素人鉄なりに考えたなら“車窓鉄”
先の記事に“酒屋の立ち飲みで考えた”という関根デッカオ氏の著書について書きましたが、彼、調子にのってる様ですぐに“素人鉄なりに考えた”というのも出さはりました。その内容は…まぁやはり彼独特の世界観をもとに記されています。「わしも一緒」と思うこともそれなりにありましたけど、絶対的に言えるのは我がとの世代差とそこに起因する鉄道に対する感じ方、そこをあれこれ思いました。
ふたまわり以上離れているとそらもう原体験が全然違うわけです。たとえ令和の時代にお互い生きようともそこが違うと言うのことは大きいことやわなぁと思いました。
鉄道なぁ。好き嫌いで言うと好き。ですけど世間で言うところの鉄道好きってのはもうえげつなく深い知識を持ってはる人だけが「鉄道ファン」を名乗っても許されるって雰囲気が世間にあって、そんなマニアの人らも独特の雰囲気を纏ってはるもんですから、カンタンに「鉄道好きですねん」とは言えんし言うと恥ずかしいみたいなそんな感覚が我がの中にあります。
ほんまのところはごくごく普通に好きなだけ。ですけどかつて…半世紀ほど前はのめり込んでましたね、鉄道。
それははやい話、蒸気機関車が身近に走っていたことと、それが数年後には廃止されるという“儚さ”があったからのことでしょう。当時は小学3,4年生。近鉄沿線に住みながら国鉄は関西本線へその勇姿を見に行ったり連れて行ってもらったり勝手に操車場に堂々入り込んでD51の運転台に乗り込んで石炭をカマに放り込んだりしてそのデッカさに熱量に圧倒されて大好きになって…そんな原体験ですから、蒸気機関車が廃止されて無煙化が進むともう完全に鉄道には興味が失せてしもた訳です。鉄道好きと言うより、汽車とそのまわりがかっこええなぁと痺れていただけのことやったのかもしれません。
それでもまぁ、それなりに好きではあります。「何鉄?」…そうですなぁ、そんなんあるんか知りませんけど“車窓鉄”ってところでしょう。鉄道だけやなく乗り物乗ったら景色見るのが好きすきっ。スマホ見たり居眠りしてる場合やないです。
で、思い出したことひとつ。あれは和歌山へ向かう阪和線でのことでした。眺めのええ席を確保していつも通り景色を楽しんでいましたら途中の駅から乗ってきた高校生野郎一団が前の席に座って日除けというのかなぁ、ロールカーテンみたいなヤツを降ろしよったんです。
そのカーテンは前後二席分をカバーするタイプやったんで車窓の景色はいきなり遮られ…ムカつきましたよほんまに、ふたつの理由で。
もちろん我がの楽しみを奪いよった事実に、それからもうひとつは自分らの判断だけで行動しよったことに対して。
「こちとら黙ってらんねぇよ…」(?)と、カーテンの隙間をこれ見よがしにこじ開けて外の景色見続けました。もちろん楽しいこともありませんけどただただムキになって見ていただけのことですわ。
その十数分後、ひとりの高校生が「開けましょうか?」と言ってきて…目が覚めました、「大人げないなぁ」って。
めっちゃどうでもええことですやん世間的には車窓の景色が見えるか否かなんか。それより太陽光遮るという目的のためにあるカーテンを閉めよったことに怒ってるって…あんた何歳なん。
今から5年ほど前のことでしたか…いまだ気恥ずかしい思い出として残っています。
話戻って“素人鉄”としてのデッカオ氏は車窓越しの景色のことは当然のことながら、乗車時間をどう楽しむか、どれだけ快適な空間でくつろぐか…そういう様な視点を語ってはります。前の2点はまさに私もしていることながら、快適か否かは、我がにはあまり重要な要素やないかもしれません。それは先にも述べた原体験の違いからくるのでしょう。ついつい泥臭い人間くさいものを求めてしまいます。貨物列車とか機関車…そうそうDD51の重厚なエンジン音とか排気ガスのニオイに昭和を感じて「ええなぁ」なニュアンス。ってもうディーゼル機関車もあんまり見かけませんし、貨物列車もコンテナばっかりですから滅多に盛り上がりません。
それでも、近鉄の普通電車の車両が新しなると聞くと興味湧き、高安の車庫の横を行く時は「新型まだかいな?」と見ますし…そうそう「乗って応援」の阪堺電車も大いに気になる存在。ま、その程度でええかな。
今回付けられたサブタイトルは“ライトな鉄の脱線しがちな鉄道ガイド”。まさにその通りの(とも言える)一冊…などと他者が言うことではないですね。そこで再考…あ、これでいっときましょう。↓↓↓
『鉄道という“装置”とそこに流れる“時間”をどう楽しむか』…そう、そんなニュアンス。ま、ある意味“酒屋の立ち飲み---”同様の視点を感じるのはそのへんなのかもしれません。
新幹線ぶっ飛ばす脇で蒸気機関車も本気で走っていた…そんな時代やってんなぁ'70年代って。
※関連記事:
『酒屋の立ち飲みで考えたことあるか…』 2025年7月 記
『関西本線は柏原駅の午後1時…1973年頃の図。』 2020年5月 記
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コメント
僕は蒸気機関車が定期列車からすでに引退してたころの世代なのですが、
久宝寺(八尾市)にあった龍華機関区のEF58や15やED60をよく見に行きました。それぞれ引退間近のころでしたから。
子供の頃は、友達と待ち合わせて阪和線の貨物列車を写真撮りに走り回りました。
懐かしいなあ…
よき思い出です。
投稿: tatsuya-zz | 2025年7月24日 (木) 07時31分
●tatsuya-zzさま
そうか…蒸気機関車を知ってるってだけでもう充分おじいさん世代ってニュアンスですよね。
龍華と言うか久宝寺駅の上りと下りのホームがごっつ離れていたことを思い出しました。
私はDLやELほか車両にはもひとつ興味湧きませんでしたが、兄が古くさそうな電気機関車とか用途不明な車両も撮っていたましたね龍華で。
あれは何て名のやったのか…EF15みたいなヤツでした。
阪和線って今でも貨物列車は走ってりるのでしょうか?
城東貨物線はおおさか東線と名と形を変えて生き延びましたけど、阪和貨物線は無くなって何や寂しいことです。たしかミステリー号なんかも走ったのでしたっけ?
いつもコメントおおきにです。
投稿: 山本龍造 | 2025年7月24日 (木) 23時25分
おはようございます。
阪和線の貨物列車は、操車場がなくなって久宝寺駅の上下線が集約された頃と同期して無くなりました。
阪和貨物線は、イベント列車や回送なんかも走ってましたよね。特急が走ったことも。
線路を複線化して、外環状線化する計画がありましたがすっかり頓挫(笑)。廃線跡はどうするんでしょうかね…。
姿を消す前に、全線歩いてみようと思っています。(^^)
投稿: tatsuya-zz | 2025年7月25日 (金) 07時44分
●tatsuya-zzさま
そうですか…子どもの頃は貨物列車が走るから楽しそうやと国鉄沿線に住みたいと思っていたことを思い出しました。
しかしホンマ阪和貨物線の廃止は勿体無いなぁと素人には思います。用地は確保できているのにおおさか東線の延長にならなんだと思うと…と言っても沿線の利用客数を思うとやはり仕方ないんでしょうかね。
コメントいつもおおきにです。
やというのにレスいつも激遅ですんません。
投稿: 山本龍造 | 2025年7月26日 (土) 21時57分