2019年6月
2019年6月30日 (日)
2019年6月29日 (土)
木を枕に昼寝する木…これぞ枕木。
堺市に変わろうとも美原町は陸の孤島(失礼)でのどかなところ。公共の広場を眺めますと、木が昼寝してますわ。
これぞ枕木…とか何とか。写真ではどうもそのニュアンスが伝わりにくいんですけどこれ、カイヅカイブキっぽい木が低木をマクラにして横たわってますわ。抵抗できずに枕にされて…よく見たらちょっと禿げてきてますわ。まぁなんと気の毒なことで。
ってまぁこれは昨年の台風で根元から斜めになってそのままってことの図でしょう。枕にされている木には申し訳ありませんけど、なんかちょっとマヌケでホッとする景色やことで。何となくやっぱり美原町やなぁ…とほっこりした気分になったのでした。
(於:堺市美原区) 天気、状況、形状、場所…4拍子そろてるわ。
2019年6月28日 (金)
鉢植え卒業、勝手に街路樹化してるシェフレラ。
昔ながら町家の隅に一本の木。なんとなく持ち味が妙やなと根元見ますれば…ははぁ、鉢植えの卒業生ですな。
珍しい図ながらかつて何度も見かけた光景。「もうええか」と思いつつもやっぱりこの生命力は讃えて、そして触発されなあかんなぁと。遠目に何ともやわそうな根っこやことでと思いましたがしゃがんで見ると何のなんの、ぶっとい根っこが一本、コンクリとアスファルトの隙間から地中に潜り込んでいってますわ。そうか…この太さで昨年のえげつない台風にも負けなんだんですな。
と感心しつつ葉っぱ見れば…あっ、やっぱりシェフレラですわ。観葉植物にしてこの強靭さ。えらいなぁと思う反面あまりの繁殖力に北の湖関よろしくちょっと憎たらしい存在…なんて言ってはかわいそうですか。
で、いつも通りストリートビューで過去を見てみますと…昨年までずっとそれはそれは“ザ・シェフレラ”って感じの繁茂ぶり。これでは根っこの状態もわからんでネタにもしてなんだことでしょう。
ここのお方もちょっと手に焼きつつかわいそうやしなぁってことで剪定するだけにとどめてはるのかな。この程度ならええ感じ。茂り過ぎると交通安全上もどうかと思いますわ。
(於:福島区) ここに人も刈ってはじめて街路樹化に気づいたんやろな、たぶん。
※シェフレラ関連記事:
『ひとつの街路樹、じつは三つ。』 2017年9月 記
『カイヅカイブキのハゲ隠しでシェフレラ』 2016年3月 記
『アホげ史上最高の繁茂ぶり…』 2015年12月 記
『ここの家もあの8枚葉に覆われてまっせ』 2015年2月 記
『みどりに覆われた家屋の根元は』 2015年2月 記
※勝手に街路樹関連記事:
『鉢植え卒業。地植え化したビワの木。』 2012年2月 記
『発泡スチロール突き破って隙間から大地に根を下ろす木。』 2011年12月 記
『違法街路樹』 2008年3月 記
2019年6月27日 (木)
サミットのせいか、62住吉車庫行きが谷町筋を走ってる。
何やいきなり大阪は4連休って感じ。いやいやG20のせいで。てなこと思いつつちょっと立ち呑みでも行こやと谷町筋に出ますれば、あっ、市バスがそこに。
正確には大阪シティバスって言わなあかんですけども…ってそれはどうでもよくて、普段利用せん人にはわからん話かと思いますが谷町筋にはバス路線がないのにそこで信号待ちしてるってのが珍しいなと。あ〜そうか、G20サミットでバスも迂回ってことか。で、調べましたけどバス会社のサイトにこの62系統住吉車庫行きの迂回のことは触れられてますんけど…妙な感じ。
そう言えば大阪城周辺もあっちこっちの警察官で警戒してました。ま、仕方ないか。思えば世界の要人いっぱい同じ空の下ってことか。あの国からミサイル飛んで来んこと願っとこ。あ、バスは谷町六丁目交差点を左折して東へ向かっていきました。
(於:中央区) カナンなぁと思うもちょっと非日常な空気もまた良しや。
※関連記事:
『市バス62系統、谷町8交差点を行く…』 2017年2月 記
2019年6月26日 (水)
係船柱、錆びてますけど…ええんかい。
昨日も果てなら今日も果て…って言い回しに語弊がありそうですが。
山奥の修行の地から今日は一転、尼崎の臨海工業地帯で仕事。こういうコントラストを体感できるのは有り難いこと。仕事終わってそんなこと思いつつ迎えのクルマが来るまで岸壁で佇んでますと…意外なもんが錆びてまっせ。
ほれ、見ての通り。接岸した船を動かん様にロープで繋ぐための杭…調べますれば係船柱とかボラードって言うそうですがこれの根元が完全に腐食してますわ。
これはかなりびっくり。錆びてることも驚きならば、中が空洞やったというのもオドロキ。まぁ幸いにして船は繋留されていませんでしたが…ってこれ、まだ使ってるんでしょうかね。どこが管理しているもんで誰の責任において使ってるのか…中身空っぽで錆びて穴開いても遠目には凛と立つ…何か令和元年のニッポンここにありって感じ。あ、完全なるこじつけ。
(於:兵庫県尼崎市) のってみたけどびくともせんから大丈夫なんやろ、知らんけど。
2019年6月25日 (火)
琺瑯タンクの余生 43 ● 和歌山県伊都郡高野町高野山670
高野山の某寺院で仕事…って“某”とか言ってもまぁどこのことかは、ね。
バス降りて少し歩きますれば遠目にそれらしき物が置かれている様子。近寄りますればやっぱりそう、密閉型の琺瑯タンクが一本、塀越しに確認できました。
ところどころ地色の青が現れるも薄緑色に塗られて景観に配慮されていますが、やや違和感を発している感じ、縦書きで“高野”までは読めるもその下はわかりませんでした。ちなみにこの場所はどうやら高野七弁天のひとつ“首途弁財天社”の敷地内の様です。弁天様と言えば水を司る神であることを思うときっとこのタンクも水を確保するためのものかと考えられますが、あくまでも空想です。
修行の地だからでしょう、高野山には元々酒蔵がなかった様ですので麓の町村より持ってきたものと想像します。伊都郡内にはかつては鶴の瀧(酔人日)・稚乃瀧・大盛力などたくさんの酒蔵があった模様ですが今は初桜を残すのみの様です。
(於:和歌山県高野町) 電車にケーブル、バス…しかしまぁ遠かったわぁ。
2019年6月24日 (月)
2019年6月23日 (日)
円筒型でどことなく和風な室外機
“ならまち”をうろうろ。わたし的にはそれなりに楽しいものの、うちのひととかお子にはもひとつパンチに欠けるみたいです。まぁわからんでもないですなぁ。飲食店に転用していることの多さ思えば中崎町とかと変わらんかも…などと思いつつ歩いておりますれば軒上にこんなヤツ発見。
そないに古ぼけた感じでもないものの、その形状が…何とも古そげ。ネット上で調べて判ったことは、ダイキン製やということくらい。あ、あと“上吹き”と呼ばれている形状の様です。
どことなく四斗樽っぽくて、酒屋か醤油屋さんの様な風情で意外と室外機でありながら景観に合っている様に思えてきました。
(於:奈良県奈良市) “虚無僧”の深編笠っぽくも見えまんな。てなわけでどことなく和風。
2019年6月22日 (土)
2019年6月21日 (金)
むかし大野町一丁目27、いま野田二丁目11。
やや角張った柱に打ち付けられ変形しているも、なかなかええ状態で健在。
昔ながらな町並み残る福島区は野田界隈の一角で、古い町名看板が残っていました。“防火と防犯モデルの町”なる標語も掲げてあってちょっと純粋なそれとは違って味わいをより深くしています。
町名変更は1975年に行われ、区内に46あった町を7つに再編したとか。ちょっと…無茶苦茶な気がせんでもありませんな。
下部にはおきまりの広告が。“大福信用金庫”…なんともいかにももう存在していない様な屋号やなぁと思いましたが意外にも(失礼)2013年まで存在していたとか。他の2信金と合併、いまは大阪シティ信用金庫になっている様です。
あと余談ですが現行の福島区の町名看板は藤色なのは、区の花“野田藤”にちなんだもんやそうです。
(於:福島区) よく見ると古い町名看板も貼り替えた跡があるわ。
2019年6月20日 (木)
昭和なプラ看板 179 ● 日立冷蔵庫/日立ビデオデッキ
“ビデオデッキ”の面が水色ってのが、もひとつ日立っぽくないなぁ…などど思いつつ。
見ての通り日当たりよい状況にしてあまり劣化していませんので今が撮りどきかと思いまして表裏で二枚。冷蔵庫の面にある通り日立の看板と言えば柿色のものがほとんどですし、日立と言えば“モートル(モーター)”でそらぁ冷蔵庫もやっぱり日立でまぁ当然。余談ですがうちのももちろん日立製です。
で、ビデオデッキ…もう多くを語る必要もございませんな。下部にちっさくある“VHS”の表記もきょうびのモンには何のこっちゃでしょう。
このシリーズでの日立ネタはもうこれで5つ目。いつもこの赤い“日立マーク”が気になって書いてますんで割愛。もう使われてないのも同然ながら日立製作所のサイトを見ると小さくファビコンとして使われてますわ。何かちょっと安心。“日立 - IT事業”というFacebookページには“「日立マーク」、今でも健在です!”という記事もありました。興味ある方はぜひそちらもご覧ください。
(於:阿倍野区) 冷蔵庫の“冷”の字だけ、妙にデザイン入ってる様に見える。
※関連記事:
『昭和なプラ看板 84 ● 日立ルームエアコン』 2014年1月 記
『昭和なプラ看板 81 ● 日立まみれ』 2013年10月 記
『昭和なプラ看板 27 ● 日立キドカラー』 2009年4月 記
『昭和なプラ看板 18 ● 日立チェーンストール』 2009年2月 記
2019年6月19日 (水)
Appleも街並みの画像収集開始の様で
10日ほど前、上六でも見かけたものの「Googleのやろ」とスルーして、そやないと悔しがったんですが、またも先の日曜日に遭遇。
クルマの屋根上に球の物体…間違いなく街の様子を撮ってますわ。ですが、Googleのそれとは違い普通の白いクルマってところが逆に怪しげ。あんまりわからん様にカッティングシートで“Apple Maps”の文字。さすがはApple、シュッとしてますわ。
不意に現れ「あっ、しもたっ」で、「ええぃ、先回りや」とお子と自転車飛ばしてやみくもに再度出没しそうな道へ行くも…まぁ期待してなかったんですけどやっぱり登場、どやっ。まぁ撮れたわいと喜んでいるとアンコール(?)で今度は正面からやってきました。街の人々と一緒に撮れてとっても満足。無事に任務完了…ってなんのこっちゃ。
調べますればAppleのサイトによると今春から今秋にかけて関東・中部・関西にて地上調査、画像収集をするとなっています。
「パソコンもスマホもAppleなんやし“Apple Maps”使わな」とやるもあまりにもGoogleマップの出来が良すぎて全然やっぱり使う気になれなんだんですけど…これで使い勝手ええ地図になるでしょうか。何もかもGoogleに支配されてると言っても過言ではない状況を思うと、「さすがAppleやん」なもんに昇華されること、期待せざるにはおれません。
(於:港区) いずれにしてもアメリカに牛耳られているこの現実。
※関連記事:
『ストリートビューカー、ついに遭遇。』 2018年9月 記
2019年6月17日 (月)
染み付いた諸々、城東運河に架かる環状線の高架下。
怪しげな雰囲気が徐々に薄れど、
空気は澱み続けている様にも思われるのは、気のせいか。
(於:中央区ー城東区) 仕事終えて京屋本店に誘てもろて…有り難いなぁ。愛すべきアホげ民某。
※関連記事:
『午前11時39分、鴫野西二丁目から城北運河越しに南西を眺める。』2019年2月 記
2019年6月16日 (日)
大阪港、午後2時7分。
先週末は北へ淀川、南へ大和川超えて堺へ。となると今週は東か西か。で、お子「決めて」。あのな、そういう些細なことを自分で決めることから人間ってもんは出来上がるんや…と受け売り。
ま、それを言うてはるんは大学時代の同級生で現社長の某でして、その彼はまぁそれはそれは当時はいちばんどころかぶっちぎりの社会不適合者やと思われていたんですが、変わるもんですなぁ…ってその話は有意義ながらまぁどうでもよろしい。どっちが決めるともなく海見に行こやということになって西へ西へ。
で、海辺に着くもどこもかしこも防波堤の門が閉まってたり柵で遮断されていたり。そんな状態にお子怒り出しますけど…もうかなんなぁ。行くとこ行くとこそんな状態で…あっ、そうか、これもサミット開催の影響やわとその話をすると妙にお子も納得。ちと機嫌なおったところで「そや、CASO横行ってみよ」で、正解。しかもそれまで曇ってましたけどうまいこと晴れてお子の機嫌も上々に。
でしたが帰りしな、学校でのギターのテストで一生懸命練習したのにうまいこと弾けんかった話になって、「そらしょうないわ」と、ひとこと言いますれば激怒しだして…かなんわぁ。「ナンボ練習しても本番あかなんだらアカンねん」と言えば言うほど不機嫌増して…そうですな、とりあえず共感したらなあかなんだですなぁと後悔。大人の常識でモノ言うてはいけません…と、なんのこっちゃ。ま、記事も休日モードってことでひとつお許しを。
(於:港区) “努力”ってもんに対する評価って…卒業制作で“努力賞”もらって情けない気分になったことは一生忘れられん。
2019年6月15日 (土)
広告塔、錆びサビ…2
昔からこんな感じ、少なくともここ15年は。
この状態ではありますが、お店は健在。さっぱり読めんわいと思いつつ、そこの屋号に業種から想像をまじえつつ解読しますれば、
『トーヨ 皮 フ ◯ 』
と上から3つは判読できましたがいちばん下のは完全に錆びてしもて読めません。たぶん“薬”とでも書いてあったんでしょうかね。
写真で見る通り、もうまわりは広告塔より高い建物だらけ。遠くから見てナンボのもんですから新調する気にもならんのでしょうなぁ。しかし何です、よく見たらその横、屋上に生える木も感化されたのか茶色なってますわ。例によってストリートビューでチェックしてみますと2016年春までは独自に頑張っていた様ですが。
(於:城東区) よく見たら垂直出てませんで。
2019年6月14日 (金)
自販機1台だけがっちりパイプでガード
今日も自販機ネタ、いっときましょか。
赤い自販機、ですがコカのそれにあらず。まぁそれはどうでもええことでこの自販機だけ足場用のパイプでがっちりガードされてましてそこが気になるところ。こいつばっかり何度も狙われてボコボコにされた結果こうなったんでしょうなぁ…なんて想像しつつ例によってGoogleのストリートビューで過去をチェックしますれば…なんや。かつてはこのパイプに看板が設置されていたという…妙にがっかり。空想で楽しんでたらええもんを…何でも調べたらええっちゅうもんではないですわ。
ちなみにコカコーラのそれはというと真ん中の焦げ茶色のやつ。古都奈良ってことで景観に配慮してるってことでしょう。さすが世界企業やわいと思う様なそやない様な。
(於:奈良県奈良市) 定価の自販機で買うのがアホらしなるほど激安自販機増えてまんな。
2019年6月13日 (木)
2019年6月12日 (水)
ナミイタの壁、ガスメーターのおしり凸。
過日、仕事終わって昭和町界隈を歩いてますと更地に面したナミイタから、こんな突起物が出ている光景に出くわしました。
キレイな壁面からぽっこりと何とも言えんマヌケな図。これは…ガスメーターの裏側でしょう。と言うことは、この建物はガスメーターの一部が隣の建物にはみ出していたってことですね。
この状態、凸のお宅も凹の方も気づかずにこんにちに至ったのではないでしょうか。解体して…あっ、って感じやったんちゃうかなぁとかあれこれ思いつつふとその建物にある表札見ますれば…あれっ、学生の時お世話になった先生のお名前がそこにあるやないですか。
ご指導頂いたお方に今度はネタまでもらって…何十年も経ってまだ助けてもらってるって何とも妙な感じ。ただの偶然の様なそやない様な。縁っちゅうのは不思議なもんです。
(於:阿倍野区) もっとええ加減な学生生活を送るべきやったと思うねんなぁ案外。
2019年6月11日 (火)
色あせる日の丸にCoca-Cola…
まぁこの手のもんに興味ある人にはきっと有名な物件かと思います。
今さらネタにするのも気がひけるなぁと思いつつもいつまでもあるという保証もないしってことで。
下町風情に妙に溶け込んでるなぁと思うもそれは劣化の末のこと。半世紀ほど前にはそれはそれは眩しくハイカラな赤い丸やったことでしょう。とは言え全面アメリカンな風情になってへんのがたまらん魅力な訳ですけど、当時はどう捉えられていたんでしょうか。“パン”はともかく餅菓子屋の“生菓子”にコーラか…って感じ。コーラさえ合わせてたらどんなもんでも今日的な食べ物に早変わり…やったとか。ま、貪欲にところかまわず宣伝しまくった結果、今があるってことでしょう。
しかし何ですわ、今でこそ色あせてますけど当時は“日の丸”っぽかったんとちゃいますかね。それ思うとふと“敗戦国”てなコトバが頭をよぎりました。
(於:東成区) となりの喫茶もコカコーラで張り合ってる。
2019年6月10日 (月)
昭和なプラ看板 178 ● 城東西湖堂パン
あっ、まだあったかって感じ。
パッと見“西湖堂パン”ですが、よく見るとその上にひっそり“城東”と記されています。この二文字が大事というか何というか。一部のマニア(?)はご存知でしょうこれは“城東パン”の名残です。
以前の記事にも書きました通り、かつて大阪で大手だった城東パンですがその後経営が傾き、西湖堂の傘下になって屋号が変わり、その後合併で持ち直したかと思われるも西湖堂自体も2000年くらいに倒産してしもてた様です。
てなわけでもう存在しない会社のプラ看板なわけで、そういう雰囲気が隅々から滲み出ているって感じ。場所もまた中山製鋼所でおなじみ木津川運河に架かる大船橋のたもとですからもう…何かぴったり。かつて撮影で夜な夜な通った昭和のまんまな一角、懐かしなぁ。その頃と変わらん様でいてより錆びたまちになっている…何か自分を見ている様やなぁと思ったりしたのでした。
(於:大正区) コペンハーベストも今春知らん間に倒産してたんか。で、何が帝塚山や…
※関連記事:
『肝心の案内図なき南恩加島1の案内板』 2019年4月 記
『かつてあった地パン5 ◆ 『城東パン』』 2012年5月 記
2019年6月 9日 (日)
山之内公園にて、午前10時48分。
「昨日が淀川やったから、今日は大和川で、どや?」の提案にお子、もひとつ「!」って感じでもない様子。「ほな大和川超えて、堺行こか」でようやく乗り気にならはって朝から自転車で南へ南へ。何となく川縁の雰囲気になってきたなぁと思ったところに細い坂道。「おっ、これ上がったら大和川やで」と登りきりますれば、そこはブランコ一台だけの公園。
青空の下、一面の新緑。妙に気持ちよろしいで。「久々に飛び上がったヤツ撮ろや」でこのポーズ。いけてへんわぁ。で、もう一枚、今度はバッチリ。ですけどこのもっさいポーズの方がええわで、これ。
下流まで移動して川を渡り、かん袋でかき氷のくるみ餅食べて塩元帥で塩ラーメンずるずるいわせて紀州街道で帰りの途に…あぁ休日の昼のひとときって感じ。諸々に感謝。普通な感じってええわぁ。
(於:住吉区) 「自転車乗ったら話できへん…」とお子。話したいこといっぱいある様で。
2019年6月 8日 (土)
菅原城北大橋から夕日眺める、午後5時27分。
どこか他人まかせなところがあるお子が珍しく「自転車乗りに行こ」言います。しかも「淀川まで行って川伝いに行ってみたいねん」と目的地まで具体的。こら結構なことです。天満橋から大川上がって毛馬の閘門で淀川に。川向こうに行こ思えど赤川鉄橋ももうアカンわけで菅原城北大橋へ。
ワンド越しに下流に目をやれば雲間から射す光の筋が川面を照らしてなかなかな光景。やや感動するお子…ちょっと前まで景色なんかに全然反応せなんだこと思うと大人に近づきつつある…いや、まだまだですけど。
豊里大橋まで行って…「あとはスマホ使ってええから自分で帰り」で、お子が先導役。これでええ様に思うもやっぱり地図帳片手に移動することを促した方がええ様に思ったり。ま、それより「一緒に行こ」って言ってくれることの有り難さよ。うん、もう最終章かな…いやいやまだまだっぽいなぁ。
(於:旭区) てなわけで帰路は大通りばっかり…おもろないわぁ。
2019年6月 7日 (金)
2019年6月 6日 (木)
切り株に草木宿る
もう飽きました?
地下鉄は長田駅で降りて地上に出ますれば快晴。トラックの轟音響くも心地よい気候の中、仕事の現場へ向かっておりますと公園に切り株がいくつもあってどれもこんな状態。さほど珍しいことではないということなんやなと思いつつもやっぱり何かこころに響くもんがあるわぁと足を止め鑑賞。よくもまぁこんな細い隙間に根を下ろしてるもんですわ。みんなたくましいなぁ。さ、今日もがんばろか…と気合いが入ったのでした…って、はなし作ってますけど。
(於:東大阪市) 春夏はやっぱり気持ちええわ、暑ても。
※関連記事:
『松の切り株に守られ小松育つ』 2019年5月 記
『桜枯れ そこに松の木 蔓が締め』 2018年11月 記
『“切り株から新しい木生えてる”の木、桐やった。』 2017年7月 記
『切り株に、やどり草。2』 2017年7月 記
『切り株土に還り、そこに草宿る。』 2015年3月 記
『切り株から新しい木生えてる』 2015年2月 記
『切り株に、やどり草。』 2015年2月 記
『木の電柱、てっぺんに木。』 2014年7月 記
2019年6月 5日 (水)
2019年6月 4日 (火)
福板屋、逆さ文字。
松屋町筋にローソン。
建て替えやと聞いていたはずでしたが、復活の声も聞かんなぁと思ってましたけど、現状はこんな感じ。逆さ文字で残っている…この方がむしろ寂しい様な。わしらも福板屋さんに世話になったこと思うとなおのこと。ま、それより“まっちゃまちの福板屋、人形とゆいの”のラジオCMが過去のものになってしまったことの方が寂しいって感じ、かな。まぁそう思わんと復活の時を待って商店街のプラ看板を温存していると解釈しましょうか。
(於:中央区) ひょっとしたらこのローソンって人形も結納用品も売ってるんかもな。
※関連記事:
『福板屋も とらやも はり重も 岸和田に』2008年5月 記
2019年6月 3日 (月)
2019年6月 2日 (日)
タイヤをくぐる、子ども道。
いつもひと気まばらな公園。きょうもしかり。子供も遊ばんのか草の新芽で地面も青々。
と、思いましたけど4本並ぶタイヤの下だけこの通り。ははっ、くぐり抜けとる子供を想像するとなかなか微笑ましい図。
けもの道ならぬ子ども道ってところか…とか思いましたけど、ただただ日陰で草が生えんだけかもしれません。
(於:中央区) わしらはタイヤの上を飛び歩いたもんやが…
※関連記事:
『公園の遊具の廃タイヤ、その多さは…』2018年8月 記
『四半世紀以上ひと気なしの公園風な一角』2017年9月 記
『公園に“N I T T O”のタイヤがあった。』2011年11月 記
『廃タイヤの質素な遊具に思う。』2011年9月 記
2019年6月 1日 (土)
6月1日に思う。 2019
お子が卒業式を迎えた今春、言われました「カメラで撮らんとって」と。
どういう意味かと尋ねるまでもなくそのニュアンス、もう皆さんもわかるのではないでしょうか。すなわち「(カメラ持ってる状態が)恥ずかしい」と。身内が前近代的な人やと思われることも恥ずかしいんでしょう。あ〜なるほどね。わからいでもないなぁそんな気持ち。そんな話を30代のおねえさんに話しますと「大きいカメラかスマホでしょ。コンパクトカメラは中途半端で恥ずかしいかも」。同世代の同業者にしてもまぁ同じ様な反応で…まぁ、確かにそうでしょうよって思いますわ。
そんなこともあってスマホに替えた訳…でもないんですけど、本日の夕刻、はじめてスマホで写真を撮ってみました。
…ええやん。楽しいやん。それなりにボケ味も出せるやん。で、何々、内臓されている機能だけでちゃっちゃと補正もできるやん。え〜。
10年遅れました。きょうびの10年は…ふた昔ですな。そうか…デジタルが写真を変えたと思っていましたけど、そのある方向性での完成型がこれやったん訳ですね。こうなってほんまの庶民の道具になったんやわって何を今頃わぁわぁ言うてるねん…ですね。
それでわかったことひとつ。仕事先のひとつが画像処理に時間をかけてることに対して難色を示してはりまして「自動調整での納品で」と言ってきはったことはこのスマホの性能の良さに起因してるってことなんですな。
けど何ででしょう、パソコンやと自動調整しても全然ダメダメ。まぁ求める品質のレベルの違いってのもあるんでしょうけど…不思議な感じ。うん…ひょっとしたらスマホがパソコンを超えてるのかもしれません。
てなわけで今日の記事はスマホ初の写真で。サイズ変換はパソコンでやりましたけど調整はスマホで。ええやんこれで充分やん…とか思いつつパソコンに入ってる“写真”ってヤツで見るとスマホに入ってるのと同じ機能付き。はは、知らんかっただけか。ちいとは新しいモンにも興味持たんとえらい目に合うわとちょっと思うもまぁ人間なかなか変わらん訳で。今日からスマホ写真…6月1日は“写真の日”。
(於:某所) 今さらながらスマホは小さなパソコンなんやと思った次第。いや、それ以上か。
最近のコメント