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2022年9月10日 (土)

民家にレリーフ、進々堂の名残り。

 シャッター閉まる民家にまるで扁額の様にレリーフが一枚。ちょっと不思議な光景。
Boule1 Boule2  昨日の夕刻、仕事終えて近鉄は弥刀駅へ向かってますとそこにこんなレリーフが。バタくさい男女が草原を歩く絵、その下に記された“BOULE”の文字。これはここがかつて“ブール進々堂”であった名残りですね。
 ストリートビューで過去を見ましたがパン屋さんやった時代の画像はなく、いち時期理容室やったことが2009年の画像から確認できました。それでちょっと妙なのが理容室時代にもこのレリーフが活用されていて、“BOULE”の部分だけ別の看板で隠されるも堂々、この建屋のシンボルとして残されていた様です。
 それで“ブール進々堂”ですが、それなりの年配のお方やマニアの人しかもう知らない存在かもしれません。今も京都市中を中心にパン屋さんを営む進々堂さんですが、2003年まではヤマザキやパスコ同様、工場で大量生産する様な規模の会社でした。その時代に“冷凍生地を店内で焼く”というスタイルのパン屋を展開していて、その屋号が“ブール進々堂”。残念ながら進々堂のサイトにはそのことがいっさい記されていませんので、ほんとのところはわかりません。ちなみに今も“ブール進々堂”を名乗るお店がいくつか残っているみたいですが、今も進々堂と取引があるのかなどもわかりませんでした。それから“BOULE(ブール)”はフランス語のボールのことで丸いフランスパンのことを指すそうです。
 業界4位の神戸屋も事業のほとんどを山崎製パンに譲渡して大量生産ビジネスから撤退すると先日発表がありました。関西資本最後の砦がこうなってしまうとは。ま、今の進々堂さんを見ると神戸屋さんの未来も明るいかもしれません。余談ですけど伏見にある進々堂の工場直営店、めちゃお得でっせ。お得すぎていっつも並んでますけど…

(於:東大阪市) まぁ何や言うても近年は鳴門屋タマヤやが。

※関連記事:
限りなく黒に近い茶色で塗りつぶされたヤマザキパンのプラ看板。』 2013年12月 記
かつてあった地パン 3 ◆『進々堂』』 2008年7月 記

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コメント

うちは醤油屋だったので、社員食堂に醤油の納入や、農協ブランドの醤油の配達がたくさんあって、いろんなところに行きました。伊丹空港の着陸コース直下の農協も好きで学校の休みによく連れて行ってもらいましたけど、神戸やパンの社食もお気に入りだったですね。中を見た記憶はないんですけど、いいにおいがしてきました。堺にあったその工場も5年ほど前になくなってますね。

投稿: ぽんぽこやま | 2022年9月19日 (月) 02時14分

●ぽんぽこやまさま
へぇ〜伊丹空港みたいな遠いところでもポン印は使われていたんですね。それ以外にも神戸屋さんでも…そんだけ手広くあきないしてはっても廃業せんならん時代やと思うと、神戸屋さんの大量生産撤退も慈愛の流れなんでしょうか。
話それますけど、以前小豆島のホテルのお方と話しさせてもらっていて、その時に知った話のよると「小豆島で島内産のマルキン醤油買うより、高松や岡山へ行って買った方が安い」とのこと。なんか変な話ですけどこれが現実なんですね。
そんなマルキンもいまでは盛田系列に組み込まれて…さいしいことです


 

投稿: 山本龍造 | 2022年9月19日 (月) 22時02分

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