« 鴫野の笹薮、その翌日。 | トップページ | 昭和なプラ看板 76 ● ゼブラボールペン »

2013年7月 9日 (火)

防火水槽 115 ■ 都島区中野町5-3-13

 七夕すんで、鴫野の竹やぶもなくなったけれど…なくなったらなくなったで、ますます恋しなるもんですなぁ、竹やぶって…
Suiso115a Suiso115b …という書き出しをもってこの写真を改めて見てみますれば「来年はここがええかも…」と思てみたり。
 この物件、じつは先の第114号と同じ一角にあって、でもかなりニュアンスが違う感じ…と思いつつ「一緒やがな」と思う部分もあって。何が“一緒”かって? ま、それはこの一角の住宅の要塞的役割を果たしているんかなぁと思われる部分があって…どうでしょう。
 あまりに茂りすぎていてそこが公道上か個人所有の土地上の展開なんかももひとつわからなんなんですが、ま、間違いなしに防火水槽として機能してないのに防火水槽でっせと堂々と鎮座しているところが…暑苦しくてええ感じかもですな。梅雨もあけて…今頃この第115号もその姿がほとんど見えん状態になってるんかもしれません。

(於:都島区) しばらくは、街中で笹薮見るたびに…反応しそうな感じ。

保存

| |

« 鴫野の笹薮、その翌日。 | トップページ | 昭和なプラ看板 76 ● ゼブラボールペン »

防火水槽」カテゴリの記事

大阪市東部」カテゴリの記事

コメント

 毎年蝉が鳴き出すと、水槽からバケツリレーで焼夷弾消した終戦の暑い暑い夏を想いだします…
って嘘ですヨ、まだ母ちゃんのお腹ん中でした(笑)。

と云うか私、子供の頃“防火水槽”見た記憶が無いんですワ。
軍需工場が近くにあり、何度も空襲受けたと聞いてるんですが…
コンクリや木で造ったゴミ箱は憶えてるんですが。

退職後あちこち歩くようになり、現役・退役の水槽を見掛ける様になりました。
敗戦から68年、街なかにも残ってるなんて(驚き)。

で、初めてコメントしたのが“奈良県葛城市當麻”の41号!
今読むとなんとまァ堅苦しい文章で暑苦しい(汗)。

投稿: 難波のやっちゃん    | 2013年7月10日 (水) 07時09分

竹槍、風船爆弾そして防火水槽で戦争勝てますか?
原発再稼働‥昔も今もこの國はなんも変わってません❗

投稿: ん❓ | 2013年7月10日 (水) 09時22分

この辺夕方いったら小太りのおっさんは悲惨なことになりそうですね

スキンガードくらいじゃ通用しないかも

防火水槽が現役なら、やぶ蚊にはさらに好都合ですな

投稿: 阪南市テクノ森田 | 2013年7月10日 (水) 10時40分

●難波のやっちゃんさま
腹ん中で終戦をむかえはったんですか…でしたら街にある戦争の傷跡なんかもリアリティある記憶なんでしょうね。なのに防火水槽を見た覚えがないとは不思議な感じです。
で、そうですか、当麻の石製防火水槽へのコメントからお付き合い頂いてると言うことは、2年8ヶ月ですね。以来よくもまぁほぼどんなネタにも鋭い返しを…今後ともよろしゅうです。

●ん❓さま
うむ…ま根性あったらそのうち神風吹いて勝てるということやったんでしょうか。竹槍で飛行機落とす…当時どれくらいの人々が本気で思っていたのか気になるところです。

●阪南市テクノ森田さま
小太りのおっさんって、刺されやすいんですか。まぁ確かにそういうイメージはありますが。あ、ちなみにこの物件には水ははってありませんでした。

皆さんコメントおおきにでした。

投稿: 山本龍造 | 2013年7月11日 (木) 10時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 防火水槽 115 ■ 都島区中野町5-3-13:

« 鴫野の笹薮、その翌日。 | トップページ | 昭和なプラ看板 76 ● ゼブラボールペン »