2019年8月
2019年8月31日 (土)
2019年8月30日 (金)
錆びボコながら…カギ印ソースの琺瑯看板発見
下関市内二カ所で仕事を終え、先方のお方のご厚意で新下関駅まで送ってもらう道すがら、クルマから在来線が超ノロノロの徐行ながら運転を再開しているのが見えました。てな調子で新下関駅から山陽本線で下関駅へトロトロとろとろ向かいます。
旅情を感じつつ…目指すは某所。2011年の記事に反応頂き、そこからFacebookでつながることになった某氏ゆかりの場所へスマホ頼りに。しかしまぁGoogleマップの素晴らしいことと言ったら…とか思いながら着いたところに、こんな看板が…
なんていかにも見つけた風情で記してますがじつはこれ、行く前にストリートビューで発見していたもの。あぁ、ちょっと出たとこ勝負を良しとしてるアホげスタイルではないことが悔やまれます。
“味が自慢の!”はちゃんと読めるも錆びボコすぎてちょっと痛々しい…と思いましたが、いやいやなんの、それだけの歴史を感じさせるってもんですね。“カギ印ソース”そうか…ちょっと坂を登ったこのあたりで造られているんですね。
「ここが製造元かなぁ」と思われる建屋はあったんですがどうにも直売してるって風情もないし…ってことでその場を離れ地元のスーパーでウスターととんかつを購入しました。すぐにでも記事化したいところですが、ちょっと色々ソースの在庫を抱えてまして…ま、興味ある方は気長にお待ちください。
「ちょっと一杯」をこの下関駅界隈でと楽しみにしていたのですけど…希望は叶えられませんでした。食べログとかで探せばええものの…これにはいまだ抵抗がありましてそれこそ視覚嗅覚でえぇお店にたどり着きたいなぁと願っていたんですが…う〜ん。地元民も観光客もどこで呑んでいるんやろかと思いつつ在来線の遅れがないか気になって新下関駅まで引き返しスシローひとり食い…日常以下の寂しい〆となってしもたのでした。
(於:山口県下関市) コンクリで完全に塗り込められていて盗難の心配なし♡。
※関連記事:
『ソース 22 ▲ 下関ソース とんかつ』 2011年2月 記
2019年8月29日 (木)
さくら549号の車窓から見えた徳山、午前11時9分。
山口は下関市某所で仕事。豪雨は九州だけにとどまらず、山口県にも及んでいるとかで、在来線は運休…ってどないしょと思いつつ新幹線はさくら549号の車窓から外眺めていますと…「おぉ、かっこええ光景」で数枚パチパチ。
この天候ならではの見え方なんやろなぁ…これもよしかと思うも、水害に遭われた地域のこと思うとそんな呑気なことも言えんもんで。あ、仕事は新下関駅からクルマでしたので問題はありません。ま、それよりせっかくやからと仕事終えてから下関駅界隈を探索しに行こ思ってるのに運休か…そんな呑気なことで悶々としていたのであります。
(於:山口県周南市) 今日もやっぱり徳山は“セメント色の街”って感じ。
※関連記事:
『雨上がりの徳山港、16時28分。』 2017年7月 記
2019年8月28日 (水)
2019年8月27日 (火)
コンクリブロックの朱塗り、逆さパイロン縛り。
視覚効果バツグン。
ストリートビューで見るに年々バージョンアップしてまっせ。今後も楽しみ。
(於:八尾市) 勉強になるわぁ…
※関連記事:
『 「ここだけは絶対止めたらアカンぞ」』 2013年3月 記
2019年8月26日 (月)
沢良宜西2-13のマルマル
茨木市某所で仕事。モノレールに乗って…もうこれだけで小旅気分ってもんです。沢良宜駅で降りて帰りは南茨木駅まで歩きますれば、こんな一角が。
ナミイタ壁に看板まみれ。近年少なくなったとは言えまぁ見かける光景。きたないとも言えますけどなんとなく昔ながら感があって…とまぁ全体的にもええんですけど「あ、これ」と思ったのがこの“マルマル保険”のヤツです。
幼少の頃、父親の運転するクルマの中から見たこの“マルマル”。あれは…いま思えば平野区か東住吉区かあたりやったと思うんですけど、どこかのビルの屋上にあったその“マルマル”が妙にこころに引っかかっていて、まぁその後何となくそれが保険の看板やと知りつつもあんまり気にも止めんといましたが、ここにも…と、ちょっと懐かしくなった次第。
第一火災…合理化でどこかの損保に合流してるのかと調べますれば2000年に破綻してたんですね。そうか…そうなんですね。調べてスッキリしたのかどうなんか…
(於:茨木市) 夏の終わりやから余計にしんみりしてしもた気もする。
2019年8月25日 (日)
昭和なプラ看板 184 ● オッペン化粧品
古くさい感じはありませんけど、なんとなく'70年代っぽいかな。
青地に白の潔さ。菊かタンポポ(ウニかイガグリ?)の様なマークの下、空間を飛ぶホタル一匹(に見える)…さすがに化粧品会社のそれだけにやり過ぎることなく洒落た世界観を…ってまたわかった様なこと書いてからに。
オッペン化粧品と言えばテレビ番組“新婚さんいらっしゃい”の提供社のひとつやったイメージが強く残っています。あと、調べてましたら…そうそう、青いネオンサイン。確か梅田にもありました。当時は全国各地にあったそうですが、香川県にひとつ残っていたとかで、その動画がこれ。懐かしい…けど、なんか沁みますなぁ。それも昨年撤去されたとか。まぁ目立ったところでは露出してはりませんけど、従来の訪問販売中心に着実にやってはる様です。大阪発祥の会社、応援しよ…って、気持ちだけですが。あ、オッペンは英語のオープンとドイツ語のオペからの造語やそうです。
(於:城東区) ホタル風のV字は…“オッペ〜ン”を視覚化したものとの説あり(ウソ)。
2019年8月24日 (土)
高圧線の鉄塔の下を行く道
茶の湯の稽古で八尾は恩智へ。自転車で信号待ちながら山の方見ればいつもの景色。昔から見慣れた光景ですけど、これって案外珍しい図なんかもしれんと思いまして。
調べますれば鉄塔の下に道路があるというのはあるにはあるみたいです。ですがもっと計画的な感じでこんな雰囲気とはちと違う感じ。高安山麓ののどかさと溶け合ってなんか河内っぽいなぁ…ってなんのこっちゃ。
(於:八尾市) 鉄塔にまぎれて黄金の仏さんいてはる…
※関連記事:
『高圧線の鉄柱が、道路上ど真ん中にある。』 2010年7月 紀
2019年8月23日 (金)
2019年8月22日 (木)
梅の里、川のほとりにタンクいっぱいの図。
和歌山は田辺市の山手を行くと梅林が広がって、建屋やビニール屋根の下では梅が干されており、いかにも産地って感じです。ところどころ用を終えたのかプラスチック製の樽や桶が転がっているのも梅干しの里やなぁと思って見てますと、稲成川沿いにこんな一角がありました。
写真ではわかりにくいかと思いますがこれ、2mほどの高さのタンクで、きっちり数えてませんけど100本以上あるみたいです。
見ての通りすべてのタンクに蓋がしてありますので何の為のタンクかわかりませんけど、これは…梅干しを漬け込んでいるのかと想像しますが、どうでしょう。
その数の多さもさることながら、暑い屋外というのにちょっとびっくり。ま、先にも述べた通り何をしているタンクなのかはわからないんですけども。
(於:和歌山県田辺市) のどかな山里で、ちょっと異様な光景に見えたもんで。
2019年8月21日 (水)
琺瑯タンクの余生 45 ● 和歌山県田辺市龍神村龍神
所用で高野龍神スカイラインを走行。ごまさんスカイタワーの手前らへんで琺瑯タンク発見。
錆びサビの開放型。かすかに残る“防火用水”のペンキ文字…ということは“防火水槽”のカテゴリに入れるべきかと思うもやっぱりこっちですね。
見ての通りまわりに建物のない高台に置いてあるので、もひとつ“防火用水”として用意されているってのもリアリティがありません。ひょっとしたらここへ置かれる前、どこかで防火目的として使われていたってことかもしれません。
調べてみた限り、むかしも今も龍神村には酒蔵が存在しない様子。現自治体の田辺市にはかつて“田鶴の声”、“三ツ葵”、“此の友”などがあったみたいですが、まぁこのタンクは海南市からやってきたと解釈するのが妥当やないかと思います。しかしながら…和歌山県の酒蔵も激減したもんですなぁ。
(於:和歌山県田辺市龍神村) ミンミンゼミにツクツク混じって…晩夏な気分。
2019年8月20日 (火)
“交通信号機施設記念”の碑
春先、松原市の国道沿いを歩いていますと、こんな石標が歩道にありました。
彫られた“交通信号機施設記念”の文字。裏を見れば“昭和四十三年六月二十日 松原市新堂町会”とあります。定かではありませんけどこの石碑は松原市新堂町にはじめて信号機が設置された記念に設置されたもんなんでしょうかね。
「もうええ」って言いとなるほど普及してる現代社会においてはちょっと妙な感じ。ですけど半世紀ほど前には信号機は“文化的生活の象徴”やったんかもしれませんね。
そう言えば…幼少の頃の記憶が蘇ってきました。家の近くの交差点に信号機が設置された時、夜になって一家揃ってその信号機を見に行きましたわ。「この辺も街の仲間入りや」てな気分でしたなぁ。それと、間近で見る信号機ってこんなにでかいんやとその大きさにも驚きましたなぁ。それがやはり半世紀ほど前の記憶。やとしたらやっぱり当時の信号機って、大きな存在やったんかもしれませんね。
日本ではじめて交通信号が取り付けられたのが1931年の今日、8月20日とか。銀座等で34基の信号に火が灯ったそうです。てなわけで今日は“交通信号の日”とか。当時もやっぱり東京からやったんかと思うと、信号機が来ることを町中で待ちわびていたのやもしれんなぁと思ったり思わなんだり。時代は…変わるもんですな。
(於:松原市) 碑、事故にあったか鉄枠で補強されてまんな…
2019年8月19日 (月)
2019年8月18日 (日)
生駒山上の古木にあれこれ
昨日走った信貴生駒スカイライン。パノラマ駐車場の脇に古木がありました。
これは…ケヤキでしょうか?その周りにツタもんとか他の木も交じってただただ純粋に立派やなぁ有り難いなぁって気分になりました。
近年ナラ枯れ等の問題もありますがまぁ緑豊かな生駒山地って感じですが、戦中戦後に燃料として木々を伐採しまくった結果、ハゲ山と化していたとか。その後は植林で持ち直すも松食い虫の発生とか山火事でまたも林が減りまた植林…と変化しつつも今があるんやなぁと先ほど大阪府のサイト見て知った次第。そう言えば幼少期、何度も山火事を遠目に見ましたけど近年全く見ません。ええことです。
この木はそんな環境の変化を見てきた存在なのかもしれません。一度久しぶりにここらの山登りしてみよかなぁ…って涼しいなってからの話ですけど。
(於:東大阪市) 同じとこでも歩いて行くのとクルマとでは感じ方が違うねんな。
2019年8月17日 (土)
木々に守られた山頂の自販機ありがたや
4時間ほどクルマをどこかに駐車場に預けなあかん用事があって、でもお子と最後の夏休みの日ということを思うと駐車料金を払うよりドライブでも行った方が値打ちあるんちゃうかということで信貴生駒スカイラインへ。
高安山に登っていた幼少の頃からその存在は知るもずっと「高い道らしい」とクルマで行くことなど考えたことなかったんですけど20キロほどの道のりで片道1,340円は…ケーブルカーとかロープウエイを人数分払うこととか駐車場代を思うと安いもんやなぁって感じ。その上初めての走行ですから近くにいながらとても旅気分に浸れたのでした。
ま、あいにく空気が霞んでいて晴れているももひとつ遠くまで見えなんだのが残念なところ。でもまぁこの価格やったらまた来たらええわって感じ。途中パノラマ駐車場で持ってきた鳴門屋の惣菜パンを食べる前にお子が飲み物買う言うて自販機の前へ。おっ、西陽に雨風に守られてまっせ。
この景色だけで充分小旅気分に浸れるなぁ。なんとも言えん非日常っぽさ。けどなんか見たことあるなぁと思い巡らしてますと…あ、あれあれ、恩智神社の御旅所角にある子護地蔵尊と同じですな。そう思うとふたつの自販機がなお有り難く思えてきて…は言い過ぎ。中河内のセンスなんでしょうか。景観に配慮したらこうなったってことかもしれませんが、なかなかええ味を醸し出しています。
(於:東大阪市) 80.7MHzに合わせて走るとFM愛知とFM徳島が所々入れ替わって聞こえまっせ。
※関連記事:
『堂々の自販機二景、宝塚にて。』 2017年3月 記
『恩智の子護地蔵尊、アフロや。』 2012年8月 記
『ニッポンの春』 2010年4月 記
2019年8月16日 (金)
2019年8月15日 (木)
2019年8月14日 (水)
2019年8月13日 (火)
2019年8月12日 (月)
昭和なプラ看板 183 ● ダイジヱット
まったく馴染みがないものの、いかにも昭和な色合いやなぁと思いまして。
社名にあるDIJETは造語でしょうか。“超硬工具”の字があることからこのマークはダイヤモンドの硬さを表現したものなのかと想像しますが…どうでしょう。大阪は平野区に本拠を構えるダイジヱット工業。素人にわかるところではドリルの先などを手がけてはる会社の様ですが、工作機械とかその道のプロを相手にあれこれ手がけている様です。一般には知られずともなくてはならない存在が大阪にある…なんか嬉しいなりますわ。
(於:城東区) 社長さんは代々“生悦住”さん。“イケズミ”と読むとか…
2019年8月11日 (日)
ライオンかとりの看板、ナミイタ代わりかも。
お盆前にお墓参り。走り慣れた道で信号待ち。ライオンかとりの琺瑯看板、昔からあった様に思うももひとつ記憶定かにあらずで「ちょっと撮っといて」とお子にカメラ渡しますれば…こんな感じに。
何げに写ってはるお兄さんと某政党のポスターがええ味出してくれてからに…普通ながらどことなくええ感じ。で、気になったのはこの看板が看板としてそこにあるのか、ナミイタ代わりとして打ち付けられているのかが微妙やなぁと思いまして。ま、これ以上詮索するのは無粋ってことでお子に感謝。以上。
(於:京都府宇治市) ホンマは建物ごと味ありすぎ物件なんですけど。
※関連記事:
『生野区に残る昔な街角。』 2011年8月 記
『むかし舎利寺町2、いま舎利寺1。』 2010年11月 記
『ライオンは○、金鳥は×…らしい。』 2010年1月 記
2019年8月10日 (土)
生垣、真一文字。
千葉での仕事を終えて先方の方に四街道駅までクルマで送ってもらう道すがら、窓越しにこんな木がありました。
まさしく“真一文字”って感じ…って思いましたけど、下のと合わせて“真二文字”…いや、幹を入れたら“真工文字”とか何とか。
3キロほどの道すがら、どの道を通らはったかもわからんなぁと思いながらストリートビューでちまちまチェックしてみましたら…発見。10年ほど前にはもうこの状態の様です。木にしたら迷惑なことかと思いますけど青空のもと、なかなかスカッとした気分になるひとときでした。
(於:千葉市稲毛区) 常に手入れしてはるんかと思うと…なかなかできんことでっせ。
※:関連記事:
『門の屋根までウバメガシの生垣』 2018年4月 記
『角刈り四つ』 2016年4月 記
『見事な角刈りで新年に備える。』 2011年12月 記
『角刈りと丸坊主…いや、■ー●か。』 2010年2月 記
2019年8月 9日 (金)
添え木、生長した木に羽交い締めされる図。
千葉市へ仕事。総武本線は四街道駅で降りて…せっかくやからと濃い出し汁の駅そば食べて、塩分補給にとその濃汁飲み干せば顔もシャツの中も滝の汗。向こう行ったら関西よりちいとは涼しかろう…てな期待は完璧に裏切られ(=当たり前か)汗々になりながらせっかくやしと探索しますれば、こんな図が。
添え木がかわいそうに羽交い締めにあってまっせ。どこからみても羽交い締め。誰のおかげでここまで生長できたと思っとるねんってっ添え木のうめき声が聞こえて来る…いや、違うか「てめぇ、俺のお陰だろっ」に「てやんでえこの老いぼれが」。いや、以上勝手な想像でした。そもそも千葉は江戸ではありませんな。
(於:千葉県四街道市) 盆休み前の切符取られへん時期によぉ直前に仕事言うてくるなぁ…って、文句はイカンね。
2019年8月 8日 (木)
大垣内町一丁目10の“丁目”がナナメ
枚方市某所で仕事。今日も朝から暑すぎ…の中、“サンシャインロード”てな名前の道は歩きとないなで裏道などを歩いて目的地を目指しますれば、町名看板がこんな感じに。
まぁよく見るアクリル樹脂製のそれが塗料と乖離してる図。大阪市内だけかと思えばここ枚方市でも同じことが起こってるのかとちょっと安心…とか何とか。こういうのって…定期的に儲けたれと、わざと経年変化する様に設計されているんちゃうんかと…いや、そういう穿った見方はよろしくないですね。
しかしまぁこの剥離した“丁目”がナナメになって何とも味ありますわ。これも計算通りなんでしょう。なかなかやりまんな、枚方市のこれも。
(於:枚方市) “垣内”と書いて“がいと”、八尾のは“かいち”って読むわ。
※関連記事:
『表記二重で立体的、かっこええ市岡元町一丁目1の町名看板。』 2019年7月 記
『町名看板、虫食い状態。』 2019年2月 記
『こっそり平野区長吉長原東三丁目2』 2013年6月 記
2019年8月 7日 (水)
2019年8月 6日 (火)
一品料理とすし
関西本線は志紀駅で降りて、そこから仕事の現場へ。八尾市に1957年に編入されるまでの志紀町の中心あたりと思われるあたりを少し探索。やはり旧村な佇まいが残っていて落ち着いた風情。そんな町の一角にこんな看板残されていました。
仕出し屋さんの看板でしょうか。屋号も記されていない簡素な看板ながらどことなく惹かれる要素があって…って木やナミイタの壁、雨樋なんかとの関係性がええなと思わせる要素があるんでしょうな。
ストリートビューで過去を見てみますと近年までこの地に食堂があった様ですが、この看板との関連性はわかりませんでした。
(於:八尾市) 駅からタクシーで現場へと車に向かうと目の前で走り去って…そういうこっちゃねん。
2019年8月 5日 (月)
2019年8月 4日 (日)
2019年8月 3日 (土)
星組公演“GOD OF STARS-食聖-/Éclair Brillant”
以前『星組公演“ベルリン、わが愛/Bouquet de TAKARAZUKA”』を誘ってくれはった茶の湯関係の知り合いからまたも「招待券がふたつ当たったから一緒に行きません?」の誘いを受け…そらぁ行きまんがなってことで大劇場へ。
今日は日の出みりんので当たって明日はコーナンの…この人お金払って観はることあるんやろかって感じ。そのかわり「家いま味醂だらけ」とか言ってはりましたけど…やっぱりくじ運ってのがある様に思います。
で、今回またも星組の公演に誘ってもらった訳で、となると期待しますよね礼 真琴さんに。うん、やっぱりこの人や。歌うまいし雰囲気あるし…出しもの自体はまぁ、吉本新喜劇で育ったモンには「…それで」って部分もありましたけど、ある意味わかりやすくていまだ素人ヅカ好きにはちょうど良かったんかもしれません。ですけど二日続けて観る内容か否かは…以下ヤメときましょう。
で、後半のレビューですがそのお方言うにどういう言葉を使わはったか忘れましたけどオーソドックスな構成やったそうです。こっちは不覚にも何度かウトウト…アルコールにすっかり弱なったのにええかっこして飲んだ幕間のワインが効きすぎました。けど何です、お誘いした相手が居眠りって…不快極まりないことやったことでしょう。この場を借りてお詫びいたします「ごめんなさいませ」。
で…礼 真琴さん。何がこないにええなぁって思うかってあれこれ考えてみて気づいたのは「まさに中性っぽい」。そこが素敵やわぁって感じる様に思います。
小柄でシュッとして少年っぽく見える…そこがいわゆるタカラジェンヌが演じる男役の“ハイパー男性”とは違うところ…おわかり頂けるでしょうか。誤解を恐れずに言うと20年位前の堂本光一にも同じ様な中性性を感じ、15年位前に家の改装時にやってきた生コン車のドライバーの女性(男性?)にキュンとした気持ちになった時に似た感情が湧いて…わかりませんですね。すいません。
令和という新時代にふさわしい…とか思いましたけど平成の男役のひとつなのかしれません。うちのひとが「明日海りおさんもその線やと思う」と言いはりますので、きっとそうなんでしょう。
この公演は紅ゆずるさんの退団公演であり、二番手としての礼 真琴さんを観る最後の機会。ええ出しモンに誘ってくれはったなぁと改めてそのラッキーさ加減にほくそ笑む…いや、そういう表現はちょっと違いますか。いずれにしても結局やっぱりタカラヅカからは離れられんなとおもったのでした。ま、同様に茶の湯もやめられませんけどもね。
退団公演の出し物としては…どうなんって感じ。
2019年8月 2日 (金)
昭和なプラ看板 182 ● 毎日新聞/スポーツニッポン
博多の街を歩きますれば…あぁ懐かしい、高いところに昔の毎日新聞のプラ看板が。
潔いだけでなく雰囲気がありますなぁ。この昔のロゴの何がええかってのはそれはもうやっぱり“毎”の草冠のちょぼが一本少ないこの字が何とも昔な感じで好きですね。そのためでしょうか、“苺”って漢字に見えるのがまたかわいいなぁ…って、そんなん思いませんか。
赤い星マークもシンプルながら味わいがありますわ。調べますればこれは“星”ではあるものの、大阪の“大”を星型にしたもので“大阪毎日新聞”時代に制定されたものとか。1991年まで使われたということですから…もう30年ほど前に姿を消しているんですね。
「逆光やなぁ」と裏を回って撮ろうと見上げると、こっちは“スポーツニッポン”。なんや残念…と思いつつ一応撮っとこ…ってのが正直なところでしたけど、このロゴも現在は使われていないみたいですね。スポーツ新聞はまぁ読まんので懐かしいとかの感情は湧いてこないのですが表裏一体ってことでこちらも載せておきましょう。しかしまぁ両面とも光受けまくりな割に状態がよろしいなぁ。そらぁ新聞社の看板が朽ちてしもたらやっぱり具合悪いですわな。鮮度が命ですもんね。
(於:福岡県福岡市博多区) 新聞って読めば「やっぱ新聞やで」と思うもなかなか読む時間取れんねんなぁ…は言い訳でんな。
2019年8月 1日 (木)
博多ではカバンのことバックって言うんかね
旅の最終日ははとバスみたいな天井のないバス乗ったりして福岡市内の観光。どこもかしこも暑々で…あぁやっぱり夏の旅は避暑地に限るわいなって感じ。最後に以前の様に船から博多を、と思ってましたけど、これが潮の満ち引きの関係で運休。歩いて歩いて乗船場までたどり着いたのに…一気に疲れて今度は路線バス乗りますれば「ここは京都か?」って混み具合。難儀しつつ外の景色見よと窓に目をやりますればこんな啓蒙シールがガラスに。
バックって…バッグでっしゃろとまぁ、それだけのこと。ちょいちょい見る様に思いますけどこれが公共の団体の媒体にしてバックってのが珍しいなと思いまして。
で、そや…以前もこんなネタあったなと過去記事探しますれば、それもやっぱり福岡は博多での発見。そうか…博多弁ではかばんのこと“バック”って言うんですな、うん…ってたった2つのサンプルで決めたらあきませんけど。
(於:福岡県福岡市) 「リアル博多弁聞きたかったなぁ…」 とお子。って普通お店の人は方言喋らんって大阪でも。
※関連記事:
『“バッグ”と“バック”、どっちなん?』 2010年8月 記
『“わたしもマイバック!”なぁ』 2010年3月 記
『バッグとバック…まぁええけど。』 2008年4月 記
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