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2014年2月26日 (水)

泉南牛乳の牛乳箱

 赤・黄・青、緑に紫もそろって渋い中にも色とりどりでよろしいなぁ。
Sennangyunyu1 Sennangyunyu2
 とまぁ色合いに惹かれて中央の牛乳箱見れば“泉南ソフト牛乳”の文字。マークを見れば新泉牛乳と同じヤツ。調べてみますれば“泉南乳業”の現商標が“新泉牛乳”で、その前が“泉南牛乳”とか。そのブランド変更が1961年ということですから、この牛乳箱も半世紀以上ここで過ごしているということですね。ちょっと水平出んとナナメのまんまの五十余年…気色悪かったことでしょうなぁ…とか何とか。
 箱の側面にも広告。何なに?“健康=泉南高脂肪牛乳”、なるほど。時代ですなぁ。食足りてる今では“低脂肪乳”の方が健康志向者に支持されている気がしますが、どうなんでしょ? もうひとつ“若さの素=緑のビタヨーグルト”。緑色のヨーグルトって…何なんでしょ? まぁ今日的に考えますと“ミドリムシ入りヨーグルト”てな感じかなてなところですが、当時やと、クロレラか青汁配合やったんですかね。半世紀前…最近の様で遠い昔の様です。

(於:貝塚市) 泉州だんじり牛乳”てな商品も出してはりまっせ。

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コメント

  1961で思い出すのはジョン・F・ケネディと、180°ひっくり返しても1961。

 香枦園浜がまだ泳げたかな?

 大腸菌だらけになって、学校にプールができ始めた頃かな?

 やっぱり、ひっくり返しても1961やな。

 

投稿: 戦後派 | 2014年2月27日 (木) 17時48分

古い牛乳箱は奈良市や生駒市でもまだまだありますよ。

昔の電話番号が書かれた牛乳箱も。

奈良(2)****とか

奈良0742は1969年4月に市内局番2桁化で(22)へ変更、
同時に(2)のうち大宮地区が(33)へ変更され、
(5)だった学園前・富雄が(45)へ変更、
72年11月に入居開始の平城ニュータウンへ(71)が割り当てられ、
76年5月に(2*)のうち南部が(61)へ変更。

隣の生駒市では信貴電一分駅前と書かれた牛乳箱がありました。
1964年10月に近鉄に合併されたが表記の電話番号は(7)****で明らかに68年5月以降です。

生駒07437は68年5月に
中部の2000・3000・5000番台へ(3)、
南部(大和郡山市の国道308号沿いも)の8000番台へ(7)
という市内局番が割り当てられ、
生駒市市制翌年の72年10月に生駒高山郵便局で手動交換だった北部(大阪府四條畷市田原も)の電話が自動化されています。

北部は074308から07437(8)へ変更。
97年6月に0743へ変更。

投稿: 奈良市民 | 2014年3月 1日 (土) 23時29分

●戦後派さま
>>1961(中略)、180°ひっくり返しても1961。
あ、ホンマですね。これで思い出したのが、
「“inui”、180°ひっくり返しても“inui”」
中学生時分の技術のイヌイという先生がそう言っていたこと。あまりええ思い出のない時期の話でした。

●奈良市民さま
古い牛乳箱はまだまだあちこちにありますね。電話番号やら住所に確かに時代を感じます。

お二人ともコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2014年3月 6日 (木) 17時03分

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