは伏見まで歩くことに。道中、川を渡っりしているうちに向かっている方向が南のつもりが西やったりしてかなりへばりながら何とか伏見の目的地、松山酒造へ到着。新銘柄“十石”を分けてもらって外に出ますれば今にも雨が降ってきそうな空模様。これはあかんわと目的地を京阪は中書島駅から近くの丹波橋駅に変えて歩いてますとコンクリながら昔ながらな風情の酒蔵が。確かこれは都鶴酒造やったはずやと思うも看板も出てません。ちと寂しい図やわいと思いつつ煉瓦の煙突と錆びた鉄扉がええ感じやわと眺めていますと…建屋の屋上に別の酒名が記されたタンクっぽいもんが。
カタカナ表記で…“ バビジン”。「あっ、これきっと“ヒバビジン”やな」。全部判読できんでもピンとくるのがマニアってもんで。
そのヒバビジン、漢字で書くと“比婆美人”で広島のお酒のはず。帰宅後調べますとやっぱり間違いなく広島は庄原市にある比婆美人酒造の銘柄でした。
で、この都鶴酒造と比婆美人酒造はどう関係あるんやろかと調べましたけど…残念ながら解りませんでした。ま、多分両社には何の関連なく、不要な用具が必要とする酒蔵へ譲渡されたということやと思います。しかしながら他社の酒名がそのままになっているってのもええもんですな…ってまぁ個人的にはですけど。
昨日は大東市某所で仕事。片町線に乗って…何ででしょうか大阪府下は元より近畿一円、水間鉄道や和歌山電鐵まで大概の鉄道に乗って仕事へ向かいますが、片町線だけはまぁ縁がなくて今日はじめて。当然現場が大東市内というのもはじめて。勝手に“田舎の沿線”と思い込んでましたけど何の何のずっと街中やんと外の景色眺めつつの移動。野崎駅で降りるところが時間あるしで住道駅で下車。これまた栄えた街やことで。知らんとこ歩くのはやっぱり新鮮やと雨上がりの中30分ほどの移動で現場へ。そこでサクッと仕事して…そうそう、確かここらへんやったわとその後、名酒専門店へ向かいました。
歩きながら「…もう30年は前やなぁ、いや35年ぶりやで」と。社会人になって2年目あたりの頃何度か行ったっきりそのまんま。その頃と言えば“香り吟醸の出羽桜に味吟醸の谷桜”とかそんなのが言われ出した頃で大阪府下のお酒はそこそこ知るも他地方の酒のことはあんまり詳しいなかったのでほんとあれこれ教えてもらいました。
品揃えはすごいのに街の酒屋風情で中に入ると穏やかな空気で…そんなこと思い出しているとやがてお店が。何か建て替わった気がするなぁ、名酒の店的やんと思いつつ扉を開けると…同じ空気が。穏やかな夫婦がおられました。
35年の歳月が経った訳ですから、さすがにお歳を召してはりましたけどやっぱりやさしいわぁって感じ。開口一番「じつは…35年ぶりに寄せてもらいました」。もちろんそんな客が当時いたことは覚えてはりませんでしたが、35年の歳月をお互い振り返って…楽しかったぁ懐かしかったぁって感じ。四半世紀以上の35年ですからね、今と比べて随分日本酒事情も変わったもんやと3人で再認識するひとときでした。
で、その35年前「燗にしておいしいのを」のおすすめでもらったのが確か“千代の光”やったという話になり、今も当時からお酒を扱ってはりましたが「この蔵も代替わりしてKシリーズと言うのが息子さんが手掛けてはるもんです」の説明にまずこれを一本。次に「今の時代にお勧めのは?」に「これもまぁ知ってはるでしょうけど」と勧めてくれはった中に“山本”を名乗るシリーズがあってこらぁやっぱり山本龍造を名乗る限りは“山本”やろ、と、黒・青・赤と3種ありもひとつどう違うんかわからなんだので好きな色を選んどけと青を一本を選びました。
「僕も社会人成り立てでしたけど、もう定年の年ですわ…長年の不義理ひとつお許しを」と言って尽きない話をし続けても迷惑なこっちゃろとお店を後にしましたけど…ええお店やなぁやっぱり。あちこちで酒好きを公言してますと皆さんからお酒頂いて自分で買うことがまず無い現状はとっても有り難いことなんですが、気持ちの入った酒屋さんでそのお店の人の“想い”を聞いて買うっていうのもええなぁと心底思いました。そんな話を肴に一献…うまさ3増。いや、まだ呑んでませんねんけどね。ただの日記に付き合わせてすんませんでした。また行こ…って35年先かなっ×。
今年の10月1日はおとなしく家呑み。
数日後の仕事を思うと絶対に疫病に感染する訳にはいかんでってことで、日本酒の日には日本酒ゴーアラウンドで呑み歩く恒例行事は封印。とは言えやはり日本酒を愛でなあかんわとか理由をつけて鮭の味噌漬けに納豆の塩辛肴に燗酒を楽しみました。
お酒はご近所さんから頂いた“菊水の辛口”。「辛口かぁ」と開栓前に思っていたものの…「そうそうこれこれ」な味わい。何がってほれ「ドヤっ美味いやろ」な主張がなく、キレよくて味わいもしっかりな定番酒的な旨さです。もひとつわからんくせに「辛口はちと苦手かも」と思っていたのは間違いでした。家呑みはこういう妙な主張のないのがええなぁ。ビールも然りです。そういう“ドヤ酒”は外で非日常を感じるアイテムとして楽しむのがええなぁとか思う晩酌のひとときでした。
いわゆるプラ看板とはややニュアンスが違うのが、すっかり色褪せ建屋に溶け込んでます。
泉正宗。酒名と言えば髭文字が当たり前の時代から特長あるゴシックで勝負してはるのがかなりユニークですわ。その上には“灘の生一本”の文字。これも懐かしいですね。「純米かつ自家醸造酒でなければ“生一本”とは言えん」とのことでここ何十年はなかなか“灘の生一本”を何げに使うことは許されてない様でたいてい“灘の清酒”等のコトバに置き換わっています。
かつて何度か記しましたがこの泉正宗の泉酒造さんですが2007年の自家醸造再開以降、自前で手掛けたお酒は“仙介”など新しい銘柄で出されていて、この“泉正宗”ブランドのものは親戚筋の他社が醸したお酒が詰められている様です。ちなみにどちらも美味しいお酒。かつて…って、もうかれこれ30年以上前に関西煮肴に呑んだラムネ色の瓶に入った特級酒の個性的な味わいがすっかり影を潜めているのが何となく残念とも言えますか。ま、もちろん今の泉正宗の方が洗練されてるんですけどね。
で、泉正宗と言えばやっぱり“泉正宗マンボ”ですよね。ラジオ関西で流れなくなってもう何年になるんでしょ。ソノシートを再生したというフルバージョンのそれがYouTubeにアップされていましたのでみなさんどうぞお聞きください。あっ、そう言えば“たばこ”も書いてあったんですな。ま…こっちはスルーしときまっさ。
(於:東住吉区) そう言えば半世紀前に父親がカローラ買った時にCMソングのソノシートもらったなぁ。
※関連記事:
『塩粒うに+灘の生一本“仙介”の燗…旨っ』 2009年1月 記
『関東煮三昧の週、〆は関西煮で。』 2008年4月 記
『関西煮と泉正宗と仙介と…』 2008年1月 記
今年はほぼ一ヶ月遅れで開催の日本酒ゴーアラウンド。ややばたばたしてるのと、コロナな日々ですっかり出不精になってるってもあって二日目の夜にして一軒だけ楽しみに。
厳選の結果…と言うか何と言うか、うちの日めくりでおなじみの「大倉さんに会いに行こ」ってことで鶴橋のゆう屋さんへ。こちらのお店去年も寄せてもろたなぁと思いつつ中に入りますれば…居はりましたよ大倉さん。何年ぶりなんやろ…「えらい肥えて…」などといきなりの無礼にも「おっ…龍造さん」ってね、その後は本名で応えてくれてはりましたけど、変わらんなぁと言うか、より磨きがかかってるなぁ…いや、その変さに。あ、もちろん褒め言葉ですよ。
あれこれよばれました。大倉本家さんの醸す酒はもう米も色々酵母も造りも磨きも多種多様すぎてあれこれいちいちその特徴を吟味してられんというのが正直なところ。そんなアホなことをまぁほぼひとりでやってはるみたいですからね、そらぁ体格がゴツなって当たり前。第一声に言ってしまった「えらい肥えて」が失言やったなぁと詫びるに至りました。命がけで家業と向き合ってはるなぁ…ってね。でも全然そこに悲壮感なくて楽しんではる風に見せてるところが、呑んでるこっちにも伝わってきてええ酔い加減になってくるってもんです。
で、そのお酒の味は…はい、それぞれ明らかに違いますがどれも「大倉さんの味」。彼のキャラがお酒に乗り移っていると言えましょう。中には“酸度4.8”なんてお酒もあって。そんな数値、うちで使ってるタマノイ酢より酸っぱいでっせ。でも、ちゃんと美味しい上にドヤッと主張しつつ喉を通る…よくもこんな危険な賭けを。唯一無二な蔵元さんに間違いありません。
工夫されたアテも美味しくて「もうずっとここで呑もか」って気分全開になって…ですが、この催しの趣旨にそのやり方は無粋ってもんやなと30分ほどで席を立ちましたけど、大倉さんは人もお酒も楽しいですわ。そうそう、この大倉さんが醸す“大倉”は、製品とか商品ではなく“作品”と呼ぶのにふさわしい、その様に思いました。
※大倉関連記事:
『奥ゆかしいわぁ、myキンコ』 2008年12月 記
『金鼓“春・夏 濁酒”』 2008年8月 記
『大倉おま ちちゃん』 2008年5月 記
『“酒蔵みてある記”で金鼓/大倉本家へ』 2008年3月 記
※ゴーアラウンド関連記事:
『日本酒ゴーアラウンド、二日目。』 2020年10月 記
『日本酒の日に』 2019年10月 記
『日本酒ゴーアラウンド2014へ』 2014年10月 記
『日本酒ゴーアラウンド2011へ』 2011年10月 記
『日本酒ゴーアラウンド2010へ』 2010年10月 記
『10月1日「日本酒 ゴー★アラウンド」へ』 2008年10月 記
京都へ仕事に行く途中、昔より運転しながら眺めていたこの看板。ちょっと時間に余裕があるわで、ようやく撮れました。
○ずっと前からこの風情、町家にすっかり溶け込んでいます。ちょっと小ぶりなのもまた看板条例のある京都にふさわしいですね。
酒名の王道、髭文字で記されているのは“富久寶”。“伏見のお酒”と上にある通り、伏見区にあった蔵元“富久宝酒造”が手掛けるお酒でしたが1995年春に廃業、今は遠く離れた福岡県の“鷹正宗”にその名は引き継がれています。ほかに“嵯峨紅梅”という“淡麗甘口”を売りにしていたお酒も出されていましたが、こちらは伏見の招徳酒造に引き継がれています。ただし“淡麗甘口”を謳ってはる訳ではなさそうです。
じつは廃業される2年ほど前に所用で蔵に訪れたことがあるんですが、その当時、新しい醸造システムと話題になっていた液化仕込のひとつ“姫飯造り”のプラントを導入し“平成蔵”を立ち上げたばかりでした。旧蔵も残されていましたが「全量新方式で醸しています」とのことで「ここはずっと続けて行きはるな」と思ってましたので、まさかの廃業でした。
で、“淡麗甘口”ですが、今はどうかわかりませんが当時、その姫飯造りで仕込むと精米歩合にかかわらず淡麗な酒に仕上がると言われていて、たとえ甘口でも淡麗に仕上がる特性を利用して造られたお酒やったんではないかなぁと…まぁ、想像の域を出ませんけれども。
廃業される前、近くにはうる覚えですが“酒ハ富久寶”と書かれた琺瑯看板が杉板の塀にあってええ風情でしたが、それも同時期に撤去しはって…徹底されていたんやなぁと思うと、この看板が残っているのがより愛おしく感じられます。明ごころに名誉冠、玉龍、出世盃、大正菊、仙界…灘もそうですけど伏見の中堅どころも…いっぱいなくなってしまったもんです。
ここ数ヶ月ぷち断捨離してましてあれこれ片付ける中、瓶の底に酒がちょろっとだけ残る四合瓶が出てきました。
記憶はあったので「あぁ、あの時の本醸造な」と思いながら呑んだそのお酒、熟成が進んだなぁとは思うも当時の「華やかで甘みの乗った旨さはちゃんと残ってるやん」と懐かしみつつ瓶に貼った手書きの文字見て…「え?ほんまかいな」な感じ。何がってそこには“純米吟醸”の文字、しかも“生原酒”と書いてありますわ。その下にある“徳山”は“徳島産山田錦”のことです。
記憶違いやってんなぁと思いつつ呑んだそのお酒、常温保存で底に残ってたと言うのにオリもなく色付きも味醂以下。平成10年と言えば1998年ですからほぼ四半世紀前のお酒ってこと。ええ酒は劣化せんのでしょうかね。
羽曳野は軽里にあったオキナ酒造、いま調べますれば廃業が2003年。その年に大量に買い込んだ本醸造に吟醸が今もたっぷり実家にあるんですがその時の酒やと思ってましたらそれ以前のもっとも勢いのあった時の純米吟醸やったんかと思うと…呑み干してしもて残念な気分になりました。
そのオキナ酒造にはもう思い出がいっぱいすぎてなかなか記事化できずにいます。酒づくりはヤメはったものの酒蔵はまだ残っていてそないに昔の話と思ってませんでしたけど、もう廃業してふた昔になると思うと我がも歳とったもんやなぁとシミジミ。そんなオキナの蔵元の家がどうやら近年、羽曳野市に買い上げられて“街づくりの目玉”の拠点として再生されることになったとかで何かひと安心です。お酒が醸されることはもうないものの、やっぱり更地の状態は見たくなかったもんね。ま、中途半端ながらオキナ酒造さんの話は今日はここまで。いずれ…ちゃんと記したいと思います…って、ホンマ気合い入れんと書けないなぁってくらいに入れ込んでたもんで。
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