2025年4月
2025年4月27日 (日)
2025年4月26日 (土)
2025年4月25日 (金)
城南寺町3、経年劣化でひび割れて。
もちろん“城南寺町3”が劣化した訳ではないんですけど。
町名看板がえげつなく劣化してます。何がどうなってこうなったんか…まぁ多分プラスチック製のプラスチック部分が劣化の末に剥がれてインクのみ壁にこびりついた図なんやろとは思いますが、定かにはわかりません。
ま、かつて見た“市岡三丁目12”のそれ同様の現象がよりドラマチックに変化したってことでしょうな。そもそもプラ製は透明化してイケズ状態になったりと…全然ですわなぁ。
それ思うとやっぱり金属製がよろしいなぁ…って、スマホがすっかり市民のインフラとして定着している現実を思うと、そもそも町名看板自体が不要になってきているのかもしれません。まぁ…昔な人間としては、全然いまもこれからも町名看板は必須なんですけど。
2025年4月24日 (木)
建物と建物の隙間の塀のガラス片
福島区某所で仕事して帰路、江戸堀あたりを歩いてますと懐かしい泥棒よけ発見。 見ての通り割ったガラス瓶のトンガリが塀の上に並べられています。その形状に色合い、それなりに造形物と意識して施工した気がせんでもない…こともないですか。
この手の防犯対策って道路や空地に面した塀に施されているのが普通やと思いますけどここはビルとビルの隙間。ということはネコが歩けん様にってことかなと思いつつストリートビューで改めて見ますと…そうか、この塀足がかりにマンションの2階への不審者侵入の防止ってことなんでしょう。
ちょっと気になってこの塀の向こう側はどうなってるんやろかとこっちもストリートビューで見てみましたら、ここにも施されてますわ。ですけど左右にマンションなし。そうか…きっとこの塀自体が昔より存在して撤去もされずまわりが建て替わって今に至るってことなんでしょうか。都心の隙間に残されている…何か不思議な感じがしますわ。
(於:西区) 使われているキリンの瓶がそないに古いヤツではない…見立て違いか。
※関連記事:
『ブロック塀のてっぺん、威嚇のガラス片。』 2022年10月 記
2025年4月23日 (水)
懐かしのちょっとハイカラ呼鈴ボタン
かつて家があってそこは玄関であったであろう箇所に、むかし懐かしいスイッチがひとつ。
「懐かしいわぁ」思うも、これはそれなりにハイカラやったんかもしれません。
表現にちょっと抵抗がありますが昔の呼び鈴のボタンっておっぱいみたいな丸いやつでした。それを押すと「ピンポーン♪」否々、「ブーッ」となったもんです。何が「ピンポンダッシュ」や。我々の時代はまぁ言うたら「ブー逃げ」でしたわ。
で、このボタン…と言うかスイッチ。懐かしいには違いないんですけどいま見ると、それなりにデザインが施されていたんですね。下のボタンを押すと鳴る…雨による漏電防止を思ってのことでしょうけど、世の中に少しばかりのゆとりが生まれてきた時代の製品やったんやろなぁと想像します。
その割にナショナルのマークはともかく表示義務のありそうな数字や記号が思いっきり目立つところに配してあるところにもその時代を感じることができます(個人の感想です)。
何で懐かしいんかなぁ…ってもちろん古いヤツやからなんですけどこれ、確か母の実家にあったからかもしれません。まぁ…諸々あってそこには今、そんな面影はまったくありません。そやから余計に懐かしい思うんやという気がします、うん。
2025年4月22日 (火)
昭和なプラ看板 334 ● 昭和ストアフロント
そこに“昭和”とあるだけで、ほんまに昭和モンかどうかはわかりません。
とは言ってもロゴが醸し出す雰囲気が何とも昭和的。ふちのサビ具合からもそれなりの年代モンって感じがします。
で、“昭和”はまぁわかりますけどその後に続く“ストアフロント”、これが何のこっちゃ、ですよ。調べて出てきたのが「ストアフロントとは、フォロワーがあなたの作った様々なコンテンツやおすすめ商品をチェックして、その商品をAmazonで…」…これはちゃいますわな。
さらに調べますとこれ、「昭和フロントはストアフロントのパイオニアです」の文言が出てきました。それでももひとつわからんのですけど、どうやら店舗用アルミ建材のことを指しているみたいです。ちなみにストアフロントは“Storefront”でそのまま“店頭”とのこと。てっきり和製英語やろと思てましたが…って、それでもその使われ方を思うと、あながち間違っていたとも言えんかと。
で、昭和フロントは昭和38年創業で昭和59年より三和シヤッター工業のグループ会社となり今に至っているとのことです。
2025年4月21日 (月)
2025年4月20日 (日)
2025年4月19日 (土)
空と家と畑
宅地と田畑、ここ半世紀ほどずっと続く関係性。 昭和風情にも見えるもこれは平成、かな。衛星都市で中核市の八尾。「そやなぁ」と思う以上に「ほんまかいな」と思ったり。高安山麓での茶の湯稽古の帰りに過日見た景色。
(於:八尾市) 河内産のお米もここ数年全然と言ってええほど買えませんで。
※関連記事:
『八尾市東部、高安山麓の昭和文化。』 2018年12月 記
2025年4月18日 (金)
2025年4月17日 (木)
むかし風情のドラッグストアも古なって
過日の秋田旅でこんなドラッグストアを見かけました。 むかし風情の屋号を左右から引き立てるはくすりの琺瑯看板の数々…って、ちょっと変かも。
よく見れば商品名のロゴが今日的。あっ、これは古っぽく作られた看板ですわ。 それが解ったとて「なんじゃこれ」とは思いませんわ。きっと街の景観に合わせてやってはることでしょうから、まぁある種テーマパークの一角的な存在としてええんちゃいますか。しかしまぁ、看板のふちのサビ具合まで…こだわってはりまんなぁ。
帰宅後ストリートビューでここを見ますとこれ、もう10年以上前からこのスタイルでやってはる様子。で、ですわ。むかしの状態を見ますれば、看板の周辺にサビがほとんどありません。と言うことは経年劣化で昔っぽくなって今に至っているってことですね。てなわけで“新中外胃腸薬”の横にある社名がめくれて垂れているのも劣化を装って社名を隠しているのではなさそうです。
商品名や社名がすでに存在しないのもそのまんま。昔っぽく作ったつもりがすっかりホンマに過去のものになって…時代は刻々と変わっていくんですなぁ。
2025年4月16日 (水)
雨でしっとり青屋根モルタル昭和長屋
(昨日の続き)雨雲の元の昭和な長屋。湿った風情がええ感じ。 ドーナツ化現象で八尾の田畑が宅地に変わっていったのは'70年代のことでしょうか…って、西暦で語ってもなんやもひとつピンときませんなぁ。昭和で言うと30年代から40年代ですかね。何度も記してますけど青い釉薬で仕上げられた瓦の屋根に当時はハイカラやなぁと思ったもんです。同様に赤茶や緑の瓦屋根もありましたけど
ビワやら南天しげって前の道は土のまんま。外灯もアンテナもええ味添えてます。令和7年、昭和な景色。
(於:八尾市) どこもサンテレビ用アンテナは上に付けられてる。
※関連記事:
『木造モルタル青い瓦屋根の“長屋”にあれこれ』 2023年3月 記
『昭和な長屋、砂利道挟んで十六軒。』 2018年1月 記
『匠の技 住み心地万点の長屋…らしい』 2014年10月 記
2025年4月15日 (火)
ユキヤナギと臭気筒と室外機、雨でしっとり'70年代。
八尾市某所で仕事。現場にはよ着いたら雨降りだして建屋の影で潜んでましたけどそうもいかん雨に強風。まぁ天気予報どおりなんですけどもしょうがないことで。
仕事終えて小雨まじりになった中、駅へ向かいます。ここらへんはきっと元々田畑やったところでしょう。町工場やら青い屋根の長屋や文化住宅がそこここに建っています。 ある種の懐かしさを覚えつつぼちぼち歩いてますと、ユキヤナギがしっとり雨の中で咲き誇っています…ってユキヤナギに“咲き誇る”は似合わん言葉な気もしますけど。
後ろの青屋根昭和な建物の上を見上げればモーター式ながらお決まりの臭気筒に室外機がひとつ。その旧式な風情を思うとクーラーのそれかもしれません。ま、それよりここは丸いファンが向かって右にあるところに注目すべきなんでしょう。ま、自分はさっき気づきたところですけど。
様々な構成要素が雨空の下ええ感じに収まってますなぁ。ほんの少し幼少期の気分に戻ったひとときでした。
(於:八尾市) 昔と変わらん町並みでも、バキュームカーは見かけんな。
※右目室外機の記事:
『新と旧、右目左目室外機。二題』 2021年8月 記
『室外機に寄り添う傘と傘の骨』 2021年2月 記
『ナナメで数十年か、京の室外機。』 2018年6月 記
『木造モルタル戸袋に菱形意匠その下に年代モンの室外機』 2017年1月 記
2025年4月14日 (月)
宣伝せん広告塔にあれこれ
青空にそびえる広告塔。 白一色の潔さ…ってあんた、宣伝してナンボの広告塔やというのになにをイキってるねん…って感じ。
とまぁ突っ込んでみましたけど「ここは何が書いてあったんかいな?」とストリートビューで調べますればそこには“毎日新聞”と書かれていました。あぁ…そういえばそうでした。
…新聞なぁ。まぁ、新聞販売店もなくなっていきますわなぁ。そんなこと思うと奥のマクドナルドのmの眩しいこと。ちなみに4月6日から一週間は“春の新聞週間”…って、先週で終わってるやん。ちなみに“読む”→“46”でその日になったそうです。
2025年4月13日 (日)
2025年4月12日 (土)
昭和なプラ看板 333 ● なるほどよい酒 長龍
何度となく通る道で踏切待ち中のクルマから眺めるプラ看板は近鉄電車から車窓越しからも見えるのであります。
これぞ、中河内の昭和な光景。
酒屋さんのそれはともかく、飲食店の看板にかつてはお酒の銘柄が記されたプラ看板が付けられていたもんです。喫茶店やら大衆食堂に“コカ・コーラ”の看板があったのと同じことでしょう。
かつて八尾に本社を構えていたこともあってか、中河内には“長龍”の看板を掲げたお店が当たり前というかそこここにありました。そんな当たり前の光景も気がつくとほぼ見かけることもなくなりました。もちろん灘や伏見の酒名を掲げた飲食店も同じですけれど。
この看板は…いつからあるんでしょう。はっきりいつも見ていたわけではないんですけど、かなりの昔、まだ未成年やった時分からあるのとちゃいますかね。電車から眺める景色にこの看板は常にそこにあった気がします。
ちなみにここの焼肉屋さんへは行ったことがありませんけど、ネットで見る限りにおいてはこれまた昭和風情全開なお店な様子。いっぺん行ってみたいけど勇気いるかも。そやっ、どこでも平気で入らはるアホげ民・某に連れて行ってもらおっと。
(於:東大阪市) 「焼肉にはビール」否々、コップ酒も合うっちゅうことを津守の焼肉屋さんで知ったのも…もう20年近く前か。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 303 ● なるほどよい酒 長龍』 2024年1月 記
『昭和なプラ看板 206 ● なるほどの酒 長龍』 2020年5月 記
2025年4月11日 (金)
石柱ぐるっとひとまわりの庭木
滋賀県は草津市某所で仕事。コロナ禍で仕事の守備範囲減らされたなぁと思っていましたけど、ちょっとずつまた近畿一円に行ける様になったもんやなとしみじみ。
仕事終えて「せっかくの遠出やし」と草津駅から旧東海道を歩いて南草津駅まで。「いかにも元・宿場町」風情な街並みもまぁたまにはええかと行きますればやがて不自然なタイムスリップ感のない街並みに。途中二軒の造り酒屋さん。うちひとつはも「もひとつ知らんなぁ」な蔵元さんで買いたいなぁ思うも「重いし」で断念。「また今度」…っていつ来れるねん。
買わなんだこと悔やみつつ先に行きますれば、ちょっと変わった剪定の庭木が。 これはヒラドツツジ…かなぁ。石柱をぐるっとひとまわり。裏から見ても途切れることなく完全に巻いてました。
まぁ…できんこともないかと思うも「こうやってみよ」と思わはったここのお方、もしくは植木職人さんのセンスがあってのこと。「やりまんなぁ」と帰宅後ストリートビューで過去を見ますと…「あぁそういうことね」。それでも「こうしたろ」と思わんとなりませんわな。ええモン見せてもらいました。
2025年4月10日 (木)
ストップ!!ポイ捨て in ストップ!!ポイ捨て
“in”なのか“on”なのか…まぁどっちでもよろしか。 同じ図柄の啓蒙看板がこんな風に二重に掲示されていて妙な感じ。
白黒化した下にある看板がそれほど判別不能になっているわけでもないこと思うと、別の場所に掲示した方が効果的やと思うのは素人の考えなんでしょうかね。
よく見れば同じ図柄ながらちょっとずつ違っていて“手”とか“ポイ捨て”画像が抜けてます。古い看板から起こしたら消えてしもた…とかかな。ま、どうでもよろしいか。“寝屋川市社会を明るくする運動推進委員会”さんの看板。
2025年4月 9日 (水)
ヒョロ南天、根元見れば発泡スチロール育ち。
もうこの手のネタはええかと思いつつも…です。
お地蔵さんの横で電柱に寄りかかってヒョロっと立ってる図が何かよろしいなぁ。
よく見るとお地蔵さんの左側には花が生けられていますけど、右側にはありません。これは南天が生花の代わりという位置付けなんでしょうか…って言うてもここまで生長してしまうと、赤い実付けても上の方すぎますけど。
しかしまぁいつもどの木もやっぱり大地に根を下ろして安心したいんやなぁ…そらそうですわな。
(於:京都市上京区) 南天もさっさと抜かんとえらい目に遭う…とは言え「難を転ずる」とも言うからなかなかできん。
※関連記事:
『違法街路樹、12年経ってなお健在。』 2020年3月 記
『鉢植え卒業。地植え化したビワの木。』 2012年2月 記
『発泡スチロール突き破って隙間から大地に根を下ろす木。』 2011年12月 記
『違法街路樹』 2008年3月 記
2025年4月 8日 (火)
水呑地蔵から夕日眺める、午後6時15分。
京都北山某所へ展覧会行って帰りは昨日実家に忘れたいつものカメラを取りに八尾までクルマ移動。平群から十三峠越えて八尾に入りますれば薄暮の大阪平野の綺麗こと。しばし眺めて再び走り出しますと、雲に隠れていた太陽が顔を出してなおええ景色に。写真撮りたし駐車するとこないし…そやっ、水呑さんの駐車場があるわとそこに止めるも木々に隠れてあんじょう見えませんやん。
それならそれで何とかならんかなと水呑さんの方へ歩いて行ってみますと…これはこれでええ感じ。林の向こうに沈む夕日を数枚撮るうちに日が暮れました。 「はやいこと沈むねんなぁ」とお子。えっ、こんなもんなんですけど…そうか、街暮らししかもビル街の谷底で暮らしていると朝日も夕日も拝むことありませんわなぁ。そらぁ知らんで当たり前でしょう。
実家に行ってカメラ取って…あの美しい夕景をいつものカメラで撮れなんだこと悔やむひととき。ちなみにこれはアホげで使っていたRICOHのCX5で撮ったもの。思いのほかバッチリに撮れていました。調べますればカメラの買い替えからほぼ10年。その間に世間ではすっかりカメラで写真を撮る光景を見なくなりました。
2025年4月 7日 (月)
山本町三丁目玉串川沿い、午前9時56分。
実家への道すがら、素直に「きれいなぁ」で一枚。 中甚兵衛さんご尽力により付け替えられた大和川。その旧河川の名残のひとつとして流れるのが玉串川。それなりに昔から一部区間がサクラの名所として賑わってましたけど、八尾市としては桜並木をもっと延長してより観光名所にしたいのか桜以外の木を伐ってはソメイヨシノに植え替えてはります。
何度か書いてますけど、いろんな木があるのがこの川沿いの良さやろと思てる立場としては、これが気に入らんわけです。
それでもまぁ、すべてのサクラ以外の木を伐ってしまうわけではなかった様でここみたいに楓も残されている様でひと安心ですわ。
と言うてもこれは春と秋に葉がきれいになるから残されただけとも言えますなぁ。やっぱりこれといってパッとせん木もないとね。引き立て役も必要やってのが解らんのかなぁ…って、上から目線でんな。
(於:八尾市) 護岸工事も気に入らん…けど仕方ないことやわな。
※関連記事:
『玉串川沿いの春景色』 2024年4月 記
『梅の枝ぶり桜花と青空、玉串川ベリの昼下がり。』 2023年3月 記
2025年4月 6日 (日)
春爛漫、お子ひとりピクニックの図。
こころ踊ってるんでしょうか、4月の挿絵はさっさと描き終えていた様ですがこっちが気づきませんでして。 桜並木にチューリップ、蜜を求めてモンキチョウも飛んでまっせ…って調べますれば5月頃から飛び始めるみたいでっせ。ま、先取りってことでオッケーでしょう。
下草の新芽も添えられてええ感じ。訊く前に「今回はネットでネタ探して描いたんちゃうで」とお子。改めて見ると自身と思われるひとも描かれてますわ。そうか…ひとりピクニック空想の図ってことですな。ええねぇ。5月分からもお手本なしでのびのび描いて欲しいもんです。
2025年4月 5日 (土)
御香宮神社の献茶式へ
献茶式にして“点心席で伏見のお酒をあれこれ楽しめまっせ”って噂(?)聞きつけたアホげ民にして茶の湯の先生某氏と行った昨春のそれには一本のお酒もなくで超がっくりしましたが「今年はどうします?」のお誘いに「…とりあえず行こや」ってことで今日、京都伏見の御香宮神社の献茶式に行ってきました。
昨年より10日ほどはやかったこともありサクラも見頃。天気も晴れ晴れ。心地よい環境の中、拝殿へ。三千家で受け持ってはり今年は武者小路千家のお家元が献茶をなさってました。昨年も思いましたが大きな流れは同じでも立派違えばこうも印象が変わるもんなんやとまたまた再認識。何百年と時を重ねるうちにそれそれに変わって行った結果なんやなぁと思うと、なおのこと面白く感じられます。
次に拝服席、そして副席(薄茶)へと進み、そこで「点心席では伏見のお酒を楽しんで…」と亭主のお方。「今年は復活やん♡」と喜んで副席(濃茶)飛ばして点心席へ。 ありますがな、お酒。各テーブルにお酒が一本ずつ。伏見の料亭“魚三楼”さんの折詰開けて…これめっちゃお酒に合うやんって感じ。まずは目の前にあった黄桜の生酛山廃山田錦で乾杯。う〜ん、去年のこと思うと何でも美味しい。その土壁的風味(?)楽しんだあとは別のテーブルに置いてあるお酒とトレードしては何種も楽しみましたしこたま。蔵、銘柄違いで味も色々。昔なら「あれはああ、これはこう」といちいち覚えたりメモしたでしょうけどもう「あ〜美味しいおいしい」で楽しませてもらいましたわ。
食べ終わり間際に一升瓶登場。「待ってましたっ」のそれは月桂冠の上撰。「こいつこいつっ」とこれで呑み納め。「やっぱりこれがええわ」とまぁ、どこでも買える銘柄に大満足して何してるこっちゃろと思いつつ「そらそうやな」と。で、この上撰で終えるつもりながら松竹梅の上撰まで出てきてこちらもよばれました。美味しかったのは言うまでもありません。けどまぁ月桂冠、かな。
充分呑んでから濃茶よばれに行って…呑気やこと。もちろんしゃんとして楽しませてもらいましたで。そこはまぁ、ちゃんとしてますねん、茶の湯の先生共々にね。
もちろん「呑みたらん」で鳥せいへ。と言っても天満橋から移転した枚方モール店に。何なん…全く別モンになってしもてますやん…(以下自粛)
(於:京都市伏見区) 月桂冠の大吟醸もあった。レッテルには“DGJ”…卵かけご飯かっ。
2025年4月 4日 (金)
ワンカップのフタに“アーモンド”
岸和田市某所で仕事。南海は泉大津駅で待ち合わせ…ってことでサクッとあたり散歩してましたら、ちょっとピーク過ぎ若葉もちらほらあるもまぁ綺麗に咲いてるピンクの花の木。
「春ですなぁ」程度に眺め通り過ぎよと思いますれば、枝に名札が。
そうか…これがアーモンドなんやっ。よく“サクラとアーモンドは似てる”と耳にしますけど「これがアーモンドです」と知って見たのは初めてかもしれません。花もそうですけど、幹も似てますなぁ。
きっとこの前を通り過ぎる人たちが春先に「サクラきれいなぁ」と歩いてはる状況に心痛めてはるこちらのお方がこの様に書いて道ゆく人々に知らせてはるんでしょうなぁ。
そのおこないにちょっとホッコリ。それに輪をかけて「ええやん♡」と思ったのがこの、プレートになってる丸いヤツ。絶対そうやとは言い切れませんけどこれ、カップ酒のフタとちゃうかなぁと思いまして。
調べてみますとワンカップ大関のそれとは違う様子。ま、これ以上調べんとこ。「ワンカップのフタに“アーモンド”とあるわ」の方が…楽しいもんなぁ。
2025年4月 3日 (木)
2025年4月 2日 (水)
大阪天満宮・祖霊社、午前8時9分。
ウメの花散ったら今度はサクラにユキヤナギ。 例年頂いている仕事の前にサクッと天満宮に寄りますればご覧の通り桜花爛漫。負けじとユキヤナギも白い花つけて…よろしいなぁ。
池の端に曇り空…街の片隅で春到来を告げている様子がしっとりしていてええ感じ。サクラ、とくにソメイヨシノは華やかすぎてウメ派の山本龍造にはちょっとしんどく思うときもあるんですけどこういう風情はよろしいなと。桜並木の名所よりは…ちと苦手。
フレッシュな人たちも街にはちらほら。春ですなぁ。
(於:北区) 実家のユキヤナギ数年前に枯れ、今年はウメも枯れた。「枯らしてしもた」んやろなぁ。
※関連記事:
『大阪天満宮・祖霊社、午前8時8分。』 2025年3月 記
2025年4月 1日 (火)
立体看板使い回し
時折見かける立体看板。令和の世では何とも懐かしい雰囲気を漂わせています。
ちょっと垂直に立ってない様に思いますけど、それもまた味わいのひとつかな。
塗面の劣化も当然味わい…って広告主さんにとってはそんな呑気なことも言ってられんかも。
よく見たらこれは別の看板の使い回し。うっすら見えるイゲタの社章と住友不動産の文字。下部には電話番号も古いのがくっきり。
ま、通りすがりの者にとってはこれもとってもええ味わいですわな。
※関連記事:
『立体看板並ぶ旧国道沿い交差点脇』 2024年3月 記
『“淀川区役所”のバス停看板、うっすら“八尾福祉センター前”。』 2017年9月 記
『立体看板のてっぺんでツタ茂る』 2014年6月 記
『ブリキの立体看板。』 2012年4月 記
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