中央区〜北区
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しばらくアホげも夏休みを頂きます。しばらくは家でボッとしてこまそ。で、今夏は、ちょっと手抜きで大阪市内の夜景でお楽しみ…って、ま、楽しいもないか。
天王寺〜阿倍野の様子。厳密に言うと天王寺と阿倍野は違う場所になるのかならんのか…wikiの天王寺を読めば何や“天王寺”の方が優勢で“阿倍野”の方が劣勢みたいなこと記してあるみたい(スンマセン、ちゃんと読んでません)ですけど、やっぱりこのハルカスの出現で一発大逆転てな感じに思うのは…地元大阪人だけでしょうかね。
ま、そのハルカスももひとつ伸び悩んでいるみたいですけど…ま、何とかなるんでしょ。阿倍野はアベノやし、ね。って、なんのこっちゃ。
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こんな工場が東大阪にあるとは…知らなんだ。
東大阪と言えば、製造業の街。貸工場を筆頭に中小の工場がごちゃごちゃとあって…なイメージでしたが、こんなかっこええ工場があるとは…びっくり。
瓦葺きの木造、採光窓の付いたノコギリ屋根、ガイシ使って張り巡らせた電線…ひゃぁ、たまりませんなぁ。こういう工場、懐かしいというより私の子供の頃でももうあまり見かけませんでしたので、かなりの値打ちモンやないでしょうか。
しかも何より嬉しいのが、やっぱり現役の工場やということですね。ここは河内製綱所。明治28年創業ということですから、一世紀以上もこの地で撚糸をつくり続けておられる様です。今は化繊メインの様ですが、河内と言えば河内木綿、ひょっとしたらこの社、元々は綿糸から始まっているのかもしれませんね。
ま、この工場はいつ建てられたものかわかりませんが、末永くこのままであり続けてほしいもんです…って、他所モンの勝手な希望ですが。
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今日も、錆びサビ物件。
今日は朝から和歌山は桃山町へ桃買いに。信号待ちで停止したクルマの窓越しに見えるはこの物件。ずっとずっと前からその存在を知りつつ撮ることもなくココを通るたびに眺めていたんですけど、うん、やっぱりええ感じを通り越してどこか異様ですなぁ。
タイル模様のブリキ板で覆われた窓なしの庇ありで形状も妙にいびつ。横にあるコカコーラの広告入り一膳飯屋の看板がまた“ザ・ニッポン”な感じで。訳わからん落書きがその異様さをますます増長している様な気もします…ってまぁ、どうやってこんなところに書きよるんかね。わざわざ脚立持ち歩いてるんかいな。
あ、ちなみにこの物件はかどや食堂ではありませんので。念のため。
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もう数年前になくなってしまった物件の話。
上町台地の一角に、この様な建物がありました。そこには建築設計事務所の看板と醤油屋さんの看板。どうも手前銀色の建物がその設計屋さんのもので…これはまぁどうでもよかったんですが、その横にある看板がずっと気になっておりました。
工事現場の出入口の様な扉の右横に、屋号と社名が記されています。そこには“曲川醤油堀商店”の文字。醤油と記されている割に、どうもそれを商いしてはる様子もないなぁと思いつつ、何度かこの扉が開いている時に中をチラチラと覗きますと、奥に見えるプレハブ家屋にFRP製かと思われる大きな桶がいくつか見えました…って言っても、もう5年以上も前の話。「ほんまにそんなんあったかなぁ?」という気がせんでもない…いやいや、確かあった。
隣接するマンションの上から確認したかったものの、それも叶わず「何やろなぁ」とネットであれこれ調べるもこのあたりにそんな醤油醸造元があるという記述もありません。ますますナゾやなぁと思いつつ、うちにある“日本醸界年鑑・昭和30年版”を見ますと、こんなのが載っていました。
醤油醸造業のくくりに“曲川醤油合名会社”の文字を発見。「おっ、これや」と思い喜んだのも束の間、住所が…奈良県ですわ。“曲川”…変わった名前ですから、きっとこれやろと思いつつも、やっぱり違うかなぁといったところ。よく見るとこの商標、地名から取ってるみたいですね。
ここの分家か支店の可能性があるなと思いつつも釈然とせんまま、また月日が流れ…気がつけばその醤油屋さんのあった一角は、マンションになってしまいました。あぁ、一度は味わってみたかったなぁ、中央区はプレハブ家屋で造られた醤油を。
てなこと思いつつ月日は流れ…時間が有り余ったある一日、何げに図書館で古い資料を見ておりました。ふいに見た広告部分…そこにあるやないですか“曲川醤油 堀商店”の文字が。
写真は図書館でとったコピー。“大阪府醸界業者名簿 昭和23年版”にこの様な広告が出ていました。
“曲川醤油 堀商店 製薬部・アミノ酸部”と記されたそこには“大阪市南區南空堀町四三”の住所…旧町名ですが、きっとその物件があったのと同じ場所のことでしょう。間違いなくこれのことですね。しかしながら…“製薬部・アミノ酸部”のコトバが気になるところ。これは…きっと戦後の物資難の時代には“アミノ酸醤油”という代物が造られていたということですから、そこから派生した部門だったのでしょうか。ちなみに他ページには“大阪府アミノ酸工業協同組合”の広告も載っていますが、住所、電話番号ともにこの醤油屋さんと同じものでした。
まぁ、大体のところはわかりスッキリしましたが、結局、奈良の曲川醤油とここは同じという確証は得られませんでした。でもまぁ、きっと同じ法人やないかと思います。
ま、この“曲川醤油堀商店”のことがほぼわかったのは随分前のことで、近年まで現存していたところを取り上げてもええかなぁと少し、時間を置いていました。
今回、記事化するにあたり、もう一度ネットであれこれ調べてみますと、こんな画像が見つかりました。
何と立派な立体看板。堂々の“曲川醤油”の文字…これは“奈良市制35周年記念観光産業博覧会”用に発行された絵葉書とか。昭和8年に開催された催しだった様ですが、その頃、この醤油は奈良を代表する銘柄だったんでしょうかね。よく見ると下部に右から“堀合名会社”の文字。これでスッキリ、あの数年前まで中央区は上汐にあった醤油屋さんは、奈良県橿原市曲川町にあったそれの流れを汲む、もしくは同一の会社やったんですね。
ストリートビューで曲川町を見ますれば、何となく元・醤油蔵かな?というお宅も見つかりました。
奈良の醤油蔵が戦後アミノ酸を求めて大阪に出てきたということなのか…今となっては味わえないその醤油。食品工場なんかにタンク売りしてはったのかと想像しますが、やっぱり勇気出して買いに行っとくべきでしたなぁ。ちょっと後悔。いつまでもあると思うな…ですな。
(於:中央区-2008年) “真田幸村公ゆかりの地”が曲川町にあるとか。詳しくはココへ。
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大和川ベリの道を行きますれば、あ、柵に牛がいるわ。
ほれ、ご覧の通り。この柵、高圧線の鉄塔を隔離するためのもんですが…何で牛の絵が描かれているいるんやろといった感じ。よく見たら、チューリップらしき絵も描いてありますなぁ。電気の鉄塔という硬派な感じを、牧歌的な絵でなごまそうという魂胆なんでしょうか…
…とか何とか。引いて見たら、ここはここ。
いかるが牛乳の工場です。それでも「何で鉄塔の柵に描いてあるんやろ?」という感じですが、どうやら、いかるがの敷地内に鉄塔があるということみたいです。こういうのって…関西電力が土地を借りてるのか、関電の土地をいかるがが借りてはるのか…ま、どっちでもええか。
住之江公園駅から大和川を阪堺大橋を越えて堺へ仕事に行ったときにいかるがの工場見つけ、帰りに寄ってみたのでした。
(於:住之江区) どうせなら“かるちゃん”を描いてもらわんと。
※関連記事:
『牛乳と乳業、どっち本家?…いかるが牛乳のはなし』 2009年5月 記
『昭和なプラ看板 90 ● いかるが牛乳』 2014年5月 記
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3連休の真ん中ということで、ま、アホげも小休止。てなわけでちと弛緩した記事ですがひとつお許しを…って、いつもですけど。
今日は例年よりちょっと早めの“祭釜”。気心知れた一門の皆さんだけやったというのもあってか、ええお茶会でしたわ。笑い絶えない中、あれこれ教えてもらいつつも次々と忘れていくという…ダメですねぇ。いやホンマ。
今夏から掛物変わりましてそこには“涼風一○来”の5文字。四つ目だけ読めんなぁと思とりましたら…いま、社中さんのひとりから「“陣”でっせ」のmail。やっぱりそうか…と思いつつ、また、忘れるんやろなぁ。
左隅には“紫野”の文字。「この紫野は“大徳寺”のことを指すということ」との解説もしてもらい…ま、こっちは覚えてるかなぁこれからも。「これから祭釜は、これ使うわ」と先生続けはりましたケド…そうか、あの夏の風物詩“酢の掛物”も見ることがないのかとガックリ。ま、今度の掛物もええんですけども…ですわ。その思い…私だけなんかなぁ、否々…やないかなぁ。
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アルミ鍋…見ん様になった気がする。
野田阪神の昔ながらな商店街、しばらく行くと“家庭用品のデパート”。ドンと目立つ部分に“フジマル印”の赤い文字のプラ看板。アーケードに守られ、劣化することなく佇む堂々たるその姿…ではありますが、アルミ鍋とかヤカンとかって、何か知らん間に見かけなくなりましたなぁ。昭和に置き忘れてきたというか何と言うか…あ、そうや、「アルミを摂取すると認知症(=当時は痴呆症)になる」とかならんとか言われはじめたのも、衰退に拍車をかけた一因かもしれませんなぁ。
で、フジマル。このブランドも最近見かけん気がするなぁとちょっと前より思てましたら、1998年に倒産していました。価格競争に呑み込まれた末に行き詰まったようです。うちにはこのフジマルのホットプレートがありますが、そのつくりを見ると…かなりコスト下げて作ってたんやろなぁと思わせるもんがありますが…そうか、あかん様になってたんですなぁ。
今も、この“フジマル”ブランド存在するそうで、外資の日本マイヤーというところが商標を持っているみたいです。
フジマル…そう言えば“ツルマル”っていう名の鍋やかんもありましたか。こっちももうアルミ鍋等から撤退しているとか。ボウルもバットも、そうそう弁当箱もアルミ製やったなぁ。それが昭和のモンやったというのは、気づかなんだですわ。そうなんや…
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公園に信号あって道あって…懐かしわぁ。
ここは富田林は本町にある“ちびっこ交通公園”。あぁこういうの、昔あったあった…ってまぁ、あっちにもこっちにもあった訳ではないんですけど、幼少の頃、こういう公園で過ごした時間が何やごっつ楽しかったことを思い出しました。あれは…どこやったんかなぁ。それは浜寺公園やったと思てるんですが、さだかな記憶でもないし…
以前、東大阪は御厨にある公園でこの手の公園を見たことがありますが、そこの信号は点灯していませんでした。ですがここのは青なったり赤なったりちゃんと稼働しています。よろしいなぁ…って、ひとひとりもおらんというのが、何とも言えんさみしいというか。ちょっと時代に取り残された感がありますわ。平成のお子たちにとっては、こんな信号みたいなもん、日常すぎて楽しいもなんもないんでしょうなぁ。
ま、そんなことお構いなしに信号守って手上げて横断歩道渡ってひとりで遊ぶ五十路の子供おっさん(ウソ)。ふと公園のすみを見ますと丸いコンクリ土俵がそこに。「ははぁ、これは元、砂場やな」。帰宅後調べてみますれば、やっぱり。砂場がネコの便所になってるという問題が全国的に問題になって久しいですが、ここもそうやった様で、富田林市のある議員さんが“公園の砂場がネコのトイレになっています”と2011年10月に問題視してブログに書いてはります。その後、この様になったんですなぁ。
ま、世の流れがそっちに向かってるから、それでええんでしょうけど…どうなんでしょ? 平成の時代になってネコが砂場で糞尿し始めたという訳でもないと思いますが。
よぉ遊んだなぁ砂場でも。自転車を砂場に持っていって後輪空回りさして砂飛ばしたりしたけど、きっとその中にネコのババも入っとったはず。それから四十余年、みな元気なんやけどなぁ。
(於:富田林市) 一日遅れ…昨日は国土交通Day。
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本日アホげ、7周年を迎えました。
なぁ、7年経ってなに思う…って、「ようやってんなぁ」てことぐらいでしょうか。さ、あんなことこんなこと書こと思いましたけど、例年同じ様なこと書いてるなぁということで、今年はまぁ、過去の7月16日の記事を読んでもろたらそれでええかなという感じです。
7年前にはなかったTwitterやらFacebook、一応アカウントも取ってやってはいますが、何かもひとつしっくりこなくて。ホームページ作成よりカンタンとはじめたブログですが、これ、長いこと続けてられるのは、どうやら性に合ってるということみたいです。
これからも淡々とどうでもえええことを「見てみて!」と子供が大人に言うみたいな調子で記していくだけのアホげですが、ひとつこれからも遊びに来たってくださいます様、よろしくお願いします。またコメント欄を盛り上げてくれてはる皆さんも引き続きアホげにスパイスや旨味をピリッとウマっと効かせてやってください。
さ、何か写真を…ま、これくらいやったら誰やわからんやろということで“著者近影”。えらい笑てからに。これは…酔ってるなぁ。
2014年7月16日 山本龍造
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昨日の記事書いたら、何や気になってきて。
それがこの物件。はじめて見るとわかりにくいかもしれませんが、コインパーキングと隣り合わせのマンションの4階より上階が、このPの上にせり出しているんですよ、これ。
この駐車場部分には以前、とってもええ感じの民家がありました。その時から、この隣のマンションはこの様にその民家の上空にはみ出して建っていました。
なんや“空中権”というモンがあってもひとつわからんのですが、“隣接地などに容積率を譲渡できるよう2000年になりました”という記述がネット上にありましたが…もひとつどころか、まぁさっぱりわかりません。
このマンションと駐車場の地主が同じ方ということなのか否なのか。ま、いずれにしてもこのPの上に建物をと考えると、3階建て以下しか無理に思えますな。で、どういうことなんでしょ?
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落書きはあきませんょ、と、まず。
けどまぁ「ん?」な落書きにはついつい引き込まれるわけです。
小雨降る薄暗い福島区は玉川の街を歩きますれば、コインPに面した民家の壁にこんな顔がありました。「え?誰? あ、千原兄弟のせいじや」。以前、岸和田の地で海原はるかさんをエアコンの室外機で見かけましたが…今度も漫才さんですわ。
と思いつつ帰宅後良く見たら、どうもこの人物、千原せいじさんとも言い切れませんなぁ。私知らんだけで、有名な人なんでしょうか。ここらへん限定の有名なお方なんかもしれませんが。
しかしまぁ…妙な存在感を放つ落書きやこと。梅雨時の湿った街に妙にしっくり馴染んでそこにありました。あ、もう一回言うときましょか、落書きはあきませんょ。はい。
※関連記事:『海原はるかさん、岸和田でエアコン室外機に描かれてる。』 2014年3月 記
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今日は仕事で和歌山へ。阪和線はすぐにダイヤ乱れるからと南海電車を利用。和歌山市駅で下車、改札を出ますと…
…そこに“閉店セール”の文字。和歌山タカシマヤの看板ですわ。和歌山市と言えば大丸の撤退やら地元の百貨店、丸正の破産、それに関連してでしょうかぶらくり丁の寂れ問題と何やため息の出る様な話ばかりですが…ここ高島屋も撤退ですか。
駅前を見ますと…わぁ、何とも言えん昔ながらな感じ。南海で和歌山へ来たのは初めてというのもありますが、なんともこれは、旅気分にさせてくれる光景です。ちょっとはよ着いたししばし探索を…とおもいましたら「山本さん、ヤマモトさーん」。もう待ち合わせのひと来てはりますわ。という訳で、ま、今回は仕事での途中にあれこれと極めて表層的な記事となりますこと、まずはお断りして。
しばらくすると、現地の待ち合わせ人がクルマで登場。生まれも育ちも和歌山やというそのお方が言うに「この駅前、僕の子供の頃から何にも変わってませんわ」とのこと。その方40歳前ってことですから、じつに納得。薬屋さんに見える“アスパラC”の看板も、きっとマンマでしょうなぁ。ついでに高島屋閉店の話を訊くと「あ、あれね、ボクらは百貨店や思てませんねん、スーパーですわ」と。きょうびはやっぱり難波や天王寺へ買いもんに行くのか?の問いには、「いや、そこまで行きませんけど、大阪(泉州)のショピングモールとかですね」とのこと。和歌山市中心部の空洞化に関しては「島精機の関連者たちが空洞化阻止に丸正跡をあれこれやってはりますけど、きっと赤字ちゃいます」とのことでした。
で、この日の和歌山のお方、せっかくやからとあちこち和歌山を案内しもってクルマを走らせます。ここが重要文化財のお宅やらここに弓矢のセンセがいるとか…そんな中、やはり中華そばの話になり「せっかくですし、前通っていきましょ」と。で、ここへ。
わざわざクルマ停めて見学させてくれます。ここは皆さんご存知(?)店舗が地盤沈下して傾いて、どんぶり鉢の下に枕置かんとラーメンが平行にならんことで知られる“まる豊”ですな。何度も店の前をクルマから見たことはあっても、まじまじと見るのははじめて。で、この和歌山のひと「これ、不法占拠ですわ」と。まぁ、そうなんでしょうなぁ。ちょっと見にくいですが裏手には簡易トイレ。これも…でしょう。「ここの店、テレビにも取り上げられてきっとエライ天狗になってるんやろと思て行ってみたらね、気さくなオヤジで“これ喰ってみるか”と食べモン出してくれたり…そんな感じですわ。で、元々伊勢のひとで“伊勢うどん”も食べられますで」とのことでした。
こんなお店が“和歌山の観光名所”になってるんやなぁと思いつつクルマで先へ。魚がうまくて安いというお店へ昼食に連れて行ってくれはりました。
“丸己”、海産物を扱う会社が食堂を併設しているという感じのこのお店。「さすが和歌山」って言っても海からは全然遠いところにあります。で、ここで私は“日替わり定食”。皆は“お造り定食”を。これはね…お造り定食の圧勝ですなぁ。890円にして何なんなボリューム…って、写真なしでは説得力ゼロでんな。仕事の途中ってことで、何となく撮れませんでした。あ〜あ。
とまぁ味に大満足するも写真撮れずでがっかりしていると、食事代をその和歌山のお方が持ってくれはりまして…ポケットマネーでですわ。いやぁ、どこまでもサービス精神旺盛ですわ。
で、その後仕事。仕事も楽しかったぁ。詳しく書けないのが残念ですが、ま、ある製品の工場で、そこは日本製のシェア80%という驚異的な市場占有率を誇ってはりました。そこらへんは桃の里、桃しか知らんかったけど、色々ありますな、誇るもんが。
帰りは阪和線の和歌山駅まで送ってもらいました。「裏口ですけど、ええですか?」と言われて降りたその駅前、線路に目をやれば…いますねぇ“たま電車”…そうか、これ見てもらおと思て、わざわざ裏口で降ろしてくれはったんかもなぁ…ってまぁ、この手前の保線用車両が邪魔なんですけど。
難波から電車で1時間、そこは何かかなり別世界でした。ひとも街ものんびりした感じ。聞けば「少々時間遅れて行っても全然怒られませんよ」とのこと。続けて言いはります「うちの会社、一応“○〇(株)和歌山営業所”ですけど、気分はね“和歌山〇〇有限会社”言う別法人や思てますねん」と。いや、ホンマそんな感じ。いつもと同じ仕事やのに、まったくノリが違ってたしな。まぁ何となくはそんな感じかとも思てましたが、和歌山って…こんなおおらかで呑気なええとこやたんか。今日一日ですっかり和歌山好きになったのでした。
(於:和歌山市、紀ノ川市)
和歌山県には脱法ハーブ屋ないらしい…って、イランわなぁ。ま、知事監視製品ということやからやけど。
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今日は雑喉場…いやいや、大阪市中央卸売市場の奥の方へ。中央市場でも奥となると…東の入口からまぁ歩いて13分ほどかかりますなぁ。思いのほか広いもんです。ま、そんなことも知らずにちょっと川べりに寄り道しますれば…こんな看板が。
“大阪シティ信金ロード”…ん?何て?「これもまたネーミングライツか?」と近寄って解説を読みますれば、やっぱり。“本名称は大阪市福島区公園・緑地の愛称ネーミングライツ事業により、野田南緑道に命名された愛称です。”…そうか、府とか市レベルでなく、区レベルでネーミングライツを導入してるってことなんですなぁ。これは知らなんだ…って言うかまぁ、何も知らんのですけど。
「へぇ」と思いつつ、福島区のサイトを見てみましたら、やはり区内の歩道橋にもネーミングライツを導入しているとか。はっはぁ、と言うことは、あれもですな。
これ、今年は1月に福島区は海老江で撮った写真。「あぁ、ここもネーミングライツか」と何げに見てましたけど、これも区の仕切りでやってたとは知りませんでした。
で…余談ですが、この“林クリニック”と記された歩道橋、契約者(“パートナー企業”というらしい)は“株式会社エリン・カレン”という法人で、そこは“林クリニックの経営コンサルタント会社”と…あっ、ま、よう知りません。
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コケクルマ見つけた先月岸和田は久米田駅あたり。ほかにはこんなもんも見つけてました。
ま、「見つけた」というのはウソで、ずっとずっと以前からこの道を通るたびに「あるなぁ」と思ていた物件。なかなかクルマ止めてまじまじと見ることなくこの日を迎えましたが、いやぁ、なかなか本格的に作ってありまっせ。“Nikon F3”…調べてみますれば1980年の発売以来20年にも及ぶロングセラー商品やったそうで…この長きに渡って販売実績は、デジタル時代には考えられませんなぁ。
そう言えば一昨年の初夏にも、こんなカメラの看板に遭遇したことを思い出しました。
こちらもやはり泉州で見かけたもの。熊取にそのお店はありました。こちらは“NIKON F-501”と“FUJIFILM”製なんかのデジカメ。前者は1986年発売で後者は…知りません。カメラのことには、ほんと疎いもんでスンマセン。
この2軒、共に“カメラのフダモト”の久米田店と熊取店とか。これらのお店以外にも何店舗かある様で、「泉州にフダモトあり!」ってところなんでしょうか。
とかまぁ思いつつ長い年月、このフダモトさんの看板を愛でとりましたが、「…フダモト、どっかで目にしたことあるで、カメラ屋で」と思いますれば、中央区は谷六にも“フダモト”って名の写真屋さんがあったわあった。でも…知っているのはすっかり店じまいしてしもてずっと閉じてあった店舗だけなんですが。
で…ホンマにそれだけやったかなぁ記憶に残る“フダモト”って…と思いつつ実家の写真用品を整理していますと…あったあった、フダモトもんが。
これ、若い衆には何やわかりませんでしょうが、年配者には、解りますよね。そう、白黒フイルムのネガが収められていたケースですわ。そこに“フダモト”の文字を発見。このフダモトと泉州のフダモトは同系列かわかりませんが…まぁカタカナ表記になかなかない屋号ですから、同じもんなんでしょう。
何でうちの実家にこんなネガ保存ケースがあるのかも不思議ですが、それより何より“谷六電停前”っていう住所表示がよろしいなぁ。
きっと父親かうちの親族が谷六のフダモトさんにDPE頼んだんでしょう。そんな昔からある写真屋さんが場所を泉州に移して(?)今も存在するという事実…何かね、ちょっと嬉しいという感情でもない独特なモンがこころをよぎったのでありました。
(於:岸和田市、熊取町) 近年、往年のフイルムカメラのデザインを踏襲したカメラが売られているけど…気持ち解るもナンダカナー
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いかにもありそうかも…な町並みに、やっぱりありました。
立派な家屋の角にデン。木の蓋もしてあって…な割に何か持ち味が違うなぁと近寄りますれば、これ、鉄製ですわ。金属製は…初めてです。
真ん中に“水”と記してあるものの、これはまぁウソでしょう。左端が錆びて穴あいてますからね。ま、二重になってて中にまた別の水槽があるのかもしれませんけど。
いったいいつの時代の防火水槽なのか。戦前生まれやとしたら、よう供出せずに済んだなぁとも思います。ま、きっと戦後置かれたんでしょう。
久々…かれこれ20年ぶりくらいにここ富田林の寺内町を歩いてみましたが、えらいキレイな町並みに整備されたんですなぁ。すっかり観光地みたいになってますわ。よろしいなぁ…と言いつつ、何かね、キレイすぎてそこに生活臭というかアカがなくて、私は前の方がよかったなぁと思ったり。先日訪れた赤穂市は坂越の町並みにも同じ様なことを感じました。その感じ、どう言うたらええのか…何か整備すると同じ様な雰囲気になるねんなぁと思たんです。“国道バイパス沿いにチェーン店がずらり”の画一化された“街”に通じる…いやまぁ違うんですけどね。
(於:富田林市) そうか…どっちも昭和の空気が流れてへんからそう思うんやわ。
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あんなもんこんなもんで楽しませてくれはる地下鉄は谷町九丁目駅ですが、今月あたまは、こんな感じ。
見ての通り、笹を設置して七夕かざりに利用者が参加できる様になっていました。まぁ、私鉄の駅とかスーパーなんかでもやってはることとはいえ、やっぱり何かね、ここのやらはることには、気持ちが入ってるっていうか、ほっこりさせられるもんがありますわ。
「そや、短冊もろて帰ってお子やら家族に書いてもろたらええわ」と用意してある短冊を人数分持ち帰ろうとしますれば…ん?何かゴツくて重たい。何やいなぁとも思て裏見ますと、同じサイズのウエットティッシュが付いてますわ。何と言うサービス満点さ。こうしてあると、何枚も持ち帰れませんで2つだけにしときました。
とまぁ持ち帰るも結局谷九まで行く用事なくて結局ウエットティッシュもろて帰ったことになってしもて…ちょっと心痛みますわ。で、何て書こかと思てたか? ま、それは「大阪市営交通が民営化されません様に」かな。市民の財産、そないに簡単に売り飛ばしてええんかいなぁと思いますが、どうでしょ?
(於:天王寺区) 「もうこの駅のことはネタにせんとこ」と思ても…次々何やしはるしなぁ。
※谷町九丁目駅に関連する記事:
・『“新歌舞伎座”を絵に表すと…』 2013年5月 記
・『谷九の駅の、新歌舞伎座を示す黒板の絵が本格的になってる。』 2013年10月 記
・『谷九の駅の、新歌舞伎座を示す黒板の絵、三代目に。』 2014年1月 記
・『谷九の駅の、新歌舞伎座を示す黒板の絵、またまた代わって四代目に。』 2014年3月 記
・『谷九の駅の、新歌舞伎座を示す絵、黒板ヤメて今度は紙に描いてる。』 2014年5月 記
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一昨日は滋賀は大津で仕事。瀬田の駅を降りますと、線路隔てて北側と南側で発展の様子がまったく違いビックリ…ってまぁ、旧国鉄の駅では、時折ある光景ではありますが。
仕事終わり、しばしの探索。もちろん選んだのは南側。旧村を行きますれば、木製とコンクリ製の電柱が2本並んでますわ。どう使い分けしてるんやろかと見上げますと、あ、ええ感じ。
木の電柱のてっぺんから木が生えてますわ。よろしいなぁ、木に木が生えて…ということは、電柱が根っこ代わりになってる…なわけないない。 しかしうまいことこんなところにタネ落ちて芽出したもんですわ。これから生長して行ったら、もっと電柱と一体化して不思議な光景になること間違いなし。その頃には立派な瀬田の観光資源になってることでしょう。
見ての通り、この電柱はもう使われていない様子。なのに撤去せんというのは…やっぱりこの新しい木に町の将来のことを託しているから? は、ないか。看板に配慮してのことなのか面倒くさいからほったらかしているのか…、ま、いずれにせよほったらかされていたからこそこんな状態を愛でることができたんですけどね。
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PlusをPurasuと記している物件、これで3つ目。
見ての通り、街の写真屋さん。今ではややもう懐かしくなった感のある“フジカラー”の文字の下に、それはありました。
Photoは英語でPurasuはローマ字。調べてみますればこのお店、日本語表記で“写真のぷらすわん”と記すそうで、それを横文字に起こすと…こうなるということなんでしょうかね。
冒頭にも書きましたけど、なぜ、Purasuとプラスを表記した物件って多いのか…ま、それだけすっかり日本語になってると言うことなんかもしれませんが、目にすると「ん?」と思うもんですわ。
※関連記事:
・『外国語のローマ字表記 5 ◇ PURASU 1』 2008年11月 記
・『ぼったくりや + 外国語のローマ字表記 7 ◇ PURASU 1』 2010年5月 記
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先の富田林での仕事、帰りも歩いて駅へ。田畑ばっかりやなぁと思いつつ大伴あたりを歩きますれば昔ながらな店舗がそこに。ふと軒下を覗き込みますれば…ええもんあるわ。
ご覧のとおり。“でんわでんぽう”の看板もええ、ですがやっぱりこれ、“ナショナル電球”、これがよろしいなぁ。なにがよろしいってその、「明るく 切れない」と言い切ってはるところですかね。ま、もちろん全体的にええんですけど。
そうか…“切れない”んでしたか。うちもいままでいくつもナショナルの電球を使てたけど…あれはナショナルやと思い込んでいただけで、ナショナルっぽい偽モンやったということなんでしょうなぁ。しかし何です、切れんと…儲かりませんやん。
“切れにくい”とか、“長持ち”ではなく“切れない”と言い切るところが、なにわの商人っぽいなぁって何のこっちゃ。
建物全体を見ると、じつにこんな看板が残ってそうな住宅兼店舗。そう言えば昔はどこの集落にも“何でも屋さん”と呼ばれるお店があった気がします。まぁ今では店は閉め、自販機であきないを続けてはる様で、寂しいと言えばその通りなんですが、残っているだけまだ良しとしましょうか。7月4日、今日は“ナショナルの日”…ってムリありますな。ホンマは梨(ナシ)の日、アメリカの独立記念日であります。
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今日から7月。政府は1日から9月末まで、沖縄以外の家庭や企業に数値目標を設けない形で節電を呼びかけたとのこと。
節電は大事。でも消極的かもしれませんなぁ。随分前から気になっていたこの発電所。ま、規模からすると極小には違いないけれど、脱原発を声にするその先を行ってはる気がしますわ…って、ここがどういう趣旨を持って“発電所”を設営したのかは知りませんけども。
“太陽光発電所”の文字の下には“(竜馬1号)”とあります。調べてみますれば“竜馬1号”というのは高知県南国市で1993年より稼働する発電所とか。ここは“第3発電所”ということですから同じお方が作った3つ目の…かと思えば“竜馬2号”という名のそれもこの物件の近くにあるみたいでそこも同じ方が所長(?)をつとめられております。ま、よくわかりませんけど、積極的に再生可能エネルギーを押し進めてはるお方がいてはるということです。ああやこうや言えても…なかなか能動的には動けんもんすで。
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