むかし椚町、いま肘塚町。
奈良市某所で仕事やった過日、京終駅あたりを探索していましたら、木の塀に溶け込んだこんな看板を発見。
「お参りするんやったら御霊神社に来てね」っていう看板ですわ。ちょっと変わってるなぁと思って撮ってましたら「なに撮ってはりますの?」とご近所さん。事情を説明しますと「そやね、ここらはみんな御霊さんやね」と。「半世紀は前の看板みたいですね?」には「いや、そんな前のもんでもないわ」。そうかなぁ…いろいろ判読不明箇所あるしなぁと思いつつ下部見れば“ここは椚町”の文字。そうか、これは町名看板やったんですね。広告が上にデンと記され住所がついでに書いてある…まるでひと昔前によく見た不法看板に罪滅ぼしのつもりか“交通安全”とか書いてあったのと…なんて罰当たりなこと言ってはいけません。
で、少し先へ行きますと、道にはみ出て御神木が一本。
扁額に“椚神社”とあります。「そうか、クヌギが御神木か…」って現場でわかった訳ではなく後で調べて知った次第。わかりやすい社名やこと。ま、ホンマのところは立派な鳥居に掲げられている割に“瓶のマジックインキ”で書かれている感じがええなぁとそっちを愛でておりました。
とまぁ正味の話軽視して(失礼)いたこの神社ですが、ちゃんとwikiにも載る由緒ある神社やとか。詳しくはそちらをお読み頂くとして、先の町名看板にあった“椚町”はこの神社に由来する町名とか。やと言うのに今は“肘塚町”。こちらも由緒ある地名みたいですが。それより…小振りながらそんな立派な椚神社を差し置いて看板で広告して参拝客を奪おうと企む御霊神社って…嘘うそ、罰当たりなこと言ってはいけません。
仕事終えて近鉄は奈良駅に向かう途中、もう一枚“御霊神社”の町名看板を見つけました。
先のそれよりかなりキレイな状態で記されている内容もすべて判読可能。そうか“一家揃って参拝 御霊神社へ”やったんですね。“一家揃って”…ちょっとキュンとなるいい響きです。で、住所を見れば…これまた珍しい“京終地方西側町”…これももうない地名っぽいなぁと思いましたがこちらは現存していました。やっぱり奈良は…ちゃいまんなぁ。
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コメント
それより、奥に貼ってある議員さんのポスターの前歯のところが黒く塗られているのが面白いなあと・・・
そういういたずらをする子どもがいるのかな?だとしたら、済美小学校、まだまだ頑張ってるのかなと思ってしまいました。
投稿: 天王寺蕪 | 2018年5月24日 (木) 14時29分
ほんまにさすが奈良ですねえ。
地名の一つ一つに深い由来と味わいがあります。
リンクを見て、昔日本史で習った「僧正玄昉」はそんなことになっとったのかとちょっと興奮したおばちゃんは例により古地図で確認しましたよ。
大正時代の地図の一番下、京終停車場近くに肘塚町とその北に椚と椚西の地名。
そして地図の真ん中あたり、今は高畑町と呼ばれるところに頭が落ちてきたという頭塔、頭塔山下の地名があります。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002423788_o.html
投稿: おばちゃん | 2018年5月25日 (金) 10時51分
ほんとだ、かわいいおねえちゃん、「すきっ歯」だぁ。
コンドルは飛んで行く♪
入鹿、将門、首も飛んで行くんですねえ。
投稿: mita | 2018年5月26日 (土) 11時11分
●天王寺蕪さま
今も昔もこの手のイタズラは健在ですね。笑えるレベルならこれからもずっと続いてほしいですわ。
●おばちゃんさま
歴史疎い…と言うか義務教育ホンマに受けたんかレベルで皆さんに教えられっぱなし。関西には文化歴史的人すごいとこいっぱいあるのに大阪に住んでいて宝の持ち腐れ…いや、猫に小判やなぁもったいないなぁと思ってます。
●mitaさま
何でもドンドン飛んでいく、最近は…記憶がね。
コメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2018年5月31日 (木) 16時59分