橿原市八木町三丁目8の、昭和。
風情ある町並み残る八木町には…やっぱりこんな一角も。
“ザ・昭和”な一角。当然の様に“昭和恩給”のブリキ看板もガス管の下で余生を送っています。そこにガスメーターが付いていないところをみると、この光景もそないに末永く見られるもんでもないかもしれませんなぁ。
やはりガス管に押さえられる様にへばりついてる横断歩道を渡る学童の絵もよろしなぁ…っていうより、高級紳士服を扱うお店にして“ミス”ってのも「なんでや」って感じでよろしがな。その隣の質屋さんの看板には“耳成村十市 西入口”の文字がかろうじて残っています。“耳成村”は町村合併で1956年に消滅したそうですので、まぁこの看板も60年くらいはここで雨風にさらされているのでしょうなぁ。今となっては“西入口”も何のことやら。
こういう一角って、まだまだ残ってそうで近年あまり見かけなくなった気がします。「よく見る光景や」と今までは流していましたがそうも言ってられんですな。どう考えてもいずれなくなるもの…ぼちぼちと写真に残していくしかないな。
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コメント
昔、御簾さんという苗字の人がいましたが、お店のご主人の苗字かも。
珍しい苗字だったけど、出身を聞くほど親しくも無かったんかな。
まぁ、今でも他人のプライベートなことには、あんまり突っ込んで問うことは少ない方ですが。
投稿: 戦後派 | 2014年2月23日 (日) 08時35分
残したいなァ “昭和恩給”の看板!
ある種の戦争遺産でしょう…
大学時代畝傍高校出身の友人がいまして、かって横大路(伊勢本街道)の北が十市郡・南が高市郡だったとか云っているのを想い出しました。
近々寂び錆びのOld Boy達が明日香に集まって旧交を深めたいと思います(汗)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2014年2月23日 (日) 08時46分
なるほど
高級紳士服“ミス” ね❗
“ミス”診療所はNG(^_^;)
投稿: ん❓ | 2014年2月23日 (日) 10時35分
●戦後派さま
最初「オレンさんって…何の話や?」と思いましたが…あ、なるほど。そういうことかもしれませんね。“昌子○×”という開業医がどっかにあるらしく、そこの看板には“しょうじ”と、かな振りしてありますわ。一見「女医さん?」って感じですしね。
●難波のやっちゃんさま
確かに戦争遺産ですね、昭和恩給の看板も。
で、何ですか、あの辺に郡の境界があったと。そうなんですね。情報御礼。
●んさま
ま、“薮”さんも、そのままではダメですね。
皆さんコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2014年3月 5日 (水) 13時24分