6月1日に思う。 2014
デジタル画像はカンタンに水平調整やらトリミングが出来る訳で、ほんのわずか0.5度でも水平出てなかったら気になっては調整、「ここは不要や」と言ってはトリミングして「そう、これこれ」とやってスッキリする訳です。しかも画質もほとんど荒れないとなると、些細なことが気になる性分な山本龍造にとってはこれを結構する…仕事においても、このブログの写真においても、ですわ。
でね、ま、それでえぇと言えばえぇんですけど、この作業行程は…写真を殺してるのとちゃうかと思うこともあるわけです。
例えばスナップ写真。これなんか特にそう。一見変な構図、平行出てない状態でシャッター押してるのは、ヘマしてそうなっているのか、ちょっとズレているそのファインダー内の状態に「これや」と無意識に感じて撮ってるのか…これがね、案外後者の可能性も多々あるんちゃうかなと。
手を加えすぎるとその写真の持ってる鮮度というかライブ感がどんどん薄れていく様で…どっか和食のそれに近いもんを感じるんですなぁ。それでもついつい手を加えたくなる…もちろん微調整程度ではあるんですが「ホンマにこの調整は必要か?」、これ、常によー考えとかんといかんですな。同業者の先達に聞いたところ「最近の意識高いデザイナーは“トリミングせずに納品してくれ”言わはるで。」とのこと。やっぱりそうなんやな。わかってても…なかなかヤメられんのです。6月1日、今日は“写真の日”。
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コメント
ご無沙汰しております。
小生も半世紀以上も写真を撮っておりますが、加工を否定するなら写真というものをすべて否定することになると思うんですなぁ。
暗室で現像・焼き付けをしていた頃でさえ、やはりイーゼルでトリミングは当然の行程やし、コントラストなどの調整もやはり加工と言えば加工なんですなぁ。
で、例えば水平の出ていない構図であっても完成度が高ければ、加工した時に何か違和感を感じて、「やっぱ このままがエエ」となっていたように思いますなぁ。
ま、デジタルになって枚数を気にしなくても良くなったぶん、自分の感覚・感性でバシバシ撮るのがエエと思いますなぁ。加工はその次にでも・・・
投稿: 啼兎 | 2014年6月 2日 (月) 14時34分
●啼兎さま
ご無沙汰しております。まだアホげ読んで頂いているのですね。有り難うございます。
私の廻りには写真の加工を否定するお方はいませんので、うっとしい思いせんですんでます。
で、書き込み頂いてからもあれこれ考えました。そこで思ったのは“お酒”に例えるとってことです。
“濾過”をどう捉えるか。“加工”ととらえ、それを悪いことの様に言うお方もおられますが、私は蔵元が理想とする酒質にするのなら、濾過オッケーやと思てます。製品化されるまで責任もって蔵が目指す味に整えて出荷しはったらええのちゃうかと。ただ、やり過ぎはどうかとも思いますが…そこが今回“画像に手を加えすぎると、写真の持ち味を殺すことになる可能性がある”と感じたのと同じ様に思えて。また“無濾過やないと”というのは…ちゃうんちゃうかとも思います。
ま、きっとその道の方達は、プロとして深い考えのもと、発言されているのかと思いますが、素人の私は最近、そんな風に思っています。除酸や酵素剤使うのもアリかな。
以上素人のたわごと。読み流して頂ければ幸いです。
投稿: 山本龍造 | 2014年6月 7日 (土) 23時18分