八尾南西部外環沿い、午後4時26分。
冬モンの服買いに八尾は東南部の新しいショッピングタウンへ…って、もう1年半以上前にできたとこですけど。
ちょっとずつ脱却しよ思うもついつい全身ユニクロ装束やなぁとやや悶々としつつ外出ますれば、ちょっと好きな景色が西の方に。
ここらは変わった。でも遠景は変わらんなぁ。ま、それだけのこと。
冬モンの服買いに八尾は東南部の新しいショッピングタウンへ…って、もう1年半以上前にできたとこですけど。
ちょっとずつ脱却しよ思うもついつい全身ユニクロ装束やなぁとやや悶々としつつ外出ますれば、ちょっと好きな景色が西の方に。
ここらは変わった。でも遠景は変わらんなぁ。ま、それだけのこと。
気がつけば、大手蔵元のプラ看板もあまり見かけなくなりました。
特に白雪はそうかも。以前…と言っても12年も前の記事に“しらゆき”と平仮名のそれを載せましたが今では漢字版もちょっと珍しい存在となってきました。規制緩和で町の酒屋さんがことごとく廃業に追い込まれた結果のことでしょう。
で、看板を見なくなっただけでコンビニやスーパーで白雪を見かけることがあるかというと…これもまぁ見かけません。スーパーのPB商品の醸造元として、白雪の小西酒造の名を見ることはありますが。
現存する清酒最古のブランドを誇る白雪は四百余年の歴史があるそうです。何百年も前から造り続けている…それを思うとどんな時代にもよくぞうまいことか舵切ってやってはりますよね。すごい…なかなかできんことです。
(於:東住吉区) 今日では奈良漬としての白雪の方が知られている気もするな。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 5 ● しらゆき』 2008年5月 記
同じ場所のリリーのネタには敵わんのです。
けどね、小ネタながらその生命力に軽く感動した次第でして。ま、ある意味ヒトに危害を加えられることのない楽園であるとも言えますけど。
(於:八尾市) 青々茂る状態もさることながら、あえてここを選んどる事実に凄い生命力を感じる。
※関連記事:
『リリーの缶詰14缶、恩智川の堰で引っかかってまっせ。』 2018年5月 記
仕事前の散歩中、団地の植え込みにこんな彼岸花が咲いていました。
見ての通り彼岸花がピンク…しかもかなりビビッド。何やこれ…思えば彼岸でもないのに咲いている訳ですから“似てるけど、別モン”なんやろなぁってことで調べてみますれば…まぁ別モン。よく見ると花びらの風情とかも違いますね。で、これは“リコリス・ショウキズイセン”でしょう。まぁそれでもヒガンバナ科リコリス属(ヒガンバナ属)ということですから彼岸花やと言うてもええんちゃいますの。ちなみにショウキズイセンは“鍾馗水仙”でピンク以外に赤やら白、黄色や柿色なんかもあるそうです。
※関連記事:
『桃色がかった白い彼岸花』 2015年9月 記
『彼岸花、赤も白も同じ茎から咲いてる。』 2012年10月 記
『白い彼岸花や!』 2007年10月 記
※下記のブログを参考にさせて頂きました。
・癒しのある生活を求めて内『リコリス・ショウキズイセン』
青空に白い雲ひとつ。奥に紅く染まった桜とすべり台…のどかな昼下がりの公園。
青い草に枯れた草…ひと気のない公園。そらそうですわ。入口には金網の門があって閉まってますからね。
けったいな公園なことで…と思いつつ雲が場所を変えんうちに一枚。あ、金網の向こうに看板が。何なに…ん?わっ、立派な名の公園でっせ。
“ノートルダムパーク”
“ノートルダム”は当然のことながら、“パーク”ね。そうか…めちゃ有り難い公園やったんですなぁ。いや、何となくですが。
都市計画法やら公共的広場やら難しい文言が並んでまぁ…何でもよろしいわ。けど門が閉まってるってのは、もひとつ解せんのですけども。あの塔の陰でひっそり秋を告げていたのでした。
(於:堺市中区) 行き帰り中百舌鳥〜深井歩くも歩数15,000歩ほど。仕事中を含めてもそんなもんか…
※関連記事:
『深井で塔ふたつ』 2015年9月 記
(今日は…ちょっと語ってます。けど、わちゃわちゃ…いつもながら。)
先日の名古屋行き、用事は兄と会い諸々の案件の話をすること。兄とは…まぁなんと申しましょうかそないに縁がなく、会わん時期が長いことあったんですけど、そこそこの年齢になってそうも言うてられませんで近年何度か会いましたが…なかなかええもんです。案件の話はサクッと終わってあれこれ近況報告めいた話に。
互いに全く違う人生を歩んできて…兄は大企業で定年、こっちはフリーランスでぼちぼち。自由業者の身分としてはいったい何歳まで世間は私に仕事をくれるんやろって状態。で、将来の話…といってもそないに先のない将来の話ですが、自分としては「(特殊技能を必要とせん)パートなりアルバイトでもええから仕事し続けたいわ」と話すと「わしは…自分が成長できるっていう実感がない内容の仕事やとやらんな」と兄。訊けば会社勤務の三十余年、あらゆる職場移動の中でずっとそうやって生きてきたとのことでした。
えぇ…そうなんや。そうか…“成長し続けてこそ仕事”か。なるほどなぁ。そういう仕事観なんや…はぁ。
立派やなぁ…ほな我がの仕事観ってどんなんやと自問自答するも、こんなストイックに向上心を持って仕事と対峙してるか? いやぁ否々でっせ。
でもちょっと考えてみたらヘッドハンティングされて企業を渡り歩く人々ってのもまさに自分が成長できてポジションが上がるからそうしはるわけですから、できる人たちにとっては極々一般的な仕事観なんやもしれませんなぁ。そういう考えから兄は、定年後の雇用で給料が半減するってのも「あほらし」と思った様です。
兄弟でも出来が違うなぁ。期待されると潰れそうになって、そこここで「逃げたんちゃう?」と悔いることも多々あるし。かと言って全然後悔してるわけでもなく…そこは兄弟いっしょなんですよね。還暦あたりでそう思えることの有り難さ…うん。
で、ちょっと話戻りますけど「パートなりアルバイトでもええから仕事し続けたいわ」の意味は…まぁおわかりのことと思いますけど即ち「世間と関わって生きていきたい」ってことな訳です。もちろん退職金もないから何としてでも働かんならん現実もあるんですけど、「仕事してる=社会の歯車→役に立ってる」って図式、とまぁこう思っていた自分は何というかあさはかやったというかシンプルすぎましたなぁ。
数ヶ月前に新聞で目にしたドリアン助川氏の発言、要約すると『能動的に世間と関わることだけではなく、受動的に世間を感じることも世間と関わっている』…いやもっと説得力のある言葉で語ってはったんですけど、確かになぁなるほどなぁっと思いました。能動的に社会と関わりたいってのは、これ政府の言う“一億総活躍社会”とか言うアヤシイ政策にマンマと乗せられてただけちゃうかと思えてきました。
あー書いているうちに考えが変わったりまとまったりしてきてもひとつ「何言うとんねん」な文章になってしもてすんません。わちゃわちゃな文章のついでにそや!、“一億総活躍社会”を嘲笑い「御隠居の復活!」を声高に宣言し…って、できるかいな。11月23日、勤労感謝の日。
写真は名古屋からの帰路、仕事観あれこれ思いつつ眺めた近鉄電車の車窓から。海山道駅あたりにて。
新コロ感染者増すも政府は「Go to」言うてはるしお上には逆らえまへんなぁ…てなわけで、ちと和歌山はかつらぎ町と有田市に果物買いに行ってきました。
道すがら琺瑯タンクを発見。まぁそこここで目にする和歌山ですから「あぁまたか」と思うも改めて見ると、手前に柿、向こうにみかん…まさに和歌山の秋な図に佇む琺瑯タンクなんですね。そう、今日買いに行くのもまさに“柿とミカン”ですからなおええ感じ。
このシチュエーションですから農薬か肥料を溶かす容器として使われているかと思います。ふたつ並んで溶け込んで何かホッとさせてくれる、そんな第55号でした。
しかしながら「Go to」パワー全開って感じで柿買った道の駅(くしがきの里)も有田ミカンのありだっこも…密。そこに乗り込むなにわナンバーの三人衆…「Go to」言われて緩んでるわぁ我々も。ま、ささっと帰路についたのは言うまでもありません…って、何か言い訳じみてまんなぁ。
茶の湯の稽古やと実家より高安山麓へ向かいますれば…今週休みか稽古場に鍵かかってますやん。あぁ恥ずかしいわとそそくさとその場を離れ一旦戻ってあれこれ済ませて…せっかくやしと昨日使った近鉄全線3日間フリーきっぷで信貴山口へ。単線で山裾を行く近場にしてどっぷり小旅気分を味わえる貴重な路線を数分ながら満喫し、小一時間山里は服部川界隈を探索。ええわぁこの辺昔から全然変わってへんわぁ…ってまぁ、“全然”ってことはないんでしょうけども。
青空の下、澄んだ空気も手伝ってどこもかしこも綺麗な秋景色。遠くは阿倍野はハルカスは当然通天閣もはっきり見えます。もちろん日立の広告までも…はウソですけども。
あれもええなぁこれもええなぁ…と思いつつも写真は一枚。山里の秋もハルカスも写ってるこれにしときましょう。しかしやっぱりええわぁ高安山麓。帰路、服部川駅のベンチに腰掛けながら、親に何度か連れてきてもらった幼少期の数々の思い出に浸るひととき。しみじみしつつも清々しい気持ちになれたのでした。
今日は一日中雨でしたなぁ…ってそれは予報の話。「嫌やなぁ…雨か」と思う中、所用で名古屋へ。まぁさいわいにしても最寄駅までは小雨で傘ささずで済んで上六まで行って近鉄乗って…って特急ちゃいまっせ。近鉄全線三日間乗り放題3,000円也ってどやッな価格の切符での移動ですから質素に急行での小旅。雨では車窓の眺めも期待できんなぁと思ってましたけど…何のなんの。道中ほぼ晴れハレ。雨上がりで潤った空気を照らす太陽光…よろしいなぁ。もちろん紅葉もしかり。モミジだけが紅葉やない訳であんな木こんな木黄色かったり赤かったりで眠気も吹っ飛ぶってもんです。
やみくもにシャッター押すと…こんな風にええ感じの一枚も撮れるってもんです。色づく鎮守の森と秋晴れの空…何が雨予報やって感じ。これ近鉄は赤目口駅あたりの図。伊勢中川駅で乗り換えて三時間半の電車旅は長かったのか…いやいや否々。ええ時間でしたわぁ。
何げに気に入っている大阪城の空堀に架かる二本のパイプライン。過日西の丸庭園へ行った折にも紅葉やお城撮るお子をよそに「こっちがかっこええねがな」と一枚。
やっぱりええわ。えも言えん違和感ある光景ながら“重厚”って線では溶け合ってる様にも見えてかっこよろしいな。で。いつも「これ何なんやろ?」とは思うも「まぁ観光地となって下水とかの排水用なんやろ」程度に想像し、それで終わらせてましたけど、一応調べてみよかと今回ネット上だけですけど調べますれば…そうですか。そないなもんやったとは…
(「知ってますがな」なお方は、以下もう読む必要ありませんので、はい)
簡単に説明しますとこれは大阪市水道局の配管で、大阪市域で最も高所である大阪城の東隣地下に“配水池”があって、そこに水道水を一旦貯めた後、勾配を利用して大阪市内各戸に水を供給するための太い水道管やそうです。しかもこの施設ができたのが明治28(1895)年でずっと何の問題もなくの現役。その上この管をつくったのは大阪砲兵工廠ということです。
で、もひとつ。これ全然気づかなんだんですけど、この管の石垣に面した部分には、馴染む様にと石垣の絵が施されているらしいやありませんか。ほんまかいなと写真を拡大してみますと…あっ、確かに。いつ描かれたものなのかはわかりませんがなかなかな配慮やなぁと思いつつ「ちょっと大蛇みたいや」と見てしまうと…怖って感じがします。
しかしまぁなんと申しましょうか大阪市民としてそんなことも知らなんだんやというこの事実に我ながら唖然としますわ。“知”を軽視しとったらあきませんなぁ。
※参考にさせて頂いたサイト:
・風の森さんのブログ『Kazeの散歩道』内“大阪城散策(*^-^*) ”
・サイト『大坂城 豊臣石垣公開プロジェクト』内コラム“石垣発見のきっかけとなった配水池”
有り難うございました。
奥に見えるは二上山に岩橋山…かなぁ。
昨日の仕事は帰りも遠く郡山駅まで歩くことに。陽も落ちてほのかに残る夕焼けを眺めながら野みちを行く…よろしいなぁ。行き帰り呑気、現場は楽しい…幸せなことやなぁではあるもあれこれ思うのも事実。何に対してか? ま、それを記せば無粋ってもんですわな。
(於:奈良県奈良市→大和郡山市) 暗闇ではフォンテーヌも認識できまず。残念な様なホッとする様な。
奈良市某所で仕事。最寄駅が帯解って…桜井線って列車の本数少なそうやしと関西本線は郡山駅から歩いて歩いて小一時間。まぁあっちふらふらこっちふらふらとあるからこないな時間がかかるってことなんですけど。
普通の道ではおもろないわと田畑やため池の端を歩き進みますれば…ゲッ、なんやこれ。
怖い。あぁ〜怖。ですけど…よろしいでっしゃろ。まぁ…これは“案山子”代わりなんでしょうけど、効き目はどうも人間にしかない気がしますなぁ。
とまぁ「意味ないやん」とも思いましたけど、これ案外ドロボー除けなんかもしれませんな。農作物は当然、最近は豚まで盗まれること思うと…ね。
劣化して薄毛になってより効果バツグン。首の下には“FONTAINE”…フォンテーヌとありました。フォンテーヌと聞けば…まぁ関西の人間にしかわからんでしょうけど横山ノックさんですよね。そんなフォンテーヌが経年劣化でノックさん的ヘッドに。何とも時代を感じますわ。
(於:奈良県大和郡山市) 上岡バージョンの動画がアップされてるけど…残念。
過日、仕事帰りに通った長尾街道…とか知った風に記してますけど“長尾街道”なる街道の存在は知りませんでしたってのが正直なところ。ま、そんなことはどうでもよろしいか。そんな由緒ある街道沿いにもう廃業されたであろう酒屋さんの軒下に、こんなプラ看板がありました。
吉野の銘酒“花巴”か…懐かしいなぁ。その昔…ちょっと前に思うももうかなり昔の20年ほど前にこの“花巴”の醸造元に伺ってお話し聞かせてもらったり、酒づくりの匠、おやっさん(杜氏さん)のヤブ長さんを訪ねて何度も但馬まで足を運んだもんです。蔵元さんもおやっさんもホンマ正味の話をあれこれ話してくれはって…でも、ここに記すことはヤメときますね。オフレコあれこれ…ほんま楽しかったなぁ。
南部杜氏に移行後、代も変わって今は蔵元杜氏が醸す酒となった様ですが、味わいの方向性はより濃醇にシフトしてはるみたい…ってなかなか縁がなくて口にしていないのでよく知らないのでまぁこの辺にしときます。
しかしながら…ここ10年で但馬や丹波、南部に越後など出稼ぎ労働者が酒づくりに従事してはったのも今は昔。出稼ぎの必要がなくなったという点においては良いことではあるんですが…何となくいち時代が終わりつつあるんやなぁと思うと物悲しい気持ちにもなります。その昔、二冬酒づくりを手伝いに行っていた頃あの頃がもうたまらん懐かしくて。時は令和、平成に昭和が残っていたあの頃も昔になったもんやとなとしみじみ。そらまぁ我の年齢思えば当たり前のことなんですけども…はい。
(於:松原市) その頃買い集めた但馬杜氏の醸したお酒のストックありすぎ…どうしよ。
※関連記事:
『但馬牛まつり内“酒まつり”へ』 2010年9月 記
『但馬杜氏“酒まつり”へ』 2008年9月 記
『但馬のおやっさんから葉書が届いた!』 2008年3月 記
『おやっさんの、但馬へ』 2007年9月 記
黒塗りのナミイタ、細い地面で茂る植物、遠慮がちな室外機も手伝って何となくええ一角。
はじめて訪れた場所にして感じるこの懐かしさ。何となくですが昔の町にはそこここにこういう一角があった様な気がします。ちょっとしたゆとりと言うか遊び心と言うか…そんなもんが世間にあったんやなぁみたいな記憶がふと蘇る、そんな感じでしょうか。何ともうまく言えませんけど効率優先は息苦しいなぁとかそんなことを思ったわけです。
(於:生野区) ストリートビューの方がもっとええ感じ。
以前より電車の窓の向こうの景色が気になってまして。途中下車するのもアホらしわとほってましたけど過日、所用でここらを訪れたついでに写真に収めておさめてきました。
これが、近鉄大阪線は弥刀駅のホームから見える光景。何の植物かは知らんのですけど幹と言うか枝と言うか…そや、ツル、蔓が面格子に絡みついて何やかっこええなぁ…な図です。
ここのお宅が意図的にツルと面格子をコラボさせている様にも見えますし、なんやほっといたらこの様になった様にも思われるしって感じ。ま、無機的な縦線に対して縦横無尽に攻め入る様子がかっこええので何でこうなってるのかと理由をあれこれ考えるっても無粋な行為に思えてきましたんでこの辺で。しかしまぁ…色合いも赤茶けて鉄路脇にふさわしいてよろしいなぁ。
※関連記事:
『ツルに締められ格子歪む』 2017年4月 記
落ち着いた静かな住宅街にこんなお宅があります。
元々斜めに生える松があって門を新調するにあたってこの様な構成になったのか、施主さんか建築家さんが松をシンボリックにみせる構成として考えはったのか…その収まりの良さからすると後者なんでしょうかね。どことなく'70年代というか万博なニュアンスを感じる物件、ずっとこのまま植物と構造物のええ関係が続きます様に。
で…前からその存在を知る物件ですのでひょっとしたら二度目の投稿になるかもと思いつつなんですが…多分大丈夫でしょう。
※関連記事:
『江坂あたり、蔵人の一本松。』 2017年9月 記
『土壁の 丸い窓から マキの木が』2015年10月 記
『家に組み込まれた松の木』 2014年9月 記
『家の壁から樹木がニョキッと。』 2012年3月 記
裏通りに入りますれば電柱が道の真ん中にありますやん。
ほれっ、見ての通り。ど真ん中やないにしても何とも言えせんなぁ。うっかりぶつかる人や車両が多いのか注意喚起のトラ模様の胴巻きもふわふわ緩衝材入り。しかも下の方まで巻かれているということは…イヌネコもついうっかりコツンと当たるってことですな。
建て替え時セットバックしたけど電柱の位置変わらずでこういうことになってるってことでしょうけど、ストリートビューで過去を見ると、もう10年もこんな状態みたいで…まぁええかネタにもなるしってことで。
11月11日は十一十一とか1111で“電柱の日”…のはずですけどネット上では一日前の11月10日の“無電柱化の日”のことばかりがヒットしまっせ。どういうこっちゃ…ってそうか、ここも電柱の位置を変えることなく地中化まで待とうって算段なんかもしれませんな。
こういうシチュエーションでは難儀な存在ながら電柱に電線ってのは街並みに生活感という情緒が感じられて好きなんですけどね。ま、そういう意見はそれなりにあるかとは思いますけど。
で…今日は“電柱の日”ってのは思い込みやったんでしょうか。これといった確証のある情報はよう見つけませんでした。
昨日の日曜日はとっても秋晴れ。ちょっとは家から出て昼食にしよや密さけて…ってことで大阪城は西の丸庭園へ。入場料200円ケチっていつもは入らんそのエリアは人はまばら、空も広くて何と気持ち良いことでしょう。
見上げれば…ご覧の通りの秋景色。紅く染まる木々を眺めては「きれいなぁ」とお子。へぇ、そんなこと言う様になったか…と、何気ないひと言に成長を感じたひとときでもありました。
もうすっかり秋になりましたが、まだ咲いているんですね。
葉はほとんど枯れる中、12も花つけてます。11月やというのに…ほんまにアサガオかいなと調べますれば開花時期は7月から11月とのこと。知らなんだだけの事の様で。
ま、それよりこんな高い二階の窓で花咲かすってすごい生命力。これがオーシャンブルーやと全然響かんのですけど。アサガオの頑張りもさることながら、うまいこと育ててはるわけで…ええ夏の名残を楽しませてもらいました。
※関連記事:
『朝顔似“オーシャンブルー”、10月下旬にしてこの茂り様。』 2011年10月 記
そないに古くもない気もしますが、よく見ると何とも昭和っぽいなぁって感じ。
何がそう思わせるかって、いかにもハム・ソーセージっぽいプリップリな字体に理由があるのでしょう。ずっと見てますと“ン”が“ソ”っぽかったんですね。
日本ハムも時流に合わせて“ニッポンハム”から“Nipponham”とロゴ表記を変えたのが2014年…ってつい最近まで昭和テイストでやってたってちょっと意外な気がします。
徳島発祥の会社で1942年に“徳島ハム”として創業。のちに大阪に本社を移し1973年より業界首位とか。余談ですが“徳島ラーメン”は、元々徳島ハムで発生する大量の豚骨を使う事で生まれたらしいです…って、さっきそんな記事を見つけたとこなんですけど。
(於:松原市) 大阪に本社あれど…やっぱりポールウインナーの伊藤ハムでんな。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 112 ● マルダイハム』 2015年7月 記
『昭和なプラ看板 16 ● 伊藤ハム』 2009年1月 記
町名看板も電光化の時代…な訳ないない。
なんて事ないただ西陽が町名看板に裏からあたって光ってるだけの図。その質感といい経年変化の醜さといいまぁ色抜けてネタにはなるもののもひとつ好かん存在やったんですけど、これはプラスチック製ならではですなぁ。ええもんや…ってそのうちこれもすっかり色抜けもっと味わい浅いもんに新調されてしまうんでしょうけど。
(於:住吉区) そのうち新調…5年後“大阪府中央区住吉浅香一丁目8”になるかもしれなんだんやなぁ…
※関連記事:
『大垣内町一丁目10の“丁目”がナナメ』 2019年8月 記
『表記二重で立体的、かっこええ市岡元町一丁目1の町名看板。』 2019年7月 記
『町名看板、虫食い状態。』 2019年2月 記
『こっそり平野区長吉長原東三丁目2』 2013年6月 記
これは落書きではないやろと思いつつ、私有地のナミイタに描かれたモンやしと何となくお蔵入りとしていましたが、どうやらこの一角が更地になったってことで。
貸モータープールの一角にそれはありました。見ての通りスーパーカーの絵。その世界全く無知で何という車名かは知りませんけど、エンブレムを見るときっとフェラーリの何かなんでしょう。それなりにデフォルメしつつも立体的で上質。これが錆びたナミイタというキャンバスに描かれているというそのコントラストがまたたまらんええなぁってお感じ。
右横には…これは落書きか、何やわからん文字。けっ絵を邪魔しやがってって風にも思うもずっと見てますとこれあってナンボにも思えますわ。これは2010年に撮った図。写真にバッチリ写る住所をたよりにストリートビューで見ますと2018〜2019年に一帯が更地になってしまった様です。
で、何で今更?…はい、調べますれば今日11月1日はスーパーカーの日ってことの様なので。スーパーカー…懐かしい響き。そう言えば小学生時分に流行ってた気がしますが興味なかったなぁ。もっぱら蒸気機関車に興味があって…思えば真逆の志向。アホげの方向性はその頃から決まってたってことなんですなぁ。そんなアホげにスーパーカー…何か感慨深いモンがあります。めっちゃ大袈裟ですけど。
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