倒壊補強済石碑のこと調べて、雑感。
昔から何げに「あるなぁ」としか認識してなかった石碑。先日前を歩きますればこんな状態に。
傾きがキツくなってなって倒壊してはアカンと足場のパイプで補強してまっせ。
きっと由緒あるお方の功績かなんか記してあるんでしょうけど読めませんし、そもそも読む気がないという…なんと情けないことで。
そこに右から記されているのは“久保田真吾碑”。調べますれば“明治時代の政治家”とwikiにあります。「そうか…」程度に思いつつ他も検索しますれば…ありましたよナムダーさんのブログ“河内彷徨 〜郷土を見にゆく〜 ”に“久保田真吾碑”の記事が。さすが中河内にほぼ限定して記してはるだけあって詳しく書かれてます。拙ブログの薄っぺらさとアホらしさが際立つと言うかなんと言うか…ま、事実ですからこれでええんですけどね。
で、ですわ。アホげにも時折コメント付けてくれはる“銀ベェ”さんがそのナムダーさんのブログにもコメント付けておられて、そこに“久保田屋敷”と呼ばれていた廃墟のことを語っておられます。これは…どこのことか気になるところです。この久保田屋敷というのがこの石碑にある久保田真吾 さんの生家ということなんでしょうか。その後廃れてあの今マンションになってるでっかい朽ちた屋敷のことを指してはるのかなぁと。いやきっとそこのことでしょう。
幼少の頃から長いこと…半世紀以上「あのでかい朽ちた屋敷は何やったんやろ?」の疑問が晴れてすっきり…って私が思っているところとは確定した訳ではないので若干曇ってますけれども。
しかしながらやはり30年ほど前になくなってしまったことが残念ですね。まぁ…相続税のことなど思うと仕方なかったんでしょうけれども。
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コメント
久保田屋敷のことを触れられているのを見てまた懐かしくなりました。以前ナムダーさんのところでコメントしてもう10年経つのですね。月日が経ちすぎてあの頃より記憶が怪しくなってるかもです(笑)
久保田屋敷はご指摘のマンションでほぼ間違いないと思うんですけど、平成初期バイトで一緒だった人が住んでいたハイツみたいなのが確認できないんで自分も断言できないんです。そのはす向かいあたりが屋敷跡のマンションだったはずなんですが・・・
「あのマンション元久保田屋敷やな!」って大声で言ったら怒られた記憶があります。言ったらダメだったのかな(笑)
改めて確認すると墓地が目の前なので子供達には恐怖だったでしょうね。地元の子はしょっちゅうここの事を話していましたよ。
投稿: 銀ベェ | 2024年4月18日 (木) 00時28分
●銀ベェさま
いやホンマ、月日の流れはあっという間。そのはやさに恐ろしなります。
で、お教え頂きまして有り難うございます。断言はされてませんけどきっとあのマンションの建つ元廃屋のことで間違いないんでしょう。
で、あの屋敷のことを声に出して言うとマズいとは…知りませんでした。あの集落ではタブーなんでしょうか。旧村の目に見えない諸々を思います。
仕方ないとは言え、なくなってしまったことはやっぱり残念に思いますね。
コメントおおきにです。
投稿: 山本龍造 | 2024年4月21日 (日) 23時07分