かつての大阪酒 14 『都菊』 肥塚酒造(株) 昭和なプラ看板 363 ● 灘の生一本 ミヤコキク
「ええプラ看板やぁ」と思うも“昭和なプラ看板”枠でいくか“かつての大阪酒”にするかで迷っているうちに月日は流れ、いま「そやっ、両方にしたらええんか」ってことで記事化しました。
いやぁじつにええ看板。いかにもこの手の看板が残っていそうな昔ながらな店舗の軒下にこれがありました。
黄ばんだベースに堂々“ミヤコキク”。前にはこれまた懐かしのフレーズ“灘の生一本”。ちなみになぜこの“灘の生一本”が世からほぼ姿を消してきまったかというと“生一本”とは「混じりけのない」の意味ゆえ、純米しかも原酒にしか使えんという解釈となり、アル添糖添などの普通酒や灘以外の酒をブレンドに使っていていては“灘の生一本”を名乗れなくなったからでした。ちなみに現在は“原酒でなければならぬ”という縛りはなくなったみたいですね。かつてはこの黄金のフレーズ“灘の生一本”欲しさに、地方蔵が灘に進出したり、瓶詰法人を灘につくったりした時期があった様です。
で、この“都菊”ですが、これは元々大阪は堺のお酒。こちらも戦後、灘は魚崎に蔵を移していますが、どうやら堺の工業地帯に生まれ変わって良い水の確保が難しくなった為の移転と言われている様です。酒は当然、醤油や酢も盛んにつくられる銘醸地やったとは、今の堺からは想像できませんね。
堺に蔵を構えるは明治期からで、創業は安政年間、長崎で。より良い酒を醸したくて何度か移転しはったんやなと思うと“灘の生一本”のフレーズ欲しさ…の移転ではなかったのでしょう。残念ながら昭和53年、蔵を剣菱酒造に譲渡し近くの魚崎酒造の蔵へ移転の後、数年で廃業された様です。
ちなみにこのお店、Googleの情報では“閉業”となっていますが、“〜かっしゃん〜”というサイトがあり、そこを見るとまだやってはる様子。ちなみにこちらは酒屋さんにして駄菓子屋さんでもある様です。
・都菊:肥塚酒造株式会社
神戸市東灘区魚崎南町四丁目13−22(旧:魚崎酒造の場所)
移転前1:神戸市東灘区魚崎南町四丁目3−21(現:剣菱酒造中蔵の場所)
移転前2:大阪府堺市熊野町(合名会社肥塚商店)
(於:堺市西区)
この酒屋さんには“菊千歳”の琺瑯看板もある…堺にとって大事なお店。
※関連記事:
『“金露・新泉・都菊” の看板残る酒屋さん』 2019年4月 記
『堺に残る新泉、金露、都菊、アサヒビールの看板に思う。』 2013年11月 記
『昭和なプラ看板 25 ● 清酒 都菊』 2009年4月 記
























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