懐かし…

2023年1月22日 (日)

ママドライ2年経って売物件

 過日1時間ほど歩いた俊徳道あたり。陽も落ちて外灯がドラマチックに町を照らしています。
Mamadry3  ひときわ惹かれたこの一角。テント破れてママドライ…ここは2年ほど前にも気になって記事にしたところ。以前は無かったふたつのパイロンに“売物件”と記された看板。かつて個人商店が集まっていたこの一角。シャッターが閉まって更地になって…ま、そこここにある町の変遷やと思いますけど何とも言えん沁みる光景。

(於:東大阪市) すぐ近くにかつてあった商店街、アーケードなくなり普通の町になってる。

※関連記事:
ママドライ、クターエングに台座だけ。』 2021年1月 記

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2023年1月11日 (水)

450m先へ時間旅行、気動車に乗って。

 わずか450mの移動ながら…それは旅でした。
 先日の記事に少し触れた通り、先日みかん買いに行った有田川町の帰りは農家さんの無人販売目当てに旧街道を通ることに。窓の向こうにちらっと見えたD51に「あっ、汽車や」と言いますとお子、興味津々な様子。意外な反応。てなわけでみかん買って引き返して有田川鉄道公園に立ち寄りました。
Aritetsu1  私らは二度目、お子ははじめて。入口に置かれた汽車は関西圏にもひとつ縁のないD511085でちょっと残念な感じやと思いつつ奥へ行くとゴンゴンゴンゴンとエンジン音がする気動車が停まっていて訊けば乗れるとのこと。乗れるって…もひとつわからんまま200円で切符買って併設の有田川町鉄道交流館で待ってますと準備が整い切符切らせてもろていざ乗車。わっ、何なんでしょこのワクワク感。
 一旦後進してさて前進。ゆっくりゆっくりゴンゴンいわせながら線路を行きます。傍に見える車両基地なんかを眺めつつ数分、“駅”に着きました。
Aritetsu2  うん、まさしく“駅”。“かなやぐち”の下には訓令式で“KANAYAGUTI”。“清酒 勲乃友 片畑”の広告がこれまた味わいを倍増…いや“三増”ってところです。
 そこはかつての有田鉄道線金屋口駅。その鉄路、2003年元日に廃止とのこと。そこに流れている空気感は…20年前のまま。赤茶けたコカ・コーラのベンチが…泣かせまんなぁ。
Aritetsu3Aritetsu4 駅を出るとかつての駅前。そこには中華料理屋さんがあり、美味しそうなディスプレィがお出迎え…なんてね。残念ながら(?)移転してもうここでは営業していないとのこと…そらそうですわなぁ。
 しばしまったりしたところで気動車に乗り交流館前まで戻り再びクルマで帰路に。数分にして大いに旅気分を味わうことができて大満足。なんでも毎日運行している訳ではない様でその日はたまたまの運行日やったそうです。
 通りすがりに汽車見つけ、たまたま運行していた気動車に乗ってたどり着いた先は20年前…それは素晴らしい時間旅行、でした。

(於:和歌山県有田川町) “勲乃友”の片畑酒造場はかつてこの町にあった酒蔵。他の銘柄に“勝心”もあったとか。

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2023年1月 6日 (金)

淀屋橋駅1番出口前、午後5時24分。

 内勤終えたらうちのひととお子から「外でビールでもどない?」と梅田から電話。断る理由があるはずもなくバス乗って梅田へ…と思うも行き先が曽根崎あたりということで淀屋橋で降りて探索がてら徒歩で北へ。ちょうと黄昏時。見慣れた光景も味わい深く見えるもんです。
2301061724  いちいちの説明は無粋ってもんでしょう。薄暮に浮かぶネオンサイン、たまらん物悲しさ…昼間でも充分味ある光景ながら夕暮れ時に見るそれは格段に沁みる光景です。
 幼少の頃からネオンサインに惹かれていて、その当時から妙に昔っぽくて何となく寂しい風情をしんみり楽しんでいたのでした。思えばもう半世紀以上前のこと。当時ですら懐かしい存在やったものが今も大阪の中心地で光っているこの事実。奇跡的やなぁと再認識したのでした。

(於:中央区) 背景の朧月もええ感じ♡

※関連記事:
ビール0円にお運びさん募集』  2015年2月 記
薄暮の空に浮かぶネオンサイン“丸大ハム”ええ感じ。』 2014年3月 記
庄内で輝くネオンサイン。ほか』 2013年10月 記
もの悲しくも懐かしいネオンサイン。』 2011年1月の記事
日本盛のネオン好き。』 2011年3月の記事

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2022年12月 3日 (土)

7-5は昭和 …な風情。

 少し赤み残るポストの錆び具合に沁みるもんを感じて一枚。
75a 75b  引いて見るとここ全体が響き合って令和から取り残されています。住所表記は“7-5”を表すもどこの7-5なのか。そんなこと調べることの不粋さを思う秋の終わりの昼下がり。

(於:尼崎市) 令和4年を昭和換算すると97年…これは全然平成の図。

※関連記事:
ポスト錆びサビ、ナミイタ錆びサビ。』 2021年6月 記

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2022年11月23日 (水)

農業用水路は生活排水路

 過日仕事終えて八尾を歩きふと目にした景色が…懐かしいなぁ。
Yosuiro  八尾をはじめ中河内は農地を埋め立てた住宅地の多いところ。幼少の頃はそこここの田畑やため池にダンプカーがやってきて次々と宅地に変わっていきました。
 宅地化と同時に下水道が完備された…わけでなく、残された農業用水路は生活排水路に。多くはドブ川と化して…まぁ今となっては懐かしいニオイではあるんですけど。
 きっと今では下水道も整備されこの用水路もきれいになったことでしょう。それでもあの高度経済成長期の雰囲気は残っているもんです。思い出にひたるひととき…もう半世紀前のことやねんなぁとしみじみ。

(於:八尾市) こういう用水路を伝って探検ごっこしたけど、誰も怒らなんだな。

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2022年10月17日 (月)

くたびれた酒の自販機沁みる光景

 細い自販機が4つ並んで商い中。
Ishimikei1  なんか沁みる光景。古ぼけた風情に微妙に垂直に立っていない状態がそう思わせるんでしょう。
 何か見るからに「もう動いてへんで」と思うも…そうとも言えん感じ。気になって後日確認に行きましたところ右端と右から3台目のは稼働していました。ワンカップ大関がリタイアとはちょっと意外です。
 で、この4台の自販機だけで充分な味わいなんですけどその奥にこれまたええモンが隠されています。
Ishimikei2  これは“白鶴”のレッテルを模した木製看板でしょう。こっちの方がもっと味わい深いのにもったいないですなぁ。
 改めて見ると手前の自販機に白鶴はありません。と言うことは以前は友好な関係ながら何ぞあって白鶴を消し去ったとも考えられますが…どうでしょ。
 余談ですが稼働する自販機には“白雪”と“万代老松・純米酒”と看板にありますが中身は別モン。いったい看板ってのは何のためにあるんやろと思ったりしましたけど、「酒や酒っ」な需要にはこれでええんかもしれませんね。

(於:東成区) ま、いまレトロ自販機ブームらしいからなぁ…

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2022年10月 2日 (日)

三ノ瀬二丁目4に残るブリキ看板にあれこれ

 東大阪は三ノ瀬に残る昔ながらな一角。かつてそこここで見かけた様な啓蒙を装ったブリキ看板が一枚。
Maruso1 Maruso2  とりあえずそれらしき絵やマークに文言をちりばめたってニュアンスが感じられます。中でも“児童愛護協会”なる文字。調べても出てきませんけどホンマにそんな組織があったんでしょうか。たまらん胡散臭さ感じるんですけど。ちなみに下部の仕出し弁当屋さんは現存。馴染みないものの、何となくうれしいなるもんです。

(於:東大阪市) “親と子は何でも話すよい家庭”…そらそうやが。

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2022年9月30日 (金)

大宮南二丁目の和む一角昭和風情

 くたびれた室外機に惹かれて立ち止まり、一枚。
Omiyaminami2  大和郡山某所で仕事して新大宮で解散。関西線の奈良駅に向かう途中ふと目に入った時の流れが止まった様な一角。錆びたシャッターの向こうを想像しつつ、それは玉手箱のフタみたいなもんかもしれんなぁと思ったり思わなんだり。何げに和む、昭和な一角。

(於:奈良県奈良市) ポストの赤もええ仕事してる。

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2022年9月20日 (火)

秋家

 急に寒なったら、色づきはじめまんなぁ…って早いっちゅうねん。
Akiya  そもそも葉っぱの話ではありませんし。まま見る光景ながら美しいわと思って一枚。こういう味わいを見ると、塗り直しのときは先々の劣化に思いを馳せて別の色のペンキでやるのがええかもしれませんなぁ。などと理解するも我がの家ではようしませんけど。

(於:港区) 室外機の古さが小粒山椒的ピリピリ。

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2022年9月10日 (土)

民家にレリーフ、進々堂の名残り。

 シャッター閉まる民家にまるで扁額の様にレリーフが一枚。ちょっと不思議な光景。
Boule1 Boule2  昨日の夕刻、仕事終えて近鉄は弥刀駅へ向かってますとそこにこんなレリーフが。バタくさい男女が草原を歩く絵、その下に記された“BOULE”の文字。これはここがかつて“ブール進々堂”であった名残りですね。
 ストリートビューで過去を見ましたがパン屋さんやった時代の画像はなく、いち時期理容室やったことが2009年の画像から確認できました。それでちょっと妙なのが理容室時代にもこのレリーフが活用されていて、“BOULE”の部分だけ別の看板で隠されるも堂々、この建屋のシンボルとして残されていた様です。
 それで“ブール進々堂”ですが、それなりの年配のお方やマニアの人しかもう知らない存在かもしれません。今も京都市中を中心にパン屋さんを営む進々堂さんですが、2003年まではヤマザキやパスコ同様、工場で大量生産する様な規模の会社でした。その時代に“冷凍生地を店内で焼く”というスタイルのパン屋を展開していて、その屋号が“ブール進々堂”。残念ながら進々堂のサイトにはそのことがいっさい記されていませんので、ほんとのところはわかりません。ちなみに今も“ブール進々堂”を名乗るお店がいくつか残っているみたいですが、今も進々堂と取引があるのかなどもわかりませんでした。それから“BOULE(ブール)”はフランス語のボールのことで丸いフランスパンのことを指すそうです。
 業界4位の神戸屋も事業のほとんどを山崎製パンに譲渡して大量生産ビジネスから撤退すると先日発表がありました。関西資本最後の砦がこうなってしまうとは。ま、今の進々堂さんを見ると神戸屋さんの未来も明るいかもしれません。余談ですけど伏見にある進々堂の工場直営店、めちゃお得でっせ。お得すぎていっつも並んでますけど…

(於:東大阪市) まぁ何や言うても近年は鳴門屋タマヤやが。

※関連記事:
限りなく黒に近い茶色で塗りつぶされたヤマザキパンのプラ看板。』 2013年12月 記
かつてあった地パン 3 ◆『進々堂』』 2008年7月 記

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