2024年5月
2024年5月31日 (金)
2024年5月30日 (木)
これ竜舌蘭かなぁ、開花してるけど。
高津宮近くで仕事。現場近くのマンションの植え込みに「…あっ、咲いてるやん」。
これっ、以前見たヤツに比べると小振りですけどほれっ、竜舌蘭とちゃいますかいな?
大きさの差と、葉のまわりが黄色いのが「ちゃうかもしれん」と思うところ。“ハナノナ”で調べますれば70%ほどの確率ながら“メキシコマンネングサ”などと出てきます。
やっぱりちゃうんかと思いつつも帰宅後調べますれば、ハナノナの判定はずしてる感じ。で、“斑入りリュウゼツラン”と調べるとこれと同じ様な植物がヒットしました。きっとこれも竜舌蘭でしょう、うん。
以前の記事にも記した通りこの竜舌蘭、別名を“センチュリープラント”と言い、その名の由来は100年に一度咲いてその後は枯れてしまうという特性からの様。100年に一度の珍現象を60余年にして二度も見ることができる…ついてますなぁ。
で、ですわ。この場所をGoogleのストリートビューで確認しますと、ん?2020年12月にも開花してますやん。さらに過去に遡ってみますと2009年12月には竜舌蘭と思われる植物は植えられておりません。
と、言うことは「100年に一度の開花」も「咲いたら枯れる」もウソってことですよね。な〜んや、ネット上で探してみるとリュウゼツランが開花したと新聞などの記事でたくさん取り上げられていますけど、たいして珍しいことではないってことですかいね。
などと書きつつ「竜舌蘭とちゃうから、しょっちゅう咲くし枯れもせん」のかもしれんなと思ったり。
ま、あんまり見かけんことには違うないからよしとしましょう。それよりこれホンマに竜舌蘭なんかなとやっぱりちょっと疑ってます。どなたか判定をお願い致します。
(於:中央区) つぼみがバナナっぽく見えるな…って、大きさ全然ちゃいますけど。
※関連記事:
『竜舌蘭の開花』 2010年2月 記
2024年5月29日 (水)
琺瑯タンクの余生 72 ● 奈良県五條市滝町
先月末のタケノコ掘りへの行き帰りに見た開放型の琺瑯タンクふたつ。
何年も前から時折ながらここ通るも「こんなところにあったかいなぁ」な感じ。ストレートビューで見ますと2019年の時点ではここ、水田やった様でこの琺瑯タンクもありません。どうやら近年水田から何ぞの温室栽培に変わった様で、その時からここに琺瑯タンクを設置しはった様です。
とまぁ新参モンの琺瑯タンクの割に既に屋外で使われていた雰囲気が染み付いているところをみると、きっと既にどこかの農地で余生を過ごしていたのは間違いないかと。ただ、残念ながらどこから引っ越してきたのかは判りませんでした。
ちなみに五條市には“五神”の五條酒造と“柿ワイン”の山本本家とふたつの蔵元があります。ま、それだけです。
(於:奈良県五條市) 近くに数年前まで数本琺瑯タンクが留置されていた様やが、それを持って来たのではなさそう。
2024年5月28日 (火)
昭和なプラ看板 310 ● KIRIN Light BEER キリンライトビール
福島区某所で仕事。朝から雨ながらせっかくやしと東西線は新福島駅あたりをちょろっと探索しますれば、ビルの上の方に古そうなプラ看板ひとつ。
“キリンライトビール”…あぁそんなんあったわあった。
最近アサヒビールがスーパードライの低アル版を“ドライクリスタル”と銘打ってアルコール分3.5%で新発売。割と売れていると聞いていますが…そうや、アサヒが新たなカテゴリを創ったと言う訳ではなかったことを思い出しました。
発売は1980年、その後ヒット商品なったと聞かんものの1998年まで売られていたそうです。へぇ、18年も売っていたんかって感じ。ちゃんと確認はでなんだんですけど確か終盤には“キリンビールライト”とその名をマイナーチェンジしていた記憶があります。
“キリンライトビール”を検索にかけてヒットした権兵衛48さんのブログの記事、“あの頃。。。1982年 キリンライトビール”を今回参考にさせて頂いたんですが、そこにある1982年当時の“俺たちのキリンライトビール”というポスター、これがあんた…何と言うか「ヘヴィ」なメンツ。一応白いジャケット着てはりますけど、顔の色もキャラもライト感、ゼロ。この並びで見ると松田優作が唯一ライトに見えるんですね。あ、ちなみに他のふたりは宇崎竜童と原田芳雄…そらそうですか。
いま2024年ですからもう40余年、ほんま変わったもんです。いま時代は令和、ようやく低アルコールビールの時代がくるのかもしれません。とは言え“ストロング系”と呼ばれるチューハイ相変わらず売れているみたいですけど。
2024年5月27日 (月)
2024年5月26日 (日)
2024年5月25日 (土)
2024年5月24日 (金)
昭和なプラ看板 309 ● 興亜火災 代理店
空家かと思われる民家に損保のプラ看板ひとつ。
興亜火災…「まさかのために興亜火災」のフレーズのそう言えば耳にせん様になって久しいですね。
現・SOMPOホールディングスの中核となる損保ジャパンの源流企業のひとつで“興亜火災”を名乗っていた時期は1944年から2001年まで。その後“日本興亜損保”に“損保ジャパン日本興亜”と長ったらしい社名時代ももう懐かしく思います。
写真にある“興亜火災”のロゴがどこか“火事”っぽくてええ感じ(=個人の感想です)。近年たいていの大企業が普通っぽいゴシック体でカタカナ、さらにローマ字表記になっていること思うとこの雰囲気、昭和っぽいですなぁ。
丸みを帯びた正方形もまた然り。建物の風情もそんな感じ。地味ながらええ味出してまっせ。
2024年5月23日 (木)
肥料小屋
今日もいっときましょか琺瑯看板、大和郡山の。
過日仕事で行った大和郡山市。帰りは関西本線は大和小泉駅まで歩きました。
昔風情な街並みに郷愁を覚えますがこれと言って特別感はないなぁと思ってますれば、こんな一角に。
ブリキ看板はともかく琺瑯看板すべて肥料のもの。よって自分としてはどれも馴染みない看板ばかりではありますが、これだけたくさん残ってますと心惹かれますわね。
ここの味わいと伝えるのは引きの写真やでと一枚。瓦屋根とナミイタ、それから鉄門と懐かしアイテム勢ぞろいでっせ。いいなぁ、このタイムスリップ感。
とまぁ現場ではサクッと撮ってその場を後にしましたけど、画像処理しつつよく見ると一枚の看板に「?」。
何がってその“社名”がです。“化成肥料”と大きく書かれたその横にあるのは“日本鋼管”。製鉄所大手、現・JFEスチールの源流企業の名前が肥料の看板に記されている訳で…何でやろ、ですね。
きっちり調べ上げた訳ではないのでちょっと間違ってるかもしれませんが、どうやら製鉄所の排煙を脱硫装置で浄化して生じた硫黄を“肥料”として商品化していた様で、近年もJFEケミカルという系列会社が肥料を手がけているとのことです。
意外な副産物で社会貢献…これも持続可能な開発目標(SDGs)のひとつ、ですかね。
2024年5月22日 (水)
ずっとナナメ“カバンと袋物は吉田”
昔ながらな建屋に昔ながらな琺瑯看板ひとつ。
ですけど見ての通り変な感じ。
タテでもなくヨコでもなくナナメ。しかもまた中途半端なナナメっぷり。
かつてはタテやったものの経年変化でこうなったんかもしれませんなぁ。
ですけど打ち付けられたクギの錆具合から想像するに当初よりこの状態やったと考えられます。
「ケッタイななぁ」と思うも…あっ、この感覚若き日の自分そっくりかも。
ハタチ前後「ナナメのセンス」とか言うてこんな風にステッカー貼ったりして悦にいっていた我がを思い出しました。
何なんでしょ、この巡り合い。
出会うべきして出会った琺瑯看板やと思ったのでした。
ちなみにこの“吉田”という「カバンと袋物」のお店はネット上では確認できませんでした。
しかしながらずっとナナメ…しんどいことでしょうなぁ。
2024年5月21日 (火)
2024年5月20日 (月)
ビオトープごっこ、その後。
昨年夏にはじめたビオトープごっこですが、いま、こんな感じです。
それなりに“風格”は感じられる様になったかなと思いますけど、どうでしょ?
まぁ風格はどうでもよろしいか。おさらいしておきますと、この様に樽酒の樽に水溜めて真ん中に植木鉢の“島”つくって元・農業用水路で茂る“藻”ごと取ってきてその中にいる生物をここに放り込んで…九ヶ月が経ちました。
当初“小魚”と勘違いしていたのは“ミナミヌマエビ”。これがその後とても繁殖してましたが冬になって影を潜め、絶えたか思ってましたら代替わりした様で小振りながらもいま再びそこここに潜みつつつ盛んに個体数を増やしています。
他にはヒメタニシも健在。あと、滅多に顔を出しませんけど小さいタウナギも生息しています。
虫の類で言うと、ボウフラもわいてましたがこれは食べられた様で見かけません。他には白いウジ虫の様な尾っぽの長いヤツが元気に活動してます。調べますればこれは“ハナアブ”の幼虫でその姿からオナガウジとも呼ばれているヤツの様です。“アブ”を名乗るも実態は“ハエ”やとか…ま、よろしいか。ひとつひとつ写真に撮れればええんですけどそんな技術もなくてすいません。
とまぁそれなりにビオトープとしての環境になってはきたのですが…ちょっと欲が出て「本来の目的とはちゃうけどなー」と思うも一ヶ月ほど前に五條市の農協直売所で見かけたメダカ(卵持ち)6匹500円というのを買って入れてみました。
あっという間に4匹死に(1匹は屍発見できず)2匹だけに。まぁ…そんなもんかいなぁと思う様な気の毒に思う様な。たった2匹か…とちょっとがっかりしてたんですけど、今日よーく見てますと、ちゃんと卵から孵ったんでしょう、長さ4ミリほどの細い細いメダカが確認されました。これ、針子と言うんですね。残った2匹の子孫か先だった4匹が産み卵残していったのか…。
「ほっといたらどないなるんやろ?」から始めたくせに用水路から生物取ってきたりメダカ買ってきたりと結局好き勝手にやってますけどビオトープ、見てても全然飽きません。ちょっと前に来ていた5歳のお子が言ってました「いやなことあってもわすれられるなぁ」みたいなことを。うん、確かに…って、ね。
また何ぞ変化ありましたら記したいと思いますけどどうなることやら。もちろん先がわからんところが面白いんですけど。
カダヤシも獲れたと思ったんやがなぁ当初は。
※関連記事:
『ビオトープごっこ、第二章。』 2023年8月 記
『ビオトープごっこ、はじめる。』 2023年7月 記
2024年5月19日 (日)
大和郡山市若槻町のヰセキ
焼杉板に看板三つ。
左からブリキ、琺瑯、プラスチック。その味わい、真ん中の琺瑯製がぶっちぎってます。
ヰセキの看板の下部には“東部奈良ヰセキ販売”とあります。その社名、調べてももひとつ出てきません。代わりに“奈良ヰセキ販売”という会社が出てきます。その会社、元々“西部奈良ヰセキ販売”と名乗るも昭和55年に現社名に変わったとありますので“東部”と“西部”がひとつになって今に至っているんでしょうかね。
ちなみにヰセキ農機は“井関農機”が正式社名で愛媛県松山市発祥の会社やということです。
2024年5月18日 (土)
2024年5月17日 (金)
2024年5月16日 (木)
大阪市中央区、午後6時38分。
ラジオ聴きながら仕事してたら「虹が出てる」な情報いくつか読まれてまっせ。で、外に出て見るも「ないやん」とうちのひとに言うと「出てるやん」。
ほんまやんか。どこ見とんねん。ラジオもそやけど、SNSなんかのネット環境のお陰ですぐに共有できる訳でそれはそれで良しやなぁ。
2024年5月15日 (水)
マルフクのある風景
風景をぶち壊してる一枚のブリキ看板。
時代は令和、これも味わいを添える一枚とも言えるかな。
まぁ…そう思って撮ったんやろから、ね。
(於:奈良県大和郡山市) とは言え琺瑯看板の味わいとは比べもんにならんな。
※関連記事:
『マルフク三景』 2022年6月 記
『消されるも滲み出るマルフク…とか。』 2022年5月 記
『むかし大今里本町1、いま大今里西2。』 2013年3月 記
『サラ金系看板に汚染された小屋…』 2009年10月 記
2024年5月14日 (火)
桜ノ宮駅近く、煉瓦とコンクリの遺構。
純粋に「かっこええわ」で、一枚。
都島区某所で仕事して、月末の仕事の備えて検便せんならんということでそのキットもらいに扇町方面へ徒歩移動。もひとつ土地勘ないエリアで左へ右へとウネウネ歩いてますと、環状線は桜ノ宮駅あたりの橋梁脇に昔っぽい煉瓦の構造物に遭遇。
いかにも古そげ。これはどう見てもかつてこの上を鉄路があった風情やなぁと思うも、環状線以外の鉄路と言えばもう少し北側に貨物駅があったことしか知りませんわ。
帰宅後調べますとかつて桜ノ宮駅から桜ノ宮線という鉄路があったとか。しかも100年以上前に廃線になっているみたいですから、この構造物が令和の時代に残っているとは…ホンマかいなって感じがします(写真の右側の方。左側は環状線の旧路らしいです)。
まだまだ知らんことだらけですわ…って、知ってることの方が圧倒的に少ないこの事実。ま、知らんこと多い方がまだまだ日々発見で楽しいとも言えますけどね…と、開き直っときます。
※参考にさせて頂いたブログ:
Kinoko Blog『水道上陸橋:旧桜ノ宮線と城東線の合流地点』
(ありがとうございました)
2024年5月13日 (月)
2024年5月12日 (日)
2024年5月11日 (土)
軍手41双82枚干してある図
金網に昆布干してあるわ。
ここは町工場のまち東大阪。てなわけでこれは軍手。紫色とも茶色ともつかん色合いは機械油やら金属片なんかから移ったもんなんでしょうなぁ。
で、ですわ。何げに「軍手は軍手や」と使っているこのコトバ、たぶん「軍隊の人が使う手袋」からきてるんやろとなとは思うももひとつよく知りませんで、調べてみましたら、まぁそれは当たっていましたけど、そもそもは、手を怪我とか汚れから守るためが目的やった訳ではなく「鉄砲に素手で触っては錆びるのは困る」という理由で長州藩の下級武士が鉄砲隊に向けて内職で手袋を縫ったとのが始まりとか。え?目的が真逆ですやん。
軍手を使い捨てしはる人もいます…ってたいがいそういうのは素人なのかも。「やっぱ職人さんはモノを大事にしはんねんなぁ」…と思うも、それだけ切り詰めた経営をせんとやってられんのかもしれません。ま、ともかくこの様にきっちり並べて干してはる様子を見ると、ええ仕事してはること、間違いなさそうです。
※関連記事:
『薄暮にうっすら“おたふく”、午後5時50分、船場。』 2023年2月 記
2024年5月10日 (金)
2024年5月 9日 (木)
ナミイタに覆われた工場懐かし
ナミイタで囲われた工場。懐かしい気分になります。
しかもこの色ですょ。昔の個人タクシーみたいなこの薄緑色がこれまた’60年代って感じがします。
真ん中には啓蒙の琺瑯看板が一枚。もう滅多に見かけませんが“火の用心”を訴える消防署名の入った看板です。
この看板は確か二度目の登場。再度過去記事見ますれば…まぁ思うとこは一緒ですかね。
ですけど“デザインが冴えん、愛らしくない”と酷評していた自分が「青かったなぁ」。この何とも言えんマヌケっぽい“間合い”こそが過去にタイムスリップする重要な要素やというのにね。
余談ながら前回の看板にあって今回のにないのは“浴場組合東成支部”の文字の有無。ま、それくらいのことですか。
(於:東成区) 幼少期うちにあったクルマがこんな色…ミゼットも然りやな。
※関連記事:
『“浴場組合東成支部”と小さく…“火の用心”の看板』 2009年10月 記
2024年5月 8日 (水)
門柱の横に電柱、私有地に。
まぁそれなりに私有地に電柱が立ってることは随分前から知ってはいますが。
やはりいざ目にすると違和感があります。
しかも見上げますと建物の屋根スレスレというか際きわ。垂直に立てる訳にはいかんかったんでしょうなぁ。
なお、10年前の過去記事に私有地に立つ電柱のこと少し書いていますので、興味ある方おられましたら御一読ください。
※関連記事:
『曲がった電柱』 2014年8月 記
『この電柱、私有地に立ってるわ』 2009年6月 記
2024年5月 7日 (火)
“道路基準点”と記された鉄蓋
仕事の打ち合わせで地下鉄は喜連瓜破駅で下車。しばし歩きますれば雨上がりの歩道に量水器の鉄蓋が。湿気帯びてええ質感やわと近寄ってよく見ますと大阪市の市章の下には“道路基準点”の文字とありますわ。
道路基準点と言えば路面に打ち付けられ太い釘みたいなモンはよく見ますが、こんな鉄蓋に守られたのがあるとは知りませんでした。よっぽど大事な基準点なんでしょうか。
この形状のものはネット上では見つけられませんでしたが、丸型のものはそれなりに存在する様です。いつも参考にさせてもらってる姫路の主婦、安部さんの“お散歩 Photo Album”に“鉄蓋の殿堂”という括りがあり、その中の“基準点1”に色々と載っていました。
(於:平野区) 主婦安部さん…すごいなぁ。いつも有り難うございます。
2024年5月 6日 (月)
塗り込められてニチデンまっ赤いけ
剥がせんほど強靭に貼り付けられているんかね。
気持ちはわかるも…逆効果、かも。強烈。
(於:東大阪市) 元々はほぼこれ。以前は立憲民主党のポスター貼って凌いでいた模様。
※関連記事:
『消されるも滲み出るマルフク…とか。』 2022年5月 記
『民家の壁に忍ぶ虎の子』 2016年10月 記
『銀で塗り潰されるも残る理容院のプラ看板』 2015年6月 記
『限りなく黒に近い茶色で塗りつぶされたヤマザキパンのプラ看板。』 2013年12月 記
『黒く塗り込まれつつも生き延びる“みや古染”の看板』1012年8月 記
『ライオンは○、金鳥は×…らしい。』 2010年1月 記
『塗りつぶされたハエonキンチョールの琺瑯看板』 2008年1月 記
2024年5月 5日 (日)
昭和なプラ看板 308 ● エスエス
防火水槽の横は、味わいのプラ看板いっぱい。あれもこれも昭和テイストで迷うところですが…って、エスエス以外の看板はすでに記事化していました。
あぁ懐かしい。これ、昔の薬局でよく見かけたもんです。
ウサギの顔、下にエスエス…よく考えると何の看板かわからんとも言えます。ま、“エスエス”だけで通用する知名度を誇っていたということでしょう。
太陽を表しているのか丸いギザギザは確か赤やったはずですが、すっかり日焼けしてセピア色に。経年劣化も味のうち。お店の風情も相まってまるで時間がここだけ止まっているみたいです。
エスエス製薬のやキャラクターのウサギのことは過去記事の“昭和なプラ看板 246 ● エスエスチエーン”に記してあります。興味ある方はそちらをご覧ください。
(於:枚方市) エスエス、知らん間にフランス系企業になってたんや…似合わんな。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 284 ● フジサワ会の店』 2023年2月 記
『昭和なプラ看板 246 ● エスエスチエーン』 2021年11月 記
『昭和なプラ看板 168 ● タナベ胃腸薬』 2018年8月 記
『昭和なプラ看板 58 ● うめ仁丹/グリーン仁丹』 2012年3月 記
2024年5月 4日 (土)
防火水槽 248 ■ 枚方市津田元町一丁目10-1
薬局横の防火水槽を見た後、せっかくやからと向かいの春日神社へ参拝。あぁ、ここも懐かしいなぁ。いきなり余談ですけど学生時分、ここで佇んでますと近所の子ども達がわぁーっとやって来てくれて当時写真を学んでいたこともあって、そのお子達を写真に撮って、その数ヶ月後、この境内の木に引伸した写真を貼って帰ったことを思い出しました。
話戻って。で、この境内でも防火水槽に遭遇しました。
社務所っぽい建物の前にそれはあったのです。見ての通り青いビニールシートに覆われ、その上に空っぽのプラ植木鉢が乗せられていて…その様子大事にされている様でほったらかされている様でって感じです。
半分だけ見える防火水槽ですがよく見るとどうやら前回の247号の同じ形状のものの様。Google Mapに記された情報によりますとこの春日神社の向かいの防火水槽247号のある岡本薬店さんがここ春日神社のお札、お守りなどの受け渡しの代行をしてはるそうです。そんな関係から想像しますと、まぁ間違いなく同じ形状の防火水槽でしょう。
で、最後も余談で。
前日の記事にも触れました通り、ここら辺は清酒“みや鶴”醸造元の津田酒造さんのあったところ。その酒蔵はこの春日神社の西隣にありました。四半世紀以上前、何かの記事で目にした情報では津田酒造の蔵元が大昔、土地を提供してできた神社が“春日神社”で、造り酒屋は“宮の前の酒屋”と呼ばれるうちに転じて酒名が“みや鶴”になったということでした。
月日流れて寄進してできた神社は残り、酒蔵は蔵元の手を離れてスーパーマーケットに…なんか寂しい気がします。
境内の写真を載せておきます。この向こうにあるのはスーパーの平和堂。ここにかつては津田酒造の酒蔵がありました。あたり一体が“村落”って感じでしたなぁ。もう30年ほど前の話になってしまいました。
2024年5月 3日 (金)
防火水槽 247 ■ 枚方市津田元町二丁目20-3
過日仕事帰りに探索した枚方は津田地区で防火水槽に出会いました。
ここはかつて“みや鶴”を醸す津田酒造の酒蔵があったあたり。20〜30歳代の頃にはこの前をよくクルマながら通ったもんですけど、ここに防火水槽が存在する事を全く気づいていませんでした。
薬局を営んでおられるその横(本宅?)の門の横に鎮座しています。正面には左から“防火用水”と記されたちょっと大きめのコンクリ製。見ての通り雨どいと直結でちゃんと水を蓄えてます。バケツに柄杓まで完備でまさしく現役。アヒルのお風呂遊具がこれまた和ませてくれます。湿気に誘われてでしょう、シダも根を下ろして…ええ感じです。
旧街道の風情も相まってとても街角に馴染んでいました。ずっとこの残ってほしい風景のひとつです。
2024年5月 2日 (木)
No.119 芳野町遊園
豊中市某所で仕事。時間に余裕あって新大阪駅から向かうも行けども行けども好みの街並みやないわぁとか思ってますと、高川に架かる橋の下にそそる空間が。
ってまぁちょっとシニカルにそこを見てるだけなんですけども。
ここは“公園”と名乗らず“遊園”。な割に“遊び”な空気が感じられませんわぁ。
何とも大人都合でできた一角ってニュアンス。高度経済成長期の匂いがします(個人の感想です)。
センターの艶やかな象がええ感じ。そうか…この艶からすると普段は子どもたちに遊んでもらってるってことなんですね。勝手に寂しげな空間やと決めつけて…反省、ちょっとだけな。
2024年5月 1日 (水)
白と黒、コサギとカワウ。
岸和田市某所で仕事。南海は春木駅で降りて雨の中、春木川に架かる春木橋を行きますれば川面に白黒鳥ふたつ。
白いのは…コサギかな、まぁシラサギです。こいつがもう全然獲物の魚をよう取らんのですがその横で黒いの…調べますればカワウでしょう、このカワウが潜り込んでは獲物を次々に漁っています。
その姿にイラッときたのでしょうコサギ、カワウ目掛けて威嚇モードで飛んでいきました。
まぁ、カワウは知らん顔ですわ。コサギもアホらしなったのかどっかに飛んでいってしまいました。
悔しいやら情けないやら…てなこと思っていたのかどうなんか。小さい頭でどんなこと考えてたんでしょう。まぁ、そんな勝手な想像、人間しかしませんか。
(於:岸和田市) 「動画でやれやっ」…確かに。ま、アホげは“デジタル環境におけるアナログ”ってことで。
※関連記事:
『魚と水鳥、川の中で。』 2009年10月 記
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