2021年3月
2021年3月31日 (水)
2021年3月30日 (火)
2021年3月29日 (月)
パナソニックショップにナショ文字
社名もブランドもPanasonicになって10年以上、“ナショナルのお店”もずいぶんシュッとした佇まいになったもんです。
こちらのお店、屋号が見ての通りのナショ文字で記されています。会社が捨てた“ナショナル”を捨てきれないのか…静かな反発がこもっているのかどうなのか。ちょっと小気味よい演出に見えますなぁ…って、考えすぎか。
(於:東成区) パナソニックに変わっても、ブランドイメージ変わらんわぁ…どういう意味や?
『ナショ文字、いまだ現役!や。』 2018年1月 記
『ナショナル自転車の店』 2016年12月 記
『“ナショナル”としか読めん。』 2016年8月 記
『“なんでもナショナル”な字体。』 2011年1月 記
ほか
2021年3月28日 (日)
防火水槽 233 ■ 阿倍野区阿倍野筋5−4−15
2021年3月27日 (土)
2021年3月26日 (金)
法華山谷川河口、午前11時36分。
ここ一年、疫病蔓延のせいで全くと言っていいほど遠くへ仕事に行くことがなくなりましたが久々に今日は遠く姫路で仕事。山陽電車に揺られておにぎり食べて景色楽しみと小旅気分全開。海の近くを行きますこの鉄道ののどかさはたまらんよろしいなぁ。
雲ひとつない晴天。光がすっかり春。川面に浮かぶは花筏…はウソ。でも何故かそんな雰囲気が感じられまして。あぁ…ほんまの旅も行きたいもんですわ。
(於:兵庫県高砂市) 亀山駅で下車。兵庫県にも“亀山駅”があるとは知らなんだ。
※関連記事:
『法華山谷川河口、伊保漁港の朝。』 2017年2月 記
2021年3月25日 (木)
2021年3月24日 (水)
2021年3月23日 (火)
2021年3月22日 (月)
業界団体の会館 114 ◆ コシカイカン
何げに目に入りやり過ごすも…「ん?」。
中央区某所で仕事。道すがらふと目にしたビルの案内看板。“紙料”やら“資源”に混じって“組合”の文字。「これは…業界団体の会館では?」とビル名に目をやれば“コシカイカン”なる文字。「妙な名前やなぁ」と思いつつ数歩前に進みつつ脳内で勝手に漢字変換が行われ「そうか、“古紙会館”のカタカナ表記か!」と数秒遅れて気づいた次第。帰宅後“古紙会館”を検索するもヒットせず。通称ではなく正味の名前が“コシカイカン”の様です。
“大阪府紙料協同組合”(URLは存在するも中身なし)、ほか“(協)大阪再生資源業界近代化協議会”、“近畿製紙原料直納商工組合”、“資源新聞社”など、いかにもな業界団体や業界紙がここコシカイカンに事務所を構えてはる様です。
しかしながらなんでカタカナでコシカイカン?…まぁそれを問うのも無粋ってことにしておきましょう。何げにハイカラなニュアンスを取り入れてはるんやないかとかテキトーに想像してそれで充分…か否かすらわからんままですけど。
2021年3月21日 (日)
2021年3月20日 (土)
昭和なプラ看板 223 ● サンデン ロータリー カーエアコン
見た目はきれいな状態ながら、その内容がいかにも昭和な感じ。
まぁ今でこそクルマにエアコン標準装備が当たり前ですけど、その昔はクーラーもエアコンもない時代がありました。そのうち高級車は当然、普通車などにもクーラーが付き出して、軽自動車やら商用車は随分後々まで夏場は暑い熱い状態が当たり前でした。
で、その頃、後付けのクーラーなりエアコンってもんが売っていて、そのひとつがこのサンデンのこれ。40年ほど前にはよくそこの“ロータリーカーエアコン/カークーラー”のCMがラジオから流れていたのを思い出しました。確か…ナイター中継の合間によく耳にした記憶があります。
調べますればサンデンは今もカーエアコンの製造を手がけている様ですが、自社ブランドでの展開はしていないみたいです。まぁどんな形であれ生き延びているってことは品質に裏付けされた信頼があるからなんでしょう。しかしながら…幼少期、夏休みとか親にクルマで海とかに連れて行ってもらったときは、ホンマに車内暑かったですわ。“三角窓”の存在がどれだけ有り難かったか。ま、若い衆にはさっぱり理解できんことやろと思いますけど。
2021年3月19日 (金)
赤い花緑の葉、青い開かずの錆シャッター。
もう純粋に配色が出来過ぎって感じ。
シャッターの劣化具合に合わせて狙って栽培してはるんちゃうかと思われますなぁ。ただただええなぁと素直に正面から一枚。赤の点々がこれまたええ仕事してるわぁと調べますればこれは“ウキツリボク”って名のブラジル原産種とか。何語かわからんその響き、漢字に直せば“浮釣木”…まぁ、何となくわかるかな。ちゃんと和名付けてもろてからに…って思うとなおのこと「“ソーシャルディスタンス”って何でっか?」って言いとなりますで。
2021年3月18日 (木)
自販機風鉄の箱、横にリボンちゃん。
仕事の前に地下鉄あびこ駅界隈を探索。先に見えるは…懐かしいリボンちゃん。しかしまぁ…自販機もそれなりに懐かしめと言うかすすけてますなぁと思いつつ横から一枚。前に回りますと…想像以上な状態。
見ての通り…中身空っぽ。これはホンマに自販機やったのかどうなのか。ちょっと不安になってきました。ですが上部にテントが設置されていた様な形跡があるところをみるとやっぱり自販機だったんでしょう。
ボタンや見本缶はおろか、モーターすらないっちゅう潔さはもう…ワビサビの世界ですな。倉庫代わりに使われているわけでもないのも、突き抜けた存在やと思わされます。
唯一残るのは“リボンオレンジ”の看板としての使命。なのですが現状では200cc瓶入りが業務用として流通しているだけとか。ほれ、宴会なんかの席に並んでいるアレですな。どこかで見かけたら愛でてやてってくださいな…って、宴会自体がないっちゅうねんきょうび。
(於:住吉区) “リボンオレンジ”で画像検索したら…オレンジ色のリボンの写真いっぱい…
※関連記事:
『三和バーガーの自販機…とちゃう。』 2010年7月 記
2021年3月17日 (水)
2021年3月16日 (火)
023-14 N H K
町名看板の横に、こんな看板。
“看板”と言うより“銘板”ですかね。生野区のそれと同じ色合いってのはたまたまなのかどうかはわかりませんがこっちは風情ある琺瑯製。素っ気なさそうに見えてやや浮き出た錆の風合いがええ味醸し出してますわ。
こんな銘板はじめて見ましたけれど、いったいどういったものなんでしょうか。まぁ受信契約絡みの何かやないかと思いますけど、普通そういうものは各戸の玄関なんかに貼ってあるもんですから…う〜ん、ここの区画まとまって契約してまっせの証なんでしょうか。
結局この銘板のことは解らずのままでしたが、各戸に見られるアレは“放送受信章”って名前がある様です。あっ、受信契約で思い出しましたけど地デジ化以降しばらくまで、事務所とも住居ともつかんところでテレビを見ていて、NHKさん来んのをええことに受信料未払いやったんですが、ある時うっかりリモコンにある“dボタン”で番組に参加しましたら…しばらくして来はりましたわ。ぬかったなぁ…って、ま、それ以降はちゃんとお支払いしておりますが。
(於:生野区) 2010年のストリートビュー見るとこの銘板にボカシ入ってる…怪しい存在なんやな。
2021年3月15日 (月)
2021年3月14日 (日)
狭間の民家、正面にコカの自販機堂々ニッポン。
ま、こんな感じ。
諸々あまり見かけん光景ながら、しかもセンターの堂々自販機が“コカ・コーラ”ってのが…ニッポンやことで。令和三年…いまだ“戦後”って感じ。
※関連記事:
『大邸宅風玄関に堂々PEPSIの自販機』 2021年2月 記
『堂々の自販機二景、宝塚にて。』 2017年3月 記
『玄関前にも堂々の自販機。』 2012年12月 記
『ニッポンの春。』 2010年4月 記
『奥行きなし、超小粒な酒屋さん。』 2009年3月 記
2021年3月13日 (土)
瓶底に残ってた平成10BY“近つ飛鳥”純米吟醸…
ここ数ヶ月ぷち断捨離してましてあれこれ片付ける中、瓶の底に酒がちょろっとだけ残る四合瓶が出てきました。
記憶はあったので「あぁ、あの時の本醸造な」と思いながら呑んだそのお酒、熟成が進んだなぁとは思うも当時の「華やかで甘みの乗った旨さはちゃんと残ってるやん」と懐かしみつつ瓶に貼った手書きの文字見て…「え?ほんまかいな」な感じ。何がってそこには“純米吟醸”の文字、しかも“生原酒”と書いてありますわ。その下にある“徳山”は“徳島産山田錦”のことです。
記憶違いやってんなぁと思いつつ呑んだそのお酒、常温保存で底に残ってたと言うのにオリもなく色付きも味醂以下。平成10年と言えば1998年ですからほぼ四半世紀前のお酒ってこと。ええ酒は劣化せんのでしょうかね。
羽曳野は軽里にあったオキナ酒造、いま調べますれば廃業が2003年。その年に大量に買い込んだ本醸造に吟醸が今もたっぷり実家にあるんですがその時の酒やと思ってましたらそれ以前のもっとも勢いのあった時の純米吟醸やったんかと思うと…呑み干してしもて残念な気分になりました。
そのオキナ酒造にはもう思い出がいっぱいすぎてなかなか記事化できずにいます。酒づくりはヤメはったものの酒蔵はまだ残っていてそないに昔の話と思ってませんでしたけど、もう廃業してふた昔になると思うと我がも歳とったもんやなぁとシミジミ。そんなオキナの蔵元の家がどうやら近年、羽曳野市に買い上げられて“街づくりの目玉”の拠点として再生されることになったとかで何かひと安心です。お酒が醸されることはもうないものの、やっぱり更地の状態は見たくなかったもんね。ま、中途半端ながらオキナ酒造さんの話は今日はここまで。いずれ…ちゃんと記したいと思います…って、ホンマ気合い入れんと書けないなぁってくらいに入れ込んでたもんで。
2021年3月12日 (金)
松屋町で琉球音階の曲しか流れん88.4 MHzって何やろ?
時おり松屋町で所用があるのですが先日…いや、かなり以前に暇やなぁとクルマのラジオをチューニングしていましたら、“88.4 MHz”がヒットしました。
FM大阪とか802は当然、YES-fmとかウメダFM Be Happy!789みたいなコミュニティFMとも違うFM波…これは何なんやろと機会あるごとに“88.4 MHz”にカーラジオを合わせてみるとやっぱり電波を受信します。最初は「今日もやてるわ」程度でしたが、流れているその電波にいつも乗っているのが沖縄音階の音楽。語りもなくただただ沖縄の音楽が流れています。
先日2回ほど雑音しか聞こえてこない日もありましたけど、今日も 88.4 MHzは…やっぱり沖縄と言うか琉球音楽。THE BOOMでお馴染みの“島唄”も流れていましたが、三線と聞いことのない素朴な人の声バージョン…一種独特な世界ラジオから今日も流れていました。
何なんやろと思う度に調べるもこの“88.4 MHz”はヒットせず。概ね空堀商店街西端で聞くことが多いのですがまぁだいたいそこから半径500mもない範囲でしかクルマのラジオでは入ってきません。ちゃんと認可を受けて放送してるとは思えんのですがこういう小さな出力で勝手に流すのは違法やないってことでしょうかね。あ、もちろん摘発されんことを切に願っている訳ですが。
そういえばかつては“海賊放送”とか言ってこの手の認可されてない電波が流れているって話を聞いたことがありますが今まで一度も実際に耳にしたことはありません。きっとこの88.4 MHzはその手のモンやと思うのですが、そういう個人的な趣味や思想を音声で伝えたい人には今やインターネットラジオの時代やろと思うと、何とも愛おしくて。ま、そんな電波を見つけ愛でてる我がも…古い人間やなぁと思う訳でもありますが。
2021年3月11日 (木)
2021年3月10日 (水)
昭和なプラ看板 222 ● セメダイン
ここにある“セメダイン”は社名であって商品名ではなさそうです。
社名もそれであるものの、やっぱりセメダインと言えば“セメダインC”と記された黄色いチューブのを思い出すのは私だけではないでしょう。昔は何でもかんでも紙以外で工作するときはセメダインを使ってたもんですが、気がつけば長いこと使ってないです。
もちろん色々ある他のセメダイン製品は使ってはいるものの近年は「やっぱり大阪の会社の使お」とコニシの接着剤を選んで使ってますなぁ。
かつての記事にも書いてますが幼少期は「セメンダイン」と言ってたもんです。ただ単に“言いやすい”からみんなそう発してたと思っていたのですが、どうやらそやなくて、かつての英国製の接着剤“メンダイン”が市場に出回っていて、当時のセメダインの会社がそのライバル品(模造品ちゃう?)を造って売り出し“セメダイン”と名付けたという経緯からメンダイン+“セメダイン=“セメンダイン”と言われて今に至ってるって事らしいですけど…もう一世紀以上前のことやと思うと「ほんまかいな」な様な気もします。
“セメダインC”と思っていた商品の正式名称はただの“C”やとかセメダインの命名由来とかその辺のことは色々面白いです。詳しくはwiki、ニッポン・ロングセラー考“vol.18 セメダインC”をご覧ください。
(於:生野区) 微妙にただの長方形にあらず。左上、右下だけ面取りしてあるで。
※関連記事:
『セメダイン臭のぬか床、カナンわぁ』 2009年5月 記
『セメダイン?いやセメンダインと言うてたなぁ』 2008年4月 記
2021年3月 9日 (火)
船場の商工案内地図に制作者の名前見つけ、雑感。
船場で仕事へ行く前に、ふと目にした社名だらけの看板。
最初はあまりに社名だらけでそれとは思わなんだんですけどよ〜く見ると、やっぱり付近の案内地図。ひと区画いち社名…ビルも高層化した今ではちと考えられませんなぁ。
じっくり見ると“吉富製薬”やら“東京三菱銀行”、“大阪商業信用組合”など現存しない社名もちらほら。ま、それよりいちばん懐かしいと思ったのは“吉兆”ですなぁ。縦に吉兆横からも吉兆…“船場吉兆”の諸々不祥事は2007年から2008年のこととか。余談ですけどwikiに目を通すと…改めてびっくりって感じがします。
ここに記された会社名で調べる限り、この案内板は2000年以前…四半世紀は前のものの様です。で、帰宅後写真を改めて見ますれば、最下部にこんな一行を発見。
“この看板は日本商工業案内社の苧坂が制作したものです。”
スマートになりつつも現存するこの手の看板ですが、制作者の名前入りははじめて見ました。名前入りという事実もさることながら、“芋”みたいな“苧”の字も気になるところ。「そんな漢字ないやろ」と思いつつも調べますれば“苧”は“チョ”、“からむし”と読み麻の一種とか。“苧坂”で“おさか,うさか,うざか”の読みがあるそうです…ってそこまで記すこともないですか。
で、この手の案内板と言うか地図と言うか広告、何げに昔から見てましたけどこれのことを、業者さんは“商工案内図”とか“町内商工案内地図”と名付けてはる様です。今も新しく作られては設置されてますけど、まぁほとんどが出力のそれになってしもて…味わい激減ですなぁ。
(於:中央区) こんな記事もありましたので一応リンク貼っときます。
※関連記事:
『北新町六丁目自治会地図』 2020年10月 記
『三ッ島(一部)自治会地図案内板』 2020年9月 記
『“肥後橋付近図”』 2019年12月 記
『肝心の地図読めん案内板、下に明治製菓淀川工場の広告。』 2017年2月 記
『駅前にあった付近の案内看板に思うあれこれ。』 2012年9月 記
2021年3月 8日 (月)
町なかで堂々の巨大植木鉢は浴槽
遠目に“防火水槽”、近寄りますとそれは“浴槽”。
田畑の隅で水瓶として余生を過ごす浴槽は時々見かけますけど…ここは町の一角。ツンツン植物に南天、ヒイラギなんかが浴槽からすくすく生長しています。まぁ…街の緑化と言えば聞こえはよろしいですけど4つも並ぶと…威圧感がありますなぁ。漬物用のバケツみたいなプラ鉢を従えて…これはあんまり関わらん方が良さげな一団って感じで植物の緑に癒される…とはほど遠い感じ、かな。
クルマの出入口挟んで左側にも“子分”がいてふたつの浴槽がドヤッと鎮座。ま、あんまりガン見せん方が良かろとササッと引き上げましたけど、先程ストリートビューでここを見て…がっかり。4つの浴槽のさらに右側に“防火水槽”らしきものがあるやないですか。ビビってそそくさとここを後にしたことが悔やまれます。あぁ…残念やわ。
2021年3月 7日 (日)
防火水槽 232 ■ 住吉区住吉1−10−13
過日、仕事後歩いてますれば住吉大社あたりに。渋い味噌屋さんで味噌買って少し歩くと…これまた渋い蔵が。その隅にありました、防火水槽が。
そこそこ大ぶりのコンクリ製、浮き出た“水用”の文字。両文字とも意匠に工夫を凝らして左右対称にしてあるところにちょっとしたこだわりを感じます。蔵の持つ風合いに合ってる様に思うも、ちょっと時代にズレがある気もしますが、それはやはり戦争激化で設置されたからなんでしょう。
などと思いつつストリートビューで過去を見ますれば、昔の画像には写っていませんで2018年10月の画像より登場し、2019年11月より現在の位置に移され今に至っています。何となく合いそうということでここに移設されたのかもしれません。
ちなみにこの蔵は“太田家土蔵”で、元々は菜種油の原料や製品を貯蔵するためのものやったとか。ちなみにこのあたり…いや近くの遠里小野あたりはかつて菜種油で栄えた地でそもそも搾油で歴史あるところやとか。詳しくは“日本初の油は住吉大社からだった!?住吉大社と油の深い関係性”というページをお読み頂くとして、この防火水槽も蔵の中で保存されていたものなのかもしれませんね。
(於:住吉区) こんな蔵が残されているとは知らなんだわ。
※現地の看板には“太田家”と記されてましたが、ネット上には“大田家”の記された記事が多く載っています。詳しく知るには“大田家土蔵”で検索してみてください。
2021年3月 6日 (土)
2021年3月 5日 (金)
2021年3月 4日 (木)
難波宮、シュロ11本に諸々。
やや陰気に見えるのは、夕暮れ時のせい。
都心部にしてこれといった手入れもされていずの何もない原っぱ、難波宮跡。“何もない”は見かけの話。埋蔵文化財が眠るお陰でこの様に地上(地面)から空を楽しむことができる有り難い事実。歴史にまぁ興味ない者としてもいろいろ思いを馳せるってもんです。
所用で人と会い、長年もやもやしていた諸々の懸案が前に進み…あぁなんかね、沁みるんですよ、こういう場所のこういう光景が。てなこと記してすっかり表題の“シュロ11本”は、おいてけぼりですね。一見10本ながら11本。ヒョロっとしたイデタチと何か意味あって境界線上に植わってるってのも妙に響きまして今日のことと絡めて眺めて。ってもうほとんど全部こじつけ…かも。皆さんにおかれましては何のことかさっぱりわからん文面ではなはだ申し訳ない次第ですがまぁ、今日のところは、こんなこったす。
2021年3月 3日 (水)
3月3日、今年は令和3年。
令和3年ってことで今年のひな祭りは333…ま、どうでもええとも言えますが。
で、これが3月のカレンダーの挿絵。相変わらずやっつけてくれてます。ないわぁこの感覚。布団に寝転ぶ女雛男雛…ってまぁこれは金屏風なんでしょう。この並びは…おっ、ちゃんと関西流ですわ。
で、左の絵は…寒風と枯れ草でしょうかねー。「何の絵やわからんかも…」でご丁寧に“寒いネ〜”の文字付き。これを描いたのが数ヶ月前やということ思うと「3月は寒い」と予想してのことですからやっぱり大したお子やわと…はい。
梅は咲き、早咲き桜もチラホラ。関西は緊急事態宣言の解除されていよいよ春が来まんなぁ…って、その浮かれ気分がまた次の宣言を生むことになるのやとは思いますけど。ま、地味にちょっとだけ羽根を伸ばすとしましょうか。いや…まだアカンかな。
2021年3月 2日 (火)
2021年3月 1日 (月)
法円坂一丁目で日没、午後6時5分。
今日から緊急事態宣言も解除されて…ってそれが理由ではないんですけど所用を終えて森ノ宮あたりからとぼとぼ歩いてますればちょうと夕暮れ。ラジオ聞きつつ地味な夕焼け空愛でて…日が長くなったもんやって、そらもう今日から3月やこと思うとこんなもんなんですなぁ。
造りかけのタワーマンションの向こうに陽は落ちたのかまだなのか…どうやらこの時点で日没後10分ほど経ってた様ですけど。
昨日まで「外に出んとこ」と悶々とした気分で家にこもってましたけど…うん、やっぱり外の空気吸うてナンボですなぁ。夕暮れ時がこないにワクワクする感覚も久々のことですわ。ちなみに外に出ん日々になってる本当の理由は花粉対策でのこと。あと、残念ながらコロナ禍による経済状況悪化もまぁそれなりに…はい。
※関連記事:
『法円坂一丁目、1月17日午後3時39分。』 2021年1月 記
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