飛べん遊べん飛行機公園の
国産旅客機飛んだと沸くニッポン。公園には飛ばん飛行機が一機。
何や懐かしく思うもかつてどこで遊んだかももひとつ覚えてなくて。昔はそこここにあった様な気もしますが…どうなんでしょ。
プロペラもなく…って遊具ですからもちろん最初から飛べんわけですけど子供にとってはこれで飛べた時代があったということですか。いや、空想の中でのお遊びですけれど。あぁそう言えば電車やらトラックの運転手にもなれたなぁカンタンに。
リアルなシミュレーションもんのゲームだらけの昨今には役目を終えたと言うことかこの物件、立入禁止区域にひっそりと佇んでます。まぁそもそもきょうび公園に集う子供もあんまりおらん訳で、何やさみしい午後のひとときでした…ってそら平日の昼間に児童がおる訳ないですわな。
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コメント
MRJ初飛行のこの日(11月11日)迄このネタを温めておられたんですネ!
想えば、敗戦によりGHQによる航空禁止令が布告・国内にある全ての飛行機が破壊され・航空機メーカーを解体し航空会社を潰されました。
サンフランシスコ講和条約の発効で再独立を果たし、10年の歳月をかけ国産初のプロペラ輸送機YS―11が初飛行したのが龍造さんの生まれた昭和37年でした。
戦闘機“紫電改”を生んだ西宮で生まれた私は幼児から飛行少年でした…残念ながら未だ国産機が飛んでなかった為、非行少年となりオートバイに乗りました(笑)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2015年11月12日 (木) 08時34分
これは寂しすぎる光景ですね。
飛ばん飛行機も、走らん汽車も子どもにとっては妄想の世界でなんぼでも飛ぶし走るし。私なんか、いまだに「とんでけぶっち~」で、どれだけ妄想の世界旅行をしているか(笑)
けど、リアルなシュミレーションゲームを喜ぶのって、ある年齢以上ですよね。未就園児にはこういうのが一番楽しいような気がしますって、そういうお子があまりいてへんってことなんやろうか・・・
お題目はええし、ほんまに子どもを育てやすいようにして欲しいねんけどなあ。中央のぼんぼんもやし、大阪市にいてはる自分とこだけは子だくさんの人もやし。どこまでわかってはるんやろうかって思いますね。
投稿: 天王寺蕪 | 2015年11月12日 (木) 21時39分
こういう遊具って、あると楽しいし、見つけた最初は駆けつけて取り合いになったりするんだけど、結局、すぐ飽きるんですよね。
幼児用のブランコと滑り台とか、遊び方がほとんど決まっちゃうような遊具しかない昨今のきれいな公園を見てて思うのは、やっぱりようわからんもんがいっぱいおいてある空き地が最高の遊び場でしたわ。
投稿: おばちゃん | 2015年11月15日 (日) 12時08分
●難波のやっちゃんさま
いえいえ、そんな計画的にこのブログは運営されていませんですよ。
で、そうか、そういうことでしたか。その分を巻き返して世界で飛ぶ飛行機になってほしいもんです。
●天王寺蕪さま
確かにリアルもんのゲームは、そこそこの年齢に達しんとおもろないんかもしれません。じつは…私まだその域に達してへんのちゃうかと思われますわ。
●おばちゃんさま
なるほど。その通り。ドラえもんに出てくる下水管とか置いてある空き地の方がどんだけ楽しいか…ってそうそう、あのドラえもんっていったいいつの時代の話なんでしょうかね。
皆さんコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2015年12月 7日 (月) 00時04分