生野区巽北三丁目17-20の昼下がり。
何度も前を通るも「ええ感じや」と気づいたのはつい最近。 今日も「ええやん」と通り過ぎる前に信号待ち。これはチャンスやんと一枚。やっぱりええ光景。何がええのかコトバにしたいと思う煩悩の傍で「それは無粋やろ」な内なる声も聞こえてきて…ん、確かに。昭和チックなんよねー…あ、語ってしもたやん。
(於:生野区) “サビ”は当然、“セイタカアワダチソウ”も懐かしアイテムになってるなぁとしみじみ。
何度も前を通るも「ええ感じや」と気づいたのはつい最近。 今日も「ええやん」と通り過ぎる前に信号待ち。これはチャンスやんと一枚。やっぱりええ光景。何がええのかコトバにしたいと思う煩悩の傍で「それは無粋やろ」な内なる声も聞こえてきて…ん、確かに。昭和チックなんよねー…あ、語ってしもたやん。
(於:生野区) “サビ”は当然、“セイタカアワダチソウ”も懐かしアイテムになってるなぁとしみじみ。
何があったか空き地の前でひとり…いやいっぽん佇む丸ポスト。 何や寂しい…ひとりぼっちな感じ。すっかりこころも折れたのか、いじけて斜めに立ってますわ。斜めは…垂直出てるか否かもそうですけど、道に面してこっちに向いてない…これも斜め。やっぱり変やわぁと思ってますれば…ん? これ、以前妙やなぁと記事化したヤツと同じなんとちゃいますかね。
帰宅後過去記事探しますれば…あったあった。やっぱりこのポストです。そうか…当時は隣接する文化住宅との兼ね合いに妙やと思ったんですが、その建屋がなくなって更地になったんですなぁ。思えばその当時も妙でしたけど、今回ますますその妙なシチュエーションに磨きがかかったと言うべきことなんですね。
普通この状態になると撤去もしくは移転する気がするんですけど…本ポスト、ここがお気に入りなんですね。丸ポストと言えば普通、景観に溶け込み市民生活になくてはならない存在って風情ですけど…きっとこれからもたまらん孤高感を漂わせて立ち続けることでしょう。
で、写真は…ちょっと寒々しい雰囲気が漂っていますがじつはこれ、昨年の12月に撮ったもの。何か郵便絡みの記念日にアップしよと思うてるうちに月日が巡りまして先日、この前を通りますればこの空地に工事が入っている状態に出くわしさっさと出しとかんとと記事化したというわけです。さ、ここにどんなものが建ってそしてこのポストはどんな風に調和するのか はたまた違和感の歴史は繰り返されるのか。今後の状況はまた追って記事化することとします。
(於:東大阪市) 10年前はコメントたくさん頂いてたんやなぁとしみじみ。
※関連記事:
『妙なシチュエーションに位置する“丸ポスト”。』 2011年8月 記
道の片隅に檻があります。「こんなところで猛獣でも飼ってるんか…」な訳ないない。
檻に掲げられた“不法投棄は犯罪です。”に“不法投棄見ています!”…何とも言えませんなぁ。ここ、公園の角で橋のたもと…こういう場所は「ポイッ」と…どころか「よっこらしょっ」と捨てやすい場所ってことか。その対策で檻が作られ道が狭まって…善良な市民には迷惑なことでんな。しかしまぁここまでするってことは、家具レベルの大型ゴミの捨て場と化してしまう場所なんでしょう。嫌なこっちゃねぇ。
(於:城東区) きょうびそこらじゅう防犯カメラまみれやのに…ようやんなぁ。
※関連記事:
『ここも神宿る聖地なんか?』 2010年5月 記
生コン車の後ろで信号待ち。何げに眺めてましたが…あ、懐かしいかも。何が? ってほれ、このフレーズ。 “ブザーが鳴るとバックします”
そうや、昔は当たり前の様に書いてありましたやん生コン車とかトラックとかに。懐かしいわぁ…て、最近の車両には書いてないと言い切れるほどチェックしてるわけでもないんですが。
映画館やら劇場では耳にしますがそもそも“ブザー”ってもんが何やすっかり昔のモンって感じ。玄関やら勝手口の隅にあるボタン押したら「ブーッ」って鳴ったもんです。それが昭和は40年代後半くらいから「ピンポ〜ン♪」になってその後は電子音へ。話逸れますけどラジオやテレビのクイズもんの正解不正解の音表現が何で「ピンポ〜ン♪」と「ブーッ」になったんでしょうかね。その色分けにすっかり頭ん中が染まっているからうまいこと使い分けたもんやと思う様にも思いますけど、じつにピッタリとも思いますわ。
きょうびのトラックは…「ピロンピロン〜」の電子音+「バックします、ご注意ください」でしょうか。まぁ…それでええんですけど絶滅近しと思えばあの、時々裏返って妙な音程になるブザー音が愛おしい思えてくるもんです。
そうそう、“ブザーが鳴るとバックします”を検索すると、ボケかましてるネタがいくつかあって、そのひとつがこんなヤツ。あぁ…そんな感じでしたなぁ上岡龍太郎サンって。
尼崎某所で仕事。その中身は…もひとつな感じ。現場はみんながその気にならんとアカンよね。やり遂げ感薄い中、いつも通り探索してますと公園に一台の蒸気機関車。“ナメクジ”と呼ばれた半流線形のD51の8号機ですなぁ。なかなかええ状態で保存されて…な割に“川崎車両”と記された銘板がパウチされた写真でなんじゃこれ…よりもですわ、ネコがいまっせ、こんなとこに。 運転台と炭水車の間からこっち見てますけど…わかるでしょうか。眠そうにこっち見て…人の気配で起こされたんでしょうよ。すんませんな。汽車とネコ…妙な取り合わせの様でもなかなかええ感じ。ちいとは仕事の現場で感じたモヤモヤも解消されたのでした…ホンマかい。
意味わからずも「きっとそうや」と撮影。
帰宅後調べますれば…やっぱり。“シュロス”、調べますれば“schlóss”はドイツ語で“城”のこと。また仏語の“château”同様、ワインの醸造所のことを指す言葉とか。あ、皆さんご存知でしたらでしゃばった説明ですいません。
で、ここ、エントランスにあるローマ字はは“Syurosu Kosichi”の表記。“syu”に“si”と訓令式が来て最後は“chi”のヘボン式。その辺の混ぜこぜ感もまた味わいを深くしてます。で、余談ですけどこの“schlóss”、Googleの検索エンジンにある発音を聞くと“シロぅ(城)”と聞こえるんですけど…ってまぁ、耳が悪いだけのことでしょうかね。あほなことですんません。
エアコン室外機ネタとしても味ある物件ですなぁ。
室外機に錆びた屋根…ついついそちらに気を取られて近づきますればその土台が小振りながら防火水槽。黒いナミイタに物干し台と主役の座は室外機に持っていかれつつも地味なりに二番手のポジションを守ってるって感じがよろしいかと。よく見れば錆びた米びつ(?)にコンクリ製の“流し”も…いかにも昭和な一角ですわ。
で、防火水槽ですが中は砂でいっぱい。しっかりした土台として雨から守られそれなりに生きがいを持った余生を過ごしている風情でした…ほんまかいな。
(於:守口市) 室外機には“CHOFU”の文字…長府製作所てエアコンも手がけているとは知らなんだ。
※関連記事:
『防火水槽 6 ■ 京都市中京区西ノ京池ノ内町』 2009年7月 記
見たことのないプラ看板ながら、その色合いに惹かれて懐かしい気分になります。
劣化でそうなったのか元々なのかはわかりませんが、水色〜青色のグラデーションがきれいな看板。絵と文字から特殊用途のホースの看板やとわかるも“BSIE”ってのがもひとつわかりません。
写真をよく見ると“ブリヂストン インペリアル”の文字。上部にはブリヂストンが昔に使っていたマークの輪郭の中に◇と“BSIE”と記されています。
調べますればブリヂストンが1965年に米国インペリアルイーストマンという会社との間で技術援助契約を締結、その後“ブリヂストンインペリアル”と名乗り、のち1981年に契約解消の末1987年よりブリヂストンフローテックの名で高圧ホースなどを手がけているそうです。てなわけでこの看板は30数年前に付けられたものでしょう。
しかしながらこの手の製品は一般消費者が買うものでもないこと思うとあんまりこの様に広告活動しても効果は期待できんと思いますなぁ。そんなことはこちらのお店もお解りの様で電線が束ねられたままコンセントと繋いだ形跡がありませんわ。それで充分とは言え一生光ることがないのやろなぁと思うとちょっと泣けてきます。ってほとんどウソですけど。
クルマがリコール対象になっていつもの自転車商会へ。預けて帰路、駅へ向かいますれば“ど根性”が金網越しに。
隙間もなさそうなアスファルトを破ってまっすぐに伸びる孤高の一本草。やっぱりその生命力はちゃいまんなぁ…と、それをセイタカアワダチソウやと思い込んでおりましたけど、ん? 葉の形状が違う感じ。最初は「えらい虫に食べられてしもて」と思いましたけど、こういう形状の様です。
調べましたけどこれは“タケニグサ”の様に思うも、どうも葉っぱの大きさがそれより小さい気もするし…ちょっと断定できませんでした。
昨日の記事同様、どの様にアスファルトの下にタネが入ったのかと思うも…そや、ここはむかし記事にした草むらやったところです。舗装されても根っこが残っていると何とか生き延びようとするその姿はカッコええというかなんと言うか…根っこだけに根性ありまっせ、はい。
(於:東大阪市) ちゃんと見ずに撮ったら先っちょ切れてる…丈2mはあるな。
※関連記事:
『街中の ただの草むら 懐かしわぁ』 2009年8月 記
コロナ禍にあってはなかなか遠くが現場の仕事がなくてつまらんところですが最近ボチボチ遠方仕事も復活傾向。まぁ世間のコロナ慣れとあと、“オリンピック効果”でしょうなぁ…って、嫌味ったらしいモノ言いですけど。てなわけで今日は1年半以上ぶりに和歌山で仕事。酷暑の中あんまり歩くと仕事にさわるわとサクッと和歌山駅あたりを歩いてますと、まぁよく見る光景ながらちょっとええなぁと思いまして一枚。 アスファルトと止水栓(?)の筒とのわずかな隙間に根をおろすセイタカアワダチソウ…こういうのってその隙間にタネが飛んできたのか、それとも舗装前に元々あったのが、わずかな隙間を見つけて顔を出しているのかどっちなんでしょうなぁ。
丸い止水栓のフタと雑草、それなりにバランスよくて妙にええ感じ…ってそれより、この状態でほっとかされている状態に和歌山を感じますわぁ。いや何となくですけども、ね。
(於:和歌山県和歌山市) どこも空いていたけど…いっぱい呑んで帰る気分にはまだならなんだわ。
※関連記事:
『“ど根性セイタカアワダチソウ”に花が咲く』 2015年10月 記
『ど根性セイタカアワダチソウ』 2015年9月 記
近江八幡で琵琶湖見ながらの昼食の後は、お子の希望で比叡山延暦寺へ。ここ数年、歴史に登場する場所に興味がある様です。まぁ私としてはたまたま大改修中という状態の根本中堂にとても興味が湧いたんですけども…時間切れ。ま、しゃないわと境内を歩きますればこんな切り株が。
ニョキッと生えるその木は杉。ひこばえかもしれませんけど、たぶん切り株に新しい命が宿ったものと思われます。生まれ変わりの図。信仰の地のそれはやっぱり格別…は思い込みかもしれませんが、何とも言えん長い長い時の流れを感じるのでした。
(於:滋賀県大津市) お子は「改修して現存してても大して意味はない」と考えてるみたいやが…
※関連記事:
『 “切り株から新しい木生えてる”の木、桐やった。』 2017年7月 記
『切り株から新しい木生えてる』 2015年2月 記
『木の電柱、てっぺんに木。』 2014年7月 記
『切り株に、やどり草。』 2015年2月 記
『切り株に、やどり草。2』 2015年11月 記
京都で一泊して、今日は近江八幡の休暇村へ。 琵琶湖の景色を眺めながら、柔らかで美味なる近江牛を…って話は“大変満足”程度で置いときましょうか。梅雨明けた割にもひとつスカッとせん風景やなぁと思うもこういう無彩色に近い景色も乙なものですわ。
余談ですが食事の後、大浴場へ。公衆浴場って…いったいどれくらいぶりでしょう。コロナ禍においてはずっと警戒して温泉などは避けてましたけど昨日の記事にも触れた通り「オリンピックするんやったら…」な気分が我を支配しよりまして入浴した訳です。が…ちょっとイヤでしたわ。何がってね、ジジイふたりが湯船に浸かって大声で時事ネタしゃべっとるもんで…窓も開いてへんというのに。疫病うつるんちゃうんな嫌さプラス事情通ぶったひとりのジジイの主張が…。ああならん様に注意しとかななぁと勉強させてもらいました…って、そんな謙虚な気分にほんまはいっさいなってませんけどね。
オリンピックがオッケーやったらちょっとした旅なんか何ら問題ないやんけ…って訳で旅行に出かけました。
とかまぁちょっと怒りを込めて書きましたけど、ほんまは休暇村のポイントが失効する前に使うてしまおと近江八幡で昼食を予約していて、せっかくやからと前泊で京都で泊まった訳です。 で、これが窓からの景色。どうです、いかにも京都な庭、向こうには京都駅は八条口の街並み…えら散財。な訳なくて何やかんやとうまいこと安値で泊まることできて…こういうのにはほんま長けてまっせうちのひとは。
コロナで制約だらけ、日々悶々でしたけど、旅してみるとやっぱりこういう非日常は必要やわぁとしみじみ。コロナ禍はかなんことばっかりですけど、思えばそのおかげで京都の立派なホテルに泊まることができた訳ですなぁ。ちょっと複雑な気分ながら…ゆっくりさせてもらいました。おおきに。
電気メーターの外された長屋の空家にひっそりかるちゃん。 この牛乳箱も使われなくなって長い年月が流れていることでしょう。それ思うと“鵤”と記された◎を元気に持ち続けて…なんと健気なかるちゃんやこと。頭が下がります(ちょっとウソ)。
スマホ版では表示されてませんけどかるちゃんはアホげの脇役としてほんの一時期を除いてずっと登板してくれてはります。軽い気持ちからいかるが牛乳さんのマスコット(“キャラクター”よりマスコットでしょ)を勝手に使わせてもらって、ちょっと心痛いなぁと思い続けてもう14年。無断借用もえぇ加減にせんとと思いつつも手放せません。かるちゃん可愛いもんな。15年目も引き続き頑張ってもらうことにしましょう。
(於:東成区) てな訳でアホげ本日ひっそり14周年。(メモ:2,451,829)
※関連記事:
『昭和なプラ看板 91 ● いかるが牛乳』 2014年5月 記
『牛乳と乳業、どっち本家?…いかるが牛乳のはなし』 2009年5月 記
『かるちゃん…痛々しげ。』 2008年3月 記
今まで何度も記事化した有り様ですけど、その都度思うところありますわ。 使命終えて土に帰る図。ここが公園やということ思うと、この切り株は人間都合で伐り倒されたであろうこと思うと“使命を終えて”であって“寿命全うし”やないところにちょっといやかなり「申し訳ない…」な気分になるもんです。
ま、せめてもの抵抗でしょうか“噴火する大地”てな感じのオブジェと化しているところにちょっと救われる様なそれこそ人間の都合ええ解釈というか…考えてるうちに余計に滅入るのでありました。
(於:守口市-大枝公園) 近々中学生の時に植えた桜の街路樹が伐られそう。ひときは立派やのに…つらいなぁ。
※関連記事:
『切り株にノゲシ宿る』 2021年4月 記
『桜枯れ そこに松の木 蔓が締め』2018年11月 記
『“切り株から新しい木生えてる”の木、桐やった。』2017年7月 記
『切り株に、やどり草。2』2017年7月 記
『切り株土に還り、そこに草宿る。』2015年3月 記
『切り株から新しい木生えてる』2015年2月 記
『切り株に、やどり草。』2015年2月 記
『木の電柱、てっぺんに木。』2014年7月 記
昨日の“日本盛”を見上げ愛でたあと先へ進むと、またも懐かしい“日本盛”が。
こっちの方が馴染みありますなぁ。何が?ってほれ、この上部にある“杯でいっぱいやる徳利”の絵、これですわ。幼少期よく見かけた酒屋さんの軽トラにも描かれていたからそう感じる様に思うも、昔は日本酒のCMってさかんに流されていたからなんでしょうなぁ。
過去にもこの徳利マークのこと書いたなぁと過去記事に改めて目を通しますれば…そうそう、この目つきが悪魔っぽいと記しています。「そやったそやった」。ちょっと懐かしい気分でその当時の写真と今回のを見て…えぇ? 微妙ながら目つきが違いまっせ。
よく見ると口のキレも杯の形も違います。わずかな“差”ながら、こっちには悪魔っぽさが感じられません。どっちが古いバージョンなのかはちとわかりませんがこれは、グリコの走るオッサン(ゴールインマーク)が昔のから徐々に怖さがなくなっていったのと同じと解釈すると、今回の方が新しいのかもしれません。ただ…当時のこと、ざっくりと「こんな感じ」とデザインされ、細部は現場の職人まかせってことで、この様な“差”が生じている様にも思いますが…どうでしょ?
よく見ると杯から一滴、酒が垂れ落ちています。こんな細かいことまで図案として考えられていたんや…と写真見て感動を新たにしてましたが裏面のそれには滴はなく…どうやらただのキズの様子。そらそうですわな。
(於:淀川区) 思えば近年こういう形状の徳利でお酒呑まん様になった気がするなぁ。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 234 ● 清酒 日本盛』 2021年7月 記
『日本盛で獺祭か…』 2015年1月 記
『日本盛のネオン好き。』 2011年3月 記
『もの悲しくも懐かしいネオンサイン。』 2011年1月 記
『昭和なプラ看板 40 ● 清酒 日本盛』 2010年5月 記
過日、阪神は神崎川駅で降りて仕事へ向かう道すがら三津屋商店街でこの看板を見つけました。
やや髭文字のニュアンス残しつつ左右対称風にデザインされた“日本盛”の文字。その下にあるのは花火にも見えますけど、きっと菊の花のイメージでしょうか。そう言えば大昔、金のラベルの日本盛で見たことある意匠やないかと調べますれば…やっぱり。級別廃止となった今は“日本盛・特撰”にこの意匠が施されています。
いつもながらアーケードで雨風から守られているだけに劣化もせずに綺麗な状態。ただ残念ながら“焼肉・軽食”を営んではったであろうお店自体はもうやってはれへん風情でした。
(於:淀川区) 日本盛と大関って…何げに同列やわぁ。何でやろ?
※関連記事:
『日本盛で獺祭か…』 2015年1月 記
『日本盛のネオン好き。』 2011年3月 記
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『昭和なプラ看板 40 ● 清酒 日本盛』 2010年5月 記
ここはどこやと目をやれば、雨でしっとりええ感じ。 目立つところに掲示してあって親切なふりしてますけど、実態は排他的やわぁって感じ。帰宅後調べますればここ“京町”。あぁなるほどねー…って何が? いやその…ま、わかるひとだけでよろしいわ。
(於:滋賀県彦根市) 本来の目的果たしてへん方が存在感がある…妙なこっちゃ。
※関連記事:
『町名も番地も剥奪された一角』 2020年6月 記
『無町名無番地』 2019年12月 記
『京のカメレオン町名看板…』 2010年11月 記
今日は参ったなぁ。朝から彦根行くっちゅうのに、快速も新快速も全然大阪駅にけぇへんやん。 新快速乗ろとホームで待つもどしゃ降りで山陽本線において運転見合わせとかでダイヤ乱れまくり。急遽各駅停車のホームまで走って…密。京都駅からはさらに密度アップ。超かなり早めに着く算段してたのでギリギリ間に合いましたけど…って、他に三田と尼崎から来た人たちはもっと早くに着いていて…みんなの危機意識高さに驚く次第。これでこそ社会人。こっちはただ早めに彦根入りして探索しよと思ってただけのこと思うともう全然ですわ。ちゃんとした大人にならんと…ええ歳してからに。
写真は彦根駅の手前、稲枝駅と河瀬駅の間からの車窓…らしい。便利ですなぁストリートビューってヤツは。で、奥に見えるは荒神山に手前のは山崎山城跡。焦りと安堵の入り混じった気分で眺めたのでありました。
今日は七夕。かつては谷町六丁目やら鴫野駅近くの植え込みに笹見つけ短冊付けに行ったもんですけど大雨の警報出てるみたいってことで、この絵で気分を味わうこととしましょうや。 で…それがこれ。先月持ち直し傾向にあるなぁと思うもまたまた今月もやっつけてるんちゃいますか。笹に短冊、扇風機…このふたつはかろうじてわかりますけど、左端の四色のだんごっぽいもんと右端の目玉っぽいもんがもひとつわかりませんなぁ。うちのひとの見立てでは左のは「スーパーボールすくいとちゃうか?」と。あぁなるほどねーと思うも…4つもすくえませんやろ。まぁ空想上ではできたんでしょうかねぇ。
ええお歳におなりになられたお子ですから、もう“短冊に願い”てなことも卒業したなぁとちょっとしみじみしてますと、部屋から出てきてその手に色紙。そこには「◯◯◯◯に◯◯できますように」のコトバ。そうかそうか…とりあえず日めくりに貼りましたけどやっぱり小さくても笹を用意すべきでしたなぁ。諸々の風習と年々無縁になっていく…ちょっとしんみりの雨の七夕。
短冊に願い書くより努力の方が効果あるよ…って、それは言ってはいけませんな。
※関連記事:
『今年の七夕は、鴫野の笹薮で。』 2013年7月 記
『笹薮に短冊、次いで大川でいのり星…今年の七夕。』 2012年7月 記
例年通り桃買いに和歌山は桃山町へ。帰路の信号待ちで、ふと見た景色にほっとけんわと数枚撮ると…やっぱりカッコええ。 ま、いわゆる“絵になる被写体”ってヤツですからあれこれ文言は要りませんわな。ただただ好きな光景…って、あ、そうそう二十歳代の頃「何でこんな写真撮ってる?」と訊かれ「いや、好きな景色やらモノなんで」と答えたところ「それじゃ話にならんじゃないか」的なこと言われましたなぁ人生の先達に。
言わんとすることはこの歳になればわかるんですけど、やっぱりわからんかもしれません。「好きなもんを撮る」これ基本なんちゃうんかなぁ…と。吹っ切れるってそんな事の様に思ったりいやそれはまだ甘いでと思ったり。でもね…興味ないもんは…撮れませんわ。ま、シャッター押したら写りはしますけど。
田畑の広がる奈良は田原本町。どこかから聞こえる「んーっ んーっ」…ってこれ鳴き声。何のか判ります? それは…これ。
ウシガエル…ですわ。声をたよりにここに行き着いた訳ではなく、道すがらふと覗いた暗渠に設置されていたグレーチングの奥におったんです。これはこれはと数枚撮るもずっとこのまま。鳴く訳でもなく動く訳でもなくまるで死んでるんかって感じで日向ぼっこに興じてました。そうか…そらぁ“柵”に守られてる訳ですから堂々とのんびりモードで正解ですわなぁ。
ウシガエルかぁ…懐かしいなぁ。まぁ別名“食用ガエル”とも言われる訳で大昔は幼少の頃、時折親が連れて行ってくれたファミレスの走りやった“シャロン”で食べさせるもらいましたよ。まわり田んぼばっかりのそのお店で食べたその味わいは…めちゃあっさりしたもんやったと言う記憶よりもカエルがゲロゲロ鳴いていたなぁってことの方が大きいかも。ま、もちろん「んーっ んーっ」ではなかった訳ですけどもね。
で、ウシガエル。そこそこの大人になるまで知らなんだんですけどこれ、外来種なんですね。「んーっ んーっ」の鳴き声に妙な郷愁を覚えてんですけども…違たんかいなって知った当時は思ったもんです。
今回改めて調べますればこのウシガエルはアメリカもんで1918年頃食用として持ち込まれたことでニッポンに上陸したとか。その後せっせと養殖するも日本人の感覚に合わず養殖場がほったかされるも逃げ出して自然繁殖。その後は輸出アイテムとしてアメリカにドンドン輸出することになり途中、1949年には水産庁が資源保護のため捕獲制限を通達が出るほどになったものの、個体から農薬が検出されたためアメリカは輸入を認めなくなり今に至るそうです(かなりはしょりました)。で、今は特定外来生物に指定(2006年2月施行)され、重点対策外来種に指定されているとのこと。
そんなこと知ってか知らずか呑気に日向ぼっこの図。ええょ、許したんで…何かそんな気分で上から眺めていたのでした。
(於:奈良県田原本町) 恩智川の土手でウシガエルの声を肴に中川とサッポロの手榴弾にたいなビール飲んだ高校時分の思い出(時効や)。
二匹飼う金魚のうちの一匹がここ数日急激に元気をなくしてずっと沈んでましたが…今朝、亡くなりました。 何年生きてたのやろ…まぁお子が金魚すくいでもらってきたことから思うと、少なくとも7年は生きていました。半世紀以上の人生の中、金魚すくいで小さいのをもらってきては2〜3日で死んでしもた思い出はそらもう数え切れんほどありますが、この金魚は…元気やったなぁ。まぁ夜店の金魚とは違い、近くの新聞販売店の催しの中でやってた模擬店みたいなとこからうちに来たこと思うと、最初からそれなりに疲れ切ってはいない状態やったから何年と生き延びたんかもしれません。
いわゆる“金魚鉢”にはじまり…成長に合わせて最後はそこそこでかい水槽でもちと狭そうに泳ぐほど立派な大きさになって「これ…金魚ですかぁ?」と他人さんからいわれるほどになってちょっと自慢やったんですけどね。
最初は三匹、うち1年半ほどで一匹なくなりそれからはずっと二匹エサの取り合いしつつ元気に泳ぎまくって…あ、ちなみに亡くなったのは写真では尾っぽしか写ってない方です。
今更ながらと思いつつあれこれ金魚の病気など調べる中、知ったことは「金魚には胃がなく、しかも満腹中枢もないのでエサをなんぼでも食べては腸にたまって負荷がかかる」ということ。そうか…ひと気を察するとすぐに水面でパクパクとエサを所望しはる訳でその都度「水槽の中だけが世界やと、食べることしか楽しみないんやろなぁ」とドンドンエサやって…それがイカンかったんかもしれませんわ。けどまぁ…そのせいで鯉かと思われるほど大きなりはったんですけども。あ、余談ですけど知り合いの家の金魚は何年経ってもちんまいままで動きも鈍くて。訊けば「ほとんどエサやらん…と言うか犬と小鳥のペットに気を取られそもそも金魚に存在感がない」って言ってたなぁ。その金魚も結局カビにやられて死んだそうですけども。
残された一匹…かわいそうやし新しい仲間を…とも思うもきっとそうしたら新旧覇権争いで結局全滅しそうに思って。というのは金魚の前は、どじょうつかみの催しでもらってきたドジョウでその時、一年遅れで新しいのを入れると…古い方がパニックを起こして結局全滅しましてね。それ思うと一匹でエサの取り合いもない刺激レスながら優雅とも言える日々を楽しんでもらうとしましょうか。今日は極々個人的な記事にてすんませんでした。
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