ダンプに重機に鉄塔青空の下、奈良市杏町 午後3時26分。
近鉄は橿原線、九条駅から歩いて歩いて現場に着いて仕事して、外に出たらまだまだ空一面青空でまぁなんと気持ちええことか。帰路、フェンスで仕切られた細い路地行けばやがてT字路に。そこにはかっこええ光景が。
ダンプにショベルカー、そして鉄塔…純粋に好きな光景。この手の好みは…今も昔も変わらんなぁ。
(於:奈良県奈良市) ここら“杏町”と書いて読みは“からももちょう”。詳細はここを参照。
近鉄は橿原線、九条駅から歩いて歩いて現場に着いて仕事して、外に出たらまだまだ空一面青空でまぁなんと気持ちええことか。帰路、フェンスで仕切られた細い路地行けばやがてT字路に。そこにはかっこええ光景が。
ダンプにショベルカー、そして鉄塔…純粋に好きな光景。この手の好みは…今も昔も変わらんなぁ。
(於:奈良県奈良市) ここら“杏町”と書いて読みは“からももちょう”。詳細はここを参照。
用無しの植木鉢が目を引くも、全体的にええ感じ。
10年以上「もうええんちゃいますのん」って思うほど植木鉢から大地に根を下ろしてる風に見えるバラですが、わざわざ針金で鉢を縛ってあるとこを見るとまだまだ一本立ちしてないのでしょうかね。
まぁそこにずっと気を取られて見てましたけど、となりの南天も細い土地からすくすくと育ってますし、下の方ではタマスダレが一列に並んで…その手前の小石の行列もええ感じ。わずか15cmほどの幅にしてちゃんと“お庭”になってます。さすがは京都ですなぁ…って、たまたまなのか、やっぱりなんか。
(於:京都市上京区) 消火器の箱も立派な脇役。
※関連記事:
『細長い庭のヒイラギ■■■■』 2018年4月 記
時間なくて失礼ながら3週ほど納品できずにいた案件があってようやく今日それを果たしに京都は西陣の某所へ行き、次はと某画廊へ向かっておりますれば。あっ、仁丹は仁丹でも木製の町名看板がありますやん。
この前ももう何十年も前から時折ながら歩いてますけどこれには気づいてませんでしたなぁ。額縁仕様で琺瑯製のそれとはまた違ってなかなかええ味出してますけどちょっと肝心な住所が剥げ気味で用なしてませんがな…とか思いましたけど大礼服のおっさんと“仁丹”の文字さえ残っていたら充分役目を果たしていると言えまんな。
京都の仁丹町名看板の存在は有名ですからきっとこの看板もいろいろ出てくるやろと検索してみますれば、いくつか画像が出てきてやっぱりって感じ。でもそこに写る姿はもっと美品。あれこれ記事を読んでみますと長年、お地蔵さんの祠の裏に隠れて結果的に温存されていた物件とか。それで今まで知らなんだんやなぁと思いつつストリートビューで過去にさかのぼりますれば2009年の映像では全然その姿は見えません。どうやら今クルマが止まる場所にあった民家を解体したときに祠の場所と大きさが変わってこの木製仁丹が出てきたって事の様です。
見つかったことは良かったけれど、それで一気に劣化が進んだこと思うと複雑な気分になりますね。何かまるで高松塚古墳の壁画と同じやないですか…って、ちょっとレベルが違いますか。あ、詳しいことは京都仁丹樂會さんのサイトにある“仁丹町名表示板 木製仕様”ならびに“永遠のテーマ 木製仁丹 謎の記号”をお読み下さい。しかしまぁよぉ調べてはるなぁ。アホげにはできん芸当…って誰も望んでませんわな。
この木も昨日の記事のと同様、布引の滝の近くで頑張っています。
よく見かける光景ながら、どうにもこれは気の毒に思うより鉄の棒に食いついてる様にみえて微笑ましい限り…ですがこの部分だけ細くなっていて強風吹くと折れそうやなぁと思うと妙に応援したくなりますわ。
しかしまぁ…見ての通り金網なくなり意味をなしてない枠に邪魔されてやはり気の毒な図。そもそも人間がここに不法投棄せなんだらこんな金網も要らなんだ訳で、人間を代表して詫びておきました「ごめんね」。なんてね。
(於:神戸市中央区) 金網の枠が添え木代わりになって案外ええ関係なんかもしれん。
※:関連記事:
『軟体動物の様な象の鼻の様な木』 2015年11月 記
『エアコン室外機、木に取り込まれる。』 2015年11月 記
『根っことろける石垣の木』 2015年7月 記
『完璧に一体化した看板と街路樹!』 2008年6月 記
『よくある光景と言えばよくある光景。』 2007年10月 記
天気もええしどっか行こかと。その名は聞くも行ったことないなぁってことで布引の滝へ行ったものの、見ずに帰ることに。理由は後で述べるとして滝から少し離れたところにこんな木がありました。
まぁなんと鮮やかな緑色なんでしょう。バッサリ伐られるもすくすくと天に向かって伸びる新しい幹…なんとたくましいことか。この木に出会ったときはそんなもんを愛でてる場合でもなかったんですけど何となく元気付けられました。
で…何で滝を見ずに帰ることになったのか。それは薄手の上着を知らん間に落としていたことに気づいたから。あと200mほどで滝やったんやけどなぁ。そこから自分だけ別行動で元の道を引き返して。でもどこにも服落ちてへんし…で!そや、お子が道すがらスマホで動画撮ってたわってこと思い出し、その画像を元に落とした地点を特定してもらって「これでもうバッチリ」と向かうも…見当たらず。その近辺何度も隅々探すも…。ま、この頑張ってる木に出会えたからそれで良しとしましょうか。けど残念やなぁ、せっかく落とした場所まで特定できたっちゅうのに。
(於:神戸市中央区) 結局お子の動画で滝を鑑賞…何してるこっちゃ。
数で勝負ってことでんな。
まぁ見かける光景に思うも、ここまでトコトン並べて訴えてる相手は…人間ですな。尋常ではない状況もネコには伝わらんもんね、きっと。
(於:大正区) 当初はキラキラそれなりに警戒してたかな、ネコも。
※関連記事:
『恐…押しピンでネコ退治か?』 2008年9月 記
『気に入らん気に入らんでPETボトルや』 2008年5月 記
まるで絵に描いた様な光景。
実際にはそれなりの怖さがあったものの、写真で見るとそれなりの美しさ。湿気とか臭気なんかを伝えてへんという意味では…まだまだ修行が足りてませんなぁ。
とか思いましたけど、ストリートビューで過去見ますれば、一棟まるごと蔦屋状態で…そうか、秋になって葉を落としてるからそれなりに美しく見えるんかもしれません。
地下鉄は大正駅から地上に出ますといかにも雨が降ってきそうな空模様。仕事の待ち合わせ時間までに少し時間もあるしとあたりを行きますれば別段どぉってことない景色がそこに。
いや、平成も終わり令和の時代にこの景色はどぉってことないとは言えません。妙に昭和は30年〜40年頃の感じ。木造モルタル、トタン屋根にナミイタ塀、そうそう舗装されていない通路…漂う湿った空気とあいまって小学生時分の気分にかえったひとときでした。
※関連記事:
『大正で昭和に』 2019年3月 記
昨日は宇治へ墓参り。廻る寿司食べて次へ向かいますればすぐに信号待ち。左前の草むらにクルマがええ具合に佇んでるわってことでお子に「真横に来たら撮ってな」とカメラ渡しましたら、こんな写真ができました。
「ちっ、全然真横ちゃうがな」と思いましたけど…これええ構図ですやん。この妙なバランスのせいで広がるわぁ…って何がかはわかりませんが。狙ったのか動くクルマからうまいこと撮れなんだだけなのか、まぁ前者やと信じましょう。
しかしながらええ構図やこと…とそっちばっかりに気を取られてましたけど写真のクルマをよく見たら、あっ、三角窓が付いてまっせ。全体的に古い感じで後ろにはHONDAと読める文字が。調べますればこれ、1969年から1972年に生産販売されていたホンダ1300というクルマとか。検索しますと“偉大なる失敗作”とか“なぜ失敗作と言われた?”などの記事がトップページにヒット。てなわけで販売台数も少ないレア車の様です。
詳しくはリンク先の各記事をお読み頂くとして、そうか…半世紀も前に生まれたクルマが草むらに眠ってるとは言えこないにキレイな姿でここにあるとはちょっとびっくり。しかもストリートビューで見ますと少なくともここ10年はここにある様で…本田宗一郎さんもさぞ苦笑いして見てはることでしょうなぁ。
これは味わい深いのか痛々しいだけなのか。
見ての通り日焼けの末割れと歪みまで生じ、それに疲れたか片面はもはや存在せずの状態です。よく見れば…この“建設機械”のフォントはナショ文字ちゃいますか。まぁ…似てるだけかもしれませんけどね。
ヤンマーと聞けばどうも農機具やら小型漁船のイメージが強いですが、この看板が示す通りで建機も手がけてはるそうでヤンマー建機という関連会社を他社との合併を経て設立、今に至っているそうです。ちなみにヤンマーは豊作のシンボル“トンボ”転じてオニヤンマから“ヤンマ”を創業者の姓“山岡”の響きに近いこともあって採用したとのことです。詳細はwikiをお読みください。
(於;浪速区) “ヤンマー”言うたらいまだに“ヤンマーディーゼル”やわ、あの天気予報の歌のせいで。
透明化著しい大阪市内のプラ製町名看板、このパターンは初めて見たかも。
ちょっと写真ではわかりにくいのが残念なところですが、文字の部分だけが透明化しています。下から見上げれば文字が空色。ちゃんと読めるしおしゃれちゃいますか…って何がやねん。
(於:天王寺区) 気に入っとったお店が次々なくなって…行かん町になった玉造。
※関連記事;
『表記二重で立体的、かっこええ市岡元町一丁目1の町名看板。』 2019年7月 記
何や急に寒なって冬間近って感じ…って言っても寒空とはほど遠いスカッと晴れ渡った青空に向かってツタが勢いよく生長してまっせ。
半分はえらいとこから生えてまんなぁ。歩道に置かれた会所マスからアーチ描いてみどりのトンネルに。まぁそれでもここまで大きくなっていること思うと、もう大地に根をおろしていることでしょう。ストリートビューで過去を見ると冬場は葉を落としている様子。今期最後の繁りまくり状態を見ることができてうれしいなぁ、何となくですが。
(於:東成区) くぐり抜けたかったけど、なんとのう気後れしたのが悔やまれる。
※関連記事:
『俊徳道の 緑のトンネル 涼やかや』 2016年9月 記
『巨大樹木かモリゾーか? …否々。』 2010年12月 記
視覚にこの上なく訴えてますけどじつはここ、聴覚にも訴えてきます。
何げに自転車でこの前を通ったらカシャコショーって感じやったか妙な音がして…戻ってみると、どうやら塀の上にセンサー完備の様。効果バツグン、ささっと撮って逃げました。
※関連記事:
『阻塞』 2019年9月 記
『コンクリブロックの朱塗り、逆さパイロン縛り。』 2019年8月 記
『 「ここだけは絶対止めたらアカンぞ」』 2013年3月 記
アサヒビールの旧看板を先の記事で取り上げましたが…だったらこれもってことで。
どうです?旭日マークに目がくらむほどのピカピカさ。前回のそれは木製と思われますがこれは中身は木で表面はアクリルのやつかと思われます。
大抵のこの手のものは色が抜け表面が劣化して割れたり取れたりしてしもてますこと思うと、最近の復刻ブームに便乗した新品やないかと勘ぐって…まぁそれはないですわな。
確かここにもあったんちゃうかなぁアーケード…というわけで調べますれば、やっぱり。昨年の強烈な台風でここ花園商店街のアーケードが大きく痛み、その後撤去された様です。どうりでピカピカ。ここまでキレイな状態で残って…やっぱりアーケード様さまですな。せっかくここまで残っているのにこれからは劣化も始まって…まぁ仕方ないこととはいえ、残念に思いますなぁ。
(於:東大阪市) 今、ラグビー風商店街に変身。近くの酒屋さんには“トライ一本!!”って清酒もあるでよ。
※関連記事:
『アサヒビールの旧看板、アーケードに守られ。』 2019年10月 記
『昭和なプラ看板 159 ● アサヒビール』 2018年4月 記
『アーケードなくなり、アサヒの看板すっかり色あせて…』 2016年4月 記
『昭和なプラ看板 22 ● アサヒビール』 2009年3月 記
過日歩いた東大阪市の西部、トラックターミナルをやり過ごして東に向かいますればそこは隣接して昔ながらな集落。こういう町並みがええなぁ、中河内が落ち着くわ…と感じつつ行きますと神社の向こうに水車らしきもんが民家の軒下に括り付けられていました。
農機具の何かかなぁと思いつつ帰宅後調べますればどうやらこれは、水田に水を入れるためのものとか。用水路の充実にポンプが普及したこんにちでは不要となってこの様に…って、案外田植え前後には今でも使われているのかもしれませんね。
昔ながらな民具、博物館やら資料館にあるのもええんでしょうけど、こういうところにあるのを見る方がずっといいなぁ。まぁ 未来永劫ここにあるというわけでもないかと思うと、ちと切なくなりますけれども。
過日仕事の帰りしな嵐山経由で帰宅。渡月橋を渡って何げに前のトラック見ると「…懐かし」と思いまして。
見ての通りどぉってことない図とも言えますがそう感じたんですよ「懐かしっ」って。
商品名を売るコピー、それ自体“お砂糖はスプーン印”と昔ながらな直球さで、それがトラックに記されているというのもきょうびまぁ見かけんなぁって感じ。そしてトラック、この様な平積みタイプのトラックって昔は当たり前の様に見ましたけど、最近はほとんど荷台にアルミの囲いがあるやつばっかりやと思うんですけど、どうでしょ。
別段懐かしいとは思わはれへんお方がほとんどかもしれませんけど、懐かしいと思った気持ちは変えられませんわ。てなわけでこれからもスプーン印にしよかと思うのであります。
(於:京都市右京区) 砂糖に“お”が付いてるのも懐かしいねんな。“おビール”…
先日バスに乗って難波へ。御堂筋の側道はタクシーやらトラックやら駐停車するクルマが多くてバスが順調に通れんなぁって感じ。そんな時、何げに外みたらドンと“卍”がそこに。
ストリートビューを見れば10年以上前からある様で。こんな建物があるとは全然気づいてませんでしたわ…って言うか3つのお店別々の建物の様でひとつのビルやったとは。上の方見て「あぁ、これな」と。まぁしかしあんまりシュッとした場所には興味湧かんので、こんなもんですな。
(於:中央区) きょうびは御堂筋の時代でっか、心斎橋筋よりも。
※関連記事:
『阪神高速の橋脚に“卍”見た。』 2015年7月 記
大和高田駅前の商店街はアーケードがなくなってましたが、こっちは健在。その名も天神橋筋商店街。ですが大阪のそこの賑わいに比べるまでもなく人影も店舗もまばらな状態。ちと寂しい気持ちにさせられつつ廃業されたであろう食堂に残るアサヒビールの看板がありました。
やっぱりよろしいなぁ…ってそのマークがええというのもありますが、劣化することなく保たれている状態でアーケードの存在がよろしいなと。ここもいずれは撤去されるのでしょうか。賑わいのなさを思うと…仕方ないのかもしれません。
(於:奈良県大和高田市) パラペットで半分隠れている丸窓もかなりええ感じ。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 159 ● アサヒビール』 2018年4月 記
『アーケードなくなり、アサヒの看板すっかり色あせて…』 2016年4月 記
『昭和なプラ看板 22 ● アサヒビール』 2009年3月 記
昨日の夜の光景。
ちと呑みに出たら某立ち呑み屋さん閉まってるやん。「なんでやねん」とブツクサ思いつつ北上し中央大通を農人橋の交差点を歩道橋で渡りつつ西見ればクルマが一台も走ってなくてまるで深夜みたいやと慌てて撮りますれば…ちっ、左端からタクシーが出てきていて台無し。とか思いましたけど逆に深夜っぽさが増す要素にもなってるかも。午後8時43分の図。
(於:中央区) 一気に涼しなって燗酒旨々。
※関連記事:
『農人橋交差点歩道橋から東を眺める、17時44分。』 2017年12月 記
『午前10時18分、農人橋歩道橋から中央大通を眺める。』 2017年8月 記
『歩道橋から東西の景色。中央大通×松屋町筋=農人橋交差点。』 2011年7月 記
5年ぶりに降り立った近鉄は大和高田駅。改札を出て右へ向かうと…何かちゃうわぁ趣きが…ってそうか、商店街からアーケードが消えてますわ。お店もあんまり残ってなくて、すっかり普通の道と化して…役目を終えたんでしょうか。ちょっと物悲しく感じるも、人通りまばらで薄暗い街並みより見上げれば青空の見える方が良いかもしれませんね…って雨模様でしたが。
駅に近いところの一角はこんな感じ。ちょっとでも賑わいをってことでしょうか、この商店街の核とも言うべき(?)弁天座を賑わす大衆演劇の劇団のポスターがいっぱい。やや日焼けして色褪せして妙に溶け込んでますなぁ。なごみます。ずっと眺めておりますと、いっぺん行きとなってきました。そう言えば10時前やというのに弁天座の前には開演待ちかおばぁさん数名がいてはりました。まだまだ知らん世界だらけですわ。
(於:奈良県大和高田市) 大衆演劇…敷居低そうで高いなぁ、心理的に。
※関連記事:
『Fresh Fruits描かれた古い看板』 2014年4月 記
過日歩いた東大阪市西部はトラック輸送の基地の様で、いろいろと物流関係の施設がありました。そんな中にこんな看板も。
上に記された“東大阪トラックターミナル”には違和感がありませんがその下、そこに記されている“泉北高速鉄道”の文字、これが「へぇ?」って感じがしまして。東大阪市に泉北高速は走ってないし、同鉄道が貨物輸送してると聞いたこともないし…妙な感じ。
帰宅後調べてみますれば…はぁ、そういうことか。すなわち大阪府を主体とした第三セクター、大阪府都市開発がかつて泉北高速鉄道を運営していた訳で、その会社を2014年南海電気鉄道が買収、泉北高速鉄道株式会社と社名変更し、物流事業も継承して今に至っているということです。
その大阪府都市開発って会社がトラックターミナルを手がけていたことも知らなんだ者としてはこんな中河内の地で見る“泉北高速鉄道”の名は新鮮に映りました。知らなんだのは私だけかもしれませんけども。
(於:東大阪市) 南海は鉄道事業だけを買ったって訳やなかったのも意外。
先の日本酒ゴーアラウンドの移動中、久々に見つけました。
場所を変えてまだやってはるんやって感じ…って拙ブログもそう見られているかと思うとお仲間とも言えますか。
今度のもまぁ意味不明ながら所々やはり判読できて“麻生・知事・責任追及企(事)業主のすべてのソンがいのバイショーホショーを!・つぐない・イランでも”などとあり、もう一枚の方は“矢の・フロシャワー・俊介右外人右4番・原口を右打・3点”…前者は社会に、後者は阪神タイガースへ向けてのメッセージかと思われます。
今回のも前々回同様処方された薬の袋の裏に書かれています。ま、そういうことで。
(於:天王寺区) スカッとするんやろか。いっぺんやってみよかなぁ…いやいやようしません。
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『街角の謎の貼り紙意味不明 2』 2018年7月 記
『街角の謎の貼り紙意味不明』 2018年4月 記
気がつけば、見かけなくなって久しいかも。
思えばミシンすら家庭で日常的に使われることがなくなって久しい訳で、それ以上に“編機”となると…う〜ん、長いこと見たことがないですわ。
調べますればブラザーが編機の生産をやめたのが1990年代と言いますから、もうこの手の教室もやってはれへんことでしょう。
同じ様な看板で“シルバー編機”ってのも見かけたもんですが、こちらの製造元シルバー精工はタイプライター等事務機器なども手掛けるも2011年に破産したとか。一方こちらブラザーは目につくところではプリンターもつくり、知らんところでは工作機械もやってはってうまいこと時流に合わせた展開をしてはるみたいです。しかしながら、変化の激しい時代の会社経営って…大変なことやと思いますわ。
(於:堺市堺区) 既製品の安さもあるけど、時間的余裕の有無も関係あるやろな。
東大阪市某所へ仕事。中央線は長田駅から北へ東へ。北春宮交差点で近畿自動車道を見上げますと、こんな感じ。
どこで見ても圧巻の橋脚。よく見たら色合いも形状も上りと下りで違います。右の方は近年メンテされたのか全体的にキレイな感じ。目立たん部分に渋い緑色で化粧されてのがよろしいなぁ。まさしく縁の下の力持ち。そしてそれを維持管理する人たち…頭が下がるわと思いつつ、大半の仕事に従事する人がそんなもんで自分もそんな人のひとりやなと一瞬思うも否々。縁の下ながら弱々…もうやめとこ。
(於:東大阪市) Googleマップの徒歩移動の所要時間、あれは足長い外国人基準でんな。
※関連記事:
『近畿道の高架下、長田にて。』 2016年5月 記
『ジャンクション下の静寂』 2014年9月 記
10月1日は日本酒の日。という訳で日本酒ゴーアラウンドに少し参加。途中一軒でビール休憩を挟み5軒でお酒を楽しみました。
けど何ですなぁ、ほんまに日本酒の味わいも多様化したなぁとしみじみ。酸っぱいのやら渋いのやら…これだけ様々な味わいが出揃うともうどんな世界の料理にも合う一本がありまっせ、うん。ここ数年…いや十数年でお酒(日本酒)の評価が減点法から加点法に変わったなと思います…って国税庁と公的機関の評価軸は今もそうでしょうが。「肴を選ばん酒から肴を選ぶ酒へ」と考えるとこれは大きな転換。と言うことはいわゆる王道の酒を醸しているだけではなかなか商売にならん時代とも言える訳で、各蔵元さんも個性的な味わいを追求し、蔵元自身のキャラをも全面的に出してはるのも理解できますわ。
YK35なんてとうの昔のこと。気がつけばさっぱり近年はやりの銘柄も知らんわ覚えられんわ状態。まぁええ。マニアやめたら酒がますます旨くなるってもんよ。どんどんこだわりが薄れて…歳とるのも悪ないなと言い訳してこの辺で。
(於:東成区) “肴を選ばん酒”ってのがやっぱりいちばん落ち着くんやが…
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