交通科学(博物)館の思い出ひとつ
「もういっぺん行っとかな」と思てるうちに、今日、閉館してしもた、交通科学博物館。
「もういっぺん」って言うても前に行ったのは…何年前か。思えば40年くらい前、小学5年か6年の頃でした(当時は交通科学館)。S本くんのお父さんに連れて行ってもらいまして、途中でそのお父さんと我々小学生4人がはぐれまして、でも全然平気で子供らだけで展示列車内で駅弁(やったと思う)を食べてますと、しばらくしてそこにS父登場。で、ごっつ怒られました。「ぼくらだけで食べよや」言い出した手前、何とも具合悪かったという思い出があります。当時はもう充分世間知ってる気分やった訳ですけど…何とも勝手なことをしたもんやと今も時折思い出しては反省します。
てな苦い思い出のこともあって先日仕事でこの辺へ行ったついでに交通科学博物館へ足を運びました。「外から機関車が見れる…」そやったんですね。入館せんでも楽しめる様なつくりになっていたことなんかはすっかり忘れていました。タダ見できてよろしいなぁ…ってまぁ、広告塔でもあったんでしょうけれども。
そんなこと思いつつ歩道橋の上から一枚二枚と写真を撮ったものの、結局「また来よ」と入館せなんだのが悔やまれます。まだまだ先にことと思っていたら。何でもこんな調子では…アキマセンなぁ。
で、記事書いて写真をよく見てみますれば…「ん?」。脇の歩道を歩く男性の背広の意匠、変わってますわ。「建物の窓ガラスに映った太陽がこの人の背中に当たってるんやろか?」とも考えましたが…ちゃいますな。ま、本題に関係ありませんけどごっつこれが気になってきて…
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コメント
交通科学館って龍造さんと同い年やったんですネ…
高校一年のころ友達と尼崎から“阪神伝法線”に乗り千鳥橋駅で下車、西九条から当時まだ「の」の字運転だった環状線でぐるっと一周した事を想い出しました。
大学二年の年に“西大阪線特急”が運転開始、完全環状化した電車で天王寺・鶴橋・京橋方面へと遊びに行きました。
直ぐに難波直結かと云われた“なんば線”がその後43年もかかろうとは…
結局、弁天町の博物館には一度も行かずじまい(汗)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年4月 7日 (月) 20時43分
閉館直前は混むだろうと、昨年末に行ってきました。
一部、化粧直しで見学できませんでしたが、懐かしい展示物を記録しておきました。
窓(車窓)の下の吸殻入れとか・・・。
投稿: 戦後派 | 2014年4月 8日 (火) 08時39分
私も、3月半ばに行ってきました。子供が幼稚園入園前は、それはそれはお世話になって、「ここには、年間パスはないんやろうか?」と思ったほどです。
ちょっと前の列車(そうそう、確かに窓の下に吸殻入れありましたよね。私よく、あの中に森永のハイソフトの包み紙よく入れてました)や切符も見れて、子供より親が喜んでいました。閉館記念のハンドタオルも買ってきましたよ。
梅小路の方に蒸気機関車館と合わせて再オープンになるそうですし、ここの展示に使われていた車両もすべてではないでしょうがある程度向こうにも展示するとかいう話を聞いてます。また、懐かしい顔に会えるんかな~とも思いつつ、けど、弁天町のあの昭和な感じが好きやったんやけどな・・・と、まあ、時代の流れなんでしょうかね?
けど、梅小路もそうなると値段上がりますよね。
投稿: 天王寺蕪 | 2014年4月 8日 (火) 09時40分
あたしも先週行きました!設備的に老朽化が進んでいたのも仕方がないかと。鉄道以外も貴重なものが沢山あり、なかなか見応えありますが…
まぁ、京都鉄道博物館も楽しみにしておりどのような展示物があるのか、また名古屋のリニア鉄道館や、埼玉の鉄道博物館以上に見応えがあるのか(両方行きましたw)楽しみです!梅小路はSLを動態保存しているのが強みやからそこをいかせられるのか…まぁ、明治期のイギリス製の弁慶号は動態保存にするべく活動しはるみたい!まぁ、交博にあった0系新幹線1号機(鉄道記念物指定)は日本でこれだけ、やからぜひまたみたいですね!
記念グッズは使わず置いてますわw
投稿: りらっくま | 2014年4月 9日 (水) 01時00分
閉鎖になるとは知らないままに、二年ほど前、環状線に乗っていて時間があったのでふらっと立ち寄ってきました。数十年ぶりですね。子どもの頃に行ったきり。
なんかやっぱり懐かしかったです。
そういえば駅弁食べられたような記憶がありますね。あと、駅弁用のお茶、半透明のプラスチックの容器にティーバッグ入れて蓋が急須代わりになったやつです、あれも買えました。うれしがって買ってきたら、余計なものは買わんでええ、と親に怒られた記憶があります。さすがに素焼きの容器は知りません。
ここって、0系新幹線の車体が残っているので、キムタク主演の「華麗なる一族」の新幹線の場面のロケにも使われたそうですよね。敷地が狭くても、多少老朽化しようとも残してほしかったですね。
投稿: ぽんぽこやま | 2014年4月11日 (金) 02時36分
鉄道の聖地を取上げていただきありがとうこぎざいました。子供の頃から遊び場にしていた場所だけに名残惜しいです。しかし建物の老朽化とはいうものの、閉館後の跡地の利用が気になります。「駅から0分」をうたい文句とした高層マンションだけは止めにしてもらいたいものです。
投稿: fuzzy | 2014年4月12日 (土) 22時51分
●難波のやっちゃんさま
阪神間に縁がなかったので、高校か大学の頃に“阪神西大阪線”なる路線があると知って「へぇ〜」と思たことを思い出しました。しかもその線が難波まで延伸する予定でしかも長いこと凍結状態と聞いてもっとびっくりしました。
「便利になったもんや」と思いつつあんまりなんば線乗りませんわ。難波という都会まで行くというのにやっぱりどっか“ケ”っぽいもんを感じますが…どうでしょ?
●戦後派さま
あ…吸い殻入れ。懐かしいですね。私それより、窓脇の小さいテーブルの下に付いてた“センヌキ”、あれが懐かしいですわ。
●天王寺蕪さま
私もね、梅小路に移るんやったら発展的閉鎖やなと思てたんですが、今度は“鉄道”に特化するんですよね。飛行機とかバスとかは…JRのライバルとなるからアカンのでしょうか。やっぱり“国鉄”ではなくて民間企業ですから仕方ないのでしょうかね。ま、とは言え、交通科学館に行ってた大方の人は、鉄道モンを見に行ってはったんでしょうけどね。
●りらっくまさま
りらっくまさんも行かはったんですね。楽しまれたそうで何よりです。
梅小路もその昔、よく連れて行ってもらったもんで、その頃には動態保存機がまだ10機以上あったので、それを思うとどうもさみしい限りです。まぁ、今度弁天町のモンも梅小路行ってもっと来場者数増えて儲かったら、動態保存機もふえるかなぁと期待しております。
●ぽんぽこやまさま
>>時間があったのでふらっと立ち寄ってきました。
よろしいなぁそのフットワークの軽さ。やっぱりそうありたいもんですわ。
で、駅弁用のお茶、あ〜懐かしい。いま思たらね、あの軟質プラスチックに熱湯注いで、悪い化学物質が溶け出てへんかったんかなぁと思います。実際、何とも言えんプラスチック臭してましたもんね。チクロもそうですが…我々の世代は色々と人体実験させられてますな。
●fuzzyさま
あ、跡地の利用…そうですね。JRも金儲けできるとあらば高層マンション手掛けるかもしれませんね。それもナンダカナーですが、ほな何がええかと問われれば…ええアイデアが浮かばんもんで。
皆さんコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2014年4月18日 (金) 10時40分
大変御無沙汰しております。
私も龍造さんと同じく40年ほど前に小学生の頃初めてここへ行きました。
それで以前、久しぶりに訪れた際に写真のディーゼル機関車の運転席に偶然居合わせたよその子供さんと「かっこええなぁ」って交代で運転席に座りましたが、ええ歳こいて
ほんま嬉しかったですね。
でも、当時現役だった車両が多数展示されているのを見ると自分も歳とったなぁと思った次第です。
コメントされてる皆さんは幼少期を大阪で過ごされた方々だと思いますが、普段の会話の中でもこの場所の話になると「大阪の男の子」はこの場所へ必ず一度は訪れてはるって言うのがよう分かります。
私も閉園を惜しむ、かつての「鉄道少年」だった、おっさんの一人です。
投稿: ナムダー | 2014年4月29日 (火) 09時26分
●ナムダーさま
ほんまご無沙汰しております。
同世代モンならではのコメントを有り難うございます。
私は外からしか結局見なんだんですが、DD13なんかは、龍華で見るモンで展示してあるモンを見ることになるとは…って感じがしました。そら考えてみたら当たり前で、阪堺線の電車でももう同世代にヤツは古っちい部類に入りますもんね。あっと言う間の半世紀でしたが、これからはそれこそ新幹線やらリニア的早さで年老いていくのかもと思うと、恐なってきます。
大阪少年の聖地みたいなところやったんでしょうね、ここ。京都まで行けばええとは言え、やっぱり皆の思い出一杯の場所がなくなるというのは、さみしいもんですわ。
せっかく久々のコメント頂いたのに、レスが激遅でほんまスンマセン。最近、記事の更新でもう精一杯。“一日一記事”は守りたいもんで。
なかなかレスはタイムリーにできませんが、また気が向いたら書き込みよろしくお願いします。
投稿: 山本龍造 | 2014年5月16日 (金) 16時53分