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2016年1月15日 (金)

昭和なプラ看板 117 ● 東芝カラーテレビ

 毎年1月に訪れる伊丹空港、今年は時間あるしと蛍池駅から歩いて向かいますればそこに昔ながらな電気屋さん。この手のお店は“ナショナルのお店”ばかりではないんですな。
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 そこには“東芝テレビ”のプラ看板…まぁ国内市場には委託生産で供給継続とのことですけど、テレビはじめ、白物家電の自社生産を完全にヤメるとの発表が昨年末あったところ。その品質の良さを誇るかの様にキレイな状態なのが逆に…なんとも言えませんなぁ。
 しかしまぁ会社経営陣の不正で何千人の社員が首切りの犠牲になるって…何か違う様に思ったり。大企業に就職できたら生涯安泰やったことこそ、昭和なんでしょうかね。

(於:豊中市) 以前はSONYの看板も掲げられていたみたい。

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コメント

 西芝電機、ご存じでしょうか?
敗戦で集中排除法により網干工場が分離独立したもの。
同様に福島には北芝電機がありますが、南芝は無い様です。

不正会計がバレたのは運が悪かったとしか思ってない様な経営陣…危機意識が足りませんな…

東京芝浦電気、他事業が衰退しても向こう20年間は大丈夫と判断してた原子力発電事業がコケると完全にアウトですね とかなんとか。

投稿: 難波のやっちゃん | 2016年1月16日 (土) 09時51分

明けましておめでとうございます。今年も懐かしブログ楽しませてもらいます♪
昨年4月に38年ぶりに高槻市を訪れた時に住んでいた大冠町の商店街に行きました。まんま残っていました。冠センターや小僧寿司は消えていたけど…
ただ時代の流れで床屋も時計屋も電気屋も開店休業、シャッター街の趣でした。40年前にトランジスタラジオを購入したピカリ電器店も東芝の看板そのままに閉店していました。お店だけがそのまま原型を留めている感じでした。
当時のラジオは単3電池6本入れなければならない代物でしたが、76年に買ってから修理しながら20年持ちました。
古銭を売っているお店もロバートブラウンの看板が出ていた酒屋さんも消えていたな。まあでも40年経ってそのまま残っている事が奇蹟みたいな事だし。
また4月に時間があればまた高槻市を訪れたいと思っています。昨年回れなかった永楽町の新幹線高架下を東和町に向かって真っ直ぐ歩いたり、日向町近くにあった高架下の公園に行きたいと思います。(もうない可能性大ですが、あるか無いか確認だけでもしたいです)
懐かしい人と会うわけでもないのにふと当時見た看板を目の当たりにすると何であんなに愛しい気持ちになれるのだろう…

投稿: 小川太志 | 2016年1月17日 (日) 19時26分

●難波のやっちゃんさま
西芝に北芝…知ってはいるものの、それが財閥解体から来ているとは知りませんでした。
東芝はサンヨーやシャープと違って重電も手がけているから大丈夫…って思ってましたけど、確かに原発コケたらえらいことですね。ま、政府も外販に力を入れてはるんで…って無責任ななぁ。

●小川太志さま
こんにちは今年もアホげをよろしゅうです。
私がいま使ってるラジオは単二4本使うナショナルのクーガno.7です。懐かしのBCL機ですが、都心の谷底では地元局ですら雑音だらけ。はよワイドFM放送に移行してほしいもんです…ってクリアではAMの味わいはありませんけどね。
4月の旅、またお教え下さい。

皆さんコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2016年1月21日 (木) 23時47分

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