タイパにコスパで家族葬全盛…とか思いつつ悶々
数年前からお世話になっていたお方が先月末亡くなってはったということを昨日知りました。告別式は今日。故人は少し年上ながら基本同世代ですからなおのこと堪えます。最近も継続的によくして頂いていたのでお葬式に行こと思うも「…きょうび、家族葬が当たり前やしなぁ」と躊躇する気持ちもありましたがその方が属する法人経由での告別式情報でしたので「ええかな」と行った次第。どうやら多くの人に声をかけられた様ではなく意外な人の顔を見かけませんでしたが、それなりにたくさんの参列者に見送られての葬儀でした。やっぱりね、お葬式はこうあってほしいなぁ…そう思わせるもんがありました。
親族以外の、血の繋がらん人のお葬式に来るのも久しぶりのこと。そもそも家族葬が主流になったところにコロナ禍があって、決定的に“葬儀は質素に少人数で”となったもんです。
こうなった背景には少子化やら核家族化、死生観の変化とか様々な要因があるんでしょうけどもうひとつ“タイパ”、これも関連してるんやろかと思ったりしました。
「ひと様の時間を葬儀の参列に使わすなんて」という故人ならびに喪主の思いと「連絡受けたら…行かなアカンがな」っていう知らされた側の気分と…その辺のニュアンスも絡んでるのかなぁと思ったり。
かなり昔のことになるんですけど、うちの身内のあるひと(濃い間柄んですけど一応伏せときます)は、祖母の葬儀に来ませんでした。その理由が「葬式行ったって人が生き返る訳ちゃうやん」と。そう言う問題か?といまだモヤモヤしてますけど…多くの人のこころに内在する「葬儀は無駄なもん」という思いが表面化して今に至ってるんやろかと。そんなんちゃうんですけどね、我がとしては。
話戻って今日のお葬式、多くの人々に送られはってよかったなぁと思いました。ひっそりとこの世からフェードアウトしていくのがええなぁと我がは思うも、残されたもんとしてはたくさんの参列者の様々な思いと共にお別れしたいなぁと思いました。
どんな人も故人の全体像は(たぶん)知らん訳で、いろんな顔を持ってはったであろう事実を告別式で少しは知ることができたなら…ええお別れになるのやないかなぁ。まぁ、なかなかそれはあり得ない絵空事かとも思いますけど。
そう言う意味において…お寺さんの講話と喪主さんからの故人の人柄をしのぶ言葉がなかったのがちと残念ではありました。
で、そうそう。葬儀会館への往路、信号待ちで目にした看板がこれまた葬儀屋さんのでして、そこに書いてあった言葉を思い出しました。
記されていたのは“ジェネリックお葬式®️”なる文字。®️(=登録商標)やというのももちろんびっくりですけど“ジェネリックお葬式”ってフレーズに…ね。まぁつまるとこと「公益社よろしく名の通った葬儀社より新興の無名葬儀社で葬式した方が安くて内容変わりませんで!」ってことなんでしょうなぁ。
そうか…コスパな。タイパだけやなくてコスパもあっての家族葬…ってことね。当たり前ながら理由は大納得しましたわ。それでも…それでええんかなぁと思ったり。“ジェネリックお葬式”は…ちょっと故人に対しての尊厳なさすぎなフレーズに思えてなりません。しかしまぁ…よく思いついた文言ですわ。
で、故人はどういうお方やったか、それはこの記事には不要ですよね。きっと皆さんのこころの中にも思い浮かぶひとがおられることと思います。
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