電気の銘板に南海の社章“羽車”がある
和泉市の旧村を歩きますれば、防犯灯の銘板に並んで「ん?」。
きっと電気関係の銘板やと思いますがその銘板に羽根と車輪…これって昔の南海電車の社章ですが、南海ってその昔は配電事業も手掛けていたんでしょうか。
帰宅後あれこれ調べてみましたが、さっぱりわかりませんでした。改めてマークを見ると…どこか本家本元のそれに比べて妙に横長で羽根のニュアンスも違う様にも見えます。ということは南海とは関係ない配電会社やもしれません。
関西電力に集約されたのが1951年ということですから、六十余年以上ここに付けられているということですな。どなたかこのマークの配電会社のことご存知ありませんか。3月25日、今日は電気記念日。
(於:和泉市) まさかあのソース屋が手掛けていたということは…ないわな。
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コメント
1942年(昭和17年)の“配電統制令”まで、多くの電鉄会社は自社発電所で作る電気を周辺地域にも供給しており、戦前の電鉄運営には重要な収益源だったとか。
今のJR阪和線は1940年には南海“山手線”だった(1944年に国鉄が買収)ことから、その間の銘板か…大変貴重なものでマニアには垂涎の一品かも…
私はテツではありませんので、鉄子さん つっこまないでネ(笑)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年3月27日 (木) 09時17分
ん?やっちゃんさん、お呼びでしょうかw?この辺りの歴史はややこしく、あたしもそのあたりはあまり知りませんね。南海が戦時中の統制令で近鉄とくっついたのは有名な話だし、日本で一番古い大手私鉄になるそうな。ただ、南海が電気を売っていた時の物ならかなり貴重やと思います。こりゃ、社史みるしかないかな?あ、南海山手線の年は当たってますよ!
投稿: りらっくま | 2014年3月27日 (木) 23時53分
戦前の南海は売電事業をやってました。何しろ発電量に対して消費電力が少なく“電気が有り余る”状態でしたから。「信太」とある事から阪和線が「南海山手線」だった時代の物と考えられますね。
投稿: よさみのみやけ | 2014年3月28日 (金) 17時35分
南海電車が日本一古い民鉄である事は紹介しましたが、南海電車にこんな素顔があったのは初めて知りました。
投稿: なっき | 2014年3月30日 (日) 21時05分
●難波のやっちゃんさま
へぇ〜の連続。南海“山手線”…阪和線の昔は南海やったとは全然知りませんでした。
と言うことは…やっぱりこの銘板、南海が配電事業もやってはった証ということですね。勉強になるなぁ、いつも。
●りらっくまさま
鉄分多い人も知らんことあるんですね〜とか何とか。昨日天王寺駅ビルで立ち食いの“南海そば”を食しましたが、それも阪和線が元々南海やった名残なんでしょうか…って、ま、それは“天王寺支線”のでしょうね。
●よさみのみやけさま
はじめましてこんにちは。詳しくお教え頂きまして有り難うございます。お陰さまでスッキリしました。
電車の走行ってとても電気を多く消費すると思うんですが、それ以上に発電していたというのは…どこに発電所を設けていたのも気になるところです。
●なっきさま
なっきさまにして南海の知らん一面ですか…そんなレアもんやったとはあの銘板が。なんか嬉しなってきました。
皆さんお教え頂きまして有り難うございました。
投稿: 山本龍造 | 2014年4月17日 (木) 14時26分