懐かし…

2020年7月27日 (月)

モータープールの木造建屋

 旭区某所で仕事。雨予報の割に晴れてるやんと地下鉄は都島駅から歩いて歩いて…なんか息できへんわと口から息するも鼻つまってへんでとマスクずらすと…あ、そうか。汗やら湿気でマスクが水分含んで通気できんようになってるわ…ってその話はここらでヤメといて道すがら、こんな建屋がありました。
Smp  懐かしい木造校舎を思わせるもきっと何ぞの工場なんでしょう。完全シンメトリーで一部ナミイタで覆われるもその持ち味は残されています。
 ところで何の工場なんやろかと裏(表?)へ回ってみますとこれ、モータープールでした。屋根付きのそれにしては天井高すぎですから駐車場として建屋が使われているだけのことかと思います。
 この手のガラス窓も見かけん様になったもんです。アルミサッシのガラスは少々の事では割れませんけど、子供の頃は家で学校でしょっちゅう割っては怒られたもんです。まぁ割るより割れんことの方が大事ながら、まぁそれが主流になったらあれこれ思うもんで勝手なもんですわ。

(於:都島区) 見ようによってはちょっとした富士山…言い過ぎ。

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2020年5月31日 (日)

ミゼットよりかわいいミゼットの灰皿

 かわいいわぁ。ただでさえかわいいミゼットがもっとちっさくて…あぁたまらん。
Midget1 Midget2  ええでしょ、これ。ミゼット型の灰皿ですわ。過日…もう40年近く前になるでしょうか、連れの“銭丸”からもらったものです。その銭丸は当時、東大阪のバイク中心の修理販売店でアルバイトしていて、そこでこれを見つけ、承諾を得て(…のはず)くれたもんです。いやぁそらもう当時ですら「こんなん残ってたん!」ですよ。箱に入った新品、ずっと大事に箱に入れたまま忘れることなく今に至っています。ま、今回の断捨離の中で改めて出してきたんですけど…何回見ても安らぎまっせ、こいつは。
Midget3 ちょっと実際の色とは違う様に思うも当時のミゼットにはこういう配色のもあったんかもしれません。本体荷台横には“東部ミゼット販売”の文字。一緒に入れられた納品元の紙にはこれまたかわいい絵と共に“とうきや”の屋号…共に検索するも何もわかりませんでした。半世紀以上前のものであろうこと思うと…そんなもんかもしれません。
 これ、いちばんの宝物かな。くれた銭丸も大事な連れやということもあってひときわ大切な逸品。これからも使うことなくずっと箱の中、時々出しては癒されて…灰皿やと言うてもこのご時世を思うと癒しグッズほ方がふさわしい有り様なんかも。あ、ちなみに今日は世界禁煙デーって…まぁ、こじつけかな。
Midget4 あ、ついでにホンマのミゼットの写真も載せておきますね。今年の2月に仕事で行った羽曳野東部のワイナリーに置かれていたヤツです。もうオブジェとしてそこにいるだけの様でちょっと残念ではありますが。ブドウ畑の多いここらではかなり近年までミゼットが現役やと聞いてましたけど…ってそんなことがニュースになっていたのももう20年は前の話。今も使ってはる農家さんがいるのかいないのか…走っていても不思議はないんですが駒ヶ谷あたりではね何となく。

(於:羽曳野市ーミゼット ミゼットが街路樹と家の間に挟まったり川にはまったりな状態を目にした幼少期の記憶が鮮明に脳裏に残ってるわ。

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2020年5月29日 (金)

昭和50年5月29日の近栄ストアーのチラシ

 そっ、こんなんやったわ折り込みチラシって。
19750529  諸々実家の整理をしてますれば、図画工作の授業で描いたと思われる絵が出てきました。その絵はチラシに描かれており…って時代ですなぁ。で、絵の方はどうでもよくて、裏面はほぼそのまま残っていてそれを今回はご用意致しました。
 これは当時あった公設市場みたいな私設市場(?)は近栄ストアーのチラシ。文字が全部手書きの上写真もなしの完全一色刷り。デザインらしいおこないもさほどなされず、必要事項を見やすくレイアウトしたって感じ…いや、そないなこだわりすらないかもしれませんね。
 市場はすっかりなくなってしまいました。当時の生活圏には4つの市場と万代百貨店がありましたけど、今も残るのは万代だけ。あとは皆スーパー形式に姿を変えるも、最終的には大手には対抗できなかった様子。変わったなぁ何もかも。ちなみにこのチラシは昭和50年の今日、5月29日のもの。そら45年も経つと当然のことですか。半世紀ってのは大昔に思うもたいしたことないんやとリアリティを持って感じました。

八百屋のおっちゃんってまぁ大概耳たぶに小銭挟んでお釣り用意してはったな。

※関連記事:
懐かしの『トップセンター』』 2009年7月 記

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2020年5月27日 (水)

昭和なプラ看板 206 ● なるほどの酒 長龍

 まだまだ見かけるからええかと思ってましたけど、すっかり街の酒屋さんがコンビニに淘汰されてしもて気がつけばあんまり見ん様になりました。
Choryo1 Choryo2 Choryo3  いずれこれを…と思うも、その写真データがどこにあるのかもわからん状態やったんですが、新ネタ不足で過去の5月の写真をチェックしてますと…8年前のファイルから出てきました。
 “なるほどの酒 長龍”…この看板は大阪は当然、近畿圏のそこここの酒屋さんには大抵取り付けられていた様に思うのは、我がが河内モンやからでしょうか。まぁ中河内ではどこの酒屋にも掲げられていたと言っても過言ではないでしょう。当時…そうですねぇ昭和は50年代くらいでしょうか、ラジオは当然、テレビでもCMがよく流れてました。さ、一緒に歌いましょう「なーるほーどよい酒 ♪ 長龍」…ま、五十路以上に人はきっと口ずさんでくれはったことでしょう。加藤登紀子さんの声でした。
 で、ですわ。歌では「なるほどよい酒」と唄い、このプラ看板にあるのは「なるほど酒」…わずかな違いながら気になるところです。で、まだあちこちに残る長龍のプラ看板の中からなぜこれをと思ったかというのが…そう、写真の通り大きなブリキ看板には“なるほどよい酒”とあるからです。
 「どっちでもええやん」と言う声も聞こえてきますが、どうでもええことこそ気になるもんです。“よい”という表記が根拠不充分ってことで時代的に問題になったのかもしらんなと当時思ってました。実際、浦霞長龍やったか純米吟醸のレッテルのみ“なるほどよい酒”表記でしたから、うん。
Choryo4Choryo5 で、過日、長龍酒造の蔵開きに行ったときに関係者の方にその件を訊いてみたところ「うちは分家で天理の本家が“なるほどよい酒”なので遠慮して“なるほどの酒”に変えました」という趣旨の返答をもらいました。そうか…八尾の長龍は分家やからってことですね。そんなこと思い出しつつ先日実家で断捨離してますと、昭和の終わり頃の印刷物が出てきまして、そこに天理の長龍の新聞広告、そして八尾の長龍のチラシもありました。それ見ると…はい、やっぱり天理の本家のは“よい酒”で、八尾の分家は“酒”になってますわ。
 自家醸造せずも“八尾の酒”やと贔屓に思っていた長龍は本社を八尾から奈良は広陵町に移し(裏切り者め!…なんてね)、天理の本家は廃業し…数年前のことながら随分状況は変わったもんです。“特級仕込みの酒をあえて級別審査に出さすに二級酒で”と、その従価税分のお得さを売りにしていた“慶雲長龍”もあんまり見かけん様になりました。と共に“なるほどの酒”のフレーズも…然り。ま、安酒イメージからの脱却をはかるには“なるほどの酒”も足かせになるってもんなのかもしれませんね。“酒”はともかく“なるほどよい酒”って、秀逸のフレーズやと思うんですけど。

(於:住之江区) ま、勝手に“お国自慢”な訳なんですよ、中身違うも“八尾の酒”やから。

※関連記事:
長龍の“ふた穂”』 2014年1月 記
長龍のボテ箱…懐かしなぁ。』 2012年9月 記
龍の年…『長龍』の懐かしラベルふたつ。』 2012年1月 記
“浦霞長龍”…覚えてはりますか?』 2008年2月 記

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2020年5月26日 (火)

保証牛乳の牛乳箱

 過日出会うも「保証牛乳か…」と、その奥深い歴史にたじろうてしまいましたけど、そや、そういうコクのある話は漂流乳業さんのサイトに任せといたらええねんってことで。何せアホげはご存知の通り“コク”とは無縁。
Hosho1 Hosho2  朝の光浴びて爽やかな感じ。白基調の箱に青の文字、これぞ毎日配達される新鮮な牛乳のイメージぴったりですやんと一枚二枚。それなりに経年変化で風格漂わせるも芯のしっかりとしたいでたちに妙な安堵感を覚えます。
 保証牛乳…飲んだことはなくともその昔はテレビでCMもしてはったくらいのメジャーな存在で、かつては全国展開していたブランドとか。色々あって…と無茶苦茶に端折って明治乳業の傘下になっったのちの2010年に事業停止。その跡地は明治のマーガリン工場“明治油脂”となり今に至っています。マーガリンなぁ…まぁあんまりバターも食べませんけど。あ、ちなみに黒川乳業の“黒川マーガリン”は人造バターとは一線を画していて好きですねぇ…ってもう、15年以上食べてませんけど。
 箱の左には“保証特濃牛乳”の文字。そうそう“特濃”。半世紀近く前に流れていたテレビCMでも“特濃”を全面的に出してはりました。その右側にも何か書いてあります。“_瓶入”…瓶入の前の文字がわからなくてあれこれ調べますと…こちらも常に参考にさせてもらっていますゴエモン△ さんのブログ “牛乳キャップ収集と販売情報(主に関西)”の“大阪保証牛乳の牛乳箱”の記事の写真で判明。そこには“角”が入る様です。“角瓶入”…あぁ、そうなんや。思い出しました。幼少期に配達されていた牛乳が京阪牛乳から明治牛乳に変わった最初の頃“ゴールド牛乳”ってので、それが180cc入りの角瓶やったことを。ま、後に200cc入りの丸瓶“ヘルシー牛乳”に変わりましたけど。何かサントリーの角瓶にそれなりのステータスがあった時代の名残なんでしょうかね。
 てなところで後は漂流乳業さんの“保証牛乳”のページへどうぞ。いやぁ…深いなぁ。それはそれは“特濃”。どんな企業にも歴史あり。ファミリーヒストリーもええですけど、ぜひ会社版もやってほしいもんです…ってNHKに頼るのも筋違いでんな。

(於:池田市) 保証最後の砦が大阪のそれらしいも森永系“北海道保証牛乳”てのも現存していて…わからん。

※関連記事:
川並牧場の牛乳箱』 2019年1月 記
松野牧場の牛乳箱』 2018年6月 記
中野牛乳の牛乳箱』 2018年5月 記
八幡牛乳の牛乳箱』 2018年3月 記
古澤牛乳の牛乳箱』 2017年11月 記
とよた牛乳の牛乳箱』 2017年8月 記
泉南牛乳の牛乳箱 2』 2017年5月 記
縦用の横付け、明治の牛乳箱。』 2017年5月 記
“日の丸牛乳”笠井牧場の牛乳箱』 2017年5月 記
“山は冨士 乳は三國”三國牛乳の牛乳箱。』 2017年5月 記
クロバー牛乳の牛乳箱』 2017年5月 記
綜合乳販の牛乳箱』 2017年3月 記
“内外きよめて心を一致”に“ミルクニューキン”』 2016年11月 記
家屋に溶け込む激シブ牛乳箱』 2016年6月 記
雨上がり 湿気染み込む木造家屋 ええ感じ』 2015年9月 記
牛乳箱の余生 -- 植木鉢として』 2017年5月 記
クニイチのミルクヤの牛乳箱』 2014年10月 記
泉南牛乳の牛乳箱』 2014年2月 記
片岡の牛乳箱の下に、明治のフタだけ貼ってある。』 2013年12月 記
牛乳箱、郵便受になったらゴミ箱に…』 2012年5月 記
木造家屋に牛乳箱ふたつ』 2012年3月 記
ビクターエアコンと牛乳箱、馬場牧場の。』 2011年9月 記
“市電今里終点”と記された牛乳箱。』 2011年7月 記
京阪牛乳でみな元気っ!♪』 2008年3月 記
太田牧場の“生”牛乳 ♪』 2007年9月 記

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2020年5月24日 (日)

パナカラー坊や“元気くん” ふたり その2

 3年前の今日の写真を見ますれば、ここにも元気くんが。
Genkikun7 Genkikun8 Genkikun5 Genkikun6 Genkikun9  「いっぺんネタにしたから、もうええか」とお蔵入りにしていたようで。そう言えばあったなぁと思うも、もひとつ印象に残っていなくて。そうや…これは確か4つ目でますます「もうええか」やったはず。その前にも神戸で見たでと探しますと、やっぱりありました。
 これはちょっとアレンジされてますね。帽子が妙に立体的…そうか、ここは元町。ちょっと中華街に触発されてそこの料理人なイメージに仕立てられているんでしょう…とか何とか。その帽子にには“パナボーヤ”、手に持った旗には“パナソニック元気くん”…で、おたくの名はどっち?
 で、余談ですけどこの元気くん、ストリートビューで見ますと過去のものには顔にモザイクがかけられていますわ。まぁ…それだけですけども。時折店内に入れられて大事にされている様です。
 ついつい元町のパナボーヤのことばかり記しましたけど、先のやつは大阪は西区九条で見たヤツでいたってオリジナルのまま…かと思いきや、ツバを斜め後ろにして帽子をかぶってますわ。ちょっといきってる風な表情に見えるこの不思議さ。多分、目玉の黒が一部剥げてそう見えるだけやとは思いますがね。
 とまぁこの辺で終わりにと思いましたけど、再度パナボーヤくんをよく見ると…手が赤の丸やないですね。拡大してチェックしてみますとこれ、手の部分だけ色合いと材質が違いますわ。手が折れてしもてのちに修復したのではと想像しますが、どうでしょう。帽子もどっかへいってしもて中華のコック風…見た目も名前もビミョ〜に変わるもずっと現役…今回改めて見直すことができてよかったなぁと思うと、このスティホームな日々も良しとしときましょか。とは言え…心に苔むす日々には違いないわ。
 なお元気くんネタですが、“パナカラー坊や“元気くん” ふたり”の記事も合わせてお読み頂くと幸いに存じます。

(於:大阪市西区、神戸市中央区) けどまぁやっぱり“ナショナル坊や”の方が馴染みあるわ。

※関連記事:
“パナカラー坊や“元気くん” ふたり 』 2014年8月 記

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2020年5月21日 (木)

銀の卵なくなり、びっくりラーメンあらわる。

 あっ、びっくりラーメン
Bikkuriramen  そやそや、ここにびっくりラーメンありましたけど…何でって感じ。とっくになくなり建物も変わってそこはお好み焼の銀の卵になっていたのに突如建物ごと復活してますやん。まさにびっくり。
 ストリートビューで銀の卵時代のここを見ますと…やっぱり建物ごと違う…と思うも、どうやら全面的に別の建材で覆って新しい建物を装っていただけってことですか。へぇ、そんなことできるんですね。
 で、昔の名前で再登場のこの建物も…どうにもコンビニくさい作りですよね。記憶が定かではないのですがきっとこれ、びっくり以前はコンビニでしょう。
 看板の一部が剥がれてますけど確かここには“180円”文字が記されていたはず。そう、破格の安さである時期どんどん店舗を増やしてそれこそびっくりしてるうちに潰れて、吉野家傘下になったと思うも好転せずになくなりました。一度だけ鶴橋で一杯食しましたけど、全然その価格に味わいに不満ありませんでした。ということはそもそもその値段では無理やったってことでしょうかね。
 で、ですわ。大阪発祥のゲリラ的展開を図っていたこのラーメンチェーンを何でまた吉野家が買収したんやろってずっと思ってましたけど、何となくその謎が解けた気がして。それは創業の一号店あった場所が福島区吉野2-13やったという、ここです。吉野家創業者がこの福島区は吉野出身で、そこから“吉野家”の屋号になったと昔何かで読んだことがあります。それで吉野家が…ってこれはちょっと無茶なこじつけ、かな。
 ま、なんせ急に店舗だけですが復活したびっくりラーメン。きっと期間限定。懐かしさ味わうのは今のうち。お急ぎください。

(於:東大阪市) 店舗前の駐車スペースも舗装剥がして元どおりに…これもびっくり。

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2020年5月20日 (水)

雪印アイスクリームの冷凍庫

 昨春旅先で遠目に見かけるもそれを「あ、森永の」と思い込んでました。
Snowice  先日記事化した明治のそれのことがあって改めて思い出しよく見れば…雪印のヤツでした。
 農家の納屋でアイス売ってる…なわけもなく、何となくほったらかされているといった感じでそこにありました。勝手に近寄ることもできずに遠くからの一枚なので、もひとつ解りにくいかもしれませんが、森永、明治同様ここにも少年の顔が描かれています。そう、アイスもんは子供の大好物って位置付けでしたよね。それ思えば今やすっかり全世代に向けての商品がラインナップされていて…時代は変わったもんです。
 で、“雪印アイスクリーム”ですが…消滅していたんですね。そうか…そやったんかって感じ。あの雪印事件のあと、ロッテとアイス事業を統合、ロッテスノーとなってのちに雪印ブランド消滅とか。ま、系列のレストラン“雪印パーラー”に“スノーロイヤル”というアイスクリームがあるということで完全消滅ではないみたいですが。
 雪印のアイスクリームと言うと青、赤、黄のカップに入ったヤツを幼少期に食した思い出があります。その中でいちばん美味しかったのが黄色いカップのでしたけど…あれは“ラクトアイス”で最低ランクのヤツ。ま、子供はそんなもんでしょうかね。

(於:福井県高浜町) 要するに乳脂肪分いちばん低いヤツがええわけです牛乳嫌いには。

※関連記事:
明治アイスクリームの冷凍庫』 2018年8月 記

森永アイスクリームの冷凍庫 2』 2018年8月 記
森永アイスクリームの冷凍庫』 2014年6月 記
若き日の文珍さんと小染さん、雨に打たれてる…』 2014年3月 記

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2020年5月11日 (月)

明治アイスクリームの冷凍庫

 スティホームな日々のモヤモヤ解消やと先日の池田の仕事終わった後、御堂筋線は江坂駅まで適当に歩いてますれば、信号の向こうにアイスクリームの冷凍庫がありますわ。ここ数日大概暑い日になって…これ幸いと信号青になって近寄りますれば…何や、閉まってるやん。
Meijiice1 Meijiice2  とまぁ話作ってますけど“ロッテアイスクリーム”に守られた“明治アイスクリーム”の冷凍庫、これ何ともええ感じで。まぁ何がええってそらやっぱり側面に描かれたぼくちゃんの絵、これですよ。とは言うものの“森永アイスクリーム”のそれに比べて…う〜ん、全然過去に見た記憶がないです。調べますれば“ロッテ、江崎グリコ、明治、森永、赤木乳業”が上位シェアを競てるみたいですが、順位はわかりませんでした。
 お店ごと閉まっているのは廃業したのか疫病蔓延のご時世に鑑みての対応なのか…気になっていつもの通りストリートビューで見てみますと去年の夏には営業されているので…ってことはどうでもよくてですね、もう少し昔のお店の様子をチェックしますと…え?この冷凍庫ではなく今日的な“森永アイスクリーム”のそれが鎮座しているではありませんか。
 「森永ヤメて明治にシフト」の結果、明治の冷凍庫に変わった…な割には古すぎますよね。そもそもきょうび何でもメーカーがタダで提供するとは考えられないところを思うと、こういう冷凍庫もいまだ中古市場で売買されてってことなんですね。
 まぁそれよりこういった冷凍庫を店頭に置いて商売をしてはるお店ってほんまコンビニに淘汰されてしもたなぁって感じがします。それ思うとこちらのお店は頑張ってはるなぁとしみじみ。高校のそばという立地の良さゆえ成り立ってるのかもしれませんね。

(於:池田市) アイス言うたらやっぱりセンタン豚まんあんまんも…な。

※関連記事:
森永アイスクリームの冷凍庫 2』 2018年8月 記
森永アイスクリームの冷凍庫』 2014年6月 記
若き日の文珍さんと小染さん、雨に打たれてる…』 2014年3月 記

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2020年5月 9日 (土)

小島一慶さんを偲ぶ

 「せや、死にはったんやなぁ…」と思い“小島一慶”を検索することから今日の午後は終わったのでした。
 あんな人こんな人、クサイ響きながら“我が青春”を彩った先達が亡くなっていく中、先月23日にDJ.小島一慶さんが亡くならはりました。
 元TBSアナウンサーやった氏、局アナ辞めてから社会的問題(?)を二度ほど報道される中「なんや、そんな人やったんか」てな思いを抱く様になってすっかりどうでもええわな存在になってましたけど、氏…いや、この言い方は違うなぁ、うん、やっぱり一慶さんですね、彼の深夜ラジオにはホンマにお世話になりました。アナウンサーに憧れた若僧やったこともあるくらいに…あぁめちゃ恥ずかし。
Ikkeisan 我がが中学〜高校生時分は…そう、ラジオこそが若モンのメディアやった時代でした。関西ではヤンリクはまぁともかくヤンタン、マニアックなところでぬかるみの世界なんかにどっぷり大概ハマったもんですけど、他者とは違うソースで情報を得たいという思いと、当時流行っていたBCLも手伝って地元大阪以外の局の電波を拾っては聞いていたもんです。そんな中、ツボにはまったのが東京はTBSラジオの深夜放送“パックインミュージック”。そうですなぁ、やっぱり東京が眩しかったってのもあったのかもしれません。けど、先に触れたヤンリクやらヤンタン、あと全国ネットやったオールナイトニッポンはもう全然肌に合いませんでして夜な夜なザァザァ雑音まじりのパックを聞いていたもんです。一時期夜の時間帯にやっていた“一慶・美雄の夜はともだち”もよく聴いていたなぁ。
 今までに何度か記したことがありますが、アホげの原点のひとつがパックインミュージックでした。当時は地味に感じられた林美雄さんのその内容にいちばん影響されてるなぁとは思うも、やっぱり当時の私にとっては一慶さんがアイドルやったわぁ…と今日、YouTubeに残る音源を改めて…ほんとに改めて思ったのでした。青春出版社やらロッテリアのラジオCMに出てくるだけでも「わっ、一慶さんや」と思ったことをYouTubeにアップされていたテレビCMの音声を聞いて思い出しました。「そや、これやってん」って。
 かん高い声に歯切れの良いテンポにドンドン聞き込まれて気がつくと午前3時…そら学力も落ちるってもんです…ってこれは責任転嫁ですけども、いまだにラジオ好きってのは、十代の経験のおかげですね。
 不祥事があり、実家を離れ遠くの局の電波が入らん日々になったこともあってTBSラジオも何十年と聴くことがなかったのですけど、“一慶・チャコのパック・イン・ミュージック”という特番があったり林美雄さんを偲ぶ番組があったんですね。何でもYouTubeにアップされている時代、これを見つけて聞いてみますと…わっ、全然昔のマンマ、もちろんええ意味で。あれこれ思っていたモヤモヤも晴れ、聞き入ってしまいました。その特番の相方やった“チャコちゃん”白石冬美さんも全然マンマやん…って思ってましたら、昨年お亡くなりになってたんですね。そうなんや…
 永六輔さんのラジオもよく聴いたなぁ。みんな亡くなっていきはる…当たり前ですわなぁ我がの年齢思えば。あんまり過去を振り返りたくないなぁと思いつつ…ってこのアホげこそめっちゃ過去を懐かしんでますやん。これではイカンなと思いつつずっと変わらんスタンスを続けていくことでしょう。あぁ長々とご静聴…いやご静読(?)有り難うございました。

  当時やはり耳にしていた四国放送の佐藤旬子アナは相変わらずイケズなマンマで嬉しい限り。

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