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2014年1月 7日 (火)

解体中のビルは元々“国防婦人会館”やったそうな

 建物が解体されてるけど…元々何やったんかいなぁ。
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 大槻能楽堂の南隣、何となく地味で閉鎖的なニオイのする建てモンやったけど…はて? と思いつつネット地図見ても既に掲載されてないしで住宅地図見ますればここは“大阪府警察本部・上町別館”とありますわ。そう言えばそやったかも。
 「ここもやっぱりマンションか」と思いつつちょっと調べてみますとこの建物、警察が使う前は“大阪府婦人会館”、その前の名称は“国防婦人会館”やったそうです。あのテレビなんかで時折見るモンペに白い割烹着、そしてたすきの国防婦人会の会館がこんなところにあったとは知りませんでした。上町台地のこのあたりと言えば、戦争に関連する遺構や建物の多いところですから、こんな会館があっても不思議はないのかもしれません。徐々に…色々なくなっていきますね。

(於:中央区) カテゴリ“業界団体の会館”には…入れられんわな。

※関連記事:『元・国防婦人会館解体中:1月13日の様子』 2014年1月14日 記

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コメント

  長い間ベニヤで塞がれていた建物ですね。

 「国防」=戦争と繋がる教育を受けた者にとっては、ドキッとする響きです。

 最近になって「予防」の大事さを痛感してますが、これも平和ボケの現れでしょうか?

投稿: 戦後派 | 2014年1月 8日 (水) 07時50分

平成から昭和を越えて明治・大正時代から続いてた建物なんでしょうか?取り壊しには勿体ない建物です!大阪府警、ギネスブックにも紹介された長寿ドラマ・部長刑事を思い出します。クラシックの荘厳なオープニングが耳から離れませんが、平成時代になると、オープニングもソフトな曲に変わり、出演者を一新させてアーバンポリスというサブタイトルがつきました。大阪ガス一社提供でしたネ?
関西ローカルながら、二桁近い視聴率があった関西でも懐かしのテレビ番組でした!スペシャル版での復活が見たいです。

今日の関西のスポーツ紙の一面は、たかじんさんの話題で占められてる事でしょう。東京でも一面にきてましたヨ。
関西を代表する人気者がまた一人旅立ってしまいました。生涯大阪を貫いた人生は、関西人誰もが忘れない事でしょう。95年・青森から短期のお仕事で大阪に一人暮らしを送ってた以前から放送されてた胸いっぱい、実家の埼玉でも何週か遅れで放送されてます。
たかじんさんのご冥福お祈り申し上げます。

投稿: なっき | 2014年1月 8日 (水) 15時25分

●戦後派さま
そう言えばベニヤ板で覆われていましたっけ。あんまり意識して見てなかったってのが正味のところです。
国防…ちゃんと考えんならん時期ではありますが、何やよからぬ方向へその考えが行ってる様にも思えて…

●なっきさま
いや、そんな古い建物やない様な感じでしたが、よく知りません。
部長刑事は…その荘厳なオープニングが子供心に怖くてちゃんと見たことありませんでしたが、そないに視聴率高かったんですか。知りませんでした。
視聴率と言えばたかじんさんなんですね。私はあんまりテレビ見んので、氏に対してほとんど親近感なくて…でもきっと唯一無二な存在やったんやろと思いますわ。

お二人ともコメントおおきにです。

投稿: 山本龍造 | 2014年1月 9日 (木) 22時55分

 “国防婦人会”…出征兵士の見送り・英霊のお迎え、戦地へ慰問袋を送る等の活動、会費を集め昭和12年に会館落成とか。

敗戦後米軍が接収、天満橋に新しいドーンセンターが出来るまで“大阪府婦人会館”やったらしい。

上町交差点北西角に陸軍創始者“大村益次郎”の紀念碑がありますネ。

てっきり兵器弾薬の業界団体会館が建つんかと思ったら、NTT都市開発のマンションでした(汗)。

投稿: 難波のやっちゃん | 2014年1月11日 (土) 20時58分

●難波のやっちゃんさま
“国防婦人会”…その時代を知らんモンには何か嫌な圧力団体的イメージがついてまわるんですが、きっと「婦人にできることは何か」と真剣にやってはったんやろなと思うと複雑な気分になります。
兵器弾薬の業界団体会館に最適地やったかもしれませんねおっしゃる通り。

コメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2014年1月15日 (水) 11時21分

はじめまして。
自分は戦前の近代建築が好きで、この国防婦人会館も数年以上前にまじまじ観察しに行ったことがあります(笑)が、昭和30年代の垢抜けない建築そのものにしか見えず(近代化改装したようにすら見えない)、解体中で普段見えていない部分の見える管理人様の画像を見てすら、戦前の建物にはとても思えないですが、いま改めて探したらなんと画像がありました。http://www.pocketbooks-japan.com/images/products/r0001-5000/r2561.jpg
紛れもない、戦前の建築物でした。インターナショナル様式で建てられているので最初から戦前らしくなく現代的な建物ったんですね。今回この記事に接したことで、結果として以前から見たかった戦前の写真を見ることができたので感謝申し上げます。

投稿: エヌ | 2014年1月15日 (水) 20時52分

●エヌさま
はじめましてこんにちは。
で…そうやったんですね! 私もお書きの通り“昭和30年代の垢抜けない建築”なんやろなぁと思とりました。あの場所にして戦火にもあわずに残っていたとは…解体とはホンマは残念なことですね。反対運動もなくひっそりと…お教え頂き有り難うございました。レスが激遅になりすいませんでした。今後ともよければよろしくお願いします。

投稿: 山本龍造 | 2014年1月24日 (金) 10時56分

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