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2013年10月 5日 (土)

吹田は片山町あたりを歩き見て思たこと。

Mukashimise1 Mukashimise2  岸部での仕事の帰り、府道14号線より北部を歩いておりますればキレイなまま残った“でんわでんぽう”の看板が。“市内通話もかけられます”のコトバに「はぁ?」と思いつつ上部を見ると、“ダイヤル■■通話”と■■の部分がガムテープで消されていて「何を隠したんか?」と昔の記事にある写真で確認しますとそこには“市外”とありました。ということは昔の公衆電話というのは、市内しかかけられんヤツとかそやないヤツとかあったということですね。インターネットで世界どこでもつながる今の時代を思うと…ついこの数十年でえらい変わり様ですなぁ。
 そう思って建物を見てみるとこれまた懐かしい。むかし文房具やら駄菓子買うと言ったらこんな風情の店でしたわ。ま、もちろん大型ショッピングセンターもできはじめたころでしたが。
Mukashimise3  吹田と言えば万博やらニュータウンなイメージをつい思い浮かべるるんですが、そやないところもあるわけですな。あまり北摂地域に縁がない私としたらちょっと意外に思たりしました。とは言ってもやっぱり“吹田=万博”なんですね、足元見ればマンホールの真ん中にさりげなくかつ堂々と太陽の塔が。ちとデフォルメされてほんまもんよりええ感じ。そう、万博は大阪であったんやなぁ。オリンピックは東京で、万博は大阪で…まだまだ2大都市やと信じていた時代やった様に思います。まぁ当時私はまだ子供でしたから、ほんとのところはわかりませんが。あれから数十年…ですなぁ。

(於:吹田市) 太陽の塔、好きかと問われれば…なぁ。

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コメント

 “チチキトク、スグカエレ。”
万博の頃ぐらいまでは電話の普及率が低く、慶弔や大学合格の連絡は電報でした。

国鉄もそうですが、電電公社民営化により世の中は飛躍的に革新しましたネ。
携帯のある今、松本清張の小説の映画・ドラマ化はチト難しい(汗)。

龍造さんは岸部から片山神社の方へと“津戸ノ中道”近辺を歩かれたのでしょう。
風情のある町並みが続きます…

片山町の市民病院が国立循環器病研究センターと共に、JR岸辺駅北口旧国鉄吹田操車場跡に移転します。
阪大医学部付属病院を含めると吹田市は日本屈指の高度医療集積地域となりますネ!

投稿: 難波のやっちゃん | 2013年10月 6日 (日) 08時47分

  「金遅れ頼む」が「カネオクレタノム」になると「金をくれた呑む」になるとか。

 「サクラチル」は自分も受け取りました。

 今では「祝電」「弔電」位しか目にしませんが、そのかわり押し花やオルゴール(電子音)やら豪華になってますね。

 あぁ、それとダイヤルの電話も懐かしいですね。

 今のプッシュホンでもリダイヤルとはこれ如何に?と調べますと、「電話すること」も含まれていました。

 

投稿: 戦後派 | 2013年10月 6日 (日) 09時39分

以前吹田近くの茨木に住んでて、散歩でこのマンホールの蓋をよく見かけました。

太陽の塔のちょっとかわいいやつ。

万博公園もエキスポランドがなくなって寂しいです。

投稿: 阪南市テクノ森田 | 2013年10月 6日 (日) 10時58分

●難波のやっちゃんさま
電報と言えば縁がありませんわ…って思いましたけど、そうそう、就職活動の時、姫路の某造り酒屋へ訪問する約束をしたものの、日程を変えてくれとの連絡が、電報やった…気がするのです。あの時本気で酒造業に進んでいたら…どやったんでしょうかね。
ほんま岸辺の駅あたりの変わり様は…いま久宝寺の龍華そのものですわ。操車場ってもの自体、今も存在するのか否か知りませんけれど、どことなく郷愁を誘う空気がそこに流れていたのを、今でもはっきりと思い出すことができます。あれから…40年くらい経ってるんですね。

●戦後派さま
あの慶弔の時の電報しかもう“電報”として存在しないのではないでしょうかね。ほう本来の目的とは全く別世界に存在していて…でも存在している。すごいことです。
ダイヤル式…確かに懐かしいです。あのダイヤルをまわしてかけまくっていた電リク…ラジオ関西も元気やったなぁ。って、まぁ、ラジオという媒体、自体ほんまに大丈夫なんかって感じですね。

●阪南市テクノ森田さま
エキスポランドね…確かに懐かしくてなくなったとなると寂しいかも。高校時代の記憶がちょっとだけ蘇りましたわ。
しかし何ですね、昨日も吹田を仕事で歩きましたけど、太陽の塔のマンホール、いっぱいありますね。それだけ“吹田=太陽の塔”ってのが出来上がっているということですかね。

皆さんコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2013年10月10日 (木) 22時59分

吹田市の市外局番は06ですが、
1973年までは北部(旧山田村)が068でした。

市外局番が市内で大きく2つに分かれたのは市町村合併が原因のようです
(東大阪市、摂津市、久御山町等)。

隣の豊中市は
庄内地区が大阪市淀川区(当時は東淀川区)三国地域と同じ06-39*でしたが豊中庄内局が開設時に06-33*へ変更
(現在は06-633*)、
その他が068で例えば豊中市街は068-52-****でしたから
豊中駅近辺の古い商店は06-6852-****な傾向にあります
(最寄駅が石橋駅となる麻田町は0727-6*→072-76*)。

吹田市南部の古い商店はJR京都線(東海道本線)を境に
南側は06-6381、
北側は06-6388
な傾向です。

投稿: 奈良市民 | 2014年2月20日 (木) 10時37分

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