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2017年7月25日 (火)

むかし觀念寺、いま芥川町二丁目5…かなぁ。

 東海道線は高槻駅あたりの昔ながらな一角に、こんな看板がありました。
Kannenji1 Kannenji2
 ここの表札?…まさかこれがお寺やとは思えませんのでその線はないでしょう。下部に広告が記されているところを見ると、普通考えられるのは、町名看板やないかと。右の写真の下の方には“芥川町二丁目5”と書かれたブリキ看板。やっぱりこの“觀念寺”は…地名に違いないわとその場を後にしましたけど…どうなんでしょ。
 帰宅後ネットで調べて見ましたが“觀念寺”という名の町名は見つけられずで…何なんでしょ。
 先にも触れましたが下部には広告があり、そこには“日の出バス”と記されています。日の出バス…調べますればこれは高槻市営バスの前身にあたる会社で、1954年にその経営が移ったとか。と言うことはこの“觀念寺”はバス停の名前かも…と思うもここはほぼ路地。バスがかつて走っていたとは考えられません。
 で、結局のところこの“觀念寺”は何なのかはわからんまま。現地名の“芥川町”、調べますれば大阪府三島郡のかつてあった自治体で、1931年に周辺町村と合併の末“高槻町”となり、消滅したとあります。と言いうことはそのかつての自治体の“芥川町”時代の町名に“觀念寺”があったのやないかと思ったりするんですが、どうでしょ? ご存知の方、お教えいただければさいわいです。

(於:高槻市) 案外ここがお寺なんかもしれん気がしてきた。

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コメント

初めまして。

観念寺、旧の「字」に見うけられるので、古い集落名(村名)じゃないでしょうか。

投稿: 風の谷 | 2017年7月26日 (水) 20時39分

●風の谷さま
初めましてこんにちは。
旧村の名前やないかということですね。旧の「字」に見うけられる…なるほどです。

早速お教え頂きまして有り難うございました。
今後ともよろしくです。

投稿: 山本龍造 | 2017年7月26日 (水) 20時59分

大叔母の古い住所録に、大叔母の義姪の住所として
「高槻市芥川観念寺町」がありました。昭和28年頃に
住んでいた模様です。

投稿: 多岐亡羊 | 2019年6月22日 (土) 13時08分

●多岐亡羊さま
はじめまして。ようこそアホげへ。
これはこれは貴重な情報をありがとうございます。やはりかつての町名やったんですね。昭和28年頃まであった名…大昔に感じられるもそれなりに近年まであったってことですね。その割にネット上には出てこない…この様にあらゆることが消えていくのですね。
お教え頂きスッキリしました。御礼申し上げます。
レスが遅くなり申し訳ございませんでした。
今後ともよろしくお願い致します。

投稿: 山本龍造 | 2019年6月27日 (木) 09時38分

ブログを見せて頂いて、昨年4月現地へ行きました。残念ながら写真の建物は単身者向けマンションに建て替わった直後で、観念寺の看板は如何なってしまったのでしょうか気になります。観念寺の地名については、芥川西国街道一里塚三宝荒神に設置の説明板に、奈良時代、観念寺の一角に三宝荒神が祀られた記録があるということなので、どうやら幻の大寺院がかつて存在したようです。寺院の記憶が観念寺という土地の名前に遺った。正式な地番は芥川町ですが町域が広すぎる為、以前はここでは日の出や観念寺という小字が通称名として許されて使われていたということです。今の、市バスターミナルと観念寺の看板のあった家との間に建つ富士パンションの地はかつての高槻映画館、それ以前はここが高槻市バスの前身の日の出バスのバスターミナルであったように推測できます。観念寺日の出バスの看板は、高槻市の交通の歴史の貴重な語り部、どこかに保存されていればいいのですが。

投稿: 石井道人 | 2022年6月 8日 (水) 07時31分

●石井道人さま
はじめましてこんにちは。詳しくご説明頂きよく解りました。観念寺は芥川町の小字で今も使われている地区があり、また日の出バスの“日の出”も小字やとは思いもしませんでした(小字名“日の出”の由来まで気になってきますね)。
あまり摂津の地理に明るくないので今回サクッとこの界隈を散歩しました…と言ってもGoogleのストリートビューでですが。それでも何げに以前より少しわかって楽しかったです。
しかしながらそんな貴重な町名看板はどうなってしまあったのか気になるところです。どこかに残っていることを期待せずにおれません。

諸々すっきりしました。御礼申し上げます。
他の記事でも何ぞご存知なことありましたら宜しくお願い致します。

投稿: 山本龍造 | 2022年6月 8日 (水) 11時23分

追伸です。観念寺という寺名について、「観念」は哲学用語みたいですが、そもそもは中国で仏典の漢訳を行った4世紀から5世紀の高名なインド僧が、観念(仏を心で観ながらひたすら念仏を唱える)という修行法を提唱実践したことから発した仏教用語です。彼の訳した仏典は飛鳥時代には日本に伝わっていたので、奈良時代の寺の名前に「観念」があっても全く不思議ではなく、地名、「芥川町観念寺」に遠い昔在った寺で僧たちがひたすら念仏三昧、そんな姿も思い浮かびます。ところで、私も面白い看板、不思議な石、意味のわからない穴ぼこや階段、大好きです。面白い発見したら報告します。

投稿: 石井道人 | 2022年6月 9日 (木) 08時41分

●石井道人さま
引き続き深い話までお聞かせ頂きまして御礼申し上げます。そうか…想像することでタイムスリップできるんですね。その為には知識が大事やと考えさせられました。
ほんま何の生産性もない拙ブログの記事ながら、皆さんがこの様に書き込んでいただくお陰でちょっとは意味を持つもんになるのは有り難いことです。ずっとマンネリこれからも然り、お付き合い頂ければ幸いに存じます。

投稿: 山本龍造 | 2022年6月 9日 (木) 09時50分

今晩は。この間の日曜日、観念寺看板のあった芥川二丁目の「耶馬台国を三島に探る会」の会合で代表の梅鉢氏(元教員で3年B組金八先生のモデルになった方です)らに看板の事を聞いてみました。梅鉢さんは看板の存在は知っておられましたが無くなっていた事は知らなかったそうです。今城塚公民館での歴史会、高槻歴史談話会(代表は石井道人)のメンバーにも山本さんのブログの事、説明して情報が有ればと頼んでおきました。高槻名誉市民を語る会の中川さんは高槻市営バスの歴史に関心があり色々調べて、名誉市民を語る会の会合で発表されており、今度お会いした時に心当たりがないか聞いてみたいと思います。
さて、お願いがあります。私、地域の小さな小さなコミニィティ誌、「ほほえみ」に3年前から高槻の歴史と地名について記事を連載しています。毎月500〜600字程度の小さな連載ですが、わかりやすくする為に写真資料なども付けています。次回は観念寺の地名を取り上げようと思いますが、山本さんの観念寺の看板を記事に取り上げてもかまいませんでしょうか。情報を呼びかけたいのですが。許していただけると嬉しいです。

投稿: 石井道人 | 2022年6月22日 (水) 18時40分

●石井道人さま
その後も“観念寺と記された看板”の事あれこれ調べて頂いている様で有り難うございます。
それで、貴殿が連載されている“ほほえみ”への拙ブログ取り上げの件、ご連絡頂き御礼申し上げます。わざわざご丁寧に…その心遣いに感謝致します。もちろん何ら問題ございません。
より色々“観念寺”のことがわかれば良いですね。
ご連絡おおきにです。

投稿: 山本龍造 | 2022年6月23日 (木) 10時23分

ありがとうございます。観念寺の事、新しい事、見つけたら報告します。古い看板、面白いですね🤣

投稿: 石井道人 | 2022年6月25日 (土) 12時18分

●石井道人さま
これまたご丁寧に有り難うございます。よろしくどうぞ。

投稿: 山本龍造 | 2022年6月26日 (日) 14時19分

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