2023年3月
2023年3月31日 (金)
2023年3月30日 (木)
ヴィオラ・マンジュリカって
昨日は港区は尻無川の河口あたりに行ってたんですが道すがら足元見ますと、道路脇の歩道のコンクリとアスファルトの隙間に根を下ろした草が紫色の花をいっぱい咲かせてました。 場所が場所だけに「これは外来種に違いないわ」とスマホのアプリ“ハナノナ”で調べますれば…やっぱり。全然覚えられへん長いカタカナのいかにもな名前が出てきました。海辺で劣悪な環境で育つんですから、そらぁ外来種に違いありませんわ。
家に帰ってもう一度調べますればこれ、“ヴィオラ・マンジュリカ”。「そうそう、そんな名前やったわ」と調べますれば…スミレのことやと。
スミレ…か。思えばタンポポやレンゲは知るもスミレは知らなんだってこと。そうか、これがスミレやったんか…ってまた我がのアホさが露呈。wikiによると“北海道から屋久島までの日本列島に広く見られる”…そうでっかいな。 「スミレのはーなー 咲く〜頃 ♪ 」と何げに耳にしていてどんな花かも知らなんだ…そんなもんですわ。
2023年3月29日 (水)
環状線は岩崎運河橋梁、午後5時40分。
港区は尻無川べりの某所で夕方に仕事。帰りは上流の方へ歩いてドーム前千代崎から地下鉄乗ろと思うも大阪ドームが邪魔をしてどう歩いたらええんかもひとつわからんしで岩崎橋を渡って大正駅へ。信号待ちでふと眺めた夕焼けの手前には環状線の鉄橋が。えぇ、こんなカッコよかったんや。 もちろんここに鉄橋があることはずっと知っているのもも、逆光で見るとこういうシルエットやったんか。完全にひとつのオブジェって感じですわ。
で、帰宅後あれこれ調べますればこれ、尻無川を渡る橋ながらその名は“岩崎運河橋梁”って…なんか妙な感じ。どうやら運河の埋め立てでこの様なことになっているみたいですがわかった様なわからん様な。少しスッキリしませんけどまぁだいたいわかったので良しとしときます。あとは各自お調べくださいな。
2023年3月28日 (火)
梅の枝ぶり桜花と青空、玉串川ベリの昼下がり。
所用で八尾へ。ついでにある桜の名所…って玉串川べりですけどそこもまぁ一見満開。ま、実際のところは七分咲きくらいでしょうけど。
川面入れて風情あるショットも良しながら快晴の空に触発されて今日の気分はこんな感じ。
ちなみに手前の枝ぶりは梅の木です。 で、この桜、じつはかつて自分をはじめみんなで植樹したもの。やんちょろい苗木が立派になってこっちは年老いて…ってジジイって自覚はないんですけど。
当時は中学生。そこから半世紀近くの歳月が過ぎたこと思うとまぁ当然のことですわ。余談ですけど四半世紀ほど前この桜花を撮った写真が採用されてお金になりました。当たり前ですけどそんな下心あってええ場所に植えたわけでもないわけで…それが時の流れってもんなんかなぁとしみじみ思う昼下がりでした。
2023年3月27日 (月)
看板乗っ取り
ブリキ板にワイルドな書きっぷり。 きれいに記されているよりよっぽどインパクト大。何となく社風まで伝わってきまっせとか思いつつよく見るとこれ、他社の看板の上に書かれているやないですか。
これは廃看板の再利用なんかもしれませんけど、何げにそやない様な感じ。えいやっとここで書いたんちゃうかと思わせるもんがあります…とは言え元々の看板を横向きに貼り付けるのも変ですけど。 ちなみに元々の金融系看板の会社は現存、ワイルドの方はどうも廃業もしくは移転しはった様です。せっかくドヤっとアピール抜群であり続けているのになぁ。
2023年3月26日 (日)
銘板いろいろ、民家の玄関脇。
洋のドアと和の出格子に挟まれたところに“昭和”が残ってます。
ちょっと前まで民家の玄関や勝手口の脇にはこの様な銘板が貼ってありましたよね…ってもう随分むかしのことの様にも思えてきました。
“安立小學校 後援會員”と記された琺瑯製のものがひときわ目立っていますが、劣化進んで凸凹とザラツキのあるアルミ製のそれがまた何ともええ味わいを醸しだしています。そこに記された“住吉区”の文字。ここ安立町あたりは住之江区誕生の1974年以前は住吉区やったんですね。
堂々センターに付けられているのが赤十字社のそれ。全体的に清潔感あふれるもそれなりに意匠が施されていてるとことがさすがって感じ。余談ですが数年前、高槻の某路肩でこれを見つけ持ち帰り、いかにもな場所にとり付けますれば「私は昔よりここにいます」って言ってるかの様にぴったり収まりまして…はい。もちろんそう見える様に錆びたマイナスネジで取り付けたのは言うまでもありません。
※関連記事:
『味な銘板、そばに柊鰯。』 2023年2月 記
『“内外きよめて心を一致”に“ミルクニューキン”』 2016年11月 記
2023年3月25日 (土)
恩智川の洲にダッチアイリス花ひらく
茶の湯の稽古への道すがら恩智川を覗き込みますれば、そこに菖蒲が咲いてますやん。 アヤメにショウブ、カキツバタと言えば5月とちゃいますのん…と思うもこれはあれや、外来種のなんたら言うやつですわきっと。
帰宅後調べますればこれダッチアイリス、そうそうこれこれ…多分ですけど。
とまぁ外来のヤツでしたがやとしても開花時期は4月5月ってことですからサクラ同様、今年は早く咲いたってことですわ。
と、ひと通り品種と開花時期のこと記しましたけどホンマに「?」と思ったのは川の淵の堆積した洲で咲いているのが妙やなってこと。普通勝手にこんなとこにこんな植物は根を下ろさんかと思うと、きっと誰かがここに球根を投げ込むゲリラ活動した結果でしょう。
まぁコンクリの護岸に梅が根を下ろす恩智川ですからこんなことはいたって普通なことなんかも…って恩智川のことよく知らんお方にはもひとつピンと来ん話でした。すんません。
(於:八尾市) ヒノキ花粉も今年は早い気がするけど…どやろ?
※関連記事:
『恩智川のコンクリ護岸の白梅、実をつける。』 2018年6月 記
『恩智川のコンクリ護岸で春告げる紅梅白梅健気やな』 2018年3月 記
2023年3月24日 (金)
2023年3月23日 (木)
2023年3月22日 (水)
昭和なプラ看板 287 ● デイリーブレッド 進々堂
堺市某所で仕事して、歩いてますとちょっと懐かしなった看板が一本。これもさすがに見かけることも少なくなりました。
この春からいわゆる“神戸屋”が“YKベーキングカンパニー”と名を変えヤマザキ化へ舵を切りましたが、進々堂のそれが“スリーエスフーズ”となりヤマザキの完全子会社となったのが2002年。もう21年も前のことになるんですね。そのさらに10年前には羽曳野市にあった進々堂の大阪工場がやはり山崎製パンに買収されていますので、もうかれこれ30年前には包装パン事業は苦戦していたということですね。
先に触れた通り神戸屋もまた包装パン事業から撤退することになったこと思うと、進々堂は早くに現在の方向性を打ち出して大正解ってことでしょう。
パン業界も超大量生産組(ヤマザキとか)、大量生産ながらそこそこ品質にもこだわる組(タカキとか)、工場生産ながら品質で勝負する組(タマヤ・進々堂とか)、店頭手づくり組…ほか給食専業とか業務用専門などあるも大まかに分けるとその4つに棲み分けが進み落ち着いたかに見えますがこれからどうなっていくのか。大阪モンとしては仕切り直し後の神戸屋の展開に期待しますわ。進々堂のその他のことは以前の記事をご覧ください。
(於:堺市堺区) “春のパンまつり”みたいなんって、昔は各社がやってたと思うんやが。
※関連記事:
『民家にレリーフ、進々堂の名残り。』 2022年9月 記
『限りなく黒に近い茶色で塗りつぶされたヤマザキパンのプラ看板。』 2013年12月 記
『かつてあった地パン 3 ◆『進々堂』』 2008年7月 記
2023年3月21日 (火)
源平咲きってほとんど蕾ですけど。有田川町中峰、午後3時17分。
宇治へお墓参り行って…さっ、どこ行こってそろそろ柑橘切れてきたしと和歌山は有田の方へ。それなりに遠いなぁと思うも、最近の軽自動車は疲れませんで、いやホンマ。
いつも通り無人販売のお店の品を買い占めつつ山道を行きますれば、赤も白もツボミをつけたええ感じに春の訪れを告げてまっせ。 あ、これって源平桜と言われる源平桃でしょうか、いや源平梅か…もひとつ詳しく知りませんけど。
ひとつふたつ開花していますがまだちょっとはやい感じでしょうかね。個人的にはこのくらいの咲き加減の方が風情あって好きですわ。たまたま見かけた光景ながら適度に湿度も感じられてなかなかうまいこと写ったなぁと自画自賛。すんません。
(於:和歌山県有田川町) まぁ軽ながら40年前のキャリイも半世紀前のジムニーも疲れなんだけどな。
※関連記事:
『源平桜…桃らしいけど。』 2017年4月 記
2023年3月20日 (月)
井手町多賀から望む夕空、午後5時56分。
京都は西陣某所へ納品のあと、時間潰しもかねて宇治、城陽あたりを通って帰宅。奈良へ向かう国道の渋滞に眠気差し旧街道に逃げますればスイスイ快適。よく通っていたかつてとほぼ同じ景色に和みつつ夕焼け空を眺めるひととき。木津川のほとり、空が広いなぁ。 派手すぎず地味すぎずの空の様子に素直にええ感じやなぁとクルマを降りてしばし鑑賞。京都の某所と縁が生まれて通い始めた二十歳代の頃とほとんど変わらん景色にホッとしつつ、その頃から三十余年の歳月が流れたこと思うと、何ともしんみりするもんです。わからなんだことも少しずつわかる様になったつもりながら、やっぱり性根は変わらんもんですな。それでええのかどうなんか。その辺は自然にまかせとこ…と言うと聞こえはええも、ただただアップデートしよという気がないだけのことやん…などなどどうでもええこと頭ん中で空回り。いつもそんな調子、すいません。
(於:京都府井手町) けど確実に変わったんは「我がが我がが」な主張は無粋やと気づいたことやな。なかなか実践はできてへんけど。
2023年3月19日 (日)
2023年3月18日 (土)
十三峠の春、午後2時43分。
いつものドーナツ屋さんで昼食がてらひと休みして、平群町の道の駅でお墓詣り用の花買って山越え。十三峠で大阪入り。眼下を望みますれば、雨上がりの澄んだ空気が心地よくて…春ですなぁ。 曇り空ながら遠くの街並みが青く見えてちょっと不思議な感じ。春の花の向こうに広がる大阪平野。ひときわ高層ビルが多く見えるとこが梅田、遠くの稜線は六甲山系の山々でしょう、間違ってるかもしれませんけど。
町に降りればソメイヨシノも少し咲いてウグイスもホケキョ♪。間もなく桜満開で人が溢れ、冬眠明けの賑やかさ。ええねんけどどこか忙しなく感じることもあって…やっぱり梅やなぁとかなんとか。
(於:八尾市) 満開の桜見ると「もうじき見頃過ぎてしまう…」という焦りを感じるが…苦手で。
※十三峠の関連記事:
『十三峠で十三夜風』 2021年8月 記
『十三峠から西を眺める、午後0時37分。』 2019年9月 記
『遠目に大阪の街を鑑賞する、午前11時18分。』 2018年12月 記
『遠目に大阪の街を鑑賞する。』 2009年8月 記
2023年3月17日 (金)
燃えるカイヅカイブキ
何とも“炎”を感じさせるもんがあります。 もちろん燃えてはいませんけどもなんかね、その勢いに燃えるもんを感じます。生命力が燃え盛ってる…って感じでしょうか。
とか何とか記してますけど、あんまり剪定せなんだらこうなったってだけかもしれません。しかしながらカイヅカイブキ、こんなワイルドなヤツながら生垣に使われたりと人の手によってどないにでもなるということ思うと意外と従順…ちょっと気の毒にも思います。
※アホげのカイヅカイブキ関連記事はここから探してください。
2023年3月16日 (木)
笹、細い塩ビパイプの中で細々と生きる。
細い塩ビパイプの先から笹の葉が。
うまいこと身を守ってはりますわ。普通はこういう場合、そこらじゅう笹だらけでそのうちの一本が進路まちがえてパイプの中に入り込むもんやと思いますけどここ、根元見ても笹どころか植物全然生えてません。
ストリートビューで見てもやはりこのパイプ笹だけ。ま、それ以前の過去を見るとたくさんの植物に混じって笹も確認されました。ただその時点においてはパイプからは笹は顔を出していません。
きっと住人が変わって植物を一掃しはったときに「これはマズいで」とこの戦略を思いつきはったんでしょうなぁ。植物語らずも策を練る…そのしたたかさ、愛らしく思うものの、ちょっと怖って思いますわ。
(於:寝屋川市) ま、パイプの中まで刈れなんだってだけかもしれんけど。
※関連記事:
『電柱に着生植物…否々』 2022年11月 記
『ナミイタとモルタルの隙間から笹の葉が』 2022年7月 記
『庇の瓦屋根から笹が生えてる』 2021年4月 記
『鉄パイプの中、驚きの速さで生長の草。』 2020年6月 記
『ミラーの支柱、てっぺんから笹。』 2016年8月 記
『立体看板のてっぺんでツタ茂る』 2014年6月 記
『塩ビの筒から笹がツンツンボサ頭。』 2012年7月 記
2023年3月15日 (水)
けったいな色合いの郵便ポスト3つ
北港某所で仕事した過日、帰り道でちょっとオリジナルとは違うんちゃうかという色合いのポストを見かけました。
やけに朱色に寄ってるで…って感じ。近年のそれははっきりと赤く、ちょっと昔のは朱色気味ですけど、それとも違いますわ。
このポストを見る少し前に丸ポストの黄色版を見ていてこれ“しあわせの黄色いポスト”とか言うそうですけど「似合わんなぁ…」と思っていた矢先にこれ。ま、たまたま変な色ポストに出会うモンやでと行きますと今度は緑のポスト。何のこっちゃ。
横にSDGsがどうたら貼ってあるなとは思うもさほど気にせず帰宅後調べますればこれ、万博絡みのシカケやとか。ってことはこんなん記事化したらマンマとその罠にはまってるってことですやん。
数ヶ月前から万博会場になる此花区内のポストのうち17をSDGsそれぞれのイメージ色に塗ってるんやそうです。それぞれの場所は非公開にして好奇心をかきたてるって…ここに記したろか思うも大人気ないですな、すんません。
(於:此花区) どっちも興味ないわ。
2023年3月14日 (火)
網張温泉あたりの眺め、午前10時2分。
いかにも雪国、な光景。ただ、何て名の山かわかりませんですんません。 朝10時半に宿を出て盛岡駅経由花巻空港発伊丹行きの飛行機に乗って家に着いたのが夕刻の6時。ひとっ飛びに思うもやっぱり遠いわぁってことでまぁ何やわからんうちに2泊3日の旅はサクッと終わってしまいました。食べ物もお酒も美味しかったし街も思いの外賑やかで人々にも湿気を感じずで言うことなしではあったんですけど、まぁ当たり前ながら表層的なところだけ見て感じた話にすぎませんわ。
行く前には何となく持っていたんです、岩手の…と言うか東北のイメージってのを。それらは申し訳ないんですけど概ねネガティブなもんで積極的に行こと思ったことなかったんですけど、そういう負のイメージはキレイに去って「ええとこやん」な気分に。とは言えまぁ何にも地元の方との接点があった訳でもないので正味のところはやっぱりわからんまま。それなりに日数かけて改めて行ってみよ…って、そう思える様になっただけで充分かな。今度は必要以上に恐れず海側を中心に旅しよと思いつつの帰路でした。
2023年3月13日 (月)
宮古港、午前11時34分。
岩手旅の2日目は海の方へ。
国道106号線(宮古盛岡横断道路)をレンタカーで南下、ナビ通り進むといきなり巨大な壁。その真新しさにすぐ防潮堤と解りましたがやはり遠くから「もうじき海や」という眺めがないことには正直なところ違和感を覚えました。ですけどその甚大な被害があったことを思うと景色がどうやこうやと、特に他所モンが言うことではないです。 ゲートを潜り抜け港で海を眺め、持ち帰りの海鮮チラシ寿司を堪能し次に景勝地浄土ヶ浜へ。あいにくの雨模様を残念に思うも心のどこかで青空の下の素晴らしい景色が見たかった訳でもないなぁとも。時間的余裕なくすぐに盛岡方面へ。今だによぎる「海辺は危ない」な感覚。今夜の宿は岩手山の麓の網張温泉。
2023年3月12日 (日)
どこかにマイルで岩手へ
東日本大地震13年目の日は岩手県に。
どこかにマイル、行き先は花巻空港。いつも通り旅の予定はうちのひとまかせで半分ミステリーツアー。宮沢賢治のこと、小岩井牧場のこと知って着いたのはつなぎ温泉。ほとりの雫石川に差し込む日差しがええ感じ。
宿でひと風呂。“黙浴”が徹底(?)されていてこれまた快適。みんな無愛想ってことではない状態を思うと、大阪モンはおばはんだけやなくておっさんもしゃべりやということなんやろかと思う様な思わん様な。
夕食にはお酒。4蔵元の数種が用意されていて、うち3蔵は近郊のものでひとつは海辺のもの。同じ岩手県と言ってもきっと海辺と内陸部では何かと違うやろと思いつつ、その海辺の酒の銘柄が“酔仙”ということでそれを。ラベルには住所がふたつ記されていてひとつは陸前高田でもうひとつは大船渡。工場を移転して伝統を積み重ねてはるねんなぁと思うと少しホッとしたり。いや、ほんとはこれからも売れ続けてナンボなこと思うと、わずか3デシびん1本では何にもならんわなぁと渋い気分に一瞬なるも、清らかな印象の美酒でええ気分に浸りながらの夜を過ごしたのでした。
(於:岩手県雫石町、盛岡市) 帰宅後ストリートビューで見ると酔仙の本社住所は…更地やった。
2023年3月11日 (土)
3月11日に
確実に自身の中で風化している12年前の出来事。環境負荷に配慮して“原子力発電ふたたび”に舵を切りつつある政府の方針を見ても同じものを感じます。近未来の心配も必要ながら、遠い未来のことなんか知らんわでええんかいな。電気がないとやっていけん社会生活にどっぷり浸りながらこんなことあれこれ思うこの不毛さ。毎年1月17日と3月11日だけマジメくさった文言並べて何やっちゅうねんな。悶々とするなぁ…って、明日にはまた忘れてとるんですよ。うん。
合掌
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2023年3月10日 (金)
2023年3月 9日 (木)
何かええ感じの荒川三丁目21-1
何がええってもひとつ解りませんねんけど、ええ感じ。
錆び気味のナミイタに町名看板、それだけなんですけど妙に惹かれまして。寄ってもええ、引いて見ても…ええ。モノトーンな一角が醸し出す風情がええと思わせるんでしょうかね。
「えっ?何に惹かれてるのかさっぱりわからん」…ですか。すんません。お詫びに近くの路上にあった旧布施市の市章が記された止水栓のフタの画像も載せておきます…って歩いて30分ほど離れていますけど。しかしながらこの市章、いつ見ても顔文字に例えると“>_<”。よろしいな。
2023年3月 8日 (水)
町名看板判読困難万代棗…
ちゃんと記してあるはずが“万代”以下すんなり読めんのよ。“東”が“棗”に見えるしね。
昨日も仕事後歩いて歩いてバスに乗ろと住吉車庫まで。そこの北東角にあった町名看板がこれ。ま、よくあるプラ製のそれが劣化してアルミ製の先代が再登場するも当代なかなか引き下がらず…の図。
アルミのそれに比べてどんだけ安かったんか知りませんけど耐用年数もちゃんと考慮せんとね。ま、味あるしネタにもなるからええ…って問題でもないですわなぁ。経年変化の味わいまで計算するってのは、なかなか難しいことではありますわ、うん。
(於:住吉区) “まんだい”と読んでたけど正しくは“ばんだい”やったとは…
※関連記事:
『プラ製剥がれるもそれなりに読める“大領四丁目 2”』 2020年6月 記
『表記二重で立体的、かっこええ市岡元町一丁目1の町名看板。』 2019年7月 記
『町名看板、虫食い状態。』 2019年2月 記
2023年3月 7日 (火)
巨大ヤシ支える添え木
中百舌鳥あたりで仕事。はよ着きすぎてあたりうろうろ。めっちゃ“春”な陽気にコート脱ぎたし花粉嫌やしでセーター脱いで歩いてますれば、おっ、いかにも春夏な風情の一角が。 マンションのまわりに背の高いヤシいっぱい。これが立ってるだけで何とも南国な感じがするもんです…って安直な反応ですが。電柱の高さを超えて立派に生長し続けそのうちマンションよ高くなるこっちゃろなぁ…などと見上げてふと見下ろすと、あっ、まだこんなもん付けてまっせ。
もう添え木ネタはよろしいか…と思うもこれはあんまりにも「要りませんやろ」な状態ですんで、はい。
ま、こう見えてじつはまだまだ一本立ちしてへんってことなんでしょうなぁ。情けない…ってまぁ我がもこんなもんですけど。
昔はどうやったんかいなとストリートビューで見ますれば低いながらも12年前でも不要な感じ。それでもずっとそばに添え木。ま、見た人を和ませる効果がある様なない様な。
『哀れ添え木、樹に固執する図。』 2023年2月 記
『完全に支えてるとも言える“添え木”』 2021年10月 記
『添え木、生長した木に羽交い締めされる図。』 2021年6月 記
『添え木宙に浮いて足かせ。』 2018年11月 記
『苗木の添え木、いつまでいるんやか。』 2013年10月 記
ほか
2023年3月 6日 (月)
難波宮、午後1時20分。
2023年3月 5日 (日)
大山崎町名神高速高架下、午前10時52分。
2023年3月 4日 (土)
消火栓示す看板、八尾信用金庫の広告入り。
茶の湯のお稽古に。帰りには通るも、行きには通ったことないなぁという道があってそこから稽古場に向かいますれば…ええのんありますやん。
こんなところにむかし風情な琺瑯看板があったとは。同じ道でも通る方向で見えるもんが違ってくるのは当然ながら、こんな懐かしモンが何十年と目に入っていなかったとはちょっと驚きです。
“消火栓”の“火”の文字のタレ目っぽい情けなさがよろしいですなぁ。同様に“消”も情けない味わいがあって良いですね。
ま、それより下にある広告部分がやっぱりよろしいですね。残念ながら錆びてしもてますがそこに記されているのは“八尾信用金庫”。そうそう、幼少期、近くの信用金庫と言えばこれでした。のちに何度もの合併でその都度“八光信用金庫”→“大阪東信用金庫”と名を変え、いまは“大阪シティ信用金庫”ってなもひとつ馴染めん名となって今に至ってます。
で、そうそう。これ、懐かしむモンではなく火災時の消火栓の位置を皆に知らせるのが使命な訳ですが…どうにも肝心の“消火栓”が見当たらずでした。これでは「いざという時に混乱させる」で「撤去しよ」…とはならずずっとここにあってほしいもんです。ま、あくまでも勝手な希望ですけど。
2023年3月 3日 (金)
2023年3月 2日 (木)
2023年3月 1日 (水)
木造モルタル青い瓦屋根の“長屋”にあれこれ
思えばこういうのも“長屋”やなぁと。
過日、寒空の元歩いていました。昔から馴染みの青い煉瓦の集合住宅。高度経済成長期に元農村部の郊外にはほんとそこここにあったもんですけど気が付けばちょっと懐かしい存在になってきました。 今まであんまりこれらの建屋にあれこれ思うことはありませんでしたが、改めて考えるとこれ“長屋”やったんですね。
いわゆる“長屋”と言えば木造で土壁に漆喰やら銅葺きされたのやと思ってましたけど…それは勝手な思い込みなんですね。
あと、何となくな話で言うと、そこに味噌や醤油の貸し借り習慣があるのが長屋やみたいなイメージがありますけど、この手の建物にはそういう空気が感じられへんのが“長屋”やと認識してなかった所以ですかね。
つまるところそこにコミュニティがあるかないかで長屋か否かを測って…って、長屋暮らし経験なくしてあれこれと。ま、ただの戯言ですわな。
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