2022年1月
2022年1月31日 (月)
2022年1月30日 (日)
2022年1月29日 (土)
2022年1月28日 (金)
マジ卍
2022年1月27日 (木)
天美北七丁目の、昭和。
いかにも昭和な光景。
赤茶けたプレートに引き寄せられますればこれまたいかにもな町名看板。ベースがすっかり錆びてしまうも文字はくっきり残っていて現役状態。住所の前後にある“こゝは / です”が泣かせまっせ。使命に関係ない文言と言えるも、潤いをもたらしてるってのが…ね。
下部には“河内信用組合”の広告。同様の町名看板はこれでふたつ目ですから信組のことは過去記事をご覧頂くとして、近くにある成協信用組合天美支店がその流れを汲むお店の様です。信用金庫はともかく、信用(協同)組合ってまったく馴染みなくて。“組合”って響きに秘密結社的敷居の高さを感じるんですけど…ってきっとそうなんでしょう、知りませんけど。
(於:松原市) 手前に空地。過去に行くとそこは風呂屋。昭和すぎ。
※関連記事:
『錆びサビ上田一丁目』 2013年11月 記
2022年1月26日 (水)
渋パステルの高鷲七丁目3
ただただ色合いがきれいなぁと思いまして。
よく見ると高鷲の“鳥”の部分以下の文字が白のマーカーで書き直してあります。淡いながらも隠し味としてええ仕事してますな。
木の風合いそのままもほっこりしますけど、その上に塗ったペンキが年月とともに劣化して剥げた状態もまた別モンの味わいがあっていいです。ま、塗る時点でその経年変化を想像してるってことはないでしょうけど。
(於:羽曳野市) 板壁が横組みなんがまたこの風合いにしっくりきてるなんな。
※関連記事:
『手書きの庄内東町四丁目』 2019年12月
『“豊津町32”の町名看板は手書き』 2017年9月 記
『“清酒日本城”まで再現とは…和歌山市美園町2の修復済町名看板』 2017年9月 記
『ちょっと味ある御幣島二丁目5の町名看板』 2014年5月 記
『消火器の箱と町名看板、ええ色に劣化してる。』 2013年1月 記
2022年1月25日 (火)
日石三菱…雑感とともに。
ガソリンまたも値上がりと聞くも入れん訳にもいかんしなぁ…で、諸々割引効かすも1リットル166円。高いなぁ。ま、ぼやいても仕方ないわで、これっ。
個室ガレージの壁に残る“日石三菱”の文字。懐かしいなぁ。
そうでしたわ。日本石油と三菱石油が合併して新日本石油と名乗るまでの数年間はいかにもな社名で、スタンドの配色もそれぞれそのままで屋号だけ書き換えでした。これは元々日本石油の方。まぁこのパステル調のもきれいでしたがそのひとつ前のスクエアを並べたやつが好きでしたわ。
日石三菱は1999年に発足で2002年に新日本石油に変更したとか。ということはだいたい20年ほど前の塀なわけですね。ちなみにその頃のガソリン価格ってナンボやったんかいなと調べますとこのサイトにある総務省統計局の小売物価統計調査の結果は“99円〜108円”。そうか…やっぱり近年超高止まりやねんなぁと改めて実感。燃費ええ軽に乗っても…そや、ぼやいても仕方ないんでした。
(於:羽曳野市) この表にあるマークの数々…そやったなぁ懐かしいよぉ。
2022年1月24日 (月)
錆びた看板溶け込む中道二丁目
在宅ワーク続けるとちと気が滅入るわ…ってことで所用のついでに散歩。森ノ宮越えて平野川あたりは昔ながらな町並みが残っていて穏やかな気持ちになります。かなり昔に記事にしたセブンアップの看板も健在やわと喜んで歩いていますとここにはコカ・コーラのそれ。
色褪せてサビ浮き出る状態で溶け込んで昭和な令和のニッポンの町…あれこれ思う気持ちややあれど、これはこれでほっこりする図、かな。
(於:東成区) “コカ・コーラ”の上に小さく「飲みましょう」とある。
※関連記事:
『詫びた家屋、錆びた看板、奈良のまち。』 2021年6月 記
2022年1月23日 (日)
2022年1月22日 (土)
琺瑯タンクの余生 59 ● 和歌山県有田郡有田川町東丹生図
県道22号線のバイパス沿いのみかん山にありました。
密閉型の大振り、胴には前回の物件同様“お問い合わせは農協へ”のシールが貼られていますので、わりと近年ここにやって来たのかとストリートビューで調べますと2014年1月のそれにはなく、同年12月のには写ってますので2014年よりここで第二の人生を過ごしているのでしょう。タンク上部にホースが繋がれていますがタンクの用途まではちとわかりませんでした…って、まぁいつもですけど。
2022年1月21日 (金)
何げにアートな縞鋼板
目について気になって一枚撮るも「記事化するほどかなぁ」とほっといてましたけど、やっぱりかっこええなぁってことで。
どうです?…としか言い様ないんですけど。そもそもこの手の模様の入った鉄板の名前も知らんなぁと調べてはじめて“縞鋼板”と知った次第。その縞鋼板の端切れとかを集めて溶接しただけのもんなんやろと推測しますけど、どこかアーティスティックなアプローチを感じる様なそやない様な。ま、見る側がそう感じたらそれでアートやっ…って、そんなこと言うと怒られそうですからこの辺で。
2022年1月20日 (木)
古い元・文房具屋さん、軒に“コクヨ便箋・ノート”。
古い町に古い元・文房具屋さん。軒の上には経年変化で味わい増しマシの看板ひとつ。
そやっ、これですよ。今まで何度か載せたコクヨの看板記事で「昔は八尾にあったコクヨの工場を“コクヨ便箋”と言った」と記しましたがもひとつこれといった証拠(?)もないなぁと思っていましたら看板に“コクヨ便箋”とあるのをついに見つけました。
ファクシミリにインターネットの普及で手紙を手書きでかくなんてことほんとなくなりましたけど、かつてはノートより先に書くほど便箋で手紙を書いたってことなんでしょうか。時代が違うとは言え、意外な気がします。
しかしながらええ看板ですなぁ。って、引いて見ると、建物も細い道も含めて全体的にええ感じ。こういう街並みはほんま絶滅寸前。耐震性を考えると消えていくのも仕方ないのかなぁとも思いますけど、ね。「地震にも台風にも絶対大丈夫。経年変化もほぼなし」な建物の安心感も大事ではあるんですけど…難しいなあ。神社仏閣みたいな立派な建物しか残せないのが現実なんかもしれません。ちなみにこのお店、先日の記事(昭和なプラ看板 250 ● たばこ)と同じ建物です。
(於:八尾市) キャンパスノート発売前はコクヨの大学帳って見た記憶がない。
※関連記事:
『アーケードの下、コクヨの二代前の看板ピカピカ。』 2019年12月 記
『昭和なプラ看板 20 ● コクヨ製品』 2009年2月 記
2022年1月19日 (水)
昭和なプラ看板 252 ● SUBARU
スバルって響きがそれっぽいから、そこそこの年齢まで“SBAL”と書く外国語やと思ってました。
SUBARU…調べますればプレアデス星団の和名とありましたが天体のこともあんまり知りませんのでまぁこの辺で。
看板もあまり見かけませんけどクルマもしかりかなぁ。ま、そのほとんどを北米で売ってはるらしいのでそれ思うと軽自動車の自社生産を随分前にヤメはったもの解る気がします。近くは運送の赤帽のトラック、昔は黄と黒のカラーリングのホットドッグ屋(大名堂と言ったらしい)のそれがスバル・サンバーやったのが懐かしく思います。早くからFF車を手掛けたり軽トラはRRにこだわったりの唯一無二って立ち位置に惹かれていたのでしょうか、亡き父がスバル車に乗りたがっていたことをふと思い出しました。訳あって途中からトヨタ車ひと筋の流れは代が変わってもそのまま。某メーカーやなくてよかったぁとしみじみ思いますけど。
(於:八尾市) 営農サンバーも懐かしいな。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 170 ● スバルSEEC-T レオーネ レックス サンバー』 2018年9月 記
2022年1月18日 (火)
ススワタリでトトロ
松原市某所で仕事。御堂筋線は北野田から東へ歩いて歩いて…って近鉄で行けばすぐそこながら趣味と健康を兼ねて行きますればブロック塀にこんな絵が。
いや、まぁ見ての通り。ジブリフリークにはお馴染みなんでしょうけど、何も知らんモンには「なんじゃこれ」。毛虫でトトロ?と思うもこれ、マックロクロスケとも呼ばれるススワタリで妖精なんですね。そう言えば右面にはトトロの絵がありますやん。ま、こんな塀があったってことです。
2022年1月17日 (月)
2022年1月16日 (日)
! ! 中 集 募 者 用 利
ターャジスやあるまいに。
何ぞ思想的なもんがあるんかも…とか思いましたけど、敷地内から掲示していて気がつけばターャジスやったってことかも。いや案外気を引くための小細工とか…ま、何でもよろしいわ。
(於:天王寺区) もひとつ何の利用者を募集してはるのかがわかりませーん。
関連記事:
『話題のターャジス』 2018年9月 記
『.DTL,.OC ARAHATにamisutaM。何や?』 2013年12月 記
『“IXAT(阪大東)”でUSIBEYやて。』 2012年1月 記
『ャシーネガ ・ ガネーシャ』 2011年3月 記
2022年1月15日 (土)
そしてぼっちポストは、
先日“ぼっちポスト”の記事のコメント欄にて岸田堂の住民さんにご報告頂きました例のポスト、さっそく行ってまいりました。
期待と不安の中大通りにクルマ停めて歩いて行きますれば…おっと、こんな感じになりましたか。
これ…微妙な扱いされてますなぁ。相変わらずと言えば相変わらず。まわりの環境コロッと変わるも「わしはわしや」と言わんばかりのマンマさ。「これぞ中河内モン!」てな男気(?)を感じまんなぁ…とか何とか。
足元(?)見れば公道と私有地の間に立っている感じ。その私有地の部分がポストに合わせた縁石の曲線に「もう、しゃーないなぁ」と頑固ポストに配慮してありますわ。うるさいけどどこか憎めん古株の先住民に配慮してはりますなぁ。違和感ある様で溶け込んでいる様で…ハイツの看板が赤いところをみると、やっぱりポストをこの建物のアクセントとして捉えているのやなぁと思います。
しかしながら郵便局もよくもここまでマンマを貫いてますなぁ。もうちょっと施主さんとコラボして垂直なり向きを直して塗装しなおしたらどやねん…って思いましたけど否々、マンマやからこそ惹きつけられる訳で、施主さんも郵便局もええ仕事してくれはりました。
最後にもっと引いた図も載せておきましょう。こうやって見ると岸田堂の住民さんがおっしゃる通り“シンボルツリーならぬ(シンボル)ポスト”として機能してますなぁ。愛され続けるもいじけて横向く河内の丸ポストいつまでも。
(於:東大阪市) 電柱もめっちゃ垂直出てへん。それ思うとポストのへそ曲げなんか問題なしや。
※関連記事:
『ぼっちポスト』 2021年7月 記
『妙なシチュエーションに位置する“丸ポスト”。』 2011年8月 記
2022年1月14日 (金)
東横堀川は末吉橋でツタの紅葉眺めつつしみじみ
2022年1月13日 (木)
家屋に溶け込む激シブ牛乳箱 2
じつはこの物件、以前にも見てるはずなんですけど…見逃していた様です。
やはりあまりに家屋に溶け込んでいたからでしょうか。しかしながらシブいですねぇ。ちょっと渋すぎて乳業会社の社名なり販売店の屋号なりがまったく読めません。ある意味マークだけはくっきり残っていてそこがまぁより魅力的なんですけれども。“#に赤”ということは“赤井牧場”とかそういうところのものかと検索してみましたがヒットしませんでした。ひょっとしたら青汁とか乳酸菌飲料のそれやったんかもしれませんね。
で、以前見たというのは拙ブログの“内外きよめて心を一致”に“ミルクニューキン”を書いた時。そこにアップした写真にもきっちり写ってます。それでも気づかなんだということは…この一角に魅力的な要素がいっぱい詰まってるってことですわ。街並みを含めて、ずっと残って欲しい一角です。
(於:住之江区) 所々残るペンキ…昔の塗料はそんなもんなんか?
※関連記事:
『“内外きよめて心を一致”に“ミルクニューキン”』 2016年11月 記
『家屋に溶け込む激シブ牛乳箱』 2016年6月 記
2022年1月12日 (水)
琺瑯タンクの余生 58 ● 和歌山県有田郡有田川町中
和歌山を行けば…はい、琺瑯タンクの余生です。
県道沿いにデンと備えつけられたそれは開放型。色合いはオリジナルのままって感じ。ストリートビューでここを見ますと、2014年にはまだ設置されていませんのでまだ歴史浅しといったところ。胴体に何か貼ってある話と近づきますれば“お問い合わせは農協へ”とあります。
そうか…この手の琺瑯タンクは農協が手掛けていたとはって感じ。そこにはタンク使用の注意書きなどが記されているのですが、下の部分には電話番号等とともに“ウッドワーク”とあります。ウッドワーク…これは今も木桶の製作を手掛ける藤井製桶所の現屋号。そうか、近年琺瑯タンクから木桶による仕込みに変えてはる酒蔵がちらほら出てきていること思えば、引き取ってはこの様に農協経由で農家に斡旋してはるんですね。知らんだわと思いつつウッドワークをストリートビューで見ますと玄関にデンと琺瑯タンクが数本。もはやこれも本業なんかもしれませんな。
2022年1月11日 (火)
有田川町の山の上より西見れば、奥の空ほんのりみかん色。
令和4年はなかなか稼働せんなぁ…ってことで和歌山までみかん買いに。
さっさと雨上がるんかと思えばずっとグズグズした天気やなぁと思うも山の上から西見ればうっすらみかん色。晴れもええけど雨もクルマの有り難さを心底感じてええもんです。今回は有田川町の農協直売所“ありだっこ”に加えて海南市の“とれたて広場”でも購入。こっちも大量にいろんなみかんが売っていて、海南も名産地やねんなぁと我が今まで知らんんだことをちょっと恥じました。で、もちろん海南市上谷の無人販売所でも行き帰りで9袋も。 それぞれ違いはあるもののそれぞれ美味しいなぁと積極的に果物に手が出んモンでもそう思う訳で…和歌山は“近畿のオマケ”なんかやないでと声高にここで…はい。
(於:和歌山県有田川町) 何となく樽酒な景色(はぁ?)…1月11日は樽酒の日。
2022年1月10日 (月)
業界団体の会館 119 ◆ 東住吉区歯科医師会館
その名の通り東住吉区の歯科医師の集まり“東住吉区歯科医師会”が事務所を構える会館。数えますれば70余の歯科医院が東住吉区内にて開院されている様です。
以前歯科関係者のお方に聞いた話では“歯科医院の数はコンビニより多い”とのことでしたが、まぁ確かにそこここに歯医者さんがあるなぁって感じがします。やというのに私はわざわざ地下鉄に乗って遠くの小児歯科へ行ってますけど。
しかしながらこのコロナ禍の中歯医者さんでクラスターが発生したって話はまったく耳にしませんね。どこも細心の注意を払って検診・診療にあたってはるからなんでしょうが「歯科医には特別な免疫がすでに宿ってる」的な話をやはり関係者から耳にしたことある様なない様な。怯えて長いこと検診に行ってませんでしたが、その心配はなさそうです…知りませんけど。
2022年1月 9日 (日)
2022年1月 8日 (土)
昭和なプラ看板 251 ● SEIKO
民家にプラ看板。
思えばずっと昔からここにあって、もちろんそれは時計店やったんですけど、いつの間にか廃業してはったんやって感じ。何げに看板あるから店もあるもんやと思ってました…って、看板がある以上、ひっそりとまだ営んではるのかもしれません。
以前見つけたSEIKOのそれには“世界の時計ー”なるフレーズが書いてありましたけど、これは堂々“SEIKO”のみ。きっといちいちそんな説明をせんでも世界に通用するブランドになってからの看板なんでしょう。簡素で堂々…立派なもんです。
SEIKOと言えば服部時計店ですが、元々は輸入時計と宝飾品のお店やったとか。舶来品の販売から興して世界企業になったとはたいしたもんですなぁ…って、日本が誇る大企業によくあるスタイルなのかもしれませんけど。
実家にはSEIKOの電池で動く振り子式の掛時計(ソノーラ)がいまもチクタク時を刻んでいます。その時計を父が買ってきた時のことを今も何となく覚えてますけど、うちの家ではハイカラな存在でしたわ。ボンボンの音もキレイで日と曜日の表示もあっていわゆる昔ながらなそれとは別モンって思ったもんですが、今ではすっかり昭和レトロな存在に。近年ボンボンが鳴らなくなって先日素人修理で直ったのにまた怠慢してけつかってます。ま、半世紀もボンボン言わしてたら…お疲れ出ても仕方ないですか、ね。
(於:八尾市) “大きな古時計”は苦手や。さみしい。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 158 ● 世界の時計 ー SEIKO』 2018年3月 記
2022年1月 7日 (金)
2022年1月 6日 (木)
2022年1月 5日 (水)
お子の絵、2022,JANUARY。
昨年のと同じカレンダーやと思って買ってきましたけど、ちょっと違ってました。これではお子も絵が描きにくいやろなぁ…と思いつつ風呂から上がってきますと、そんなこと全然気にしてないのかいつもの画風の絵がそこにありました。
めでたい感じ全開に楽しい感じ。すなわち“脳天気”やということですわ。いやいやそれでええんですよ。その呑気な感じがお子が描く世界の最善のところですからね。
不安定なダルマにいびつな太陽…あぁこういうセンスは自分も亡き父も持ち合わせてませんわ。まぁ父やったらきっちり分度器使ってまん丸に描いてたことでしょうなぁって思うと、自分はまぁその中間ってとこでいちばんおもろない個性ですわ。
左端には鏡餅。それなりにええ感じやなぁと思うも“柿”が描かれてません。そのことを指摘すると「あるやん」と言います。“橙”やと思っていたそれは柿やったとは。と思うも何ともその後も会話が噛み合わんで…まぁええわ。来年はちゃんとした鏡餅を用意しよかなぁ。いや、少人数家族でそれはちょっとムリって感じ。
しかし何でんなぁ。ネコみたいなトラ、これの頭の上にも橙というか柿が乗っていて…もう何でもよろしいわ。楽しかったらそれでええねんな。
2022年1月 4日 (火)
雨風“白味噌”+土居“十倍出し”+まるいち本舗“丸もち”=お雑煮で、雑感。
昨年の師走、有田へみかん買いに行く途中「そやっ」と思い出して堺は津久野の雨風へお味噌買いに立ち寄りました。コロナ禍前のうちの定番“堺生味噌”買お思うも残念ながら品切れ。仕方ないわと“糀ぎょうさん生味噌”を購入。何げに訊くと「白味噌もある」とのことで正月前やしちょうどええわとそれも買うことにしました。
“雨風の白味噌”…この醸造元に白味噌はあったかなぁと思いつつさっき調べますれば拙ブログは2013年12月の記事(お雑煮の白味噌は雨風醤油の“手づくり糀ぎょうさん 生みそ”で決まり!)にありました「うちは白味噌はやってないんです」とお店の人に言ってはったことが。やっぱりそうでしたか。それから10年近く、いつ白味噌も手掛けはる様になったのか…ま、いずれにせよ正月用の商品みたいですけど。
で、この正月は当然これっ!ってことで雨風さんの白味噌をお雑煮で楽しみました。
かつてここの白味噌と思っていた“糀ぎょうさん生味噌”とは違いペースト状に漉してありいわゆる“白味噌”な状態になっています。購入時に言われた「塩分濃度をかなり低めに造ってますので冷凍庫での保存がおすすめです」の通りそうしてましたが凍ることもなく艶やかで甘そうです。たまたまお歳暮でもらった土居の十倍出しに溶かして溶かして…さすがは塩分濃度低いだけあって通常の味噌の3倍以上入れてようやく出来上がり。それでもまだ低塩な感じです。そこに上町筋にあるまるいち本舗の丸餅に人参に大根、水菜を加えて出来上がりっと。
味見段階では「ん?ちょっと微妙な苦味が…」と思うも…やっぱり美味しいわぁ。麹の甘さは水飴の比やないですなぁやっぱり。まるでポタージュの様なクリーミーさも漉していない“糀ぎょうさん生味噌”とは違ってしっとり美味いわぁって感じでした。
やっぱり雑煮の味噌は漉してないとあかんなぁって感じ。ま、そうとは言え実を言うと“糀ぎょうさん生味噌”くらいの塩分濃度の方が好きかもなぁって感じ。ま、味噌だけで味付けを考えんと塩を加えるとかしたらええんでしょうけどね。
美味しかったなぁ白味噌のお雑煮。改めて思えば土居の十倍出しにまるいち本舗の丸餅と三つ揃っての美味さやった気もしますわ。そうそう、評価が定まっている(?)土居のそれは当然ながら、まるいち本舗 は餅も当然のことながら、餡も秀逸。ここの手掛ける餅菓子どれを食べてもとっても美味いでしかも廉価…こういう縁の下の力持ち的お店が近くにあることはほんま幸せやなぁと思います。
で、最後に。むかしどっかで記したかもしれませんけど、雑煮は“白味噌かおすましか”ってのがありますけど、皆さんは今までどうでしたか。うちの実家では“初日に白味噌(+湯戻しの餅)、二日目におすまし+焼き餅)”やったと記憶してますがその逆やったかもしれません。要するに白味噌もおすましも五分五分の力関係でした。子供の頃から近年まで、個人的には圧倒的に“おすまし派”やったんですけど、近年は“白味噌派”。昔食していた白味噌がベタ甘やったからおすまし派やった気がします。ただどうもお餅に関しては焼き餅の香ばしさが好きすぎて“白味噌+焼き餅”でここ数年定着してます。ま、代々受け継がれた風習も大事ですけど、少々変えてもええんちゃうかと思う今年の正月です。
※関連記事:
『雨風醤油の白味噌のこと、改めて。』 2014年1月
『お雑煮の白味噌は雨風醤油の“手づくり糀ぎょうさん 生みそ”で決まり!』 2013年12月 記
『雨風醤油の“堺味噌”』 2013年10月 記
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