かむなびさんの“谷町小茶の湯”へ
10月1日は日本酒の日、ですが“日本茶の日”でもあるとか。へえ知らなんだ。てなわけで行われていた味酒かむなびさんで開催されていた“谷町小茶の湯”へ。
まず、いつもながらな工夫こらした美味なる肴にサラッとしたもんから醤油以上の色合いと化した熟成酒味わいひと息ついたところでお菓子頂き、お店の一角を仕切った“お茶室”で亭主の点てる薄茶一服よばれて…というのが一連の流れ。説明すればそれだけですけど、なんともね「いやぁまいったななぁ」と思って。“行きがかり上茶の湯習ってる”の私にしたらあれこれ目から鱗。いやね、でも気持ちはすごいわかるんです。“平成の世、自分にとっての茶の湯って何なん”はよく思うところ。ですけどそこそこの年月習ってると「あぁ、勝手なこと、目立つことせん方が得策や」と自分なりの取り込み方なんかもうええわとなるんですけど、ここの大将は何でもやってみはる。石橋を叩き割らないその潔さにね、いつも“たいしたもんや”と教えられるんですけど、今回も「ええでええで、どんどんやってや」と思いました。
まず酒と肴から始まるというのがね、茶会にあらず、ですよね。お茶事のエッセンスを取り込みつつ“日本酒の日”をも思わせる。で、その次に出されるお菓子、これが女将の自家製ですわ。白い表面のひび割れたところから見え隠れする赤がマグマの様で…もうちょっとちゃんとお話しするべきやったと後悔。もちろんお味もかむなび特製の味わいで美味。目の前で作らはったもんを頂く…贅沢なはなしです。
そして“お茶室”へ。布で仕切られた普段8人掛けくらいのテーブル席の机上にゴザが敷いてあって、そこに風炉釜水指。立礼席の様で頂く我々客もそのゴザの上に出されたお茶を飲む訳ですからいわゆる“立礼席”とも違う…限られた空間がちゃんと“茶の湯”の場に。そうそうそうなんやと。いやいや、素人の私はそう思い、惜しみない拍手を心の中で送っていたのでした。
なんかね、ありますやん、いろいろと。取り合わせがどうやとかこれとこれは一緒に使わんとか道具の格がとか。それ考えたらがんじがらめに…先にも書きましたけど「もうええわ」になって「お茶は茶人のしはること」、とか「貧乏人は茶すんな」との思いに陥ってしもてましたが、私は…ええと思いますね。うん。 大将だけでなく女将も関わってはって、自分たちが良しと思ってる道具を使って…あ、特に今回入れ込んでおられたのが杉桶の水指。大桶職人集団“ウッドワーク”さんに特別に作ってもらわはったそうです。少しでも伝統文化が理解され、日常にも使われるものとなる様に願って皆に見て感じてもらってるとのことでした。
あれこれ写真で説明したいところですが、やっぱりパチパチは無粋ということで外観のみ。ま、想像でお楽しみください。
(於:中央区) 褒め殺し…ってコトバもあったなぁ。いやいや記事はいたって本気。
※関連記事:
『某お店の料理雑感。』 2013年5月 記
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コメント
過分なお言葉、ありがとうございます。
山本様にそう理解してただけでも今回のイベントをやってよかったなあと。
あとは、それ以外の色々な立場の方がどう感じたか?全ての人を満足させることはもちろんどだい無理なんですが、そういうことが可能になるような、なんらかの「大枠(言葉にはできないもんですが)」がもっと自分に備わればなあと思ったりも・・・まあ道は極めて険しいということです。
が、いずれにせよ本当にありがとうございました!
投稿: いとがー | 2016年10月 4日 (火) 15時14分
この記事読んで、なんか、行ってみたくなりました。
お茶事・・・難しく考えると、ものすごい難しいですよね。そうそう、道具合わせとかね、趣向とかね。でも、亭主側が「もてなそう」というか、「一緒にええ時間、持ちましょうよ」という思いがあったら、ええお茶事というか、お席になるような気がします。
以前、お茶を習っている時に、うちの先生にくっついて、どこぞの先生のお茶会に紛れ込ませて頂いたことがあるんですが、そらもう、なんぼえらくてもね、ええお道具出してはっても、「すごいでしょ?私、お家元の書付のあるお道具、こんだけ持ってるのよ。それから、このお菓子、ええとこのやから美味しいでしょ?」感が全面に出過ぎて落ち着きませんでした。なんか、おかしいんちゃうかなーと、若気の至りで思ったものですが・・・
楽しいお茶事、おちゃけ会、参加してみたいですねー。
投稿: 天王寺蕪 | 2016年10月 5日 (水) 09時06分
●いとがーさま
いやいや先日はええ時間を有り難うございました。
さすがにもっとあれこれ考えておられる様でますます楽しみであります。
今後も深い思考をフットワーク軽く泳いで次なるステージへと昇華されますこと期待しております。
こちらこそいつもおおきにです。
●天王寺蕪さま
よくね、センセと言い合いしたんですよ若い日々に。「箱書き立派な茶碗と自ら造った茶碗、どっち使った方がもてなしの心がこもってるか」ってね。若かったなぁ。勿論その頃は何の疑いもなく後者。その後は…だいたいわかるでしょ。どっちも真なりですわ。そういう意味においては、ちいとは成長したんかなぁと思ったり。
ただ、そこで大人しいしてるというのはアキマヘンなと。やっぱり「そんなんできへんやん結局」とならず、分相応の茶の湯を考えて楽しまんとこんなもん、ね。
またこんな機会あったらぜひ行ってみてください。
それから、以前の記事『初の茶事体験“夜咄”…まいりました』https://osaka.way-nifty.com/blog/2009/02/post-e12b.htmlもついでがあれば目を通してみてください。
お二人ともコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2016年10月 5日 (水) 16時35分
龍造さま、過去記事、読ませて頂きました。
そうですね、お茶事を経験して初めて「ああ、このお点前は、これにつながるんや」と思いますよね。その後いろんな人とお茶の話をする機会がありましたが、その度に、自分の先生にほんま感謝感謝やなあと思います。ほんまの亭主は勿論先生やけど、亭主の役(道具合わせのこと、茶室の準備、当日の順番等々)色々経験させてもらいました。
前にも書きました、私にとってはお茶事と言うのは、もてなす側も呼ばれた側も「楽しく美味しく素敵な時間を共有しましょう」と言う思いが基本やろうなと思います。
アホげにコメントするのも、そんな気持ち・・・でしょうかね・(笑)
投稿: 天王寺蕪 | 2016年10月 9日 (日) 21時21分
●天王寺蕪さま
私はね、長い「普段の御点前とかが茶道」やと思ってたもんでかなり「そういうことか!」と思ったんです。
いやホンマ、おっしゃるとおり。双方でええ空気を醸成していくもんやと思います。そういう意味では観劇なんかもしかり…似てる様な違う様な。いずれにせよ、アホげはみんなで作り上げてほしいなぁと思いました。感謝です。
投稿: 山本龍造 | 2016年10月14日 (金) 10時26分