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2014年1月12日 (日)

防火水槽 128 ■ 貝塚市海塚86

 仕事で訪れた貝塚市。南海は貝塚の駅を降りて東を行きますれば…ええ感じ。ではありますがちょっとくたびれた家屋も散在していて複雑な気分に。てなこと思いながらしばらく行きますれば…ありました。
Suiso128a Suiso128b  ご覧の通り、防火水槽もやっぱりくたびれています。隣接する建物も残念ながらもう何年も店を開けはった風情がなく…ええ感じの建物なのにちょっと残念な気がします。
 この128号、見ての通り青いビニールシートをモルタル片で押さえてあって、何かが封印されている様に見えますが、さすがに開けて確認することはようしませんでした。下部にみられる湿気が、なかなかええ味わいを醸し出しています。
 ふと見上げると、何やらこれまたええ劣化具合のポスターがあります。ま、そのネタは後日別ネタにするとしましょう。

(於:貝塚市) 物件の左のお店にあった“たこぼうずもなか”、気になってきた。

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コメント

  永らく開けられた気配の無い草生す雨戸。

 昔は何か商っておられたのでしょう。

 隣にも今では珍しくなった公衆電話。

 未だに携帯を持たない者にとっては、貴重な存在です。

 とはいうものの、財布には数枚の使いかけのテレカが互いに擦れて、色褪せて・・・。

 

投稿: 戦後派 | 2014年1月13日 (月) 09時31分

 この町を一躍有名にしたのが“東洋の魔女”日紡貝塚…もう半世紀も前になるんですネ。

今東光さんが八尾の天台院に続き“水間寺”住職を務め中尊寺貫主への足掛かりとしました。
喧嘩大好きな東光さんは、古くからの地元組織と対立が続く本山から派遣され“たこぼうず”の如く檀家と応酬し収めたとか(笑)。

貝塚市は敗戦間際の七月に空襲を受けましたが、海塚(うみづか)の防火水槽128号は活躍できたんでしょうか(汗)。
戦争や水間騒動を封印し静かな余生を送っているのでは…

投稿: 難波のやっちゃん | 2014年1月13日 (月) 10時55分

泉州って、かなり山本さんのブログのネタの宝庫かもしれません(^_^;)

投稿: ぽんぽこやま | 2014年1月13日 (月) 11時08分

貝塚行かはったんですね。海塚~南海貝塚駅~脇浜辺りは、山本さんのネタの宝庫ですよ、ほんまに。駅西も、スーパーなんぞが建ってますが、一本入れば色々ありますし、国道越えたらだいぶ少なくはなりましたが、興味をひかれるものがまだまだ残ってる町です。あと、岸和田とかもええ感じですよ。

投稿: 天王寺蕪 | 2014年1月13日 (月) 16時15分

●戦後派さま
そう言えば戦後派さんは携帯電話不所有派でしたね。やっぱりある意味羨ましいなぁと思いつつ、もうやっぱりそんな生活はできんなぁと思てます。便利さを手に入れると…後戻りはできませんわ。

●難波のやっちゃんさま
こういうコメントこそやっちゃんさんやなぁと思いますわ。これがないと何とも締まらんって感じであり難く思てます。
で、そうそう、今東光サンと言えば八尾の天台院時代がいちばん知られているみたいですけど、この水間観音でもえらいチカラを発揮しはったんですよね。近年新聞で読むまで全く知りませんでした。
防火水槽に何が封印されているか…納得です。

●ぽんぽこやまさま
確かにそんな感じというかニオイがしますわ。これからも訪れることができることを楽しみにしときます。

●天王寺蕪さま
駅西にも寄りました。あの寺内町は二度目です。ええ町並みが残っていますね。ちょっとええとこすぎてアホげ的発見がちょっとできんかったのが残念です。ま、見落としているだけでしょうけれど。泉州…ええとこですわ。

皆さんコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2014年1月20日 (月) 17時12分

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