とよた牛乳の牛乳箱
羽曳野は昔よりそれなりに馴染みあるところ。ですがこれには全然気づきませんでした。
過日仕事で羽曳野市某所へ。待ち合わせの近鉄は古市駅界隈を探索しますれば、“とよた牛乳”と書かれた牛乳箱がひとつ。電話番号に“阪南”の文字…これはここら辺の局番名ですね。
で、電話番号から調べていきますとこのとよた牛乳さんはまさしくこのあたり、羽曳野市誉田1丁目に存在した様です。
漂流乳業さんのサイトにある“全国乳業年鑑・昭和37年版”を見ると“豊田牧場牛乳処理場”が正式名称の様で、ゴエモン△さんのブログ“牛乳キャップ収集と販売情報(主に関西)”の“豊田牧場の牛乳箱”の記事によると“昭和39年に自家処理をやめ、片岡牛乳の販売店に転身”と説明されています。
屋外とは言え軒下というシチュエーションのお陰か美しい状態で残っていますね。半世紀以上ここにあるとは思えません。まぁ50年って、じつはたいしたことない歳月なのかもしれんなぁと最近感じる様になりましたが、世の中の激変を思うと…やっぱり残っていることは奇跡的なことですね。
(於:羽曳野市) “ト”が4つ、中に“田”で“とよた”…昔ながらな定番マーク。
※参考記事(以下のブログを参考にさせて頂きました。有り難うございます。)
『豊田牧場の牛乳箱』 牛乳キャップ収集と販売情報(主に関西) ゴエモン△さんのブログ
『全国乳業年鑑・昭和37年版』 漂流乳業さんのサイト
※関連記事:
『泉南牛乳の牛乳箱 2』 2017年5月 記
『縦用の横付け、明治の牛乳箱。』 2017年5月 記
『“日の丸牛乳”笠井牧場の牛乳箱』 2017年5月 記
『“山は冨士 乳は三國”三國牛乳の牛乳箱。』 2017年5月 記
『クロバー牛乳の牛乳箱』 2017年5月 記
『綜合乳販の牛乳箱』 2017年3月 記
『“内外きよめて心を一致”に“ミルクニューキン”』 2016年11月 記
『家屋に溶け込む激シブ牛乳箱』 2016年6月 記
『雨上がり 湿気染み込む木造家屋 ええ感じ』 2015年9月 記
『牛乳箱の余生 -- 植木鉢として』 2017年5月 記
『クニイチのミルクヤの牛乳箱』 2014年10月 記
『泉南牛乳の牛乳箱』 2014年2月 記
『片岡の牛乳箱の下に、明治のフタだけ貼ってある。』 2013年12月 記
『牛乳箱、郵便受になったらゴミ箱に…』 2012年5月 記
『木造家屋に牛乳箱ふたつ』 2012年3月 記
『ビクターエアコンと牛乳箱、馬場牧場の。』 2011年9月 記
『“市電今里終点”と記された牛乳箱。』 2011年7月 記
『京阪牛乳でみな元気っ!♪』 2008年3月 記
『太田牧場の“生”牛乳 ♪』 2017年5月 記
| 固定リンク | 0
「懐かし…」カテゴリの記事
- 天然セピアな一角(2024.10.30)
- 戸袋に、“アジアコーヒ”。(2024.10.21)
- 瓜破北第二町会 掲示板(2024.10.05)
- 電話帳までCampusブランド(2024.09.29)
- テント破れて昔風情マシマシ(2024.09.25)
「河内」カテゴリの記事
- 道の白線ちょっと妙(2024.11.04)
- 恩智北町二丁目の文化住宅、午前10時21分。(2024.11.02)
- 昭和なプラ看板 321 ● 文藝春秋 / 週刊文春(2024.11.01)
- 昭和なプラ看板 320 ● ミセス / so-en(2024.10.20)
- 南太子堂五丁目2のイケズ石、どやっ。(2024.10.12)
コメント
「青い塗料はつおい?」
byアラレちゃん
投稿: mita | 2017年8月29日 (火) 22時50分
牧場・・・色々読んでいると、昔は大阪府内どころか市内にも牧場があって、そこで搾った乳を牛乳として売ってたんですよね。それだけスペースがあったということと、臭いや音にもおおらかだったということなんでしょうね。
子どもの頃住んでいた堺市東区にも、昔は牛がいました。校外マラソンで牛小屋近くを通った時、牛の臭いがしてみんなではやし立ててましたっけ。気づけばいつの間にかいなくなっていたし、それこそ片岡牛乳さんの廃業の頃と、被ってたような気がします。
そういうことやったんか・・・
って、また話が脱線してしまいました。
投稿: 天王寺蕪 | 2017年9月 3日 (日) 12時09分
●mitaさま
ごめんなさい。わかりません、まったく。
●天王寺蕪さま
生まれ育った八尾にも乳業会社が3つありましたし、牧場も20年ほど前までありました。工場の近くのニオイもまだ覚えてますが、残った一社からはなんのにおいもしてきません。それが“メロディアン”。うまいこと業転しはったもんです。
コメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2017年9月11日 (月) 15時28分