むかし榛原町新吉田、いま宇陀市榛原萩原2663。
先に宇陀市某所に行った折、帰りしなにも少し駅周辺を探索。古い町並みがええ感じやと思いますればそこは伊勢本街道。少しそれて先へ行きますと、木造家屋の片隅にカメレオン状態の町名看板を発見。
見ての通りかなりの経年変化が生じていますので全くその役目を果たしていない物件ですが、まぁ“新吉田”は読めます。ですがその上は…町村合併前の“榛原町”と記されているのでしょうな。
現行の町名看板がどこにもなかったので帰宅後調べてみますればここは今“榛原萩原”という地名の様で、2006年から2011年は“榛原区萩原”の住所だったとか。
新吉田…この地名、ネット上ではほぼ確認できませんでした。“新”と付くのが気になるところ。ただの“吉田”もあったのか、新旧の新ではないのかもしれませんね。
…とまぁ謎の町名も気になりますがやっぱり広告部分のMobilがええ味出しているのは言うまでもありません。こちらの石油店も、やはりネットでは見つけられませんでした。てなわけでこの看板は…まったく用をなしていないわけですなぁ。ま、昔の町名を伝え続けていくという使命を背負ってはいますけれども。それも大事ですな。
| 固定リンク
「町名看板」カテゴリの記事
- 無町名無番地(2019.12.01)
- 木製の仁丹町名看板、上京区上柳原町。(2019.10.29)
- 文字部分透明化、玉造本町4の町名看板。(2019.10.17)
- 大垣内町一丁目10の“丁目”がナナメ(2019.08.08)
- 表記二重で立体的、かっこええ市岡元町一丁目1の町名看板。(2019.07.12)
「大阪、京都以外」カテゴリの記事
- 生垣、真一文字。(2019.08.10)
- 添え木、生長した木に羽交い締めされる図。(2019.08.09)
- 双子の雪だるま風マンション(2019.06.24)
- 伊根湾のカモメにウミネコ2、その後網野町へ。(2019.04.27)
- 四軒文化(2018.04.25)
コメント
40年近く前になるでしょうか、当時の上司が駅の北 あかね台に引っ越しまして、新築祝いに皆で訪問しました。
上六から特急で約一時間、バブル以前でしたので敷地も200坪超と、なんか別荘気分で庭で榛原牛のバーベキューご馳走になりました。
で、ニュータウンとニュータウンの間に旧村部があり、初瀬街道旧道沿いが確か新吉田だったような…
榛原萩原には今はエッソは無くエネオスか出光ですね。
その上司も70歳を過ぎ足腰が弱り坂道がキツイので、都心回帰し今は上六のタワマンに住んでいます。
でも標高はあかね台の平屋の方が高かったとか…
投稿: 難波のやっちゃん | 2015年3月13日 (金) 21時12分
「区」といえば政令指定都市かと思われがちですが、行きつけのスキー場でも集落の「長」は「区長」と呼ばれています。
歴史のある村で「惣代」が絶大な権限を持つと言われ、所謂「二重行政」?
村役場と惣代会が其々の役割をこなしておられます。
大阪市民からすると、なかなか面白いシステムです。
投稿: 戦後派 | 2015年3月14日 (土) 07時24分
●難波のやっちゃんさま
榛原やら名張あたりに一軒家建てたけど、結局大阪に戻ってきたという話は…割と聞きますね。三田や丹波の方でも同じなんでしょうか。どうも違う様な気がしますが。
都心部の高層マンションはこれからもドンドン郊外の新興住宅地から人々を吸い寄せることでしょう。で…そうか、都心の方が高齢化社会になっていくということなんですね。ほな減らした小学校を増やす必要も無いわけで…ええ様なそれでは困った事の様な。
●戦後派さま
総理大臣と天皇さんみたいなもの? ちょっと違いますか。
旧村は旧村でそれなりにええシステムが残っているんやろなぁと思います。
何かね…多数決が諸々劣化させていく気がして…
お二人ともコメントいつもおおきにです。
投稿: 山本龍造 | 2015年4月14日 (火) 09時52分