長原川辺の茅葺き屋根の家
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コメント
ええですね、こういうお宅。帝塚山あたりの大正末期から昭和初期の香り漂う豪邸もだいぶ少なくなってきましたし、こういうお宅をきちんとした形で残してはるのは、素晴らしいとしか言いようがありません。長吉のあたりは、真田幸村ゆかりの志紀長吉神社などもあり、大阪市内とは思えん農村の香り漂うというか、まだまだ畑が自己主張しているゆったりした時間が流れているところですよね。
投稿: 天王寺蕪 | 2014年3月22日 (土) 08時09分
難波から市バスで“出戸BT”乗継ぎ、大和川を越え“長吉川辺4”迄200円(来月から210円・現金乗継割引は廃止)。
しかし乗継ぎ含め所要時間は二時間を超えます(汗)。
“川辺村”は大和川付替え以前は東除川が北流、付替え後も南北交通の要衝として大いに栄えたとか。
但し大和川の北に村・南に田畑と分断され、明治橋が出来るまで大変不便を強いられたらしい。
同様の分断は“瓜破村”や“矢田村”でもみられますネ。
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年3月22日 (土) 09時26分
へぇ~、大阪市内で茅葺屋根ですか?
と思ったら大和川の向こうですか?
で、大和川の向こうに飛び地があるのは、やっぱり人工的に掘削した為ですか・・・。
木曽の入り口と言うか、信州(長野県)から美濃(岐阜県)に移籍したところもあるようですが、尾根とか川が行政や国の境界とは限らないようですね。
投稿: 戦後派 | 2014年3月24日 (月) 22時08分
戦後派さま
飛び地(他所に飛んでいる)では無く、大和川の付替えにより村が川の南北に分断されてしまった。
此の茅葺の旧家など村落部は北の川辺、八幡神社の社領地や多くの田畑が川床・川底に沈んだとか。
矢田の阿麻美許曾神社は分断により川の南となり、参道が注射針の様に700㍍も伸びている(大阪市域)のは面白いですネ…松原市天美地区の氏神。
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年3月25日 (火) 09時41分
●天王寺蕪さま
いやホンマ、社会構造がコロッと変わってしもた中でこういう家を維持していってはるってのはほんますごいことやなと思いますわ。税制面とかで優遇するとかせんことにはなくなっていくことになると思いますが…ね。
●難波のやっちゃんさま
難波からバスで2時間以上…って、まるで陸の孤島ですね。その時間的距離感が、たまらんええんですけども。
大和川付け替えのお陰で中河内なんか特にえらい助かって今に至ってますけど、川に沈んだ村のことを思うと…。もう少しこの辺の祖先に感謝の念を持たんならんですわ。
●戦後派さま
ここは川のこっちというか、北側です。詳細はやっちゃんさんのコメントをお読みください。
皆さんコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2014年4月14日 (月) 13時10分