うまい 安い おまけにヘルシー 若い女 1人前…
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なくなってしもたら…そこに何があったのかさっぱり思い出せん。
東側に面していたビルの外壁と西側のそれ。隣り合わせに建てるとなると、見えんとこはこないにしかできんのでしょうけど…味のあると言うか何というか。目と口をレンガで塞がれたいびつな“顔”も…結構夜見たら怖そげ。
しかしどんな何という建物やったのかは…そや、こういう時はGoogleのストリートビューで見たらええわと調べますればここ、“昭和ビル”。そうか、この壁面も昭和の面影ってことですなぁ。コンクリブロック使って建てていると言うのも「ほんまかいな?」な驚きだったんですが…ま、昭和の頃には普通の工法やったんでしょうかね。
あぁちょうどよかった。なんぞ昭和ネタでと思っていたらこんなビル名やったとは。4月29日、今日は“昭和の日”
(於:中央区) “赤ちゃんの名つけ”も解体がはじまった…
※関連記事:『隣接ビル解体で表面化、ワイルドな壁面。』 2011年6月 記
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あ、京らしい会館発見。
“染匠会館”…そうか、きっと友禅染の匠らの集いがこの会館に事務所を構えてるはるんやろ…とテナントの看板見ても生花やら茶道、水墨画にあ…盆石なんてのもありますな。なんと風流な会館内やことで。ま、1階は飲食店みたいですけど。
てなわけでどうやらこの会館はただのテナントビルという状態の様です。
帰宅後調べてみますればこの“染匠会館”という名の建物は2つあるそうで、もうひとつの染匠会館に“京都工芸染匠協同組合”が事務所を構えているとか。なるほど…の様な、なんでふたつも?の様な。家賃収入を組合の運営費に充てるという為のモンなんでしょうかね。
で…友禅。あ〜何にも知らんというこの事実。キモノに縁がないとこんなもんなんか…否々、色んなこと知ろうとせんだけの話ですな。自分が興味あるもんしか知ろうとせん様ではあかんなぁって…何年思てるかね。
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今日は…暑かったぁ。
堺市堺区は某所で仕事。電算室の片隅みたいな部屋でその機器類から発せられる熱気もあったんでしょう、もうベトベトに汗かいて…ほんまええ気候の時期って、何か年々少なくなってきている気がしますが、どうなんでしょ。
この暑さに植物も正直に反応してたのか、朝、待ち合わせまでに時間あるわと歩いた南海は堺駅界隈の一角で、写真の様な光景を見ました。はやくもツタ類がもう青々で…なんとも言えん軟体動物っぽくて“触手を伸ばしてる”って感じです。ビルとビルの間でこの状態、8月にもなれば何か完全に呑み込まれて建物があったことすら忘れ去られてしまいそうですなぁ。
気色悪い光景。でも、これでええんかもしれませんなぁ。ツタに覆われ虫やネズミや蛇が湧き、自然に帰る…わぁ、想像したらもっと気色悪なってきましたで。
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今日は和歌山市内某所で仕事。和歌山はいつ来ても小旅気分になるもんですな。駅前には酒屋直営の呑み屋もあって…よっしゃ、帰りは呑んで帰ろ。
てなこと思いつつ仕事前にあたりを行きますれば崑ちゃんがすりガラス越しにこっち見てはりますわ。いま流行りの琺瑯看板でレトロ感を演出してる店かいなと思いしたけど、どうやらそやなさそう。ガラス割れて「ちょうどええわ」と看板で塞いではるわけですな。
まぁこれで充分その目的は果たせてますけど、ちょっと気の毒な感じ…崑ちゃんが。180度というか天地逆に置かはったら氏も見晴らしよくて喜びはるやろうに。まぁそう置くと、結構ドキッとしそうにも思いますけど。
(於:和歌山市) これが“アース渦巻”やと、すりガラスも効果的かと。
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今日は年に一度の池田での仕事。午前中に終えてしばし街を散策。商店街を抜けたら落ち着いた町並みに風格のある“呉春”の酒蔵に、どことなく清楚(?)な感じの“緑一”の蔵元…このあたり、いつ歩いてもええなぁと思いますわ。
そんなかつての銘醸地にある酒屋さん…と言ってももう自販機のみの商いの様子ですが、見上げると、そこにはこんなプラ看板。
“神鷹”…ですわ。実質呉春だけが残る池田ですからまぁ無理もないですか。しかしながら、明石の蔵の看板があるというのもやっぱりちょっと「へぇ」な感じがします。
「酒は神鷹、男は辛口」ってフレーズがサンテレビでCM流れていたのは…もう40年ほど前のことでしょうか。当時は小学生。ザラついた画面に知らん銘柄ということで何とも言えん遠い地方の地酒なんやろなぁって感じで、蔵元の江井ケ島酒造がまさかウイスキーやらワインやら焼酎なんかも手掛ける総合酒類メーカーやとは思いもしませんでした。
しかしなんですな、この典型的な徳利のシルエットに“神鷹”と赤で記されていて、何とも言えん昔ながら感がよろしいなぁ。思えば…最近はあんまり徳利で燗酒呑まれん様になった気がしますが…どうでしょ?
で…そうそう。この手のプラ看板ですが、やっぱり激減しているそうですね。ネットで“飲食店の酒銘柄入り看板激減の謎に迫る!?”と言う看板屋さんが書かれた記事を見つけまして、それによると四半世紀前に年間200本あった注文が今ではせいぜい10本とか。そうか…これだけ個人経営の店がなくなりチェーン店だらけになると、特定の銘柄だけの看板も出番なしでしょう。
店舗がなくなれば看板もなくなる。その上琺瑯看板の様な耐久性もないわけですから、きっと急速に町からその姿を消し続けていると思われます。“昭和なプラ看板”シリーズもそれなりに価値ある記録になっていってる…かなぁ。
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先日は近鉄は喜志駅で下車して仕事の現場へ。“喜志駅”て…わかる人にしかわからんでしょうなぁ。あぁ懐かしい。
駅前はあれこれ昔とは変わったなぁと思いつつも、ちょっと旧村へ入りますれば昔ながらな風情のまんま。ええなぁと思いつつ歩きますれば、こんな看板。
…ってこの様に写真で見てももひとつか。要するにプラスチックにプリントされた注意喚起+広告の板の黒インクの部分だけが凸状なっています。結局“注意”やら“◯
◯電化サービス”の肝心な部分が他の色を使っていたのかすっかり消えてしもて…はは、何のための看板やって。
しかし何ですな、“子供飛び出し”って文字が残るものの、なんや絵はジコチューなドライバーに追いかけ回されている少年と犬っていった風情。その感じ、いかにも’70年代…すなわち経済成長最優先やったであろう時代を彷彿とさせますなぁ。
それから40余年、富田林にこのお店は今も健在の様です。
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今日はお茶の稽古。近鉄は恩智駅で降りて恩智川を渡ったところに大正銀行なんですが、その橋の名前が、これ。
見ての通り“大正橋”。大正銀行の前に大正橋…これはたまたまなんでしょうかね。
大正銀行の前にあるから“大正橋”と付けた様に考えられますけど…そんな安直なネーミングするかなぁと思ったり。ま、あとはこの銀行が出資してこの橋ができたというのもありますかね。
大正銀行と言えば今月、四国の銀行グループ“トモニHD”の傘下に入ると発表があったところ。“行名は変更せず”とのことですが…どうかなぁ。ま、そのうちこの橋も“トモニ橋”と改名されることでしょう…ってネーミングライツかいな。
(於:八尾市) まぁ“モスリン橋”みたいなもんかいな。
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今日は関空の対岸、りんくうタウンで仕事。ここは…もひとつ好みの街ではないなぁと思いつつあれこれ構造物見てると…ちょっと懐かしなってきて一枚二枚。
学生時分、ビルなんかの造形美がかっこええなぁとそんなんばっかり撮ってました。まぁはやい話“どう切り取るか”ってだけの話で「こんなんでええんかいな」と思いつつセンセも「それだけでよし」と言わはるし…でも、アカンでしょ。
何ややたら無機的なモンに惹かれたけれど…あれは若かったということなのかその時代の流行やったのか。
趣味嗜好って変わっていくねんなぁと思いつつもやっぱり変わらんなぁと思ったり。ま、そらずっと同じ人間ですから、ちょっとやそっとではコロッと変わらんかなぁ。ほかには…やたら自己主張するのを良しとしていたっけ。それも随分なくなりました。これはええ傾向やと思てますが…案外ただただ迷走の日々ってことかもしれんしなぁ。などとウダウダ。失礼。
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さほど珍しいことでもないみたいですが。
桜井の街を行きますれば…うわぁ、アロエがえらい育ってまっせ。人間の身長をはるかに上回って…これは3メートル近くあるんやないでしょうか。おまけに赤い花までつけてなかなかええ感じ…って、ちょっと怖いくらいとも言えますなぁ。
まわりにも植物の数々。植物を愛するお方はやっぱりうまいこと育てはるということなんでしょう。うちにもアロエがありますが、前の住人が置いていったヤツで、別にいらんなぁとほったらかしにしてましたら、枯れはしませんが大きくもならんで…ちゃんと面倒見たらなあかんかなぁ。
で、もうひとつ。これもデカイなぁ。
手前のサボテンも気になるところですがやっぱり奥のツンツンの立派さが…ちょっと怖いくらいです。
何の植物かいなぁと調べますればこれもアロエでしょうか。アロエは大まかに2種あって上のは“キダチアロエ”、こっちのは“アロエベラ”。食用にするのはこっちの方とか。そうか…いくつも切った跡がありますから食べてはるねんなぁ…と写真見て思てましたら…残念。アロエベラは寒さに弱く日本では沖縄あたりでしか育たないとか。と言うことはこれは竜舌蘭か。な〜んや。ま、サボテンとセットでちょっと変わった民家の庭先ということでひとつお許しを。
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実際に合わせるべきか、モノに垂直を合わせるべきか…
垂直に貼られていない町名看板。町で見かける分にはさほど気にならん(ウソ)ものの、この様に載せると…何とも落ち着きが悪いもんですわ。看板主体に考えると垂直出しした方がええ様にも思いますし、事実伝えた方がええとなると、このままの方がええと思いますし…ま、そんなことはどうでもよろしいか。
防火水槽をたくさん見つつ伊勢街道を行き橋を渡りますれば、民家の合板上にキレイな琺瑯製の町名看板がありました。
“下田上之町”…この町名も通称名なのか旧町名なのか昨日の記事同様、ネットで調べても出てきません。で、Googleマップでここの場所を調べますと正式住所は“外山424”とのこと。ただ、地図上には“外山下田上之町”の表記もありますので、まぁ言うと京都市中の地名の様に通称名ということなんでしょう。
で、この地名を調べているうちに知ったのが、この“外山”。外山と書いて“トビ”と読むのやそうです。これは…全然読めんですなぁ。桜井の中心地からちょっと外れているから“飛び地”という言葉から付いたんかいなとか思ったり。ネットで調べた限りでは“原形は 外(と)美山(びやま)、 外見(とみ) 山(やま)”(サイト『伊那の谷から古代が見える』の“地名の話”より)というのとか、“日本書紀等に出てくる鵄邑(とびむら)から来ているのではないか”(サイト『懐古ism』内“奈良県桜井市 (1) ”より)などがありました。
地名もさることながらこの手の町名看板で気になるところはもうひとつ、広告部分ですが、そこには“銘酒 先發 稲田醸”の文字。“先発”という名も変わっていますが、酒名にして丸ゴシック体を使っているところが何とも珍しい…と思いましたが、レッテル(カンキ堂のサイトより)ではヒゲ文字が使われていた様子。ちょっとガッカリ。桜井市の谷で醸されていたお酒で“県産米を桜川の伏流水で仕込んだソフトな甘口派”(昭和57年発行『日本酒全蔵元全銘柄』主婦と生活社 による)やったそうです。残念ながら廃業され今は町の酒屋さんとして残っている様です。
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島根旅ネタも終わり今日から普通の状態で…とは言えしばらく大阪以外の物件が続きますが。
桜井でも街道沿いにたくさんの防火水槽が残っていました。第151号となるこの物件は、もう本来の目的を果たせぬままここに佇んでいます。質の悪いコンクリって、この様に砂化して…まさに土に帰っていくんですね。こんな状態になっていてもフタも付けられていて、それなりに大切にされている様子です。
こんな状態で大丈夫なんか?と言う声が近隣住民からがったのかどうなのか、対策として目の前に消火栓が設置されています。きっともう安心しきって隠居の日々をのんびり送ってる感じでした。
ちなみにこの場所ですが、住所表示板によると“桜井市本町通六丁目”とありましたが、Googleの地図ではその住所で表示されずで、どうやら正式には“桜井828”の様です。難波のやっちゃんさんが“むかし桜井町西口町3、いま桜井市西本町通5。”の記事へのコメントに記されたとおり、この辺の住所はどうなっているのか…もひとつわかりません。
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島根旅の最後は松江で素泊まり。さて夕御飯どこで食べよかと街に繰り出しますれば…あったあった。
ハイ見ての通り。これは…スナックビルの様なもんなんでしょうかね。“Haikara”はともかく“biru”が何ともベタベタな感じでよろしいなぁ。
で、ハイカラ。私てっきりハイカラット(High-Carat)が語源やと思い込んでいました。その昔、京都のフリーペーパーに“ハイカラット”って言うのがあって、その綴りが確かHigh-Caratでそれが正しいと思い込んでましたが…違たんですね。
ハイカラはハイカラーで“high collar”から来ているとか。high collar…高い襟=つまりワイシャツで西洋の生活様式を指すコトバとか。そやったんですね。正直言いますと私ちょっとその様なニュアンスには使ってませんでした。実際にはもっと幅広く褒め言葉にも揶揄するコトバにもなっている気がしますが。
で…ハイカラといえば“ハイカラット”でとよすのあられにその名のものが昔ありました。葉っぱっぽい形状の塩味の揚げおかきで青色のアルミ包装に入っていたやつ。当時は“ハイカラ”のことやと思てましたが…揚げおかきで“カラット”やったんですかね。いま気づきました。
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出雲大社から一畑電車に乗って出雲市駅へ。あたりをしばし探索。商店街には造り酒屋(+旭日)もあってええ感じ…とは言え、さびれてる感は否めませんなぁ。
普通の酒屋さんは…もう自販機で飲みモンだけの商いをしてはる様子。ではありますがこの店の規模にして看板のやたら大きいのがよろしなぁ。
まぁ記事化するほどではないかと思いつつ、やっぱり今日ではありそでないこのインパクトある物件は載せとかんともったいないなぁということで。ちなみに“旭日”は現存するも“福授”は現存せず。めでたいええ酒名ですのになぁ。
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今まで何度か2本の木が一体化したものなどを愛でてきましたけど…たいしたことなかったですなぁ。
出雲大社に参拝。鳥居をくぐり左右見ながら進みますればいたるところ根っこが一体化した様な木々だらけ。こまめに探せばきっとその数無限大やないかなぁと思うくらいに。
やっぱり歴史あるエリアは深みが全然違いますわ。もう普段見かけるこの手の木々の有り様はたいしたネタではないんやとノックアウトされた感じ。
で、ですわ。出雲大社と言えば縁結びの神とも言われているわけですけど、それでわざとこれらみたいに木々が一体化し和合する様に植樹してこうなっているのやないかとも考えれますなぁ…ってまぁ、神の力で木々がこの様に和合しているとも考えられますか。やっぱり“縁結びの最強スポット! ”などと言われてるところは…ちゃいまんなぁ。
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旅の途中、あちこちでサクラが楽しめました。
旬を過ぎたのかこういう種類なのか、花は数輪を残すのみとなり葉ざくら状態ですが、新緑もキレイなもんですなぁ…ってまぁそれより、どこから生えとんねんって感じ。コンクリの境目から草と共に…頑張ってますなぁ。
先日テレビを見ておりますれば、やはり同じ様な状況の桜の木が紹介されていました。それはソメイヨシノっぽかったんですが…ソメイヨシノって確かみな接木で増やしてるのと違いましたでしょうか? そしたらなんでこんな風に勝手に生えてくるのか…まぁこれはソメイヨシノやなさそうですが。
てなこと思い、ネットで調べてみますればYahoo知恵袋にこんな質問が。そこには実からも発芽し大きく育つとか。そやったんですな。時折見かけるあの小さいさくらんぼを植えたら育つということか…いっぺんやってみよか。
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宍道駅で木次線から山陰本線に乗り換えて出雲市へ。次の列車までちょっと時間あるわと駅前探索。「何か…ありそうやで」と路地に入りますれば…やっぱり。
ちょっと工場の様な建物の隅でパレットや薪に囲まれてやや小振りの琺瑯タンクがありました。
あったとは言え、何かに使われている風でもなく…と言うか、この建物自体が何となくもう稼動していない様な雰囲気が漂っておりシンと静まり返っています。
改めて表通りに出てその建物を確かめますれば、やっぱりもう営業されていない様子。ちょっとさみしいもんがありますわ。
これが、その建物。広告塔にはデンと“酒”の文字。右下には“大蔵屋”とあります。
何かね、この建物を最初見た時「ん?何か酒の工場っぽいなぁ」と思いまして。まぁ見るからに“酒蔵”な風情ではないのですが「酒づくりをヤメて酒のDSをやってはったのちゃう?」という風に…ま、勝手な解釈ですが。
帰宅後あれこれ調べてみますれば地図にここは“ギンヨウ大蔵屋”とありました。次に昭和30年発行の醸界年鑑で宍道町の蔵元を探してみれば…あった。『銀洋』という酒を醸す田中某という蔵が。
やっぱりここは造り酒屋の流れを汲む物件の様ですね。てなわけでこの琺瑯タンクでは清酒“銀洋”が醸されていたのに間違いないでしょう。
何年に酒づくりをヤメられたのか、また、今も酒販店として営業されているのかどうかはわかりませんでした。ちょっと古いデータの様ですが“元造り酒屋の親父が選んだ酒”が売りで、日本酒は“「菊正宗」「白鹿」のようなスッキリした銘酒をお勧めしています。”とのことやそうです。…そうなんですね。
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この日は出雲八代の駅からクルマで数分ほどにある博物館で宿泊。夜は展示品の中から出された問題を探し出すというゲームもあってお子も満足。宿泊費激安で大人も…えら満足。
風呂は近くの温泉で。湯上がり後、椅子に座って壁見れば…掛物の数々。
どうやら近隣の皆さんからの寄贈でここに展示されている様です。ここらでは…これらの絵が床の間に掛けられているということですかね。
で、思ったんですけど、これらの掛物と、ほら、鶴瓶さんの“家族に乾杯”に出てくる様な家でよく見る玄関先のピカピカの根っこの置物(変木)とかトラなんかの毛皮の敷物に何か通じるもんがあるなぁと。そのニュアンスおわかり頂けるでしょうか。
いわゆる京都や大阪ではまぁ見かけんモン…それだけのことですけど、自分としてはちょっとした「!」があったもんで。
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木次駅から出雲八代へ。2時間に1本ほどの木次線を行く一両のディーゼルカーから眺める景色の何とのどかなことか。「もうじきかなぁ」と思てるところで停車した駅の構内が…ん?ちょっと変わってまっせ。
ホームと駅舎のあいだに畝があって…畑みたいやと上見れば“駅ナカ農園”の文字。いま流行りの“駅ナカ”も、ここではこういう展開になるんですなぁ。洒落っ気たっぷりと言うか何というかちょっと自虐的?…ってそう思う自分の価値観が間違うてますわな。イカンイカン。
帰宅後調べてみますればこの“駅ナカ農園”は“ナニコレ珍百景にも選ばれた名物駅”とか。なぁんや…ってまぁ、そらそうでしょうな。
この農園になっている部分は元々線路があったところの様。この駅の利用者は近年一日わずか数人ということで列車本数も減り、この様になったんでしょうがそんな状態を卑下することなくユーモアを交えてこの地の良さをアピールしてはる…よろしいなぁ。
そう思うものの下車することなく出雲八代へ。2時間に1本では…なかなか予定外の行動は取れんもんですわ。
(於:島根県雲南市、下久野駅) ディーゼルカーやのに“電車”とついつい言うてしまうもんですわ。
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小ぢんまりした木次の町には、百貨店もありました。
こちらもやっぱり小ぢんまり。身の丈にあったというか町の規模にピッタリサイズでええ感じ。
この百貨店、写真には撮れませんでしたが最初見たときは若い衆が店からあふれるほどの賑わいで「へぇ〜」とちとびっくりしたんですが、引き返して今度前を通ると、ご覧の通り何事もなかったかの様にひっそりとしていました。
調べてみますればこの百貨店、学生服の扱いもしてはるとのこと。そうか…あの若い衆は入学を前にした中高生がたむろしとったわけで…春ですなぁ。
ま、これだけではちょっとネタ不足気味ですか。ではシューズショップも載せておきましょう。
百貨店より靴屋さんの方が立派な佇まい。メインは地下足袋…とか何とか。
(於:島根県雲南市) この街には酒蔵もあって酒名は“太平洋”。不思議なネーミング。
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島根旅ネタをふたたび。
CX1壊しCX5に持ち替えき木次の駅前をしばし散策。昔ながらなええ町並み。逆に言うとちょっと寂れた感もあるわけで、そんな街の一角に廃業したガソリンスタンドが一軒。
スリーダイヤモンドがくっきり…三菱のマークって、じっくり見ると尖っていて割と怖いもんですなぁ。
三菱石油が日本石油と合併し、社名から“三菱”が消えたのが2002年のこととか。へぇ、もっと前になくなったかと思てましたが。
それでも未だにガソリンスタンドに三菱マークを見ますけど、それは“三菱商事石油”とか。ナショナルと言っても松下電産と松下電工があったみたいなもんなんでしょうかね。
奥を見れば“プレミアムZ”。これも懐かしいですな。懐かしい割に全く色褪せてないのも不思議な感じ。
プレミアムガソリン…“無鉛ハイオク”ってのが流行った時期がありました。あれこそバブルって感じでしたな。名神は京都南インター北へちょっと行ったところには“ハイオク専門”とこの三菱のプレミアムZしか給油できんスタンドもありました。他にもダッシュスペシャルやらシエットGP-1やらα100やら…何やったんでしょ。
とは言えじつは当時一回だけその手のハイオクを給油したことがあります。プレミアムとは全く無縁な2サイクルエンジンのスズキキャリイを廃車にするときに「最後にご馳走食べさせたろ」と思って昭和シェルの“フォーミュラシェル”を入れました。その時にもらったキーホルダーが上の写真。昔はまだまだ給油してもらう時に店員にキー渡してましたが、このキーホルダー付けてたらコトバ交わさずしてハイオクが給油されるということの様でした。
それから四半世紀以上…クルマは3台変わりましたけど、何となくキーホルダーはフォーミュラシェルを使い続けてます。なかなかええ風合いで…こんなのくれたというのも、やっぱりバブルやったんですな。
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今日は吹田市某所で仕事。阪急京都線は正雀駅で降りますれば…何と狭い駅前やこと。やというのにタクシー2台が鉢合わせ。Uターンもすれ違いもできん様ですけど…どないするんかなぁ。
そんなこと思いつつ先へ進みましたら、これまた何とも駅前らしからぬ一角が。
仕事前に愛でる気分的余裕もなく帰りに1枚2枚。シュロがええ味出してるなぁと思いつつ近寄りますればうわっ、ちょっとした草むらですよ。おまけにツタ絡まって玄関も開けられませんな…ってそもそもそこまで行けませんがな。
秋にはきっとコオロギなんぞ鳴いていてより駅前とは思えん風情を醸し出していることでしょう。
見たところコンビニもラーメン屋も吉野家もない駅前…そんな駅が大学の玄関口やというのがちょっとびっくりかも。まぁ学内にこもって勉学に勤しむにはええ環境とも言えますかな。
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とにかくさみしい。
旅の途中、木次駅のホームで手を滑らせて我が愛用のRICOH“CX1”がアスファルト上に叩きつけられ…重体。レンズ部凹んで歪んで出し入れもできん…当然撮れん。はぁ。
歳とると、水分抜けて手がカサカサ。それでスルッと滑った訳ですけど…ホンマにそれが原因なんかなぁ。数日前、キヤノンから送られてくるmailにあるこの手のカメラのスペック見て「おっ、これ欲しいかもなぁ」とふと思たその気持ちが、愛機を壊すという行動に無意識に表れたんとちゃうんかなぁ…と思ったり。いや、案外その私の気分を察したCX1が「そろそろおひまを…」と思って落ちよったんかもなぁ。
2009年10月1日の記事から5年と6ヶ月、アホげはほぼ毎日このカメラによる画像で更新されていました。そうか…もう5年半も使ってたんですなぁ。見た目も使い勝手も仕上がりも全てが気に入っていたんですよこのカメラ。カメラに興味のない私がそう思うくらいの気に入りようで…RICOHってのも何となくくすぐられる要素でしたかいなぁ。
そのRICOHもコンパクトデジタルカメラからは撤退した模様。そやったらやっぱり修理に出そうか否か。かなりの修理代を思うと買い替えがお得なのはわかってるけれども。ま、しばらくはモヤモヤしながら次のを探すことでしょう。それまでの間はうちのひとのRICOH“CX5”を借りておこ。「ええかも」と思たCanonのそれは…思いのほか、高かったからなぁ。
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防火水槽ネタが続いている間にちょっと山陰は島根県に鉄道旅へ。
お子が「新幹線乗りたい」と言う希望を織り込んで“山陰めぐりパス”でまず岡山へ。そこからああやこうやと乗り継いで島根県下をあちこちと。よろしいなぁ鉄の旅は。でもまぁあんなネタこんなネタ車窓から見えてもなかなか撮れんのが残念なところ。道外れにある県道の道路標識のツラに蛍光灯の街灯が付いてるモンとか、リポビタンDの空き瓶ばっかり最低でも40本は放置されている路線バスの待合所とか…あれは何やったんかなぁ。
それでもまぁ列車の乗り継ぎ時に生じる時間には駅の外へ出てちと探索もできるわけで、山陰本線は大田市駅前では、こんなもんを。
赤い自動販売機が純和風な小屋の中にて商いをしてはります。祠の中で某国を祀ってる様にも見えるし、土足で家に上がりこんできてそこに居座ってる様にも見えるし…いやぁ何というか、ニッポンな光景や事で。よく見れば屋根にシャチまで…
とまぁ勝手な解釈をして面白がって撮ってますと「◯○(名前)も撮る」とお子。何をどう思って撮ってるんでしょうか。まぁよかろ、デジタルですからね。しかしながら本来はこの小屋のような建物は何だったんでしょう。バス停やった様にも見えますが、案外ホンマに祠やったんかもしれませんなぁ。
ついでに…大田市駅の跨線橋はこんな感じ。昔ながらな造りの上に、なぜか光まわりがセピア調で…よろしなぁ。そこに“酒 白藤・三瓶山”の広告。そう、この旅で「そう言えば昔“三瓶山”と言うお酒を四半世紀ほど前両親が買ってきてくれたことあるなぁ」と思うも全然見当たらなくてもうヤメたのかと諦めてましたらこんなところに。ホッとしました。が、ネットで調べても出てきませんので、結局どうも看板だけが取り残されていた様で…さみしい様な、看板だけでも出会えてよかった様な。甘めで濃い目やったと記憶するあの味には…再会できませんでした。
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