マンション最上階に記された、“ち”。
近年あんまり見かけん様になりましたけど、今もありまんなぁ、“ち”。
幼少の頃より「あれは何なんやろ?」と見ていたこのマーク、“ち”に見えるけど、まさかちゃうやろと思てましたら地産の“ち”らしいとわかったときは「…ほんまかいな」な気分でしたわ。ま、アルファベットの頭文字を図案化するよりオリジナリティあってええし、きっと信念もってひらがなを図案化しはったんでしょうけど、これがまた、よりによって“ち”とはって感じ。やっぱり“ち=血”を連想するしね。しかも赤字で記してあるし…まぁ2014年の今となってはなかなか愛すべきマークではありますか。そう思て見てみたら、なんや…かわいいマークに見えてきましたわ。とか何とか。
(於:天王寺区) 先代のコクヨの“K”マークより、全然ええ。
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コメント
ヒサヤ大黒堂ロゴ看板「ぢ」の ゛が風で飛んだのでは?
万博の頃でしょうか…新御堂は西中島辺りに沢山建ちましたネ。
その後ホテルやゴルフ場など超積極経営でした。
バブル最盛期業界のパーティで創業者の竹井さん 何度かお見かけしました。
東の地産、西の末野興産と住専の大口貸出先でした。
狂乱バブルと闇の紳士たち、結局最後は大赤“ぢ”
泡の如く消えてゆきました…
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年3月 2日 (日) 08時58分
あっちこっちで見たような記憶がありますが、倒産して10年以上経ってたんですねぇ。
またまた「平家物語」や「方丈記」に行きつきました。
投稿: 戦後派 | 2014年3月 2日 (日) 14時34分
ふと思いついたのですが、ひょっとして、この「ち」は「ti」も掛けてデザインされてるんじゃないでしょうか。
難波のやっちゃんさんが言及しておられますが、昔、淀屋橋と北浜の間に赤くておっきな「ぢ」の文字の看板がありましたなぁ。看板の掛かってる古い建物と共に独特なエネルギーを発していたように思います。
投稿: 雀のお宿 | 2014年3月 4日 (火) 00時22分
●難波のやっちゃんさま
いやぁまたうまいはじまりにうまい〆で…素晴らしい。確かに西中島あたりでよく“ち”見た気がします。今でもありそうですが。
しかし何です、この頃の業界のあれこれ、新聞に出てこない“ここだけの話”をいっぱい持ってはりそうですね。ええ目もしはったかと思いますが、シンドイ目もしはったことかと。
●戦後派さま
私“地産”が倒産してたということすらあんじょう知らなんだかもです。なんでやろ?って感じです。ホンマ…早いです月日の流れは恐ろしいほどに。
●雀のお宿さま
ホンマや!。確かに“ti”も入ったデザインですね。なかなか気づく人がいないでしょうから、デザイナーさんも悔しい思いをされたのとちゃうでしょうかね。
“ぢ”…これほどひらがな単体にしてパワーある字はないでしょう。ヒサヤさんのせいでしょうか?
皆さんコメントおおきにです。
投稿: 山本龍造 | 2014年3月 6日 (木) 17時44分