貴生川からの帰りは、関西本線経由で。
甲賀市での仕事も終わり、再び貴生川の駅に戻りますと、すっかり夕暮れ。帰路、「どないしょうかなぁ」と迷いつつ、せっかくここまで来たしと、関西本線経由で帰ることに。
いざ覚悟を決めてこのルートを選ぶも、時間かかるかかるで3時間ほどの小旅。まずは草津線で柘植駅へ。さみしいなぁ…何本も線路あるけど何かすっかり寂れた感じ。写真を見るとそれなりに人の行き来がありそうに見えますけど、何のなんの。列車が行ってしまうとシンと静まりかえって…ここで待ち時間約30分。売店はおろか自販機すら構内になくて…貴生川駅近くのコンビニでちょっと買っておいて大正解。待合室でスナック菓子食べるとそのボリボリという音が部屋中に広がってちょっと迷惑かもって感じ。菓子のパッケージ見るとそこに“ばかうけ”の文字。なんじゃこの時代がかったフレーズは。これが商品名かいな。余計何とも言えん気分になります。
ここ柘植駅は、思い出残る場所。かつて関西本線に蒸気機関車が走っていた頃、よくこのあたりまでその写真撮りに連れてきてもろたところです。カッコ良かったなぁ汽車も機関士も。その姿は当然、音もニオイもずっとこころに染み込んでますわ。その頃には駅弁も売っている程度に栄えていたことを知るモンにとってはこの静けさは、かなり堪えます。ま、そんなことよりよくこんな遠いとこまでしょっちゅう連れてきてもろてたもんやなぁと…感謝の念がより湧いてきますな。
ここから紫色のワンマンのディーゼル列車に1時間乗って加茂駅へ。外は真っ暗で景色楽しめないのがつまらんですな。で、そこでまた30分ほど待ってまた1時間ほど電車に乗って天王寺駅へ。もう8時半…途中でiPod touchの電源も落ちるしでもうええ加減鉄道味わうのもうんざりって感じになりましたが、あんなモンこんなモン見つけつつ時間もそれなりに楽しめた。しかも仕事の前後で。充実した一日…とも言えるか。
(於:貴生川駅、柘植駅) “ばかうけ”てwikiにも載るくらい有名銘菓やったんか…
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コメント
1時間に1~2本の各停にチンタラ揺られて通勤・通学なんでしょうねぇ。
何時も行くスキー場も長野から2両編成のディーゼルでで大半は何時も降りる駅が終点で、その先まで行く便もたまにありますがその駅で切り離して1両に。
よく似た光景です。
そんな状態だからか、長野の駅前は列車待ちのサラリーマンやOLさん達相手の飲食店が大はやり。
長野電鉄もどんどん廃線になって・・・。
あの近辺も消滅が危惧されている自治体のオンパレードですね。
民宿やホテルも手放す方が増えて、それを購入する外国人が増えて、我が第2の故郷も冬場は特に異国情緒が漂います。
本当、日本の将来を憂える情景ですね。
投稿: 戦後派 | 2014年10月19日 (日) 08時22分
ハハハッ、やっぱり大回りで帰りはりましたか(笑)。
連絡悪いんで時間かかるでしょう! 大回りの旅の注意点は前もって飲食物を購入しておく事…
今は関西本線の終着駅「湊町(JR難波)」に住んでますが、たった一つ残念なんは蒸気機関車に乗れなんだ事!
名古屋~奈良・大阪を最短距離で結び、1970年代迄は急行“かすが”が走っていたが、並行する東海道本線や新幹線の整備、近鉄特急の台頭、名阪国道の開通ですっかり取り残されました(涙)。
D51“加太越え” 鉄ちゃんの間では有名ですネ…
で、今回の小旅(失礼、仕事)では「近鉄(近江鉄道を地元の方はそう呼ぶらしい)」には乗られなっかたんですネ?
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年10月19日 (日) 08時59分
甲賀〜柘植〜伊賀上野
忍者列車や❗お疲れさま(^_^;)
投稿: ん❓ | 2014年10月19日 (日) 10時27分
ん口様、ほんまですね、忍者列車ですよね。
伊賀上野は、最近色々イベントして、にぎやかにやってますが、甲賀はそんなことないんですね。
池波正太郎によると武田やその他の忍者の組織を強くしたのは、もとはと言えば甲賀流忍者がそれこそ派遣会社の様に頼まれれば忍者を派遣して、技術を教えたからやとか。そのうち、甲賀に行ってみたいんですよね。伊賀の忍者屋敷での説明によると、「甲賀・伊賀・雑賀」と「賀」の道が忍びの道やとか・・・
投稿: 天王寺蕪 | 2014年10月19日 (日) 21時49分
●戦後派さま
ホンマに地方がどんどん衰退していって…大丈夫なんでしょうか。人口減少の上、グローバル化でその地域だけで作って売ってという商売も既に成り立たんこの状況。つまらんなぁ…と思いつつ、ずっと基本都市生活者のままですから、他所モンの戯言にしかならんのですけど。
で、民宿やらホテルが外国人の手に渡って…ですか。そうなんですね。
●難波のやっちゃんさま
もちろん、大回りというかマイナールートでの帰阪でした。そうしよったんちゃうかと思てたでしょ?
で、私は湊町から柘植まで乗せてもらいましたよ何度も蒸気機関車が客車を引っ張る“デゴイチ伊賀号”に。あの頃の湊町は…ほんま“ケ”っぽいところでした。出発前に運転台乗せてもろたりもしました。
先日仕事でそのあたり(やっちゃんさんのシマ)行ってビックリ。コロッと変わってるんですね。それでもやっぱり昔からの空気が漂っている…うめきたにはないこと思うと、やっぱりキタとミナミの差なんでしょうかね。
で、近江で言うところの“近鉄”には乗りませんでした。いまだかつて一度も乗ってませんわそう言えば。どうも縁がない様です。
●んさま
あ、そう言えばそうなりますね。乗ってる時全然気づきませんでした。
●天王寺蕪さま
>>「甲賀・伊賀・雑賀」と「賀」の道が忍びの道
…あ、その説明、私も伊賀の忍者屋敷で見ましたわ。賀のつくところ…敦賀は、関係なかったでしたっけ。
甲賀は伊賀よりどうも観光地になってない感じがしますが“甲賀流忍術屋敷”というのもあるんですね。まったく知りませんでした。
皆さんコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2014年10月20日 (月) 22時52分