梅と菊の開花と父親のこと、雑感。
あまりの暖冬で、はやくも梅が開花。あ、ついでに菊も開花…寒菊やないはずやのに。
午前中、所用で実家へ。クルマ車庫入れしよと思いますればそこに自転車と人。「誰やカナンなぁ」と怪訝に思い見てますと気づきはって話聞くと…あぁそうことやってんや。
そのお方は、生前父親がお世話になっていたヘルパーさん。何でも随分かわいがってもらったのが嬉しくてこのあたりに仕事に来ると立ち寄って日々のことを心の中で報告してるってことでした。手には帳面も持ってはってほんまにそうしてはった様子で…有り難いことやなぁ。
ヘルパーさんは言います「引き戸の窓越しにニッコリ迎えてくれはっていろんな話を教えてくれはってね…それがとっても楽しかった」と。そうなんか、そういう姿は家族には…特に息子には見せなんだからなぁ。ただただ“コワイおっさん”でしたけど…まぁ晩年はかなりマイルドになってたかなぁ。それでも兄なんか結局全然寄り付かなんだなぁ。
父親が亡くなって2年と少し。他者の心にいまも生き続けてるんやなぁと思うとそらもう何とも嬉しくて。庭を見ると梅が咲き菊が咲き…両方とも父親が育てていたやつですやん。代が変わって植物もほったらかしで梅の木はもうボウボウで枝だらけになってしもて…あぁちゃんとせんとアカンなぁ。「わしの心の中では父親は生きてへんのか」と問うも…ね。
父の死についてはここアホげでは書かずにきましたけれど、もう振り返ってもええかなぁと。入院して亡くなって…内容はともかくアホげは休まず今に至ります。なぜ休まなんだか、それは父親が陰でアホげを応援してくれていたから。当時担当のケアマネさんとか何人かに「ブログやってはるんですね」と言われました。アホみたいなブログをひっそりと宣伝してくれていた事実。それ思うと「わしが死んだくらいでアホげ休むな」と言われそうで。ま、それは勝手な解釈で毎日更新せんと気が済まんってのがホンマのところかもしれませんけどね。そや、数回ながらコメントもつけてくれてました。“戦後派”さんもじって“戦中派”って名で。戦前に生まれて…激動の世の中で過ごした人やったんやなぁ。
すっかり“もう春やん”の気候の中、ちょっと悲しくもとっても心もあたたまる雨上がりの朝でした。
(於:某所) お子のおかげでええ歳になってはじめて親の気持ちやら有り難さがわかったわ。
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コメント
見えぬ手が咲かせし梅や三回忌
そうでしたか、
あの頃、大切な方がお亡くなりになったとは思っていましたが、お父様、「戦中派」さん…
あたたかなヘルパーさんに出会えてお幸せでしたね。
投稿: mita | 2020年2月 3日 (月) 09時59分
●mitaさま
いやほんまです。仕事と割り切らんならん仕事に就きつつこういう思いで向き合ってはるヘルパーさんもおられるんやなぁとそれが嬉しいです。お金を得るだけが仕事やないというか…
ありがとうございます。
投稿: 山本龍造 | 2020年2月 7日 (金) 09時05分