ここ数週間、うちのひとの実家の片付けを手伝っています。
あんなモンこんなモン出てきて最後に雑誌やら作品集やら展覧会の案内状なんかを仕分けしてまぁほぼ要らんモンで、そんな紙屑(?)を目にしてますと何とも言えん虚無感が湧き起こってきて…「何や虚しいなぁ」と。
色々な展覧会やら催し、作品なんかがかつてあって各々が「どうでっか!」と作り上げては発表するも時がたてばまぁ…ほぼすべてゴミ。今でこそ少しはおとなしいしてますけど我がも若い盛りには何度も展覧会してはコリに凝った案内状作ったりしてイキってましたけど…何やってたんやろなぁと思うと益々虚しいなってきまして。
「何や虚しいなぁ」とうちのひとに言いますれば…「そんなことないやん」。
「作品なり発表会がその時だけであってもそれでええねん」と。「そこから何か違う展開が生まれたやん、それがええのとちゃう?」。
あぁなるほどなぁ。ホンマやわ、うん、ホンマほんま。
何らかのアクションを起こさんことにはリアクションはないっちゅうことです。
思い起こせばいろいろやったお陰であんな展覧会やらこんな仕事、ちょっ身の丈以上の依頼内容やらそこから派生して本業以外のことにも広ってまさに“自由業”って感じでやってくることができた上に、その頃の出会いが今も長く太く生長していることを思うと、なおのこといろいろやっといてよかったなと。
当時はえげつなく勘違いして「オレ天才」的に思ってた訳です。いま思えば「アホ丸出し」。その当時の我がのまわりにはそらぁアホいっぱいいましたよ。アホ同士わぁわぁやってましたけど、引いて見ると、カシコい人々は我がを客観視できるのかまぁ展覧会とかしはりませんでしたわ。冷静に考えたらそら当然ですよね。
世間知らずの若造は“根拠のない自信”で突っ走った訳です。恥ずかしいことながらいま思えば“それがよかったんやな”と。
てなこと思うと近年全然アクションも起こさんでアカンやん…とか一瞬思いましたけど、ちゃうちゃう。地味、めっちゃ地味ながら拙ブログ、それなりに本気でやってます。まさにアクション。ま、“山本龍造”名義ですから別モンとも言えますけども。
アクション言うても等身大すぎですかいな。肩の荷下ろしすぎとも思いますけど、若い日々の表現より全然自分らしいかと。でもまぁ、背伸びして実力以上にチカラ出して表現と向き合っていたあの頃のエネルギーを羨ましく思ったりもします。
あぁ、何を言わんや。
つまるところ「アホでよかった」ってこと。アホならではの今のわし。ええやん…って、あんまり自己肯定しすぎるのもどうかとも思いますけど、ね。
「わたしら一緒になったんもあんたいろいろやってたからやん✨」とうちのひと。ほんまホンマ。
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