河内

2024年5月24日 (金)

昭和なプラ看板 309 ● 興亜火災 代理店

 空家かと思われる民家に損保のプラ看板ひとつ。
Koa1 Koa2  興亜火災…「まさかのために興亜火災」のフレーズのそう言えば耳にせん様になって久しいですね。
 現・SOMPOホールディングスの中核となる損保ジャパンの源流企業のひとつで“興亜火災”を名乗っていた時期は1944年から2001年まで。その後“日本興亜損保”に“損保ジャパン日本興亜”と長ったらしい社名時代ももう懐かしく思います。
 写真にある“興亜火災”のロゴがどこか“火事”っぽくてええ感じ(=個人の感想です)。近年たいていの大企業が普通っぽいゴシック体でカタカナ、さらにローマ字表記になっていること思うとこの雰囲気、昭和っぽいですなぁ。
 丸みを帯びた正方形もまた然り。建物の風情もそんな感じ。地味ながらええ味出してまっせ。

(於:八尾市)人気ブログランキング そう言えば親戚も自宅で代理店やってたなぁ…

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2024年5月11日 (土)

軍手41双82枚干してある図

 金網に昆布干してあるわ。
Gunte1 Gunte2 ここは町工場のまち東大阪。てなわけでこれは軍手。紫色とも茶色ともつかん色合いは機械油やら金属片なんかから移ったもんなんでしょうなぁ。
 で、ですわ。何げに「軍手は軍手や」と使っているこのコトバ、たぶん「軍隊の人が使う手袋」からきてるんやろとなとは思うももひとつよく知りませんで、調べてみましたら、まぁそれは当たっていましたけど、そもそもは、手を怪我とか汚れから守るためが目的やった訳ではなく「鉄砲に素手で触っては錆びるのは困る」という理由で長州藩の下級武士が鉄砲隊に向けて内職で手袋を縫ったとのが始まりとか。え?目的が真逆ですやん。
 軍手を使い捨てしはる人もいます…ってたいがいそういうのは素人なのかも。「やっぱ職人さんはモノを大事にしはんねんなぁ」…と思うも、それだけ切り詰めた経営をせんとやってられんのかもしれません。ま、ともかくこの様にきっちり並べて干してはる様子を見ると、ええ仕事してはること、間違いなさそうです。

(於:東大阪市)人気ブログランキング 見習わんと、この姿勢。

※関連記事:
薄暮にうっすら“おたふく”、午後5時50分、船場。』 2023年2月 記

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2024年5月 8日 (水)

門柱の横に電柱、私有地に。

 まぁそれなりに私有地に電柱が立ってることは随分前から知ってはいますが。
Minkanchu2 Minkanchu1  やはりいざ目にすると違和感があります。
 しかも見上げますと建物の屋根スレスレというか際きわ。垂直に立てる訳にはいかんかったんでしょうなぁ。
 なお、10年前の過去記事に私有地に立つ電柱のこと少し書いていますので、興味ある方おられましたら御一読ください。

(於:東大阪市)人気ブログランキング 強風やら地震時、建物と接触せんのかなぁ…

※関連記事:
曲がった電柱』 2014年8月 記
この電柱、私有地に立ってるわ』 2009年6月 記

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2024年5月 6日 (月)

塗り込められてニチデンまっ赤いけ

 剥がせんほど強靭に貼り付けられているんかね。
Nichiden  気持ちはわかるも…逆効果、かも。強烈。

(於:東大阪市)人気ブログランキング 元々はほぼこれ以前は立憲民主党のポスター貼って凌いでいた模様。

※関連記事:
消されるも滲み出るマルフク…とか。』 2022年5月 記
民家の壁に忍ぶ虎の子』 2016年10月 記
銀で塗り潰されるも残る理容院のプラ看板』 2015年6月 記
限りなく黒に近い茶色で塗りつぶされたヤマザキパンのプラ看板。』 2013年12月 記
黒く塗り込まれつつも生き延びる“みや古染”の看板』1012年8月 記
ライオンは○、金鳥は×…らしい。』 2010年1月  記
塗りつぶされたハエonキンチョールの琺瑯看板』 2008年1月 記

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2024年5月 5日 (日)

昭和なプラ看板 308 ● エスエス

 防火水槽の横は、味わいのプラ看板いっぱい。あれもこれも昭和テイストで迷うところですが…って、エスエス以外の看板はすでに記事化していました。
Ssp1 Ssp2  あぁ懐かしい。これ、昔の薬局でよく見かけたもんです。
 ウサギの顔、下にエスエス…よく考えると何の看板かわからんとも言えます。ま、“エスエス”だけで通用する知名度を誇っていたということでしょう。
 太陽を表しているのか丸いギザギザは確か赤やったはずですが、すっかり日焼けしてセピア色に。経年劣化も味のうち。お店の風情も相まってまるで時間がここだけ止まっているみたいです。
 エスエス製薬のやキャラクターのウサギのことは過去記事の“昭和なプラ看板 246 ● エスエスチエーン”に記してあります。興味ある方はそちらをご覧ください。

(於:枚方市)人気ブログランキング エスエス、知らん間にフランス系企業になってたんや…似合わんな。

※関連記事:
昭和なプラ看板 284 ● フジサワ会の店』 2023年2月 記
昭和なプラ看板 246 ● エスエスチエーン』 2021年11月 記
昭和なプラ看板 168 ● タナベ胃腸薬』 2018年8月 記
昭和なプラ看板 58 ● うめ仁丹/グリーン仁丹』 2012年3月 記

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2024年5月 4日 (土)

防火水槽 248 ■ 枚方市津田元町一丁目10-1

 薬局横の防火水槽を見た後、せっかくやからと向かいの春日神社へ参拝。あぁ、ここも懐かしいなぁ。いきなり余談ですけど学生時分、ここで佇んでますと近所の子ども達がわぁーっとやって来てくれて当時写真を学んでいたこともあって、そのお子達を写真に撮って、その数ヶ月後、この境内の木に引伸した写真を貼って帰ったことを思い出しました。
Suiso248a Suiso248b 話戻って。で、この境内でも防火水槽に遭遇しました。
 社務所っぽい建物の前にそれはあったのです。見ての通り青いビニールシートに覆われ、その上に空っぽのプラ植木鉢が乗せられていて…その様子大事にされている様でほったらかされている様でって感じです。
 半分だけ見える防火水槽ですがよく見るとどうやら前回の247号の同じ形状のものの様。Google Mapに記された情報によりますとこの春日神社の向かいの防火水槽247号のある岡本薬店さんがここ春日神社のお札、お守りなどの受け渡しの代行をしてはるそうです。そんな関係から想像しますと、まぁ間違いなく同じ形状の防火水槽でしょう。
 で、最後も余談で。
 前日の記事にも触れました通り、ここら辺は清酒“みや鶴”醸造元の津田酒造さんのあったところ。その酒蔵はこの春日神社の西隣にありました。四半世紀以上前、何かの記事で目にした情報では津田酒造の蔵元が大昔、土地を提供してできた神社が“春日神社”で、造り酒屋は“宮の前の酒屋”と呼ばれるうちに転じて酒名が“みや鶴”になったということでした。
 月日流れて寄進してできた神社は残り、酒蔵は蔵元の手を離れてスーパーマーケットに…なんか寂しい気がします。
Suiso248c  境内の写真を載せておきます。この向こうにあるのはスーパーの平和堂。ここにかつては津田酒造の酒蔵がありました。あたり一体が“村落”って感じでしたなぁ。もう30年ほど前の話になってしまいました。

(於:枚方市)人気ブログランキング 古い地図にはここら辺に醤油蔵もあった様子。社会はコロッと変わった。

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2024年5月 3日 (金)

防火水槽 247 ■ 枚方市津田元町二丁目20-3

 過日仕事帰りに探索した枚方は津田地区で防火水槽に出会いました。
Suiso247a Suiso247b  ここはかつて“みや鶴”を醸す津田酒造の酒蔵があったあたり。20〜30歳代の頃にはこの前をよくクルマながら通ったもんですけど、ここに防火水槽が存在する事を全く気づいていませんでした。
 薬局を営んでおられるその横(本宅?)の門の横に鎮座しています。正面には左から“防火用水”と記されたちょっと大きめのコンクリ製。見ての通り雨どいと直結でちゃんと水を蓄えてます。バケツに柄杓まで完備でまさしく現役。アヒルのお風呂遊具がこれまた和ませてくれます。湿気に誘われてでしょう、シダも根を下ろして…ええ感じです。
 旧街道の風情も相まってとても街角に馴染んでいました。ずっとこの残ってほしい風景のひとつです。

(於:枚方市)人気ブログランキング 酒蔵が平和堂になってしまったのが今も残念に思うわ。

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2024年4月24日 (水)

屋台の基地見つけるも、そこに“三吉軒”の屋号なく…

 過日、東大阪は八戸ノ里あたりで仕事して帰りは歩くことに。北へ向かいつつ「そう言えばもうちょっと北の方に確か中華そばの屋台基地があるらしいなぁ」と思い出しました。どなたでしたっけ?銀ベェさんやったんでしょうかその昔、アホげ民の方より東大阪市内に屋台の基地があるとその場所をお知らせ頂いたことがあって、そのメモをたよりに行こかと思うも…「いやいや、行き当たりばったりこそアホげやし」と、ただただ彷徨ってましたら…何かそれっぽい一角がありますやん。
Motosankichi1 Motosankichi2  いやぁ不思議。ざっくりここら辺やったかもとは思うも全然どこにあるのか知らなんだというのにちゃんと出会えました。
 そうか…かつて京阪は守口市駅前の屋台中華そば“三吉軒”の大将との話の中で「東大阪にも2台残っている」と聞いていましたが…うん、確かに2台ここにあります。朽ちてませんのでこれ、現役の中華そば屋台ですね。
 ですが…うん。そこには提灯に“ラーメン”の表記があるだけ。あの三吉軒の赤い暖簾がありません。これは布製の暖簾が傷んでしまったと言うことなのか、それともこれも先の大将が言うてはった“親方の引退”が理由で“三吉軒”の暖簾を返さはった結果なのか…そこに現役の屋台が残っていたうれしさを感じつつ、ちょっと風情が違う現状にやや残念な気分になりました。
 ストリートビューで遡りますれば2021年までは昔ながらの“三吉軒”が1台残っていたみたいです。
 令和もはや6年。それ思うと“中華そば”が“ラーメン”に変わるもまだ存在するってだけで充分ですかね。今度はどこかで引いてはる図を見たいもんです。まぁ…その時間帯に東大阪にいることは絶無なんですけど。

(於:東大阪市) 一杯600円か。半世紀前は200円やったな。

※屋台中華そば関連記事:
残るは3台…守口市駅前にて三吉軒の中華そば食す。』 2016年9月 記
赤川鉄橋たもとの屋台基地』 2013年7月 記
高槻市駅近くで屋台の中華そばを…『東来軒 赤川』。 』 2011年12月 記
春が来る前に、寒空似合う夜鳴きそばの様子でも。』 2010年2月 記
屋台の基地は文化住宅の前やった。』 2009年12月 記
中華そば『三吉軒』の屋台見つけ、幼少期を思う。』 2009年10月 記
屋台中華そばの『大統領』テレビに出てはった。』 2009年8月 記
あの屋台のじいさんは徳島出身やったんか…』2008年2月 記

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2024年4月21日 (日)

生垣からはみ出るツバキ

 カイヅカイブキの生垣、遠目に見ると何かいち部分質感が違いまっせ。よく見ると…あ、そういうことか。
Hamidetsubaki1 Hamidetsubaki2  庭のツバキが横にも生長して生垣から飛び出ている図なんですね。
 しかしまぁうまいことまぁるく飛び出してることで。カイヅカイブキのよく譲ったもんですなぁ…ってうまいこと剪定してはるおかげでしょう。
 ストリートビューで昔を見てみますと2009年の時点でほんの少しこっちへ顔を出してます。15年かかってここまでええ形に仕上げはったんですなぁ。ちょっと和ませてもらいました。

(於:東大阪市)人気ブログランキング サザンカの可能性もありますけど…春に咲いてるからツバキかなぁと。

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2024年4月15日 (月)

昭和なプラ看板 307 ● Campus KOKUYO

 “昭和”かどうか…微妙なところではありますが。
Campus1 Campus2  “コクヨ製品”と記されたプラ看板はよく見かけますがノートのブランド“Campus”を大きくアピールしているのは初めて見ました。この看板に記されているロゴは昭和58年(1983年)からのものです。
 キャンパスノート、調べてみますと昭和50年(1975年)発売とのこと。糸綴じ主流の大学帳が主流の中“無線綴じ”で勝負をかけた様です。そう言えばその頃極東ノートは“ステッチレス”、アピカ日章)は“ネオ・ハイスターチ”の名でノリ綴じのを出してはりましたけど、綴じ部分がすぐにバラバラになって使い勝手が非常によろしくなかった記憶があります。
 その後はその品質の良さが認められたかキャンパスノートの圧勝って感じです。ま、自身は昔ながらな大学帳が好きですから使ったことがないんですけどね。

(於:大東市)人気ブログランキング ここ四条畷駅前にして大東市やとは知らなんだ。

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