酒屋の立ち飲みをもういっぺん考えてみた
先日行った青蓮寺湖畔の宿。ぬるめの露天風呂に浸かり曇り空の山景色を眺めながらのんびり無の境地…否々、次々思うのは“酒屋の立ち飲み”のこと。過日“酒屋の立ち飲みで考えたことあるか…”という記事を書きましたがその内容は、我がのことも書きつつも著者、関根デッカオ氏の世界観を軸に記したものでしたけど、「自分にとっての酒屋の立ち飲みってどうやったかいな?」を考えると、ちょっと認識が違うかも…と気づきまして。今日はそのへんのことにふれたいと思います。
ほんの四半世紀ほど前まで、町のあちこちに酒屋さんはありました。免許制ですから市民も酒屋さんでお酒買うのが当たり前。“御用聞き”もまだまだ残っていました。酒屋さんも当然、店売りと配達だけで生活ができていた訳ですから、“立ち飲み”を併設していない酒屋さんもたくさんありました…というか住宅街ではまぁ見かけませんでしたわ。
それが小泉構造改革でコンビニやスーパーでも酒を売る時代になって激変。酒屋さんも立ち飲みをやらんとやっていけん状態になってから、ずいぶん“酒屋の立ち飲み”のニュアンスが変わってきたと感じています。
昔の立ち飲みと言えば…
・アル中的オッサンが明るい時分からサッと店に入ってきてはコップに酒注いでもろてクッと飲んで帰る。とか
・仕事終わりで我が家へ帰る前にモード切り替える為に酒とおつまみ口に入れて15分ほどで店を出る。
そんな使われ方やったと認識しているんですけど…どうでしょ?
ひとつ目の例は酒屋で手土産のお酒を買い求めていたとき、近所の住民が寝巻き姿で飲みに来てたという話。
二つ目は…これはもう割とどこでも見かけた例。
もちろん工場街にビジネス街、住宅街とお店のある地域性も大いに関係してくるので、そやない深酒大歓迎のお店もあったやろとは思いますけど、概ねそんな位置付けやったんちゃうかと思います。とくに住宅街の酒屋さんはね。
それが居酒屋的になってきたのはやっぱり先の改革以降のことやないんかなぁと思う訳です。
今までの酒屋スタイルでは成立しない状況に対応するため、名酒専門店やコンビニにシフトしはった店もある中で“立ち飲み”に活路を見いださはったお店も出てきて缶詰やら乾き物から徐々に徐々にアテらしきものが増えそのうちP箱ひっくり返してイスっぽく使える様になって居酒屋化していく中で常連さんとかのコミュニティが生まれて…今に至ってる、そんな感じ。
それ思うとレアな昭和64年生まれのほぼ平成民関根デッカオ氏にとっての酒屋の立ち飲み原風景は、昭和も昭和な山本龍造の思うそれとはちょと違う気がしてきました。
だからと言って「ヤツは解ってへん」とかそういうことが言いたい訳ではありません。
いかにも昭和風情に見える酒屋の立ち飲みですけどこれ案外、平成風情なんやなぁと…そう思えてきましてね。
近畿圏に始まるP箱が全国的に行き渡るようになったが平成初期、小泉構造改革が平成の半ば…そやっ、酒屋の立ち飲みの充実は意外と歴史浅いんちゃうんでしょうかね。
昭和も昭和言うても山本龍造まだ六十路(ほんまはもう六十路)、昭和の時代に酒屋で立ち飲んだ経験はほぼありません。人生の先達に昔の酒屋の立ち飲み事情を伺いたいもんです。
とまぁ過去に思いを馳せて酒屋の立ち飲みを再考しましたが、きっと昔も今も“地域”と“店主”によって店内に流れる(淀む)空気と言うか文化は全然違うことでしょう。BGMもラジオテレビも流れてない、誰もほぼ喋らん…そういった立ち飲み屋さんもあります。あれはあれで…好きですわ。
以上、酒屋の立ち飲みについてもういっぺん考えてみました。
以下、おまけです。
うちのひとは子どもの頃、母親が働く酒屋さんでままごとよろしくお手伝いをしていたそうです。その頃は市場占有率60%ほどのキリン全盛。そんな中、アサヒの社員さんはそのお店にとても親切に対応してはったとか。間近で見ていたうちのひとはアサヒを応援したい一心で立ち飲み客のひとりに「アサヒでいいですか?」とアサヒを勧めたら「ガキにはわからん」と言わんばかりのとてもぞんざいなジャリ扱いを受けたとか。まぁ…大人の世界に子どもっていうことで言うとわからんでもないですけど時代が違うんでしょうかねー。我がやったらプレモルを子どもからもし勧められても「ええねぇ、それいこっ」って飲むけどなぁ。
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