町名看板

2019年12月 1日 (日)

無町名無番地

 道に迷って「ここどこ?」と見ても…こんないけずな状態。町名看板風なだけかもしれんけど。
000a 000b  町名もなければ番地もないってか。長田区って排他的な町やったとは知らなんだ。ちなみに先のところが“二葉町9-12-14”、後のが“海運町5-1-29”の様ですが知られたくないんかいなぁ…なんてね。

(於:神戸市長田区) 無町名無番地…尼にもあったわ。

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2019年10月29日 (火)

木製の仁丹町名看板、上京区上柳原町。

 時間なくて失礼ながら3週ほど納品できずにいた案件があってようやく今日それを果たしに京都は西陣の某所へ行き、次はと某画廊へ向かっておりますれば。あっ、仁丹は仁丹でも木製の町名看板がありますやん。
Mokujin1 Mokujin2  この前ももう何十年も前から時折ながら歩いてますけどこれには気づいてませんでしたなぁ。額縁仕様で琺瑯製のそれとはまた違ってなかなかええ味出してますけどちょっと肝心な住所が剥げ気味で用なしてませんがな…とか思いましたけど大礼服のおっさんと“仁丹”の文字さえ残っていたら充分役目を果たしていると言えまんな。
 京都の仁丹町名看板の存在は有名ですからきっとこの看板もいろいろ出てくるやろと検索してみますれば、いくつか画像が出てきてやっぱりって感じ。でもそこに写る姿はもっと美品。あれこれ記事を読んでみますと長年、お地蔵さんの祠の裏に隠れて結果的に温存されていた物件とか。それで今まで知らなんだんやなぁと思いつつストリートビューで過去にさかのぼりますれば2009年の映像では全然その姿は見えません。どうやら今クルマが止まる場所にあった民家を解体したときに祠の場所と大きさが変わってこの木製仁丹が出てきたって事の様です。
 見つかったことは良かったけれど、それで一気に劣化が進んだこと思うと複雑な気分になりますね。何かまるで高松塚古墳の壁画と同じやないですか…って、ちょっとレベルが違いますか。あ、詳しいことは京都仁丹樂會さんのサイトにある“仁丹町名表示板 木製仕様”ならびに“永遠のテーマ 木製仁丹 謎の記号”をお読み下さい。しかしまぁよぉ調べてはるなぁ。アホげにはできん芸当…って誰も望んでませんわな。

(於:京都市上京区) 仁丹町名看板ネタは左にあるサイト内検索ツールで“仁丹 町名看板”で検索。

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2019年10月17日 (木)

文字部分透明化、玉造本町4の町名看板。

 透明化著しい大阪市内のプラ製町名看板、このパターンは初めて見たかも。
Tamatsukuri4a Tamatsukuri4b  ちょっと写真ではわかりにくいのが残念なところですが、文字の部分だけが透明化しています。下から見上げれば文字が空色。ちゃんと読めるしおしゃれちゃいますか…って何がやねん。

(於:天王寺区) 気に入っとったお店が次々なくなって…行かん町になった玉造。

※関連記事;
表記二重で立体的、かっこええ市岡元町一丁目1の町名看板。』 2019年7月 記

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2019年8月 8日 (木)

大垣内町一丁目10の“丁目”がナナメ

 枚方市某所で仕事。今日も朝から暑すぎ…の中、“サンシャインロード”てな名前の道は歩きとないなで裏道などを歩いて目的地を目指しますれば、町名看板がこんな感じに。
Ogaito1_10a Ogaito1_10b  まぁよく見るアクリル樹脂製のそれが塗料と乖離してる図。大阪市内だけかと思えばここ枚方市でも同じことが起こってるのかとちょっと安心…とか何とか。こういうのって…定期的に儲けたれと、わざと経年変化する様に設計されているんちゃうんかと…いや、そういう穿った見方はよろしくないですね。
 しかしまぁこの剥離した“丁目”がナナメになって何とも味ありますわ。これも計算通りなんでしょう。なかなかやりまんな、枚方市のこれも。

(於:枚方市) “垣内”と書いて“がいと”、八尾のは“かいち”って読むわ。

※関連記事:
表記二重で立体的、かっこええ市岡元町一丁目1の町名看板。
』 2019年7月 記
町名看板、虫食い状態。』 2019年2月 記
こっそり平野区長吉長原東三丁目2』 2013年6月 記

 

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2019年7月12日 (金)

表記二重で立体的、かっこええ市岡元町一丁目1の町名看板。

 ここはどこやと目にした(←うそ)町名看板、地名が立体で書かれてまっせ。洒落てまんなぁ。
Ichimoto1 Ichimoto2  とか何とか。まぁよく見る光景ながらここまでうまいこと昔のアルミ製が劣化した現行のをカバーして…カバーとは言わんですか、下からやからバックアップ?か。
 大阪市内の町名看板、近年のはプラスチック製のですがその多くが塗料とアクリル樹脂(?)が乖離してもうボロボロ。特にこの青緑の色が使われている区のがひどい様に思います。傷んでへんやつの上にこうやって貼って、何か無駄な感じと前々から思ってましたけど、こんな形で昔のが再登場するとなると、真上に貼っといてくれはって助かりますなぁ…って、ちょっとイケズな物言いですか。そろそろ新調の時期ちゃいまっか…ってそうか、大阪市が無くなってからか?…はぁ。

(於:港区) 大阪市はずっと大阪市であってもらわんと。

※関連記事:
町名看板、虫食い状態。』 2019年2月 記
こっそり平野区長吉長原東三丁目2』 2013年6月 記

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2019年7月11日 (木)

塗り込められた千代崎二丁目22

 ドーム前千代崎から歩いて港区某所の現場へ。道に迷って「ここはどこ?」と町名看板見ますれば…
Chiyo2a Chiyo2b  なんじゃこれ。排他的な町なんでしょう他所もんにはここがどこか知らせんとこと、塗り込められてまっせ。貼ってあったものが取れて型が残ったんかもしれんなとも思いましたがいやいや、これ、完全に外壁の一部扱いで塗装されてしもてますわ。
 引いて見ればドアの反対にも町名看板があって「そっちがあるからええやろ」とこうしたのかどうなのか。まぁネタになるからええものの、あまりの仕事に…わからんなあぁ、こういう感覚。
 とまぁ忍者状態の町名看板に引き止められた訳ですけど、この細長いドアのある建物の味わいの方が気になるかも。ま、つまるところこれでオッケーってことですわ。

(於:西区) “道に迷って…”のくだりはウソ。スマホ持ってたら迷いようないわ。

※関連記事:
判読困難…流町4-5の町名看板。』 2011年9月 記
塗り込められたインタフォン。何故か?』 2010年10月 記

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2019年6月21日 (金)

むかし大野町一丁目27、いま野田二丁目11。

 やや角張った柱に打ち付けられ変形しているも、なかなかええ状態で健在。
Noda2a Noda2b Nodafuji  昔ながらな町並み残る福島区は野田界隈の一角で、古い町名看板が残っていました。“防火防犯モデル”なる標語も掲げてあってちょっと純粋なそれとは違って味わいをより深くしています。
 町名変更は1975年に行われ、区内に46あった町をつに再編したとか。ちょっと…無茶苦茶な気がせんでもありませんな。
 下部にはおきまりの広告が。“大福信用金庫”…なんともいかにももう存在していない様な屋号やなぁと思いましたが意外にも(失礼)2013年まで存在していたとか。他の2信金と合併、いまは大阪シティ信用金庫になっている様です。
 あと余談ですが現行の福島区の町名看板は藤色なのは、区の花“野田藤”にちなんだもんやそうです。

(於:福島区) よく見ると古い町名看板も貼り替えた跡があるわ。

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2019年6月 3日 (月)

むかしもいまも鳴尾町四丁目。

 阪神は鳴尾駅で待ち合わせて仕事の現場へ行く前にあたりをぐるっと。
Naruo4b Naruo4a  看板の上から木でしっかりガードでちと不思議。錆びサビの町名看板見ればそこには“高島屋”の広告が。阪神なんば線が開通した今ならともかく何で難波の百貨店が…って思いますけど、かつて阪神間にもあったんでしょうか高島屋って。怪しい金融の看板も…令和の今では充分味わいあるもんとなってきた様にも思いますな。

(於:兵庫県西宮市) 平気で他の看板の上に貼る神経がさすがって感じ。

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2019年5月 9日 (木)

13-7

 えぇ味わい。
137  律儀なお方とお見受けしました。

(於:兵庫県尼崎市) “7”は引き立て役。

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2019年4月13日 (土)

むかし河内市稲葉3-6、いま東大阪市稲葉3-6。

 オオキバナカタバミ咲き誇る昔ながらな一角に、こんな町名看板がありました。
Inaba3a Inaba3b  広告部分のない今日的なデザインながら、それは琺瑯製。一部錆びているものの、きっちり仕事を果たしてるって感じ。とは言えそこには“河内市”とありますから、まぁ現役と言うよりここらの歴史を伝える役目を果たしている存在と言ったところでしょうか。布施市枚岡市と合併して東大阪市が誕生したのが1967年。それ思うとよくもまぁ半世紀以上も残ってるなぁ…って、50年の歳月なんかたいしたことないってことなんかもしれません。そう思えるのも我ががええ歳になったから感じることなんでしょうけど。

(於:東大阪市) いまが見納めって感じがする、残念ながら。

※関連記事:
“河内市水道消火栓”の鉄蓋』2015年8月 記

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