カメラのフダモトの立体カメラ看板に思うあれこれ。
コケクルマ見つけた先月岸和田は久米田駅あたり。ほかにはこんなもんも見つけてました。
ま、「見つけた」というのはウソで、ずっとずっと以前からこの道を通るたびに「あるなぁ」と思ていた物件。なかなかクルマ止めてまじまじと見ることなくこの日を迎えましたが、いやぁ、なかなか本格的に作ってありまっせ。“Nikon F3”…調べてみますれば1980年の発売以来20年にも及ぶロングセラー商品やったそうで…この長きに渡って販売実績は、デジタル時代には考えられませんなぁ。
そう言えば一昨年の初夏にも、こんなカメラの看板に遭遇したことを思い出しました。
こちらもやはり泉州で見かけたもの。熊取にそのお店はありました。こちらは“NIKON F-501”と“FUJIFILM”製なんかのデジカメ。前者は1986年発売で後者は…知りません。カメラのことには、ほんと疎いもんでスンマセン。
この2軒、共に“カメラのフダモト”の久米田店と熊取店とか。これらのお店以外にも何店舗かある様で、「泉州にフダモトあり!」ってところなんでしょうか。
とかまぁ思いつつ長い年月、このフダモトさんの看板を愛でとりましたが、「…フダモト、どっかで目にしたことあるで、カメラ屋で」と思いますれば、中央区は谷六にも“フダモト”って名の写真屋さんがあったわあった。でも…知っているのはすっかり店じまいしてしもてずっと閉じてあった店舗だけなんですが。
で…ホンマにそれだけやったかなぁ記憶に残る“フダモト”って…と思いつつ実家の写真用品を整理していますと…あったあった、フダモトもんが。
これ、若い衆には何やわかりませんでしょうが、年配者には、解りますよね。そう、白黒フイルムのネガが収められていたケースですわ。そこに“フダモト”の文字を発見。このフダモトと泉州のフダモトは同系列かわかりませんが…まぁカタカナ表記になかなかない屋号ですから、同じもんなんでしょう。
何でうちの実家にこんなネガ保存ケースがあるのかも不思議ですが、それより何より“谷六電停前”っていう住所表示がよろしいなぁ。
きっと父親かうちの親族が谷六のフダモトさんにDPE頼んだんでしょう。そんな昔からある写真屋さんが場所を泉州に移して(?)今も存在するという事実…何かね、ちょっと嬉しいという感情でもない独特なモンがこころをよぎったのでありました。
(於:岸和田市、熊取町) 近年、往年のフイルムカメラのデザインを踏襲したカメラが売られているけど…気持ち解るもナンダカナー
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コメント
「何時かは何ちゃら」という高級国産乗用車のキャッチ・コピーがありましたが、カメラではこのシリーズでしたね。
モータードライブやファインダーの交換等、楽しそうでした。
今となっては手を出さなくて良かった。
一眼レフもビデオカメラも押入れの肥やしになって久しい。
膝を痛めてスキーに行く回数が減った時に売りに出しときゃ良かったと、押入れを空ける度に・・・(落涙)。
携帯やコンデジでも動画の撮れる昨今ですが、ゲレンデで見かけたヘルメットに装着できるビデオカメラが懲りもせず欲しくなった(笑)。
まぁ、その内若い奴が買うやろうと自制してますけど。
それに、カメラマンになると見たい自分のフォームを見られないし(笑)。
投稿: 戦後派 | 2014年7月10日 (木) 07時42分
オートフォーカスのカメラなんかない子供の頃、父が革のケースからカメラを取り出して、ピントやら露出やらをくるくる回して調整し、写真を撮ってくれたのを思い出しました。
今はカメラ屋さんとかDPEのお店がめっきり減りましたね。若い人にDPEとか言うても何のこっちゃ分かりますまい。
しかし、電停も懐かしいが大阪の市内局番が2ケタ…私の家に電話がついたのが昭和41年か2年で、すでに3ケタでしたから、きっと昭和30年代ですね。
投稿: おばちゃん | 2014年7月10日 (木) 09時41分
「カメラの○○」と云えば“ナニワ”、“キタムラ”ほか色々とありますが…
“カメラのフダモト” 知りませんなァ(汗)。
調べますれば、JR阪和線近くにあるとか。
久米田・東岸和田(本店)・熊取の幹線道路沿いに。
ストリートビューで視ますれば、成る程NikonやFujifilmの巨大な立体カメラ看板が、本店なんか建物全体がFujiCollarフィルムの箱状に(吃驚)。
泉州の人なら誰でもご存じなんでしょうネ!
で フダモト、たぶん「札元」でしょう…
名字ランキング26,519位(全国で凡そ100人)とか。
希少姓ですワ! 鹿児島県鹿屋のご出身かも(笑)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年7月10日 (木) 10時07分
確か長堀橋に“札元カイロプラクティック治療センター”ちゅう長い名の整体マッサージ屋さんあったけど‥
って只それだけですが(^_^;)
投稿: ん❔ | 2014年7月10日 (木) 13時39分
かに道楽のかに位大きいカメラですね、下からのアングルのレンズに光が反射した加減が超リアルで費用もそれなりと伺えます!確かにカメラ屋さんって町ではもう見かけませんね、なんやかんや言ってスマホがなんでもしよるからいろんな職業が消えてしまっていくんでしょうね、便利になった分色んな文化や職種までスマホが消去していくのがホンマ腹立たしく思って仕方ありません!!(でも昔の不便な生活にはよう戻れませんわ)
投稿: 田中マーチ | 2014年7月11日 (金) 00時05分
追伸です。泉州には“札本”姓の方、結構いらっしゃるみたいです。
名字なのか、それとも本来の「札元」…藩札発行の引受人…からとったネーミング・屋号なのか?
岸和田藩も藩札(銀札)を発行、豪商・大庄屋が引受人となっており、佐野の食野家や熊取の中家が有名とか。
当時の大名も借財があり、豪商には頭が上がらなかったらしい(汗)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年7月11日 (金) 12時38分
●戦後派さま
カメラお詳しいですね。いろいろ教えてもらわんと…いやホンマの話。私の中ではカメラとオーディオって同じ様なところに位置するんですが、どうでしょ?
あれこれ便利で使えそうなモンは、どんどん取り入れていかなと思いつつ、不勉強なもんで…
●おばちゃんさま
そうそう、カメラは革製のケースに入ってて、いちいち取り出しては撮ってもらったもんです。私はそのイザ撮影までの時間がね、たまらん長く感じたもんです。その点今は…よろしいなぁ。
市内局番が二ケタ…なるほど。昭和30年代のネガに何が写っていた?…残念ながら、高校時分に他のネガカバーに移し替えてしもてまして…残念。
●難波のやっちゃんさま
やっちゃんにして知らんフダモト…ホンマでっかって感じ。
確かに珍しい屋号…苗字やとしたら、そんな珍しいんですね。鹿児島由来か地元泉州のお方か。ま、後者なんでしょうね。
●んさま
今も存在するみたいです。
●田中マーチさま
これまたえらい観察してはりますなぁ。確かにそう見えます。
技術革新が進むと、必ずなくなってしまうか大打撃を受ける業界がありますね。印刷に限ると写植やさんやら版下屋さんやら製版屋さんやら…その中に写真屋も片足突っ込んでるところがある様に思います。
皆さんコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2014年7月14日 (月) 14時47分