恐怖に訴えるいかにも令和な注意書き
一昨日の記事とは真逆の路線。何とも言えんおどろおどろしさ。もちろん疫病の効力をちらつかせた文言がいかにも気色悪いんですけど、割れパイロンの視覚的インパクトがまた何とも効果絶大。ここは近付かん方がよろしいで…って、感染リスクが高そうやからって訳ではなくてね、はい。いかにも令和な注意書き。
一昨日の記事とは真逆の路線。何とも言えんおどろおどろしさ。もちろん疫病の効力をちらつかせた文言がいかにも気色悪いんですけど、割れパイロンの視覚的インパクトがまた何とも効果絶大。ここは近付かん方がよろしいで…って、感染リスクが高そうやからって訳ではなくてね、はい。いかにも令和な注意書き。
有田川町の山里に色の褪せたブリキ看板。ナミイタの色合いと相まってええ感じ。
で、よく見たら…あっ、包帯グルグルの子どもがいますやん。これで三つ目…ですがこれまた馴染みのヤツとは違いますわ。今度のは包帯と言うより“ターバン”。インドの子…には見えませんけど。
またも共通するのは“皮フ病”の薬を主に商っているという文言。絵からすると熱冷ましとかそんなイメージですけどね。うむ、衛生状態悪くて昔の子どもは髪の毛にノミとかシラミなんかの虫が湧いて皮膚病になることが普通にあったのかもしれません。
などと思いつつ過去記事のふたつ読んでも同じ様なこと書いてるわけで進歩がないと言うか何というか。ま、マンネリこそがアホげやと思ってひとつ許してくださいな。ちなみにこちらの薬局は現存する様です。
(於:和歌山県有田川町) よく見るとナミダ流しつつ手を振ってる…ええな。
※関連記事:
『またも皮膚病の看板の包帯グルグルの坊やが』 2014年5月 記
『頭に包帯グルグルの坊や、どこの子?』 2011年9月 記
こんな業界団体の会館があったとは。
過日歩いた門真あたり。運転免許試験場あたりは…変わってませんなぁ。はじめてここへ来たのが高校3年の時。授業をサボって原付免許を取りに来た時ですわ。基本マジメ人間ですけど…何でそこまでして免許欲しかったのかが今となってはわかりませんで。
試験場のまわりは民間の駐車場がまわりにあって小さいお店というか小屋みたいなところで試験問題集売ってたり証明写真撮ってはったり…あれからもう40年以上経ちますけど、ほんまに何とも言えんほどにマンマ。確か妙な白衣を着たおっさんたちが客寄せやってはったかと思いますけど、時間が午後の遅めやったからでしょうか、見かけなんだのがちと残念でありました。
で、この会館があったのは試験場の前。読んで字の如く自動車学校を営む法人の集まりの“大阪自動車学校協会”が事務所を構えてはる様です。そもそのそういう業界団体があったことすら知りませんでしたけど、やっぱりあるべき場所にあるんやなぁって感じです。
ちなみに自動車の免許は近畿自動車教習所で取得しました。近隣の中でいちばん待ち日数が少なかったからそこにした記憶があります。当時はどこもすぐに受け入れてくれませんでしたなぁ。合宿免許なんかも盛んでしたし、深夜ラジオで教習所のCMも流れていました。そんな時代があったというのに近年は閉鎖が相次いでいるとか。ふと思い出したのが“松筒自動車学校”。寿司屋の板前役らしき人が発する「へい、お松筒うさん」って…覚えてはれへんですかね。全然どうでもええ記憶ですねんけど。
しかしながら灯油高すぎ…ってガソリンもしかりですけど。だいたい灯油一缶(1.8L)2,000円弱って…ね。おかげで石油ファンヒーターの設定温度15度前後で寒いさむい…って昔からそうですけど。
で、これ。現・ENEOSの前がJXTGに新日本石油、でその前が日石三菱そして日本石油。その時代にCIがあったこと思えばかなりの年代モン…の割にツルツルのピカピカ。わずかではあるもののやっぱり軒下に佇んでいるからアンチエイリアシングなんでしょうかね。
で、この炎のマーク。確か昔のそれかと。日石時代にあったCIが1983年ってことですからこれもそれ以前のものなんでしょう。やとしたら40年は前のモン。よくもまぁ若いままご無事で。ちょっとはあやかりたいもんやなぁと強く思うのでありました。
(於:都島区) “日石灯油だもんネ” ♪。
※関連記事:
『日石三菱…雑感とともに。』 2022年1月 記
『昭和なプラ看板 204 ● 丸善灯油』 2020年5月 記
『哀れな日石のポリ缶に』 2020年3月 記
『昭和なプラ看板 196 ● 大協ホーム灯油の店』 2020年2月 記
『昭和なプラ看板 32 ● 昭石灯油』 2009年8月 記
雪の影響考慮の結果、今日の仕事は延期。みかんも終盤やなぁと思い何となく和歌山へ。有田でみかんに八朔、レモンに買って帰りは今日もよってって。
駐車場から見える夕陽。いつもながらええ感じ…って今日は特にカッコよろしいなぁ。ダイナミックでみかん色、やっぱり和歌山はちゃいまんなぁ…って、それは単なる思い込みかと。
ドーナツ買ってよってって寄って竹内街道通って羽曳野のぶどう畑を貫く広域農道を行きますれば道端に、悲しい琺瑯タンクを発見。
これは余生を送る図というよりもう屍といった感じ。道とビニールハウスの狭間に横たわっていました。
まぁ正確には横たわるなんて状態ではなく捨てられてナナメになってるって状態。開放型の小振りのそれは酒母用のものやったのかと思いましたけど、ここら辺には葡萄酒の醸造元がいくつかあること思えばこれ、ワインの醸造に使われていたものかもしれません。
ほぼ錆びて元々の色であった緑は僅かに残るだけ。そんな状態にして製造元が記された銘板が誇り高く輝いていました。肝心の製造年月の刻印がもひとつ読めない状態ながら、くっきり残る“東京日本容器工業”の文字。調べますれば分離、統合の末、今は日本容器工業となっている様です。余談ながらその社の沿革を見ますれば、昭和初期に“和樽の製造販売”からスタートした会社とか。神鋼ファウドラーよろしく琺瑯タンクってのは鉄鋼の会社が手掛けはじめたもんなんやと思ってましたけど、樽や桶に始まり時代に即して様々な容器を手がける会社と発展してはるスタイルもあるんですね。そうか、それ思うと自分も商いのカタチを変える必要がある様に思えてきましたで…ってそんなアイデアも勇気もないんですけど。
モルタルの戸袋に意匠が施されているのはよく見る光景。ですが“ふたつ”というのははじめて見たかも。
木造モルタル家屋に三つの戸袋。2階のそれは一般的な“◇”ひとつのヤツですが1階のそれには縦長の“□”と“◇”が配されています。そないに凝った施しとも言えませんけどちょっと珍しいことないですかね。
ずっと見てると簡素ながらなかなか趣あるなぁって感じ。施主さんの好みかもしれませんけど何となく一本気な左官屋さんの仕事なんかなぁと感じさせるもんがある様に思いますけど…どうでしょ。
なくても何ら問題ない。あったらあったでそれが普通。ですけどそういうもんを「イランやん」で済ましてしもては何とも味気ないことですわ。とは言え無印良品的なモンもええなとは思うんですけどね。
(於:生野区) 足元に“犬猫ノ糞尿ヲシナイデ下サイ!!”の文言。カタカナ表記…亡き父が懐かしいわ。
※関連記事:
『戸袋に折り鶴、ス万ヤ添え。』 2020年10月 記
『戸袋の“梅に鷹”』 2019年9月 記
『戸袋に、打ち出の小槌。』 2016年4月 記
『戸袋4つにトンガリ意匠4つのモルタル家屋。』 2012年2月 記
『モルタル壁の打ち出の小槌と小判』 2011年12月 記
『モルタル壁のエビ』 2009年8月 記
『モルタル壁のツルとカメ』 2009年8月 記
むかし一世を風靡した…とまでは言えんかと思いますけど、まぁ見かけた防犯対策。
有刺鉄線のそれなんかより実際的にも視覚的にも効果バツグンなガラスの破片による泥棒よけ。子供の頃、目にしては手を切った状態を思い浮かべてその痛さを空想したもんです。ですけど写真のにある様な尖ったヤツより、なぜか割られてその鋭さを削ぎ落とされた状態の方が多かった気もします。あれはムカムカしたドロボーがやっとったんかなぁと思いましたけど、当時の悪いガキによる仕業やったんかもしれませんなぁ。思えば幼少の頃は塀の上をドンドン進んで他所の家の庭なんかも平気で行ってました。な割に怒られた記憶もなく…それでええんか悪いんかわかりませんけど生きやすかった気がしてなりません。そんなやんちゃも時代的にも年齢的にも許されず…大人になりきれませんで、きっと一生。毎月18日は防犯の日。
箕面市某所で仕事。蛍池駅まで歩く道すがら、ここはどこやと番地票見ればここは“7-32”。
ちょっとはなし盛りました。ただただ目に入っただけ。まぁい今までにも掠れた町名看板を手書きで直した物件はいくつか見ましたけど、こんなヤケクソ的に書き直したヤツははじめて。ま、唯一無二やとは思います。しかしながらコンクリのザラつきにひび割れと見事に調和してますなぁ。で、ちなみにここは刀根山四丁目の“7-32”です。
※関連記事:
『匿町名匿番地』 2021年7月 記
『手書きの庄内東町四丁目』 2019年12月 記
『“豊津町32”の町名看板は手書き』 2017年9月 記
『“清酒日本城”まで再現とは…和歌山市美園町2の修復済町名看板』 2017年9月 記
阪急京都本線は南茨木駅前はモノレールやら中央環状線に近畿道と交わるところ。高架下には陰気な空気が漂って…ってそれもまぁ味わいってもんで。そこにまるで邪魔モン扱いされているかの様な名もない川がぐるっとほぼ直角に向きを変えて流れています。
ほとんど日が差さない小川というかドブ川。僅かな隙間から差し込む光。そこに植物が宿っているのが当たり前ながら何とも味わいあるなぁと思いまして。
まぁそないに愛でる様な有り様では無いと言えばないんですけど妙にノスタルジーを感じまして。行けいけドンドンな昭和のあの時代の“影”とでも言いましょうかそんな空気がそこに漂ってまして。令和の時代にそう思うのは勝手な妄想やろなぁと思いつつ。でもそう感じたんやからそれでよしとしてくださいな。スリップしますわぁ小学生時分に。
春が来ましたょ…カレンダー上に。
花咲いてハートも咲いてホーホケキョ。まだまだ寒い日ってニュアンスも薯蕷饅頭 風雪うさぎで表現…やりまんなぁヤツは。
ま、今回の見せどころ(?)は“ウグイス”のカタカナ表記でしょう。「うまいこと描けるかなぁ…」てな迷いが頭ん中駆け巡ることなく例の調子でサッサカサーと描いて「ん?わからんかも」と思て「説明入れといたら解るやろ」…そんな感じが伝わってきます。毎度のことながら自分にはない芸当。変わらんなぁ…と思ってましたけど、昨年のとか一昨年のそれを見るとそれなりに進化してるやんって感じ。これからも楽しみにさせてもらお…って、いつまでもあると思うなカレンダー彩るお子の絵、でしょうなぁ。
所用で神戸方面へ。時間調整を兼ねて三木まで行って戻りしな、信号待ちで中ふと見えた業界団体の会館。
読んで字の如く、兵庫県下の歯科医師の集まり“兵庫県歯科医師会”が事務所を構える会館で、その中に県下36の下部組織がある様です…ってまぁそれくらいかなぁと思ってましたら、この歯科医師会には“でん太”なる11月8日生まれのキャラクターが存在し、その上「歯っぴぃでん太」なる歯みがきソングも用意。なんと振り付け動画までアップしてはる徹底ぶり。もうそれだけで充分なところ2019年には“歯っぴぃでん太ダンスコンテスト”も開催。どうやら活気に満ち溢れた歯科医師会の様です…知りませんけど。
なお、ストリートビューで確認しましたところ、写真にある出入口は通用門で、西側に玄関がある様です。
何げに妙な光景。
ストリートビューで過去見れば10年以上前からこの感じ。放置されてこうなったと言うより意図があってこの状態なのでは。ほれ、草むら避けてわざわざ左側の自販機が扉の前半分を塞ぐ形で置かれてますやん。なんぞ由緒あるありがたき土地なんかもしれませんで。合掌。
カラフルにナショナルいろいろ。
プラ看板2本、それぞれ色合いも記されていることも違ってよろしいなぁ。そうそう、これぞ“ナショナルショップ”って感じ…看板だけは。ここはどうも電気工事などがメインでいわゆる“街の電気屋さん”ではないんでしょう。
“ナショナルショップ”と“ナショナルクレジット”、このふたつは昔ながらな感じですが、他のふたつは微妙に新しいニュアンスが感じられます。それは…はい、もちろん“ナショ文字”以外も使われている点ですね。“冷蔵庫”の前にある“冷凍”、この普通っぽいゴシックの愛想ないこと。それに比べると“ホームビデオ”、こっちは「(白物家電とは別で)夢ある商品でっせ」という新時代を思わせるためにわざとナショ文字を廃しているんでしょうなぁ。まぁ平成を経て令和に時代はビデオデッキもすっかり過去のもんになってしまいましたけど。
まだまだええ歳のモンにはPanasonicはナショナルで、こんな看板もつい最近まであった様に思ってますけど、改めてたっぷり見るとナショナルって…もう遠い日々もんやなぁって感じます。それだけ爺いになったんやなぁ…ちとさみしいなってきましたわ。
(於:摂津市) “パルナス”もナショ文字ちゃう?
※関連記事:
『昭和なプラ看板 216 ● カラーテレビはナショナル』 2021年1月 記
『昭和なプラ看板 201 ● ファクスはナショナル』 2020年3月 記
『昭和なプラ看板 153 ● 自動車機器/カーエアコンはナショナル』 2017年12月 記
『“ナショナル”としか読めん。』 2016年8月 記
『昭和なプラ看板 111 ● ナショナルのいろいろ』 2015年7月 記
『昭和なプラ看板 67 ● キュービクル式高圧受電設備はナショナル』 2015年7月 記
『昭和なプラ看板 33 ● 自転車はナショナル』 2009年10月 記
『昭和なプラ看板 17 ● 換気扇はナショナル』 2009年2月 記
けむくじゃらのツタまみれ。
かなりくたびれた室外機に絡まる枯れたツタ…古い建屋にふさわしい展開。南天の紅葉がこれまたええ仕事してます。調べますればこのツタ、夏場は甲子園球場よろしく青々と茂るとか。ここでうどんすするには…ちょっと勇気がいるかもね。
こんだけ置かんと効き目ないんか…
…と思いつつストリートビューで検証しましたらひとりぼっちが寂しかったか嘗められたか、ここ10数年で徐々に近寄ったり離れたりを繰り返し、2018年からダークダックスよろしく4本で仲良く任務にあたってる様子。なアホな。
(於:八尾市) チャンバラトリオに例えた方が大阪っぽいか。
※関連記事:
『“駐車禁止”の看板5本…なぁ』 2009年9月 記
「撮られたら…撮りかえせ」の続編。
以前…気がつけばもう3年以上前になりますか2018年の9月のある日、Googleのストリートビューカーに遭遇したことを記事(ストリートビューカー、ついに遭遇。)にしたことがありますが、ふと思い出しまして確認してみましたら…やっぱり撮られてました。
郵便局から出て不意打ち、気づかず歩き出して1枚、気づいて「撮りかえせっ」の1枚。やられたっ!という思いもありますけどちゃんと顔にボカシ入ってますからこれは2018年の山本龍造はこんないでたちで歩いてたんやなぁと客観的な記録になってよしでしょう。
しかし何です。ストリートビューでくまなくあらゆる街の様子を見ている訳でもありませんけど、酒屋の自販機横で座り込んでる様子とか、痴話喧嘩かDVの最中か?てな場面とか時折妙にリアリティありありが写っていてこれはこれで貴重な記録かと。ま、そんな状態を撮られた方は不本意の極みでしょうけどもね。
※関連記事:
『Appleも街並みの画像収集開始の様で』 2019年6月 記
『ストリートビューカー、ついに遭遇。』 2018年9月 記
『山本龍造on映画『プリンセス・トヨトミ』』 2012年5月 記
たこ焼き専用を謳ってるところにちょっと引っかかりがあって今までなかなか手が出なんだのですが、濃厚ソース切らしてるしなぁってことで大黒屋のたこ焼ソースを買ってみました。
パッケージは、色合い含めてアカ抜けせんという意味では地ソースな感じですが、写真も使われていて昔ながら感がないのがちょっとくすぐられんってところですかね。ま、PETボトル入りの商品ですからそこは仕方ないでしょう。さりげなく配された“大阪産(もん)”のマークとたこ焼きの写真がいかにも大阪な雰囲気を演出しています。
まずはそのまま。粘度はやや低め。香りにうっすら醤油っぽさを感じます。味は思いのほか酸味がたっています…ってこれは個人的に甘口のソースがたこ焼きには合うと思い込んでいるからのことでしょう。よく味わってみますとタマネギの甘酸っぱさでしょうか、深い甘味、旨味が広がって「うまいなぁ」。最後にスパイスが喉近くで感じられてついつい何度も味見してしまいました。
次にたこ焼ソースではありますが、いつも通り焼きそばにして味わってみます。
キラッとしっとりとした仕上がり。色目も赤茶で美味しそうです。ひと口食べれば、旨みのある甘口でおいしいですなぁ。そのまま食した時に感じた酸味が加熱の結果か随分とマイルドになった感じがして素直においしい美味しいと思いました。ですがこのソース、本来はたこ焼きにかけるものでしょうから、加熱せずそのままかけた時の味わいはかなり違うかと思います。
最後に数年前にたまたま見つけた大黒屋さんの港工場の写真を載せておきます。
海辺の大きな倉庫の一角であんまり食品工場な感じがしませんでした。ちなみにここはクリーンルーム完備で平成20年から稼働しているとのこと。本社は福島区は野田にあります。
名称:濃厚ソース 原材料名:糖類(加糖ぶどう糖液糖(国内製造)、砂糖)、野菜・果実(りんご、トマト、たまねぎ、その他)醤油、醸造酢、食塩、オイスターエキス、香辛料 / 増粘剤(加工澱粉)、 酒精、酸味料、カラメル色素、調味料(アミノ酸等)、(一部に小麦・大豆・りんごを含む)/ 製造者:株式会社 大黒屋 港工場 大阪市港区福崎3-1-61
大黒の瓶入りは味わいのレッテルやったけど見かけんなぁ…って、酒屋さん激減やからか。
※関連記事:
『ソース 20 ▲ 大黒フルーツソース』 2010年11月 記
『ソース 14 ▲ 大黒 ウスターソース』 2009年9月 記
『追跡!大黒ソース車』 2007年8月 記
森の中、木漏れ日浴びつつ溶け込む琺瑯タンク。
車から降りて坂をのぼって間近に見ると…木々に囲まれた風情とは全く違ったシチュエーションでした。
やや小振りの開放型。珍しい茶色…ですがよく見ると元々は藍色やったものを環境に合わせて塗装し直した様です。胴の周りに角材などが巻き付けられていますがもひとつ理由がわかりません。ひょっとしたらこれも景観に合わせての配慮なのか…いやファッションとしてこの様な意匠が施されているのかもしれません。
呑口にはペラペラのホースが繋がれていますがそれだけでは何の用途として使われているのかはわかりません。
これくらいの大きさでこの色ですからまわりともそれなりにうまく余生を過ごしている感じに見えました。
路地の民家にひっそりプラ看板。
そこに描かれるのは抽象的な線画。小さく記された“SHISEIDO”…さすがって感じ。化粧品、中でも資生堂が醸し出す世界観がよく表れている様に思うもまぁそこまでというか全然そういう世界に疎くて。そんな人間にまでてなこと思わせるだけのブランドイメージをこの社が構築しているってことでしょう。
しかしまぁモノトーンでシックなこと…と思うも下部にひっそり赤が残っています。ということは元々は赤地の看板やったってことでしょうかね。ま、それの方がより資生堂感が強いですかね。
しかしながらここはどう見ても元店舗な感じがしません。ひょっとしたらポーラよろしく資生堂も訪問販売を手掛けていたってことでしょうか。ま、その辺も詳しないのでこの辺で。
以下余談ですけど亡き母親の鏡台にあった化粧品はどれも資生堂でした。ドルックスってシリーズのヤツ、あれを見かけると母もそしてその当時の匂いも思い出しますわ。まぁ、令和の世では古くさいそれながら…何となくずっとあってほしいなぁと、はい。
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