引伸機会社前の空地に朽ちたドラム缶…で、昔を懐かしむ。
そこは…ラッキー引伸機の会社の前。
写真はモニタで見る時代。プリントすると言ってもきょうびはプリンタ。写真屋さんや現像所にネガやポジ持ち込んでもレーザー光で焼付するのが普通という現状においては、“引伸機”と言っても最近の人にはわからんコトバですかね。
そんな引伸機ですから、フイルム同様と言うかそれ以上に売れんモンになって久しい訳ですがそれを作る工場がまだありました。ただし“ケンコー・トキナー”のいち事業所と姿を変えて。「やっぱりアカン様になったか」と思いつつも「まだ何かをここで作ってるんやなぁ」という安堵感も少し。
ここの作った引伸機、兄のを勝手に使い続けて三十余年。最後に使ったのは…粋狂な編集者からの「白黒をフイルム/プリント納品で」との注文があったときですから、もう気がつけば6年も使ってません。社会に出てからはファインプリント一筋でしたが、学生時分は今思えば「ナンダカナー」。
こんな感じ。別にドラム缶に大した意味もないのにさも何かある様に見立てて黒く焼いて…何やったんかなぁ。今思えば幼稚な遊びの様に思えて。
ま、今に至る過程で必要なことやったんかもしれませんので無駄やったとは思わんのですが…“若さ”ってのは、そんなモンなんかなぁと思たり思わなんだり。
当時はもちろん白黒でしたが、やっぱり同じことここでしてもなぁ…と、ちょっと色残してみましたけど。ま、そんな場所にこんなモンが朽ちていて、そこがまた懐かしいエリアでしたんでちょっと先祖返りしてみました。以上。
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コメント
昔はちょっとゴミを燃やすのに1斗缶、大きなお屋敷ではドラム缶を使ってるのをよく見かけたもんです。
ダイオキシン以来野焼きや蒔き風呂もできなくなって、火起こしはキャンプの時くらいかな?
ドラム缶も無人島生活での「五右衛門風呂」くらいか。
火起こしもカセットボンベや着火剤と、お手軽になりましたね。
投稿: 戦後派 | 2015年7月 8日 (水) 10時23分
DPEのE(enlargements)ですか…懐かしい…
ラッキー(旧藤本写真工業)のイメージプロッセッサー等部品の供給や修理も昨年で終了してるんですな。
芸術にはパトロンが必要…支援する行為を“パトロネージ”…ラテン語の“父”とか“保護者”の意味とか。
今度は龍造さん達が後輩に引き継いでゆく番ですね。
「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ。」 チト意味が違うかな(笑)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2015年7月 8日 (水) 13時08分
暗雲垂れこめて、廃墟然…
青春って不穏、ポジとネガですもんね。
なつかし。
投稿: mita | 2015年7月 8日 (水) 16時21分
黒く焼いた方は何というか、リアルじゃなくコトバじゃなく「心象風景」って感じですね。
若いときは“意味”がほしかったけど、なかなか見つからないことが多かったです。
頭の中はこんな感じだったかも。
しかし、写真なのになんか劇画っぽいなぁ。
投稿: おばちゃん | 2015年7月 8日 (水) 17時28分
●戦後派さま
いやホンマその通り。手紙とかの類のモンはゴミとして収集日に出すのも何とも気がひけるので、一斗缶で燃やしたいものの、最近そういう光景を見んもんでなかなかひとり街中でやるわけにもいきません。で、手紙ハガキ溜まる一方…
●難波のやっちゃんさま
さぁ、何を若い衆に伝えていくと言うのでしょうか。何にもないと言えば何にもない…最近「背中見て覚えろ」ってことの意味が少しずつわかり始めました。これって「技は盗め」という意味だけじゃなくて「いや、そんな教えるほどのもんはないわ」という謙虚な気持ちも含まれてるんやないんかなと。あ、勿論「教えてんか」ということには惜しげなく答えます、はい。
●mitaさま
わっ、うまいことあの頃の気分を言い表してはりますね。そういうことですわ、確かに。そらぁええ歳したら、こんな気分やないですわね。
●おばちゃんさま
こちらもまたうまいこと言い表してはりますわ。そうそう“心象風景”ってコトバで逃げていたんですなぁ、現実を直視してると勘違いしつつね。
あの頃はまぁ“大人になる”ってことに妙な抵抗感がありました。佐野元春も「つまらない大人にはなりたくない」と歌ってました。気持ちはわかる…でもね、大人になってこそ見えてくることあれこれあって…今は今で昔に戻りたいなんてこれっぽっちも思いませんわ。とか言いつつ、ガキのまんまなんですけど、アホげ通り。
みなさんコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2015年7月11日 (土) 09時40分
年賀はがきとか溜まりますねぇ。
仕事をリタイヤして職場のシュレッダーが使えなくなったときに、家庭用のを買いました。
ゴミの日の集積場所には、同じような細切れの紙屑の入った袋が1~2個必ず混ざってます。
投稿: 戦後派 | 2015年7月15日 (水) 07時16分
私も昔に戻りたいなんてこれっぽっちも思いませんが、なんかね、コトバにならなかったあの頃が懐かしくいとおしいです。
子どもができるまでは昔の自分が嫌いでしたが、子どもが「おまえは私か!?」と思うぐらいグズグズとどんくさく、でも正直で悪気がないのを見て、自分も許してやることにしました。
だから、訳分からんようになってる若い子に、できれば力になってやりたい。大丈夫やで、って言ってやりたい。
ただし、「子どもに要領は教えない」ってのが私の信条で。
うまい事やろうと思うな。当たって砕けろ!ってうちの子は幼稚園児の頃から言われてます…うざいかも(笑)
投稿: おばちゃん | 2015年7月15日 (水) 10時36分
●戦後派さま
あ〜なるほど、シュレッダーと言う存在がありましたね。私も買お…と思いましたけど、きっとハガキ手紙にはどっか「タマシイが…」みたいな風に思っているからゴミに出せず自分で燃やしたいと思うんでしょうから、シュレッダーもちょっと違うかなぁ。
とは言え何とか片付けていかんならんわけで、やっぱりそれに頼るのがとりあえずはいちばんですね。
●おばちゃんさま
私はねぇ、割とその頃から言語化する作業をして今に至ってるんですが当時、喋らんヤツら相手に「しゃべれや、考え言えや」と迫っていたのを思い出しました。そうか…「コトバにならん」ってことがあるんやなぁそう言えば。そこを突っ込んだったらアカンなんだんかもしれませんなぁ。
余談ですがまぁみんなでない知恵絞ってあれこれ語ってたとき「◯◯教の教えではな、こういう場合…」って言いよるやつおって…ヒートアップしました、はい。
若い連中のチカラになりたい…それ、ほんま近年思います。もっぱら仕事上でのことですが。
投稿: 山本龍造 | 2015年7月17日 (金) 10時29分