山本駅の南側…八尾市小阪合町四丁目6の光景
馴染みある近鉄大阪線の河内山本駅、南から見ると…
…そうか、こう見えるんや。文化住宅にネギ畑、ナナメに立つ電信柱…赤いケイトウもアクセントになっててよろしいなぁ。
この駅のホームのネキにある小屋に“ハウスカレー”の琺瑯看板があって…もちろん昔っから変わらずそこにあるんですが、その光景をホームから見るたびに「田舎な感じやなぁ」と住宅地山本の風情にマッチせん存在として愛でていましたけど、こうやって見ると、じつにあるべきしてここにあると言った風です。
この駅までが街、その先は田舎と思っていましたが…この駅もこんな田舎な風情のところにあるんやと再認識。いつまでこんな雰囲気の駅前であり続けるのか…高架化されるとコロッと別世界になってしまうこと必至。とは言え、隣の高安駅に車庫がある以上、高架化されんという話も聞きますし、しばらくは田舎なままでしょう。ま、いつまでも変わらんと思わん方がええかとは思いますが。
※関連記事:『“即席”ハウスカレーに想う…』 2007年7月 記
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コメント
そうですねぇ、阪神の尼崎も高架になってるし、南海本線の住之江なんか車庫ごと高架になってますもんね。
南海も阪和線も高架が進んでますね。
踏切事故を減らすには良い方法だと思います。
年々階段が辛くなってきて、エスカレーターがあれば利用してますが、エレベーターを待つよりは階段を選択しています。
何時まで続けられるやら・・・。
投稿: 戦後派 | 2014年11月26日 (水) 08時12分
今さんの小説「河内風土記」巻之五まで読みました。
若い頃、映画“悪名”シリーズはよく観たもんですが、四月に今東光資料館が八尾図書館3階に出来たと聴き、お吟さま・闘鶏・こつまなんきん等いわゆる“河内もの”を読み漁っています(笑)。
で、小坂合村は天台院のある中野村に次いで度々登場します。山本のほん駅のネキでも未だこんな風景が残ってるんですネ(吃驚)。
風土記には主に昭和30年代前後の風俗が描かれています。それから半世紀以上経つ現在、当時と大幅に変わったもの、変わらぬもの…イメージを膨らませながら歩いております(汗)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年11月26日 (水) 08時42分
いい感じですねえ…
なんで“ハウスカレー”なんやろと思ったら、実物にそう書いてあるんですね(笑)
山本と言えば、知り合い(一回りほど上です)が昔この近くの高校に通っていた頃、水路沿いの通学路で毎朝のように“八尾の朝吉親分”と会い、「おはようございます!」と挨拶していたそうです。
朝吉親分、高校生でも知っている地域の有名人だったんでしょうね。
投稿: おばちゃん | 2014年11月27日 (木) 12時38分
ホームから鶏頭が咲いているのを毎年見かけますが、もう数十年ですね・・
反対からはこう見えるのですね、文化住宅もトイレ配管丸出しで、すぐ北の高級住宅街とは対照的です。
玉串川の支流にある、川の中の井戸・・今だ 解明できない・・
投稿: 元鉄道信号人 | 2014年11月27日 (木) 17時48分
元鉄道信号人様 山本町4丁目と5丁目の境の井戸ではないでしょうか。70年ほど前の子供の頃の記憶ですが、川の中の井戸から元大和川の伏流水(?)を汲み上げて、仰る支流に流していました。当時は旧村落以外凡て田畑が占め玉串川も水量の少ない河川でしたので、井戸水を灌漑用に使っていたものだと思います。かって山本地区に飲み水を供給していた大きな井戸が4丁目にありましたが、戦後暫く、この井戸水も玉串川本流経由で支流に流していたのを思い出しました。耄碌頭の記憶です。間違っていれば御免。正していただければ嬉しいことです。
投稿: 戦中派 | 2014年11月27日 (木) 21時08分
朝吉親分のモデルと言われた⚪️田浅吉さん、昭和52年に70歳で亡くなられたとか。
養子さんは西山本で会社経営されていますね‥
モートルの貞さんはご存命なのかな❓
そんなワケ無いか(^_^;)
投稿: ん❓ | 2014年11月28日 (金) 07時25分
戦中派さん、今晩は!
そのとおりの場所で、東の方には「寺井洫境石」と刻字した石があって、それが何の意味だか分からず、5年程前にWEB検索したら、このHPにヒットしましたが、解明にはいたらずでしたが、今回 納得できました。
それにしても70年前に子どもって・・すごい記憶ですネ
納得その2
実は、自宅の前にアパートが新築されました、その時
いまだ下水の通らない、東山本5丁目では浄化槽が必要で、業者が穴を掘りました・・・・ビックリしたのはその伏流水の多さです!! すごい出水で、ああ私の家は、地震がきたら、液状化でアカンと覚悟、そして今回の解説と見事にリンク!!
ありがとうございました!!
東山本5(万願寺村の旧住民ではないですが)在住、元鉄道の信号通信屋さん、現役時代も現在も・お絵描さん(hp上記)
投稿: 鉄道信号人(佐藤) | 2014年11月28日 (金) 22時38分
●戦後派さま
そう言えば尼崎や住之江の車庫は高架化されていますね。ということはいずれ山本も…となる様な、やっぱりならん様な気もします。
●難波のやっちゃんさま
ただただ歩くだけでなく、予習復習しては街歩きを楽しんではるんですね。そうすることできっと色んな知識が身体に染み込んでいってはるんやろなぁと思いますわ。さすがです。小阪合村はともかく中野村…もう八尾の人でも知らんのとちゃいますかね。
●おばちゃんさま
朝吉親分は…私は新聞記事で一度見たきりですね。長寿祝いかそういう記事でしたね。てなわけで私の中では“朝吉=勝新”ですわ。
●元鉄道信号人さま
はじめまして…ではなかったんですね。お久しぶりでございます。
ここから見る駅もええもんやなぁと思て記事にしました。
で、拙ブログは“寺井洫境石”の検索で来てくれはったんですね。どぶ川の中の井戸の件はわかっても…これだけはもひとつわからんままですね。石碑ある建物がなくなっても、ちゃんとまた同じ場所に設置されてて、ホッとしました。
●戦中派さま
元鉄道信号人さんの疑問に見事答えてくれはりまして有り難うございます。幼少期に私もそうしてる図を見たことがあります。井戸の上にポンプ小屋があったことを久々に思い出しました。おおきに。
●んさま
悪名な人々って…今もいてはるんでしょうか。いてはったとしても、生きにくそうですね、今の八尾では。旧住民の方が生きにくい…気の毒なことです。
皆さんたくさんのコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2014年12月 2日 (火) 21時59分
山本龍造さん
こんばんは。びんみんです。
河内山本、昔ながらの感じが良いですね。
前に書きますと言ってました河内山本の記事を書きました。
(多少、アホげネタっぽいのも取り混ぜて)
よろしければご覧下さい。
投稿: びんみん | 2015年2月22日 (日) 18時54分