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2014年10月27日 (月)

無用庇に思う

 やっぱり難波のやっちゃんさんのコメントに先を越された。
Muyouhisashi1 Muyouhisashi2  何度もクルマでその前通り「あ、あるなぁ」と思いつつ撮ることがなかったこの物件。先日の仕事帰り、何げに「撮っとこ」と信号待ちの車内から2枚。「そう、トマソンな」。
 アホげの原点はまぁ色々あるものの、基本は“路上観察”。幼少の頃から何やけったいなもんに興味がありましたが「あ、そういうことか!」と、その面白さを明確に示してくれる概念が“超芸術トマソン”にあったのは言うまでもありません。
 安西水丸さん、大滝詠一さん、赤瀬川原平さん。深町純さんも青山純さんも…多感な頃に影響を受けたり慣れ親しんだあんな人こんな人が亡くなられて行く。そうか、もう五十路を生きるということは、そういうことなんやなぁ。皆さんおおきに。

(於:生野区) 結局、“ビックリハウス”やったんやなぁと歳を重ねるごとに思うわ。

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コメント

  高野線の岸里駅下りホームも芸術的かどうかは別にしてトマソンがあります。

 何時も側を通る度に見上げて懐かしんでます。

 岸里玉出駅になって、改札が北の端にしかなくなってしまい、不便になりました(涙)。

投稿: 戦後派 | 2014年10月28日 (火) 09時12分

 読売巨人軍に在籍僅か2年にして、未だ燦然(?)とその名を残す“トマ損”…不動産に付着してあたかも芸術の様に美しく保存されている無用物“トマソン”は永久に語り継がれるでしょう! とかなんとか…

白塗りの無用庇と塗り込められた門の跡が楽しめる此のクスリ屋さん、今里は中川ですナ。

この害人が活躍(汗)した頃は仕事と生活に追いまくられて、もう一つその“超芸術”性が判らなんだんですが…
リタイアした今は龍造さんの“アホげ”にすっかり魅了されてる毎日です(笑)。


投稿: 難波のやっちゃん | 2014年10月28日 (火) 09時18分

ビックリハウス、懐かしいですねえ!
日常をちょっとヘンな切り口で見てるような、その切り口を探しているような雑誌でした。
いまでも、テレビで放送作家の鮫肌文殊さんの名前を目にすると「あ、ビックリハウスの人や!」と思っています。

投稿: おばちゃん | 2014年10月28日 (火) 22時49分

庇の左にあるパイプ。何か妙な配置と形状やと思ってたんですが、きっとガスメーターがあったんでしょうね。
ちなみに今年我が家はガスメーターと電気メーターの交換時期(10年で交換らしい)だったのですが、電気は無停電で交換、ガスメーターも20分ほどの作業でした。

投稿: 雀のお宿 | 2014年10月29日 (水) 09時44分

●戦後派さま
玉出駅…しかし何で不要になったもんを撤去せずに残しているのか不思議な気もしますね。撤去費用はムダと言うことなんでしょうか。
私は南海沿線のことほとんど最近まで知りませんでしたので、岸里玉出なんて駅になってることを最近知った次第です。

●難波のやっちゃんさま
そうか…いや、やっぱりそうですね。ちょっと呑気すぎるんですね、私が。やっぱり男は必至で働かんと…と思てはいるんですが。
赤瀬川さんのお陰でこうやってやっちゃんさんともお話しさせてもろてるんやなと思います。

●おばちゃんさま
おっ、ビックリハウサーやったんですか。ビックリハウスは関西ではマイナーな存在やったと思うんですが、どうでしたか。
サブカルが表面化して市民権を得たのがあの頃やった様に思います。
鮫肌文殊さんですか…大槻ケンヂ氏を見るたびに“ビッグムーン大槻”やと思います。

●雀のお宿さま
はい、絶対ガスメーターがあったんでしょう。メーターがなくなった今となっては、このガス管も無用管でトマソンなんですね。
で、何で無停電で電気メーターの交換ができるのか不思議。それよりきょうびの電気機器は、通電しとかな狂うモンが多いから、そうせんことには苦情殺到なんでしょうね。

皆さんコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2014年11月 4日 (火) 22時17分

そうそう!ビッグムーン大槻さんでしたね!
サブカルがそれこそ表面化して、こんなのも、こんなのも、って面白がって盛り上がる感じでした。

ビックリハウス、確かに東京寄りだったかも。
高校、大学時代、私のまわりにハウサーはいなかったと思います。

ビックリハウスはパルコ出版ですが、あの時代ちょっと西武系列がまぶしかったんですよね。
大阪にもロフト(または東急ハンズ)がほしかった(笑)

関西モノでは、A5ぐらいのちっちゃいサイズで100円だった頃の「ぷがじゃ」を愛していましたよ。


投稿: おばちゃん | 2014年11月 6日 (木) 10時35分

●おばちゃんさま
まさに同世代、同じ志向性って感じ。
私のまわりにもハウサーはだれもいませんでした。ビックリハウスは、東京のラジオ“林美雄のパックインミュージック”で知ったかと思います。
コテコテ吉本の笑いとも笑点の江戸っぽい笑いとも違うシニカルなおもろさがね、新鮮だったんです。

>>あの時代ちょっと西武系列がまぶしかったんですよね

まさしくその通り。のちの日比野克彦さん達の活躍で知られる“日本グラフィック展”にも何度か応募したなぁ、真剣に。他のどんな公募展よりも輝いていた。
あの頃は西武セゾンがなくなるなんて考えもしなかったですわ。
あ、それから私カラオケ基本キライ苦手なんですが、筋肉少女帯だけは歌います。本気で。

投稿: 山本龍造 | 2014年11月 9日 (日) 07時38分

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