錆びサビ上田一丁目
さほど古くない電信柱に縛り付けられてまっせ。
錆びサビになり、何カ所か折れつつも「ここは上田一丁目です」の文字でその役割を果たしています。捨てることなくずっとここに掲げ続けるNTTもエライですわ。
この手の町名看板は下部の広告も味のうち。そこには“創立二十周年記念 河内信用組合 理事長 〇〇ー”とあります。“河内信用組合”…知らんなぁと思いつつ調べてみますと1998年に破綻、翌年、成協信用組合に事業譲渡とありました。ちなみにこの上田一丁目には、成協信用組合の松原支店がある様なので、そこが河内信用組合の本店やったのでしょう。
あともうひとつ、“創立二十周年記念”も気になるところ。こちらも調べるとこの信用組合の“飛躍20年史”という書籍がヒットしました。出版は1972年…ということは41年前に作られたものということですね。41年でこの劣化…ちょっとはやい気がしますけど、金融再編のはやさを思うと、こんなもんかもしれませんなぁ。
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コメント
「取って付けた」ってこのことかなぁ。
電柱交換のときに古いのから・・・。
投稿: 戦後派 | 2013年11月14日 (木) 09時24分
1972年と云えば結婚した年、アノ横井庄一さんに任務解除命令が出た年でもあります(満57歳で帰還)。
翌年暮れにはオイルショック!
河内信用組合さんも飛躍躍進の20年だったことでしょう。
で、最盛期全国に800以上あった信用組合も今では1/5以下に減ったとか…
元々銀行が出店してくれない地域に地元の名士(ボス)が設立しましたが、現在ではその存在意義が薄れていますネ。
私たち夫婦も縛り付けはされてませんが、お互いかなり劣化しました(汗)。
投稿: 難波のやっちゃん | 2013年11月14日 (木) 10時15分
味ありますね!…?信金とちゃうの?まぁ、メガバンクも今やどうなるかわからん時代。倍返しだ!と銀行員が流行り、、先日東京行った際、倍返し饅頭なるもの買いましたwなかなかネタになりましたよ。
投稿: りらっくま | 2013年11月22日 (金) 00時12分
●戦後派さま
きっと“取って付けた”んでしょう。なかなか関電も細かいサービスをしてるんですね。
●難波のやちゃんさま
横井庄一さん帰還が1972年ですか。私いまだに「よっこいしょういち」って腰上げるとき言うてしまいますが、これってルンルン以上に死語の様で…
で、信用組合の発足というのは、そういう理由があったんですか。ま、どんな業界でも、大手と中小の棲み分けがなくなって、小さいところが食われていってしもてますね。
>>私たち夫婦も縛り付けはされてませんが、お互いかなり劣化しました(汗)。
相変わらず、写真からうまい例えを…すばらしい。
●りらっくまさま
へぇ、そんな名の饅頭までありますねんね。結局私はそのドラマ、一回も見んかったです。別にあまのじゃくでってわけでもないんですが。
皆さんコメントおおきにでした。
投稿: 山本龍造 | 2013年11月25日 (月) 18時09分